明日から実家に帰省する関係で、2024年の日記は今日が最後になる。そこで例によってこの1年を振り返ってみたい。
年明け早々、恩師・田中秀夫先生の訃報が届き、筆舌に尽くしがたい巨大な悲しみに襲われた。しかも、それからわずか半月ほどの間に、エディンバラ在外研究時(2002年)の恩師・Harry Dickinson先生の訃報、シドニー在外研究時(2015年)の親友・Michael Patonさんの訃報も届き、精神的にすっかり打ちのめされてしまった。
↑ 田中秀夫先生、Harry Dickinson先生と(2005年3月、於京都)。お二人とも「指導教員とはこうあるべき」をまさに体現したようなお方でした。その圧倒的な指導力に感服するばかりでした。ご冥福をお祈りいたします。
↑ Michael Patonさんと(2019年10月、於シドニー)。兄のように慕っていました。「自分のたどたどしい英語力でも、これほどまでに信頼できる人間関係を結べるのだ」という喜びと自信を、教えてくれた方でした。ご冥福をお祈りいたします。
こんな最悪の精神状態で例年以上にハードな入試業務に携わり、それが終わって数日後に(今も悩まされている)メニエール病を突然発症した。メニエール病の原因ははっきりとわかっていないらしいが、過労・睡眠不足・ストレスなどが関与していると言われており、そうだとすれば発症の条件がまさにそろっていたことになる。今年の研究・教育活動は、このメニエール病が持病の肺疾患に加わって、日常生活すらままならなくなった関係で、かつてないレベルでの超低空飛行となった。8月くらいまではめまい・吐き気・耳鳴り・難聴の症状が深刻だったため、研究・読書・語学の勉強等をほぼストップさせて、担当授業とマルサス学会事務局の仕事にほぼ専念した。それだけで精一杯であった。田中秀夫先生の「偲ぶ会」世話人の仕事は、最初かなりの重荷に感じていたが、8月くらいから症状がいくぶん改善されて体力が戻ってきたため、何とかギリギリこなすことができた。
2024年の研究成果・・・悔しいですがしょぼいです(これで精一杯)
【口頭発表(学会)】
- 「レーニンのマルサス批判」経済学史学会第88回全国大会(於尾道市立大学, 司会小沢佳史, 討論者太田仁樹), 5月25日.
【口頭発表(研究会)】
- 「「バークとインド」はどのように論じられてきたのか?――研究史から見えてくるもの――」第22回保守的自由主義研究会(於大阪公立大学文化交流センター), 1月27日.
- 「マルサスとレーニン」第78回経済思想研究会(於東北大学川内南キャンパス, 司会古谷豊, 討論者福田進治), 3月2日.
- 「試訳:M. Boumans & J. B. Davis, Economic Methodology, 2016, Macmillan:第3章」経済学方法論フォーラム(於小樽商科大学札幌サテライト, ハイフレックス開催, オンライン参加), 8月29日.
【学会報告の司会】
- 藤原いお(京都大学・院)報告「エドマンド・バークの劇場-社会論――青年バークの演劇論を中心として――」日本18世紀学会第46回大会(於大阪大学豊中キャンパス), 6月22日.
【学会報告の討論者】
- 今池康人(福井県立大学)報告「マイケル・ポランニーの自生的秩序論における学問と政治経済」経済学史学会第185回関西部会(於名城大学), 9月21日.
【論文査読】
- 1件
もちろん、良いことが全然なかったわけでない。僕以外の家族(妻・娘・息子)はすこぶる健康に過ごせた(重要!)。10月、東京出張中にたまたまMusesのライブ(素晴らしかった!)に参戦できた。久々のライブ体験は新鮮そのものであった。1月に訃報が届き、12月に「偲ぶ会」を開催したせいか、1年間ずっと喪に服しているような心持ちだったが、「偲ぶ会」の開催準備を通じて田中ゼミ門下生の間での結束を強めることができたのも、2024年の収穫と言えるかもしれない。ついこの前のことだが、ヴェリタス杯で23期生が過去最高の2位・準優勝の評価を獲得したことも、もちろん特筆すべきうれしいニュースである。本当に23期生はよくがんばってくれた。誇らしい。
右耳の状態は、これ以上回復しない可能性もある(主治医にはっきりそう言われた)が、研究活動に必要な読書や原稿執筆については、何とかギリギリ可能なレベルにまで回復してくれたので、来年2025年は積極的な活動に打って出て超低空飛行から脱却したい。とりわけ、執筆が大幅に遅れている2冊目の単著にできるだけ傾注したい。今年度は担当しなかった非常勤講師も、来年度は福井県立大学(西洋経済史、夏期集中)・大阪公立大学(社会思想史、後期)の2校で担当する予定で、千里山以外の学生との出会いが楽しみである。
2024年もこの日記をお読みくださり、ありがとうございました。2025年もどうかよろしくお願い申し上げます。この日記は2005年8月18日に突如思い立って始めたもので、ほぼ毎日更新ながら、あと8か月で大きな区切りの20周年を迎えることになりそうです。
【4808】