地図概略
補遺として、ヘルベラの会戦について解説を述べる。
この会戦は、前近代的武器と近代的兵器のぶつかり合いであったといってよい。
軍事的には軍事における革命の過渡期においての大規模な戦いとして、研究対象になっている。
が、ここでは簡単に戦局の推移を説明するに留まりたい。
この会戦が、状況が似ているにも関わらず、第十四回十字軍のときに起こったマルセナスの会戦と異なる地域で発生したのは、ティレルメ神帝国のインフラ整備の進歩により、街道網に若干の変化が見られたからであった。
この戦闘の戦端は、まずクラ人の鉄砲の砲声から始まった。
シャン人の軍団は、コークス・レキという大貴族が指揮していたが、主な武器は刀槍や弓、投石器といった原始的なものであり、弓の届く戦場以外では、鉄砲に対して一方的に攻撃される状況にあった。
しかし、シャン人の軍団は、前戦争での戦訓を生かし、丸太で作った簡易な陣地設営をしており、鉄砲の攻撃をほぼ弾いた。
戦端が開かれてから一時間が経過したころ、クラ人側の総大将であるティレルメ神帝国帝王、アルフレッド・サクラメンタは、一向に崩れぬ陣地にしびれを切らし、兵を寄せさせた上で騎兵突撃を命じた。
この時のシャン人の軍団は、若干ながら斜線陣気味の歪んだ陣形をしており、右翼の兵が厚く、左翼の兵が薄い形をしていた。
それに気づいたアルフレッドは、騎馬軍団を兵の薄い側から迂回させての包囲攻撃を立案し、配下の騎兵軍に命じた。
が、騎兵軍がシャン人軍左翼の端に至った頃、右翼の方向からシャン人の騎兵軍が現れた。
姿を消していたカケドリの騎兵軍は、会戦の直前に到着することで偵察の目をくらまし、丘陵地を利用して姿を隠していたのである。
機動防御のために残された少量の騎兵を除いて、ほぼ全軍をかき集めた騎兵軍は、横合いから銃歩兵列をえぐった。
この時の騎兵隊の突撃力は凄まじく、最左翼を担当していたフリューシャ王国の兵たちは、溶けるように崩れていった。
ユーフォス連邦の軍団も貫かれ、次にあった共同傭兵軍の隊列も崩れると、次にあったのはガリラヤ連合軍であった。
ガリラヤ連合軍は、全体から見れば少数であったものの、東に居るカンジャル騎兵を相手にしてきた歴史を持ち、対騎兵用とも言える特異な軍制を採用していた。
それは銃兵と長槍兵を交互に配置につかせ、更に三〇〇名を基本単位とした四角い方陣を作らせ、それを並ばせるというもので、基本的に一方向への攻撃力しか持たず、後ろを取られると弱い通常の戦列を工夫したもので、全方位に防御力と攻撃力を持っていた。
ガリラヤ方陣と呼ばれるこの戦術は、各国の軍団からしてみれば奇異極まりないものであり、非効率的にしか見えないものだったが、騎兵に対しては抜群の防御力を発揮した。
アルフレッドは、後背からの騎兵突撃により中央を突破されることを警戒し、彼らを二つに分け、両翼の後ろに予備隊として配置していた。
そして、突撃があると共同傭兵軍と教皇領軍の間に割って入らせていたのだった。
ガリラヤ連合軍は、そこで見事に仕事をこなした。
鳥を長槍でえぐられながらも、方陣を一つ崩壊させた駆鳥兵たちは、そこで足が止まった。
足が止まってしまえば、あとは銃砲の餌食となるばかりである。
射程内で足が止まり、鉛球を射掛けられた駆鳥兵たちは、たまらず後退せざるをえなかった。
そして、騎兵の突撃が刺さったシャン人歩兵戦列の左翼が崩れかかると、もはや機を失ったと見たコークス・レキは、全軍撤退を指示した。