第081話 出発
5月8日
出発を控えた俺の前には、二十八羽の王鷲と、めいめいバラバラの革鎧を纏った若者が揃っていた。
俺の横には、華美にならない程度に上品に仕立てあげられた、白い革の鎧を纏ったキャロルもいる。
だれがデザインしたものなのか、心臓部などを鋼のプレートで補強しながらも、デザイン的には、俺から見ても非常に美しい。
革は、白馬の革を利用したものであるらしい。
傍らにいるのは、晴嵐であった。
ここは、シビャクから七十キロほど離れたところにある、コレプタという漁村である。
コレプタはシャミル湾を王鷲で渡る場合の出発地とされているところで、さしたる産業もない寒村であるのに、王鷲乗りが宿泊する需要から、宿はしっかりとしたものがある。
昨日、俺と俺が率いる観戦団はシビャクから発ち、コレプタについてからは、鷲をできるだけ休ませるため、休養をとっていた。
そして今日、俺たちはコレプタの海に面した平地に、集まっている。
「さて、今日は事前に通達しておいたとおり、シャミル湾を渡る。しかし、注意しておくべき点がいくつかある。諸君の生死に関わる問題なので、良く聞いてほしい」
と、前置きをして、俺は話しはじめた。
「まず、俺は一度、これを経験しているので、安心して追従してきてほしい。海上で迷ったりということは、まずありえない。だが、俺が万全に諸君を誘導したとしても、問題はまだある」
俺は続けた。
「王鷲の体調不良を空中で治療することはできないし、墜ちる王鷲を皆で抱えて飛ぶということもできない。だから、君たちは海上で飛行不能な状態に陥ったときは、鷲と共に海に沈むことになる。そのことが、いつでも陸に降りられる地上と大いに違う点だ」
そう言うと、やはり皆々は不安げな顔をした。
未来ある若者であれば、誰だって一人寂しく海に沈みたくはないだろう。
「だが、知っての通り、王鷲は何らかの故障を起こしたとしても、空中で唐突に絶命して墜落、なんてことは滅多にない」
実を言えば、心筋梗塞かなにかで王鷲が空中で突然死するということは、極稀にある。
学院でも二十年に一度くらい、王鷲が空中でパタっと動きをとめ、そのまま騎手ごと地面に激突するという事故で、死者が出るらしい。
だが、それは本当に滅多にない種類の事故で、俺の在学中においては、一度として起こったことがない。
「たいていの場合は、飛行中、鷲の故障に見舞われても、かなり長い間飛行することが可能だ。そのことは、天騎士たる技量を既に認められている諸君らにとっては、重々承知のことだろう。そして、もし鷲が故障を起こしたとしても、全行程のおよそ四分の一を消化するまでに気がつけば、まず戻ってくることができる。鷲を損じることも、命を損じることもなく、帰ってくることができる」
このくらい言っておけば大丈夫かな。
「なので、王鷲の体調不良を感じた者は、即刻隊列から離脱し、シヤルタ側に引き返せ。これは命令だし、我々幹部に空中にて確認を取る必要はない。また、引き返したからといって、諸君らの栄誉がいささかも損なわれるわけではないことを、明言しておく。以上だ」
俺はそう言って、訓辞を終えて一歩下がった。
交代にキャロルが一歩前へ出る。
「副長を務めるキャロル・フル・シャルトルである。私は最後尾からの監督を務めさせてもらうこととなった。行動中、王鷲の故障が明らかに見て取れる者には、私が手信号で伝える。その者は、どうかすみやかに引き返して欲しい。外からみても明らかに崩れているような鷲は、まず行程に耐えられないだろうし、つまり墜落する可能性が高い。私は、諸君全員に生きて帰って欲しい。重ねて言うが、この命令には逆らわないよう、お願いする」
よく通る声でそう言い終えると、キャロルは一歩下がった。
「といっても」
と、俺は付け加えるように言う。
「知っている者もいるだろうが、昨日の移動日に、俺は一度王鷲を見て回って、故障を確認した。そこで、明らかに鷲が悪い何人かには、参加をとりやめてもらった。俺の見立てでは、君らの王鷲は健康だし、恐らくは脱落者は一人も出ないだろう。そこまで心配する必要はないと思うが……いや、脅かすのもこれくらいにしておくか。それじゃ、行くとしよう」
***
湾を超えた先の陸地に、バサリバサリと大きく羽をうちながら、星屑が降り立った。
ここはもうキルヒナの地だ。
安全具をてっとり早く外すと、俺は地面に降りた。
後ろには、続々と鷲が降りてきている。
案外あっけなく終わったな……。
大きなトラブルもなく、たぶん全員が辿り着いた。
全員の王鷲が降り、安全具を外し地面に立つと、誰からともなく整列を始めた。
選りすぐりだけあって、素早い動作だ。
騎士院で教えられたことを着実にこなしている。
「整列後、点呼!」
と言うと、イチ、ニ、と素早く点呼を始めた。
二十六まで数え終わる。
間違いなく全員いるな。
考えてみれば、こいつらも成績優秀者を更に選抜した者達なのだから、只者の集まりではないということか。
まあ、腕というより鷲の体調が万全なら普通に越えられるものではあるんだけど。
「それでは、小休止の後、予定通りメシャルの村へ入る。休んでよし」
俺がそう言うと、恐らくは肉体的な疲れというより、精神的な疲れなのだろうが、皆その場に座り込んで休みはじめた。
俺は二回目だからそんなに疲れていないが、一応は死の危険があったわけだから、緊張していたんだろうな。
「さすがだな」
晴嵐の手綱を持ちながら、俺の横に立っていたキャロルが言った。
「鷲の調子が良かっただけだ。お前の仕事がなくて良かった」
キャロルは脱落を通告する役目だったが、幸いにして仕事をせずに済んだわけだ。
「そうじゃない。メシャルにぴったりだったじゃないか」
「ああ、そっちか」
コレプタとメシャルを行き来する間、コンパスの針の向きは何度、というのは、これは長年の経験の蓄積で、かなり正確な数字が出ている。
実際、一月ほど前に俺がここから出発し、それに従って飛行し、コレプタに到着したときは、こりゃすげえ、と思ったものだ。
「驚くほどのもんでもないだろ。誰にだってできる」
「なかなかの玄人でも、到着してから町を探すものと聞いたぞ」
そうなのか。
まあ、こんだけ離れてると、角度が数度違っただけで到着地が十キロくらいズレたりするから、そういうこともあるかもな。
地上を歩いている場合と違って、上空から文字通り鳥瞰できる王鷲だと、十キロくらいズレたってすぐに町くらい見つけられるし、あんまり問題視していないのかもしれない。
「たまたまだろ。それより、さすがに体が冷えたな。大丈夫か?」
この季節の空中飛行は、厳寒期に比べればずっとマシだが、それでも身体に堪えるものがある。
身に沁みるような寒さであることに変わりはなく、その中に三時間ほどもいたので、俺の体は冷えきっていた。
「大丈夫だよ」
「大丈夫には見えないがな。唇が青いぞ」
「……倒れるほどじゃない」
具合は悪そうだが、部下の前で過剰に気遣えばキャロルの立場がなくなる。
手助けはしないほうがいいだろう。
「そうか。幸い、すぐそこがメシャルだからな。宿に戻ったら休もう」
***
メシャルの町は、よくある半農半漁の寒村のように見えるが、コレプタと同じように宿場町的な仕事で金が落ちていくので、幾らか贅沢な暮らしをしているように見えた。
そういうのは、農家の軒下にある鉄製の農具の質だったり、村民の服が若干でも見栄えがするものだったりと、そういった部分に現れてくるものだ。
山奥にある本当の田舎町などと比べれば、よほどの華やかさを感じる。
「……あれ?」
宿の前に着くと、町に一軒しかない大きめの宿は閉じられていた。
窓はカーテンがひかれたまま閉じているし、湯気や煙突の煙も立っていない。
人の住んでいない建物というのは、どこか呼吸をやめているような雰囲気がするものだが、ここはまさにそうだった。
どういうこっちゃ?
三週間ほど前に泊まった時は、普通に営業していたのに。
その時、今日あたりの日付で大体何人で来るということは、予め伝えてあった。
選考の関係で一日ズレたのも、昨日から三日を伝えてあったので、許容範囲内のはずだ。
宿泊料の半金も払っている。
念のため、ドアを開けようとしてみるが、ガチャガチャと建具が音を鳴らすだけだった。
やはり鍵がかかっている。
「どういうことだ?」
キャロルが言った。
「わからん。宿の主人が倒れでもして閉めてる……のかも」
しかし、そう大きくない宿とはいえ、十室ちょっとはあるし、もちろん一人で切り盛りしていた様子ではなかった。
だったら、主人が倒れたからといって、従業員に任せてでも宿は開くだろう。
なんで閉まっているんだ?
「すいません、すいません」
と、声がしたのが聞こえてくる。
なにやら、王鷲の群れをかき分けて、誰かがこちらに向かって来ているようだ。
人垣をかき分けて出てきた人間は、俺の知っている顔だった。
「おっ、あんたは馬世話役だったな」
「へい」
この男は、宿に常勤して馬の世話(この村においては実質鷲の世話)をする仕事をしている男で、俺も前に一泊したときに星屑を預けた。
「悪いが、説明してくれるか? 主人が急死でもしたのか」
「へい……恐れながら、似たようなもんでございまして」
「というと?」
「旦那が支払った半金を持って家族ともどもシヤルタに……」
……。
えーっと。
「もともと気が弱え男でして。最近、戦の報が聞こえて、村を出る者どもが増えますと、どうも気分が落ち着かねえようで……一週間前に、おれに宿の鍵を預けると、引き止めはしたんですが、消えてしまいやした」
うーわー。
なんてこったい。
まあ、泊まるったって、予定では今日明日きりのつもりだったからいいけどよ。
宿の鍵を預けたってことは、前金は払ってあるのだから、俺らは勝手に泊まっていいってことだ。
ここに宿の主人がいたらブン殴ってやりたいところだが。
前金は、一切のサービス抜きの宿の使用代と考えるか。
全額前払いではなく、半金にしておいたのは正解だったな。
「だが、中の寝具などが残っていないのでは困る」
床に寝るんじゃ野宿と一緒だ。
「それは大丈夫でございます」
寝具などは売られもせず残っているらしい。
まさか、戦争でこの土地が無事だったら、戻ってきて営業を再開するつもりなのだろうか。
そん時は苦情じゃ済まされんぞ。
「従業員は離散してしまったのか?」
「はい? もちろん、暇を申し付けられましたが」
「ああ、そういうことじゃない。もうこの町にいないのか、ということだ」
「そういうことなら、殆どがおります」
それならなんとかなりそうだ。
みんな付近の村落に離散してしまっている、というのでは、どうしようもない。
「なら、これで今日明日働いてくれる者を集められるか?」
俺は男の手に銀貨の入った袋を渡した。
「二千ルガ、シヤルタ銀貨で入っている。これが半金で、残りの半金は宿を出る時に払う」
「ああ、十分でございます」
「鷲の餌代と、俺たちの食事代も入っている。王鷲の世話もしてもらわないと困るからな。だが、これだけ鷲がいては、お前一人ではとても無理だろう。手子の衆に、そこらの暇そうな子どもを雇ってもいい」
「へい。集めさせていただきます」
「今日明日は鷲を休ませるから、そのつもりで。それと……」
俺は金貨を一枚、別に取り出して男に渡した。
千ルガ金貨だ。
「これはお前の給料だ」
「え、こんなに」
男は、眩いものでも見るかのように金貨を見た。
「その代わり、他の金はお前の懐には入れるな。余ったとしても、雇った者に平等に分けろ」
「はい、当然そうさせてもらいます」
「じゃあ、取り掛かってくれ。鍵は勝手に開けて入るからな」
「へえ」
男は俺に鍵を渡した。
***
適当に部屋割りをきめ、全員をひとまず部屋に入れると、俺もキャロルと自分たちの部屋に入った。
「あれでよかったのか?」
荷も解かぬうちにキャロルが言った。
「なにがだ?」
「ケチなことを言うわけではないけど、あの男に特別に金貨をくれてやるというのは」
ああ、あれのことか。
なんだ、妙なところが引っかかるんだな。
「金をやりすぎってことか」
「非難しているわけではないのだが……なんというか、他の者はそれほど貰わないわけだろう。どれだけ集まってきてくれるのかは知れないが」
「他のやつと同じような金額にしろってことか? 例えば銅貨五枚とか」
銅貨五枚は五十ルガだから、さっき馬世話の男に渡した金額は、その二十倍になる。
とりあえず二日間は世話してもらうつもりだから、実際はその半分になるが、田舎の農民からしてみればけっこうな大金だ。
円でいえば日給五万円くらいになるか。
「銅貨五枚かどうかはともかく、少し差が激しすぎるように思える」
「あいつには人並み以上に働いてもらわなきゃならない。ちょっと盛ったくらいの給料じゃ、皆以上には働かないだろ」
「う……む」
どうも納得いかないのだろう。
「まあ、それは理由の半分だけどな」
「? ……どういうことだ?」
「俺は今さっき、あいつにどれだけ金を渡した? 二千ルガだぞ。そういう金額を預かった人間が、自分の報酬は五十ルガぽっちだったらどうする。俺はあの男の人柄は知らないから偉そうなことは言えんが、できるだけ金をケチって差分を懐に収めようとするだろうな」
それで、人間の世話はともかく、疲れを癒やすべき鷲の世話まで手を抜かれたら、目も当てられない。
「そういうものなのか」
「もちろん、そういうことにならない可能性もあるけどな」
幾ら低賃金でコキ使われようと、一生懸命に働くって奴もいるし。
「だが、そうじゃない者も多いと」
「まあな。責任に対して十分と思える報酬が得られなければ、人間は預けられた金をチョロまかしてでも私利を得ようとするもんだ」
腐れ切った魔女なんかは、十分に金を貰っても、職を汚してさらに金を得ようとするしな。
「は~……なるほど~」
なんだか感心しているようだ。
なるほど~て。
「なんだ。今日はやけに素直じゃないか」
もっと面倒くさい議論になるのかと思った。
「いや、母上のいうことも一理あると思ったのだ」
「なんだ? なんか言われてきたのか」
なんぞ余計なことを吹き込まれてきたんじゃなかろうな。
「いや、お前のやることなすことを良く観察して学べと言われた」
「なんだそりゃ。俺のやることなんて学んでどうすんだ」
俺みたいな奴から学んだら、むしろ王族としては良くない影響が出てきそうだ。