第080話 海の向こうからの荷物
「おい! 待て!」
大慌てで到着した俺が叫ぶのを聞き、リャオは騎上から振り向き、怪訝そうな顔をした。
「全体、止まれ!」
そう言って駆鳥隊の移動を止めると、リャオは上官に対する礼として、カケドリから降りた。
俺も、同じようにカケドリを降りて、地上で対面した。
そして、リャオは団員に聞こえないように小声で言う。
「お前が来ないんで、痺れを切らして出発するところだったんだ。今から偉そうに長話をしても、顰蹙を買うだけだぞ」
リャオの後ろには、団員たちがめいめいの革鎧を着て駆鳥に跨っている。
俺は送り出しに訓辞をする役だったのだが、遅れてしまっていたのだ。
随分と待った挙句、何だあいつ、もう行こうぜ。ということになったのだろう。
リャオの言うとおり、大遅刻して駆けつけてきた俺が、そこで偉そうに演説でもしようものなら、大顰蹙ものだ。
「悪かった。今から馬車が一台来る。その用意で遅れたんだ」
「馬車? 聞いてないぞ」
「俺も間に合わないと思っていたからな」
段列の後ろを見ると、馬車数台の後ろから、もう一台の馬車がやってくるのが見える。
「あれだ。ついでに運べるか?」
「まあ、一台くらい増えたところで、どうということはないが……」
「ユーリくん、どうしたんですか?」
ミャロもやってきた。
ミャロは、若い雌の駆鳥に乗って、華奢な体に薄手の革鎧を纏っていた。
心臓を守るように、三角の鎖帷子を右の肩口から左の脇の下にかけて装着している。
鎧が特に薄手なので、補強する意味があるのだろう。
軽そうだし、作りも悪くない鎧だ。
実家からパク……いや、借りてきたんだろうか。
「持って行って欲しい荷物が一つ増えた。今朝届いたんだ」
といっても、時刻的には今は朝なので、今朝といえば今も今朝なのだが。
「中身は食いもんじゃないからな、幌は外さないでいてくれ」
「わかりました」
ミャロは頷いた。
「あと、水気と火の気は厳禁だ。だから、野営の間にも幌はとらないでくれ。まかり間違って火の粉でも入ると困るからな」
「はい、気をつけます」
物品の管理はミャロの領分のはずだから、ミャロが管理するだろう。
ミャロに任せておけば安心だ。
***
補給隊にそれなりの激励をしたあと、寮に戻ると、俺はベッドに寝転がった。
昨日から気をもんでいたので、やけに疲れた。
あとは、13日後に王鷲で発つだけだ。
その間も、いくらかやることはあるが、寝る時間くらいはある。
今日は早朝から港へ行き、その後も動き回っていたので、かなり眠い。
シヤルタとキルヒナの間に横たわっている湾のことを、シャミル湾と呼ぶ。
その湾は、ちょうどシビャクのあたりでくびれていて、内海とは呼ばないまでも、かなり狭くなっている。
王鷲は、馬や駆鳥と違って、よほど高い山以外は地形に制限を受けないので、この海峡を渡ることが出来る。
海峡の幅は、おおよそ王鷲の限界飛行距離の3/4程度の距離なので、わりと余裕もある。
とはいえ、地形が関係ないとは言っても、それは順調に飛行できればの話だ。
トラブルで着地することになれば、当然ながら下は海なので、溺れてしまうことになる。
着地が許されない状況が限界飛行距離の3/4続くというのは、危険といえば危険に違いない。
それでも、海峡を迂回して湾を大回りすると、五倍以上の大回りになってしまう。
それはバカバカしいほどの時間の浪費だ。
なので、俺も、こないだ帰ってくるときはこのルートを使った。
シビャクとリフォルムを往復する使節は日常的に利用しているルートなので、それほど危険とされているわけではない。
使節の間では、伝統的にコンパスを利用した手法が確立されていて、事故率は1%以下になっている。
危険要素になるのは、航法や運転技量よりも、むしろ王鷲の体調管理で、飛行の前に十分に休ませ、栄養のある食事をとらせ、飛び始めてから暫くは様子を見て、不良が見られるようなら、取り返しのつかない地点まで達する前に引き返す。というのがもっとも重要になってくる。
責任重大なのは道案内の先頭騎……つまり俺だけなので、あとの人間はついてくるだけだ。
少しうたた寝していると、ガチャリとドアが開いた。
誰だ?
薄目を開けて見ると、キャロルだった。
まあ、そりゃそうだわな。
ドッラとミャロは今日出発したんだから、この部屋に来るのはキャロルと俺くらいだ。
あと来るとしたら、殺し屋くらいのもんだろう。
わりと冗談でなく殺し屋かもしれないので、薄目で窺っていたわけだが。
とはいえ、キャロルは今日、俺と一緒に出陣前に激励をする予定だった。
俺は出遅れたわけだが、キャロルはきちんと役目を果たしたはずだ。
起きたら小言を言われるかもしれない。
このまま寝た振りをしておくとするか。
「寝ているのか?」
寝ているので、俺は答えなかった。
怒りにきたのでないのなら、そのうち用事を済ませて帰るだろう。
若干音の大きい足音で近づいてきて、俺のベッドの横で立ち止まったようだった。
なんだ?
もしかしてブチ切れてて、そのまま踵落としでもして俺を無理やり起こすつもりだろうか。
ありえなくはないので、若干心配になった。
「……朝だぞ~」
と小声で言ってきた。
朝といっても、もう昼のほうが近いような時間なのだが。
リリー先輩からもらった時計を見れば、今は十時ごろを指しているだろう。
目をつむっているので、どういうツラをして言ってきたのかわからない。
表情がわからないと、声だけでは、どういう状況なのか察しにくいものだ。
まあ、このまま寝とけば、そのうちどっかいくだろう。
用事という用事もないようだし。
たぶん服とか本とか取りに来ただけだろ。
***
そのまま、十分ほどが経過した。
といっても、時計を見たわけではないし、俺は目をつむっているだけだから、時間感覚は麻痺しているかもしれない。
面白い本を読んでいるときの十分と、トイレを我慢しているときの十分はぜんぜん違うしな。
実際は五分くらいかも……。
しかし、こいつはなにをしているのだ。
俺は目を開けられないので音で判断するしかないが、紙が擦れる音はしないので、本を読んでいるわけでもないようだし。
なにか急ぎでない報告があって、俺が起きるのを待っているのか?
暇なの?
だが、じっと俺を見ているのだとも限らない。
寝ているのかもしれないし、音の出ない遊び……例えばアヤトリとかしてるのかも。
いや、ないか。
……ああもう、かったるいな。
狸寝入りなんかするんじゃなかった。
なんで我慢比べみたいな形になってるんだ。
今起きたフリをして目を開けよう。
と思った瞬間、ふいに俺の額に何かが触れる感触があった。
キャロルが俺の額に、指先で軽く触れたのだ。
そして、左右にスッスッと動かして、顔にかかった髪の毛を払った。
うっ……。
突然触れられたので、思わず眉根がビクっとしてしまった。
そのタイミングでキャロルの指がパッと離れた。
やっちまった。
このまま寝てるとおかしなことになる。
そう気づいた俺は、ぱっと目を開けてむっくりと起き上がった。
「ん……? キャロルか?」
目をぱちくりさせながら、キャロルを見る。
今まで寝ていました演技である。
キャロルは、固まっていた。
まるで親に見られたくないアレをしているところを見つかった中学生のように硬直していた。
「なんか用か」
「あ、あああああ、そそそうだ! 用事だ!」
面白いほどうろたえている。
「いま来たのか?」
「そ、そうだ! ちょ、ちょうど今さっき来たところだ!」
嘘つけ。
「用事はなんだ」
「ああ、えーっと、あああああ、そうだな。わ、忘れてしまった」
忘れたて。
どうやら本当に用事はなかったらしいな。
「じゃ、じゃあ、思い出したらまた来るから!」
キャロルはパッと手をあげると、そのまま慌ててドタバタと部屋を出て行った。
なんなんだあいつ。