第047話 盤遊戯
なんのかんので、俺は十六歳になった。
十六歳ともなると、学院の中でも「上級生」という扱いを受けるようになり、いろいろとやらなければいけないことが増えるようだ。
やらなければいけないことが増える。
嫌な響きだ。
といっても、普通の学生であれば、学業のほうは単位にも終わりが見えてきたころである。
時間割にも開いたコマが増えてきて、トータルでいえば入学した時より楽になってくる。
上級生になって新たに始まるものには、「全学斗棋戦」と「騎士院演武会」がある。
騎士院演武会というのは、騎士院の中で最も強い者を決めるという、天下一武◯会もかくやというイベントである。
二五歳以下十六歳以上の学生から選抜された二名が武を競い合う。
その他にも十名くらい優秀なやつが選ばれて、前座をする。
こいつに出場するのは騎士として何よりの名誉らしいので、二十歳くらいの連中は、夏の時期メチャクチャ頑張って稽古に励むらしい。
だが十六歳ではさすがに選抜の芽そのものがないので、元より興味のない俺は別にしても、寮内の雰囲気には、そう変わりがなかった。
全学斗棋戦というのは、騎士院よりもむしろ教養院向けの催しで、騎士院も教養院もごっちゃになってトーナメント戦をする。
が、実際は二院の対抗戦という趣が強い。
騎士院のほうは、十六歳以上二十三歳以下の学年の寮から、一人ずつ代表者を出さなければならない。
演武会と違って、一人は必ず出られるのだ。
二十三歳が上限となるのは、二十歳を超えると少しづつ院生が卒業していくので、候補者が減っていくためであるらしい。
なので、この時期は学生寮でめちゃくちゃ斗棋をやることになる。
むろん、斗棋に興味がないやつというのもいて、そいつらは元より関係がないわけだが、俺はそういうわけにはいかなかった。
***
なぜかというと、この寮では、完全に俺とミャロが二強になってしまっているのだ。
これでは、俺が代表者選抜戦に参加しない、というわけにはいかない。
この選抜戦は、寮内の斗棋愛好者が協議し、トーナメント戦ではなくリーグ戦でやることになったのだが、ゲームの上手下手というのは残酷なもので、俺もミャロも、なんと一敗もしなかった。
これなら最初から俺とミャロが一局指せばそれで終わりだったのに。
と思わないでもなかったが、やはりこれはお祭り騒ぎを楽しむ催しであるわけで、それを言うのは無粋であろう。
というわけで、最終決戦は俺とミャロの戦いとなった。
「さぁて」
俺は手を組んで軽く揉んだ。
「ユーリくん、先に言っておきますよ」
「ん?」
「ボクはこの勝負、負けません」
ミャロは珍しくやる気まんまんらしい。
望むところじゃないか。
「そうだな。是非頑張ってくれ」
「はい。それでは、サイコロ振りますね」
ミャロはコロコロとサイコロを振った。
六だ。
「ロクか。やられたな」
これは、出目の多いほうが先手ということになっている。
斗棋は一般的に先手が多少有利とされている。
次に俺がサイコロを振った。
二だった。
「残念でしたね」
「そうだな」
俺は内心で多少の嬉しさを感じていた。
サイコロの出目で勝負が決まるわけではないが、不利になるには違いない。
俺は負けるつもりだった。
ただでさえ忙しいのに、なぜこんな大会に出なければならないのか。
俺の強さは寮に知れ渡っているから、棄権することも連戦連敗することも憚られたが、ミャロ相手であれば誰にはばかること無く負けられる。
多少不自然な手を指して負けたとしても、そもそも俺とミャロのレベルに達している者は誰一人として居ないのだから、気づかれるはずがない。
「では」
ミャロはちょこんと端の槍を前に出した。
??
このゲームは駆鳥兵と王鷲兵というコマが、いわば飛車角のような役目を持っている。
そして駆鳥兵のほうは、将棋の歩兵にあたる前進しかできない槍兵というコマに、初期状態で進路を塞がれている。
将棋と違って一刻も早く穴熊のような囲いを完成させるという戦法はないので、初手といえば、王鷲を動かすか駆鳥の道を開けるか、普通はどちらかなのだ。
つまり、端の槍を前に出すというのは、通常では考えられない悪手である。
何を考えている?
月の下で端歩に拘る漫画を思い出してちょっと愉快な気持ちにはなったが。
俺は少し考えて、駆鳥兵の道を開ける手を指した。
***
どうやって自然に負けるか。
盤の上に手をおいて「負けました」というにも、状況というものがある。
こちらが絶対的優勢な局面で「負けました」といっても、どう詰まれているのか説明しなければ、周りは納得しないだろう。
その状況に陥るのはまずい。
観客となっている寮の連中が、かろうじて納得する範囲で、自然を装って負ける。
そうすれば一番良い形で大会から逃げられる。
俺はそう考えていた。
だが、ミャロは技巧の全てを振り絞って、その状況を作れないようにしていた。
傍目には、斗棋を始めたばかりの素人が、ルールを確かめながら指しているように見えただろう。
だが、俺たちの間では、かつてないほどに高度な技の応酬がされていた。
でたくない、でたくない。大会になんて出たくない。
だが、ミャロはどこまでも執拗で、徹底的だった。
いつもと勝手の違う指し方を要求されるというのに、驚くべき冷静さと正確な読みだ。
そして、通常の二倍もの時間をかけて、二百三十数手という前代未聞の手数を指した末、ついに誰の目にも明らかな三手詰の形が現れてしまった。
もちろん、詰ませているのは俺の方だ。
キャロルどころかドッラにさえ詰みが見えたようで、なんかいつもは盤を見てるあいだじゅう、戦局を分析するのに無い頭を振り絞ってしかめっつらをしてやがるのに、スッキリした顔でうんうんと頷いている。
負けた。
ある意味で納得しながら、俺は詰ます手を指した。
すると、すぐに「参りました」とミャロが言った。
覚悟が違ったのだ……。
『負ける』という覚悟において、ミャロは最初から心を決めていた。
俺のほうは、最初の数手、ミャロが真面目にやっていると信じこんでしまっていた。
そこが勝負の分かれ目だった。
「ゴホ、ゴホ」俺はわざとらしく咳をした。「なんか急に体調が悪くなってきたぞ。明日は寝込むかも」
本戦は明日、王城で始まる。
「そんなことにはならないと信じていますよ」
ミャロはニッコリと微笑んだ。
「そんなに出たくないのかよ……」
そこである。
俺が読み違えたのはそこだ。
ミャロは斗棋が好きだし、そんなに本戦に出たくないとは思わなかった。
この局で負けるために、おそらく一週間くらいは研究したんじゃないのか。
やっている最中に、そうとしか思えない、才能というより努力の足跡を感じさせるような、閃きというより重厚さを感じさせるような手が、何度かあった。
そんなことをするくらいなら、大会に出たほうが楽だろうに。
つーか、それ以前に途中で二戦負けていれば、俺の勝ちは確定になって……。
いや、そうしたら、俺の方も適当に負けて調整していたか。
イタチごっこになり、最後は結局この一戦をやることになっていたに違いない。
「ボクは、ユーリくんの奮闘ぶりを楽しみにしているので」
ミャロは邪心のかけらも見えない笑顔で再び微笑んだ。
「私も最近、我ながら達者になってきたと思っていたのだが」
相変わらず中の下のキャロルが、一戦を論評した。
「今の一局はわけがわからなかった。狐に化かされたようだ」
わけがわかってたら俺はぶん殴られてただろうな。
他と比べれば別格の強さを持った二人の対局だから、誰も口を出さなかっただけだ。
***
翌日、王城でトーナメントが始まった。
休日だというのに、俺はなぜか椅子に座り、人々の前で並ばされていた。
ミャロのせいだ。
あいつがズルして負けるから。
「それでは、2316年度全学斗棋戦を開始します! ここに並んだ学院の選手たちに、どうか惜しみない拍手をお贈りください!!!」
女性の開会式進行役の人が言うと、観客から拍手があがった。
といっても、観客のほうは、思ったほどには居ない。
五百人程度だろうか。
大会は、入学式に使う王城の大ホールでやっているので、ホールの後ろの方はだいぶ寂しかった。
ほとんどが仲間を応援する学院生であり、大人は斗棋好きの暇人がいくらか来ているくらいだ。
今日やる試合はさほど重要ではないのだろう。
見どころなのは明日の決勝戦であり、今日は前哨戦でしかない。
「トーナメントはここに並んでいる順が組み合わせとなります」
司会役が言った。
何故こんな並び順なのかと思ったが、得心がいったよ。
椅子は、男と女で互い違いに座っているのだ。
俺、というか男たちは全員、両側を女の子に挟まれている。
合コンかなんかかよ、と訝しく思っていたが、そういうことか。
つまりは、初戦は必ず騎士院と教養院で当たることになっているわけだ。
そんなに喧嘩にしたいのかよと思う。
事前に聞いたところによると、出場するのは十六歳から二十三歳まで、寮から一人づつ選ばれた八人の騎士候補生と、同数の教養院生であるらしい。
教養院のほうの寮は、白樺寮と青猫寮とで男女に分かれているのだが、どう代表者を選んでいるのだろう。
並んでいる選手を見るに、教養院の代表者に男はいないようであった。
どう選んでいるのか、詳しいところは知らんが、教養院生は全員が俺より年上のように見えるので、おそらく完全実力制で選んでいるのだろう。
選び方の時点でこっちのほうが不利に感じるんだが。
斗棋は頭脳戦なので、もちろん体を使う武術ほど際立った傾向はないが、学年が上のほうが腕も上、という傾向はもちろんある。
その点で、騎士院は年齢別の寮代表者という縛りがあるのだから、傾向を言えば教養院のほうがやはり有利であろう。
トーナメント戦なので最終的には一番実力のあるものが優勝するにしても、これはどうなんだろうと思う。
***
会場に卓は四つあり、先に第一回戦の八人が四局を指し、次に俺を含めた残りの八人が残り四局を消化するらしい。
他の選手は、観客に混じって他の試合を見学していたりするのだろう。
控室に入ると、俺以外だれもいなかった。
これ幸いと上等のソファで横になり、眠っていると、小一時間して叩き起こされた。
「ユーリ選手ですね。前試合が終わりましたので、お越しください」
係員らしき人がそう言った。
「わかりました」
やれやれ。
しばらく係員さんについてゆき、大広間へ入る。
「開けてください、選手です」
という声を聞きながら、人の波をかきわけて、中に入っていった。
簡単な腰丈の柵に張られた太いロープを取り外すと、
「どうぞ」
と促され、俺は柵の中に入った。
ここまで来てしまっては、俺も真面目にやったほうがいいだろう。
別に、めんどくさかったから出たくなかっただけで、出るのがどうしても嫌だったというわけでもない。
一応は、寮を背負って立っているのだから。
卓には既に対局相手が座っていた。
「よろしくお願いしますわ」
と、わざわざ立ち上がって挨拶してくれたのは、妙齢の女子であった。
二十ちょっとくらいか?
教養院のスカートの両裾をちょいとつまみ上げて、女性の挨拶をされた。
「……こちらこそ、よろしく」
俺の方も、普通に頭を下げ、挨拶を返した。
席につくと、向こう側の席の後ろに女子たちが陣取り、「頑張って~」だのという黄色い声援を送っている。
俺の相手は、その声援ににこやかに応じて、手をぱたぱたと振ったりして返している。
こっちからも同じような声援が聞こえる気がするが、それは全て男のダミ声だった。
嫌になる。
サイコロを転がして先手を取られると、勝負が始まった。
とんとんとん、と指していくと、たった四手で相手の戦法が知れた。
イッカク槍衾という戦法だ。
将棋でいうと棒銀みたいな戦法で、先手イッカク槍衾というのは、素人が上手くなっていく過程で誰もが一度は通る道だ。
駆鳥と王鷲という大駒の他に、槍と馬車でもう一つ攻めの要となる柱を作る。
槍と馬車は非常に相性がよく、同時に突き出すというのは実に合理的な戦術で、単純に強く、崩すのに厄介というところがある。
だが、それゆえに対策が練られていて、序盤の特徴的な駒運びから即時に戦術がバレてしまうことから考えると、玄人には逆に扱いが難しい。
身近なところでいうと、キャロルがイッカク槍衾教の信者で、先手だと馬鹿の一つ覚えのようにこれを使ってくる。
キャロルはやはり中の下なので工夫も何もない。
この相手は、名前は忘れてしまったが、さすがに代表としてでてくるだけあって、中の下とは違い、なかなか工夫を凝らしていた。
だが、終わってみれば、こんなものか。という印象だった。
ミャロと比べればだいぶ格下に思える。
終わったといっても、俺が勝手に終わったと思っているだけで、相手は劣勢を知りつつも粘る気満々のようだが、気づいていないだけで、俺が間違っていなければ、もう詰んでいる。
王がどちらに逃げても、五手で終わるか七手で終わるかの差があるだけだった。
この勝負にはどうも時間制限がないようで、相手は長考を繰り返している。
十分くらい迷って、七手で詰めるほうの手を指してきたが、俺に次の手を指されると、しばらくして詰み筋が見えたようで、「参りました」と投了した。
悔しさで感極まってしまったようで、俯いてポロポロと涙をこぼし、嗚咽を漏らしはじめた。
友達と思われる周りの観客がすぐに慰めに入り、柵を越えると背中を撫でさすったりして、励ましていた。