第046話 キャロルの冒険 後編
貧民街を歩いていると、やはりホームレスがよく目につく。
ホームレスたちは、石畳にムシロや布を敷いて寝そべっている。
あるいは、捨て去った家から持ちだしてきたのであろう、毛皮を敷いている者もいた。
ホームレスは大抵、道路側に皿を置きっぱなしにしているので、物乞いを兼ねている。
俺は、王都では何度も死体を見てきた。
冬場、水車小屋に行く途中、道端に転がって冷えて固まっている、物言わぬ死体。
南は北より程度がいいと言っても、そういった死体がないわけではなかった。
この国では、生活できなければ生活保護で金が出る、などというシステムはない。
キルヒナからこちらに来ても、仕事がなく、金を得られず、生活基盤が整えられなければ、餓死あるいは凍死という未来が待っている。
「……なぜ、この人たちは、こんなことになっているのだ」
キャロルは道っぱたで毛布に包まり、ひたすら座っている垢じみた人々を見ると、そう言った。
彼らは、一様に顔色が悪かった。
季節柄凍死の心配はなさそうだが、飢えたうえ、夜の間中、野ざらしで石畳の上に座っていたのだ。
具合が悪くなるのは当然だった。
彼らは、うつろな目でこちらを見ていた。
まあ、キャロルがショック受けんのも当然かもな。
温室育ちだし。
「さあなぁ」
「さあなって、おまえ……」
「いちいち教えなくたって、少し考えりゃ解るだろ。働き口がないんだよ。野宿してんのはたいていキルヒナ人だ」
好きこのんで他国から来た人々だ。
冷酷なことを言うようだが、食えなくなったとしても、半ば以上は自業自得だろう。
もとよりキャパシティオーバーのところに、更に来ているのだ。
働き口は有限なのだから、あぶれるのは当たり前だ。
「キルヒナ人といっても、今は我が国の国民だ」
「まー、それはそうかもな。じゃあシヤルタ人って言えばいいのか。その辺は単なる記号的な問題だろ」
「そうじゃなくて……我が国の国民なら、こんな貧窮の中で暮らさなければならないのは、なぜなのだ」
「さあな」
俺は「なんで」という質問の答えについては、心当たりが幾つかあったが、他人の悪口を言っても仕方がないので、黙っていた。
「おまえは貴族として責任を感じないのか?」
なんだか俺を責める口調になってきたぞ。
責任なんて全く感じないんだが。
「ここはホウ家の領地じゃない。カラクモはこんな有り様じゃない」
「だからって、責任がないわけじゃないだろう」
「責任なんてねーよ」
俺ははっきりと言った。
「そんなわけはない」
何を根拠に言っているのかしらんが、キャロルは断言した。
「じゃあ、俺に責任があるとして、どうやって責任をとりゃあいいんだよ」
「それは……民草を救うのだ」
「バカ」
もー、こいつ何もわかってない。
温室育ちで学校のおきれいな教育しか受けてないから、仕方ないっちゃ仕方ないが。
「……私を馬鹿呼ばわりとは、聞き捨てならん」
キャロルは立ち止まり、怖い顔をして、俺を睨んできた。
「じゃあ聞くけど、俺が責任持って救います。っていったらどうすんだよお前は」
「どうする……って、救えばいいだろう」
そこが勘違いなんだよ。
「じゃあ、俺の好き勝手にやらせてくれんのかよ」
「好き勝手?」
「この王都の統治をしてんのは、王家だろうが。貴族様の俺が責任持って救ってやるっていったら、統治権を俺にくれんのかよ」
「そんなの、やれるわけなかろう」
当たり前だ。
統治権という言葉はかなり大づかみだが、それは貴族の生命線であり、命そのものと言ってもいい。
「じゃあ、どうやって民に対して責任を取るんだよ。裁判権がなきゃゴロツキどもを退治できねーし、徴税権がなきゃ金持ちから金を集めて貧乏人にくれてやることもできねーだろうが」
そういうものがなければ、手の出しようがないのだ。
もっといえば、王都においてはそういうもんは大抵魔女家の利権になっている。
「そういう権利こそが、貴族が民衆を導くための道具だろ。こいつらに対しての責任があるとしたら、この土地でその権利を持ってるやつだ。つまり、王家だろ。なんでホウ家の俺に責任がある」
「……っ」
ぐうの音も出なかったのか、キャロルは口を閉じた。
「それとも、俺が今財布に持ってる金を乞食どもにくれてやったら、こいつらを救ったことになんのか? それとも、ホウ家の騎士団をここに入れて、力ずくで王家から統治権を奪い取って、善政を施すのが俺の貴族としての責任のとり方なのか?」
横暴な理論かもしれないが、本当にそれくらいしか、してやれることはないのだ。
おい何やってんだよもっとマトモな政治しろよ。という意見を実現しようとすれば、必ず統治権を持っている何者かと衝突する。
政治とはそういうもので、だから結局のところは無責任に金だけくれてやる、ということしかできない。
そして、王都においては、それをしたところで魔女家の懐に入るだけで、民には届かない。
俺を始め、よそ者の貴族にはどうしようもないことなのだ。
「……いや」
キャロルはバツが悪そうに黙った。
「……すまん、私が悪かった」
そして、珍しく全面的に非を認めて、頭を下げて謝った。
……なんかそう謝られると、嫌な気分になるじゃねーか。
俺もなにを本気になっちゃってんだか。
そもそも、貧民街の連中がこうなのは、王家のせいじゃない。
王家に責任がないわけではないが、王家は炊き出しができるくらいの金を恵んでやっている。
つまり、貧民をただ自業自得と見捨てるのではなく、所得の再分配はしてやっているわけだ。
それが十分に効果を及ぼさないのは、魔女家の連中が途中に入るせいで、中間搾取されてしまっているからだ。
俺はそれを知っていた。
「ま、そんなに民を救いたいなら、一つやってみるか」
***
「……なにをだ?」
キャロルは俺に言い負かされたせいか、気分が落ち込んでしまっているらしい。
声に力がない。
といっても、別に遊園地に連れてくる約束をしたんじゃないんだから、心が痛むわけではないのだが……。
「そろそろ店も開いたしな」
「食べ物を恵んでやるのか?」
「そんなもんかな。つーか、これこそ俺の責任って感じもするし」
俺は、手近なところでやっている屋台のような店に入った。
焼いた腸詰めを挟んだパン、つまりホットドックみたいなもんを売っているらしい。
まだ朝方だが、働きに出るやつが朝食として買っていくのだろう。
「よう、開いてるか?」
「開いてるよ、何にする?」
そう言ってきた親父は、こんなところで店をやっているだけあって、いかにも喧嘩が強そうな大男だった。
「今焼いてるそれ以外になんかあるのか?」
「焼きたてとはいかねえけど、ミートパイがあるよ」
それだな。
「ミートパイまるごと一つ包めるか?」
「あいよっ、朝方からまるまる一つ売れるとは、今日は幸先いいねえ」
親父は機嫌よさそうに笑った。
こんなところでも、商売が上手な奴は、きちんと生計が成り立っているのだろう。
こんだけガタイが良ければ、強盗も入りにくいだろうしな。
出来合いの物なので、ミートパイはすぐに包まれて出てきた。
料金を払うと「ありがとさん」といって、俺は屋台を出た。
「それを恵んでやるのか? 現金だとなにかまずいのか?」
屋台から出ると、待っていたキャロルが言った。
別に俺は乞食に恵んでやるつもりはないのだが。
「まあ、見てろって」
俺は、道端で着の身着のまま寝っ転がっている男のところへ歩いていった。
「こいつだよ、こいつ。この野郎にくれてやるんだ」
「この……人がどうしたんだ?」
「見てろよ、こいつこのパイを貰ったら泣いて喜ぶぜ」
「それは、そうだろうな。こんなところで寝ているくらいだから……」
石畳の上に敷物も敷かず横になってんだもんな。
「せーのっ」
俺はおもむろに足を振り上げて、その男の腹をつま先で蹴っ飛ばした。
「うがっ」
だいぶ強く蹴っ飛ばしたので、腹を抑えてもんどり打ってのたうち回っている。
「っつあぁーーーー!!!」
なんだこいつ、滅茶苦茶痛がってるな。
ウケるわ。
「おいっ!!! 何をしている!!!」
キャロルが血相を変えて俺の肩を掴んだ。
「まあ見てろって」
路上で寝っ転がってた男は、痛みが収まるとやおら立ち上がって、大声で叫んだ。
「てめえ、何しやがる!!!」
男は見た目、二十代後半で、健康そうな成人男性であった。
やっぱこいつだったか。
見覚えあったんだよな。
「そりゃこっちのセリフだろうが。ボケ」
こいつは、俺の知り合いだった。
「あ、会長」
ようやく分かったか。
「はあ?」
キャロルが素っ頓狂な声をあげた。
「てめー、俺が貸してやってる宿舎はどうした。なんでこんなところで寝てやがるんだよ」
俺は、わりとマジで怒っていた。
なんなんだよ、こいつ。
「……あー、えーっと……あれ? すんません、なんだか酒に酔って寝入っちまったみたいっす」
そりゃ見りゃ解るけんども。
寝ぼけたこと言ってんじゃねーよ。
「てめーよぉ……一週間前俺になんつった。女房子どもと路頭に迷って云々っつってたよなぁ。ありゃ嘘だったのか?」
「め、滅相もない! 嘘じゃねえっすよ」
「……じゃあなんでこんなところで寝てんだよ。寝てるうちに殺されてもおかしかねー場所だってわかんねえのか?」
俺でもここを徒歩で夜に出歩くのは遠慮したいし、紙を出荷するときは社員数名に槍をかつがせて護衛させるのだ。
ここはそういう治安の場所であって、酔っ払って寝転んで無事であったのは、運が良かったからにすぎない。
財布が抜かれた程度で済めば御の字だ。
「そ、そりゃあ……でも」
はいはい、酔っ払って眠っちまったから、昨日のことよく覚えてねーんだろ。
わかってるっつーの。
「明日は休みだからって、昨日飲み過ぎたか? 前後不覚になるまで飲みやがってよぉ。こないだは子どもが腹減って死にそうなんですとかいって、男泣きに泣いてやがったのに、てめーふざけてんのかよ。てめーが死んだら女房子どもはどうなるんだよ」
「い、いや……あのぉ、面目ないっす」
面目ないじゃねーっつーんだよ。
ったく、チャラ男はこれだから困るよな。
男泣きを見せた感動の面接から一週間でこのザマだよ。
どんだけやっすい涙だったんだよと。
俺の感動を返せと。
「はぁ……もういい」
「か、会長、もしかしてクビ、っすか……。お、お願いします! それだけは、それだけは勘弁してください!!!」
もうなんつーか土下座でもせんばかりに頭を下げてくる。
「女房子どもは宿舎で待ってんのか」
「は、はい……待ってるはずっすけど」
「朝帰りじゃ女房もキレてんだろ、どうせ」
「そうかもしれないっすね……」
しょぼくれてやがる……。
なんというダメ男……。
「朝帰りってのは、男はミヤゲを持って帰って、平謝りに謝って、怒った女房の機嫌を取るもんだ」
俺はさっき買ったミートパイをチャラ男に押し付けた。
「ほら、このメシもってさっさと帰れ」
「……え?」
「家に帰って家族で食え」
俺がそう言うと、チャラ男は震える手でミートパイを受け取った。
「あ、あ、あ……あぁ…う、あ」
なんだか目に涙を貯めてやがる。
こいつは泣き上戸に違いない。
「あ、あざっす……くっ、ありがとございあす、会長」
「さっさと帰れ」
俺がシッシッと手で追い払いながら言うと、チャラ男は走って去っていった。
***
「ほら、一家の家庭崩壊の危機が救われただろ?」
俺はドヤ顔でそう言った。
「さっきのはお前が雇ってる男だったのか?」
「そうだよ。びっくりしただろ」
いきなり蹴っ飛ばしたときは、血相変えてたな。
「うん。驚いた……」
「俺が今雇ってるのは、このへんに住んでる連中ばかりだしな」
「そうか……口先だけの私とは違うのだな」
……なんか急に自虐的なことを言い始めた。
気が晴れるかと思ったが、逆に落ち込んでしまったらしい。
「おいおい、なにしょぼくれてんだよ」
「私はなにもできてないのに、お前に偉そうなことを……人間失格だ」
人間失格ということはないと思うけど……。
お前はどんなに努力しても、あの主人公より下にはなれないと思うよ。
「まあいいじゃねーか、卒業してから頑張りゃいいことだろ、そんなもんは」
「そうかもしれないが、私が身の程を知らない大口を叩いてしまったことは事実だ。すまなかったな……」
なんだ、むず痒くなるじゃねーか。
そんなに素直に謝ってんじゃねーよ。
お前そういうキャラじゃないじゃん。
「ほ、ほら。そろそろ俺の水車小屋に着くぞ。きっと面白いぞ」
そうはいっても、まったく自信はなかった。
というか、考えてみたら、あそこに面白い要素ってあったっけ?
水が綺麗な河原で水遊びできるくらいか。
あとは、市街地を抜けて郊外にはいったところだから、見晴らしがよくて気持ちがいい日も、なくもないってくらいか。
う、うーん……。
***
水車小屋に着いた。
「おい、水車じゃないか」
「だから水車小屋って言っただろうに」
水車は今日も今日とてぐるぐると回っていた。
働きものの水車である。
「初めて見た」
初めて見たとは。
なんとまあ。
川の多いシヤルタ王国では、街道を歩いていれば水車小屋を見かける率は高いのだが。
水車小屋と一口にいっても、今では建物自体がいくつか増えている。
創業当時はこの水車小屋が一つだけだったが、すでに作業場としては使っていない。
近くに三棟の木造掘っ立て小屋ができていて、そこが作業場となっていた。
水車小屋は、三棟の建物に水車で揚げた水を分ける、いわば揚水小屋となっていて、中は枝分かれした水道管が走っており、作業場として人が行き来するには不便になってしまったのだ。
「よう、ユーリ。来たのか」
「うん」
カフである。
「……? そちらの女性は?」
カフはキャロルを見て言った。
「私はキャロ」
「オードリーだ」
何を素直に本名を喋ろうとしているんだ、こいつは。
「……オードリーだ。よろしく」
なんとか合わせてくれた。
「また連れてきた女を入社させるのか」
前例が一つしかないのに人聞きの悪い……。
つーか、こいつが入社したら、俺のほうが困っちまうよ。
「いや、見学だ」
「そうか……まあビュレは優秀だから、悪いということはないがな」
「ところで、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「なんだ?」
「耳を貸せよ」
「ああ……」
俺はカフに近づいて、耳元で言った。
「おまえ、ミャロが女だって知ってたか?」
「……あのなぁ」
カフは耳を離すと、やや呆れた様子で言った。
「やっぱり知らなかったのか」
カフ:あのなぁ、そんなわけないだろうが。ミャロは男に決まっているだろう。
俺:ああやっぱりお前もそう思ってたんだな。実は俺も、最近まで知らなかったんだが、女みたいなんだ。
カフ:おいおい、嘘だろ? そ、そんな馬鹿なー。
「お前、ほんとに目ぇついてんのか? どうやったら、あの子を男と見間違えるんだ。どこをどうみたって可愛らしい女の子だろう」
…………。
はぁ………。
なんてこったい。
「おまえ、まだ疑ってたのか……」
キャロルが哀れみの眼差しを向けてきた。
「疑ってはいなかったが、俺だけ気付かなかったってのはな……」
どうなってんだよ……。
もうこの目やだ。交換したい。
「ミャロは、お前だけには気づかれまいと、細心の注意を払っていたからな。わからなくても仕方がない。そう落ち込むな」
「ミャロが隠してようがなんだろうが、五年も一緒にいて気付かなかったなんておかしいだろうが。やっぱり俺に欠陥があるんだ」
俺の方こそ人間失格なんだ。
一番の友だちの性別もわからないなんて。
「……まあ、その、なんだ、そう気を落とすな」
「…………そうだな」
「なにがあったのかは知らんが……。ユーリ、油の加工を任せた奴が困ってたぞ。どうも上手いこといかんらしい。暇なら行ってやれよ」
ああ、そういえばそれが心配で来たんだった。
単純にカフにミャロのことを聞くという用事が半分だったが……。
「油の加工? なんだそれは」
キャロルの目が輝いていた。
***
「うー、落ちないぞ、この汚れ」
キャロルはしきりに手を擦っている。
「触るなっつったのに触るからだ。風呂に入れば落ちるから、無駄にこするな」
風呂というのは偉大で、発汗なのか溶出なのかしらんが、油汚れくらいは落ちてしまう。
逆に言えば、強力な洗剤のないここでは、風呂に入るまでは中々原油の汚れを落とすというのは難しい。
「ほんとに落ちるのか?」
「ほら、見てみろよ」
俺は手のひらを出した。
今日は指示をするばかりで油に触らなかったので、綺麗なもんだ。
「……なんだ?」
「四日前は思いっきり手にぶちまけちまって、この手は真っ黒だったんだぞ」
「へえ」
現実にあった例を見れば納得するだろう。
「だから、あんまりこするな。肌が荒れるぞ」
「わかった」
「よし」
「そろそろ学院だな」
なんだか感慨深げにキャロルが言った。
もう貧民街と呼ばれる地域は抜け、職人街に入っている。
ここはここで無骨な街で、学院生などは用がないのでほとんど来ないが、ここまでくれば治安はだいぶ良い。
「なんだったら大市場のあたりも見て回るか?」
まだ日は高い。
帰る頃には真っ暗になっているだろうが、大市場の観光くらいはできなくもないだろう。
「王城通りのあたりは頻繁に見ているのだ。馬車の中からだけど」
「王城通りとは全然違う。大市場ってのは、庶民の市場だ」
王城通りというのは、王城から北と南に出る通りのことだ。
王城勤めの連中向けの店が並んでいるが、飲み屋からして上流階級御用達という感じで、あの通りだけ物価が五割くらい違う。
「じゃ、じゃあ……頼んでいいか?」
なんだか心配そうだ。
「ここからなら大した距離じゃないからな」
「それじゃ、頼む」
その後、大市場で様々な店を見て回り、寮に帰ったときには夜中になっていた。