第033話 試行錯誤
リリーさんは迅速に仕事をこなしてくれたらしく、一週間後には、適切な大きさの漉桁ができあがった。
俺が持つと若干大きすぎて使いづらい感じだが、これで注文通りだ。
使うのは大人なのだから、ちょうどいい。
取っ手などは、青銅を使って本体と繋がっていた。
青銅のほうが鉄より錆びにくいので、適材であろう。
水から繊維を取り出す漉し器となる漉も、細い糸でしっかりとつながっているし、漉を装着して上下から挟む桁のほうも、必要以上に頑丈で重いふうでもなく、それでいて脆弱そうでもない。
いい仕事をしてくれた。
その連絡をすると、すぐにカフと会うことになった。
大荷物を担いでカフの部屋に入ると、部屋はさらに小汚くなっていた。
雑多な荷物がたくさん増えている。
「よう、来たか」
カフはソファに座りながら、大きな裁断バサミを持って、着古しの服をズタズタに切り裂いているところだった。
「どうだ、これで行けるだろ?」
カフは目線で、部屋の真ん中にある大きな洗濯桶を示した。
洗濯桶は、主婦が3~4人囲んで使う感じの巨大なサイズであり、浅さに目をつむれば、湯を張って入浴することもできそうだった。
そこには、今はなみなみと水が張ってある。
あたりは、こぼれてしまった水で水浸しになっていた。
何処からか借りてきたのだろうか。
「いけると思いますが、一応確かめておきましょう」
俺は持ってきた漉桁を風呂敷から取り出して、取っ手を持ってオケの上に置いた。
円形のオケだが、すっぽりと中に収まった。
「へえ、そういうもんなのか」
カフは俺の持ってきた漉桁をしげしげと見つめながら言った。
「はい。これで作れるはずです」
俺はタライの横を見た。
どこから調達してきたのか、糸くずのようなものやら、先ほど生産していたズタズタに裁断されて糸まで戻された服やら、いろいろなものが素材別にオケの中に入っている。
「材料も十分ですね。さすがです」
「まあな」
カフは誇らしげだ。
自分の仕事に誇りを持てる、というのは、人生において大きな意味を持つ。
退廃の中で腐るような生活から抜けだして、今は仕事をするのが楽しいのだろう。
部屋の中には、ゴミは散らばっているものの、以前のように酒の匂いはしていない。
酒の瓶も片付けたようで、どこにも見えなかった。
「じゃあ、早速やるか。どの素材が良さそうだ」
「これが良さそうです」
俺は一つのカゴを指さした。
その中には、白い繊維が綿のようになったものが、いっぱいになっている。
指先で摘んでみると、ほろほろと崩れる。
繊維の細さも、長さも申し分ない。
「それか。それは糸の問屋から貰ってきたもんだな。糸くずだ」
「水に入れてみましょう」
「さっそくか。いいぜ」
俺はカゴをオケにぶちまけ、糸くずを水の中に落とした。
袖まくりをして、手を水の中に突っ込んで撹拌すると、糸くずは水の中を泳ぎ、モヤモヤと崩れた。
グッドだな。
「まずは、僕がやってみましょう」
俺には若干大きすぎるが、漉桁を持てないということはない。
「そうか。見せてくれ」
ジャブっと漉桁をタライの中に入れ、すい、すい、と泳がせると、薄い膜のようなものが漉の上にできた。
一度それができてしまうと、フィルターの密度が倍々に増していくようなものなので、すぐに分厚くなっていく。
向こう側が見えない程度に厚みができると、俺は漉桁を斜めにして水を切り、上へあげた。
案外、あっという間の作業だった。
五分もかかっていない。
俺は、嵌め込みの桁のほうを分解して、上に紙が層になっている漉を取り外した。
漉の上には、出来たてのふやけた紙が層になっている。
その端っこをめくり上げると、千切れそうになりながらも、持ち上がった。
よく見れば、俺が右利きだからか、紙のほうは右のほうが分厚く、左のほうは薄くなっている。
失敗作……ではないが、これではプレスして乾かしても、劣等品になるだろうな。
しかし、このへんは技術の向上でなんとでもなるだろう。
しかし、なんとまぁ、簡単なものだ。
こんなに簡単にいくとは思わなかった。
「これを何かに挟みこんで脱水して、乾燥させるわけです」
「よし、俺にもやらせてくれ」
やる気まんまんだ。
とてもいい。
「じゃあ、これは一旦戻しますね」
「えっ」
俺は出来立てのふやけた紙の層を捲るように剥がして、再びオケに入れた。
そのまま水の中で引きちぎって、かき混ぜると、漉く前のような状態に戻った。
「なんだ、戻せるのか。じゃあ、いくらでも練習できるな」
「はい。繊維の向きが互い違いになっていたほうが丈夫になるはずなので、いろいろ研究してみましょう」
「そうだな」
***
様々な素材で作った紙を重ねあわせ、板と板の間に挟んで上に重しを乗せ、びしょびしょになった床を拭き終えると、とりあえずの作業は終わった。
「とりあえずはこれで、三日ほどこのままにしておきましょう」
「三日もか?」
カフは意外そうに言った。
つけものだって一日じゃ浅漬けにしかならないんだし、まあ三日くらいかな、と思ったのだが。
「ひょっとすると一日でいいかもしれませんが、おいおい縮めていきましょう」
「……そうだな。あまり焦るのもなんだ」
納得してくれたようだ。
「急いては事を仕損じると言いますしね」
「ほう、上手いことをいうな。初めて聞くことわざだ」
そういう諺はないんだろうか。
「まあ、とりあえずは今日の作業は終わり、ということで」
「そうだな」
「じゃあ、僕は少し休んだら寮に戻ります。もう日が暮れてしまいそうですし」
ここに来たのは昼ごろだったのに、もう日は暮れそうになっていた。
思えばずいぶんと長く作業していたわけだ。
「ところで、聞いてなかったが、お前、俺のことをどこで聞いたんだ」
カフは唐突に聞いてきた。
あれ、話してなかったか。
考えてみれば、手紙にも紹介者の名前を書いてなかった気がする。
最初、態度が悪かったのもそのせいだろうか。
ふつう「誰々から紹介を受け、筆を取りました」とか書くものだよな。
すっかり忘れていた。
「ミャロという同級生からです」
「ミャロ? 俺にお前みたいな歳の知り合いはいねえぞ」
なんだ、知り合いじゃなかったのか。
ミャロが一方的に知っていただけなのかな。
「そうですか? ミャロ・ギュダンヴィエルですよ」
「……なに?」
家名を出したら、思い当たるフシがあったらしい。
「ミャロ・ギュダンヴィエルです。背が小さくて、栗毛がふわっとした」
「ああ……ギュダンヴィエルの……そうか。俺を覚えてたのか」
何だか感慨深げだ。
感動しているように見える。
「まあ、ミャロは大概のことを覚えていますからね。有能で小器用な商人あがりの人材がほしいと言ったら、それならカフさんがいいでしょうと」
「そうか……俺のことを」
なんだ?
なにか重い事情でもあるんだろうか。
「すまんが、今日は帰ってくれ」
「えっ? ああ。構いませんけど」
元から帰るつもりだったし。
「涙がこらえられん」
えっ。
泣きそうなくらい感極まっちゃってるのか。
男の涙は見られたくないよな。
さっさと帰ろう。
「わかりました。それでは、失礼します」
俺はさっと身を翻して、急ぎ足で出口に向かった。
「おい」
背中からお呼びがかかった。
「次からは、敬語とかはいらんからな。雇い主が敬語というのは変だ」
「……そうか、それじゃ、また後で」
俺は部屋を出て、ドアを閉めた。