第032話 リリー・アミアン
「こんにちは」
「……こんにちはぁ。ユーリくんであっとるかな?」
「ええ、僕がユーリです。リリーさん」
シャムから散々話を聞いていたリリーさんは、なんだかおっとりとした美人さんだった。
見た目高校生くらいだというのに、なんだか服の上からでも解るほどに豊かなお胸をしておる。
貧しいお胸がやたらと多いシャン人の中では、希少種中の希少種だ。
少し気だるげな雰囲気を漂わせており、だが髪の毛は三つ編みにきっちりと結ってある。
私服は、ルーズな毛糸のセーターを着ていた。
だが、セーターの上からでも、胸のボリュームは隠しきれていない。
努めて胸に視線を向けないように注意しなければならないだろう。
「ごめんなぁ、へんなこと言うてもうて」
「いいえ、構いませんよ」
リリーさんと会っているこの場所は、王城より庶民街に近い場所の喫茶店だった。
私服を着ているのはリリーさんだけではなく、俺もだった。
私服で、変装のような格好をしてきてくれと、シャムを通して言われたのだ。
ふつうは、学院生同士が会うときは、学院にほど近い、おしゃれで上品な喫茶店を使う。
だが、そこは制服の男女カップルがわんさかいるような場所なので、密会にはふさわしくない。
「ユーリくんは、女子の中で人気があるし、殿下とも仲がよろしいから、二人きりで会うところを見られると、なにかと面倒なんよ」
噂されたら困る~、みたいな話か。
まあ、年頃の娘だからそういうこともあるだろう。
俺は外見的にはまだまだガキだが、かなり無理をして見れば、男女交際があると思えなくもない。
リリーさんは今年で十八のはずだ。
「それで、話っていうんは? シャムのことかな?」
へえ。
シャムのことを呼び捨てにしているのか。
なんだかしらんが、いい関係を築けているようだ。
だが、話というのはシャムのことではない。
「いいえ、リリーさんはモノ作りが得意と聞いたので、少し相談したいなと思ったんです」
「ああ、そっちの方面かぁ。どういうものが欲しいん?」
こういう相談には慣れているのか、リリーさんは戸惑うこともなく聞いてきた。
「木工なんですけどね、こう、なるべく細くて長い棒を幾つも並べて、それを糸でつなげたものが欲しいんです」
ホントは竹がいいんだが、竹はこんな北の地では採れない。
「木工かぁ」
リリーさんは少し苦い顔をした。
「専門は金工なんやけど、木工も道具はあるからできないことはないよ。でも、木工屋に頼めばええんと違うの?」
「首都の木工屋はどうにも、作りたいものを理解してくれないんです。僕もまだ子どもなので、舐められてしまっているようで」
紙を漉くための紙漉き桁が欲しかったのだが、木工屋では埒が明かなかったのである。
リリーさんが無理なら、首都中を探し、やってくれる木工屋を探さなくてはならない。
それが存在するとも限らないのに、だ。
「ああ~。なるほどなあ。そういうこともあるかぁ」
リリーさんはうんうんと一人で頷いた。
「やってくれますか?」
「うん、ほかならぬユーリくんの頼みやし、ええよ」
やった。
あーよかった。
あれがなかったら、話にならないからな。
ほっとした。
「ありがとうございます」
「ただ、上手いこと作れるかは分からんから、作れんかったら勘弁してな」
「もちろんです。無理を言っているのはこちらですから」
そうなったらそうなったで、それは仕方がないだろう。
どのみち、誰に頼んだところで、そういったリスクを避ける事はできないのだから。
「じゃあ、設計とか詳しいとこを教えてもらおか」
***
「……それで、水に入れて使うものなので、棒を繋げる紐は、水で崩れないようなものでお願いします」
「ふーん。まあ、要するに、機能的には平べったいザルを作るってことなんやろ?」
「その通りです。さすがですね」
「まあね」
軽く褒めると、リリーさんは素直に嬉しげな顔をした。
「道具はそれだけなん?」
「それを収める箱のようなものも必要なんですけど」
「どうせだから、それも作ったるわ。そこだけ他人に任せるいうんも、ちょっと嫌な感じやしなぁ」
「助かります」
はあ、よかった。
ちゃんと機能するものができあがってくるかは不明だが、とにもかくにも一歩前進した。
設計の打ち合わせが終わると、
「ところで、ユーリくんはシャムの先生なんよなぁ」
と、出てきたお茶を飲みながら、リリーさんはのんびりと言った。
「はい、まあ」
雑談か。
まあ、シャムをネタに雑談の花を咲かせるというのも、悪くはないだろう。
「シャムはほんに色んなことを知っとるけど、あれはみんなユーリくんが考えたんか?」
うっ。
痛いところをついてきやがった。
でも、そりゃ変に思うよな。
周りからしてみたら解るはずのないことを自明のように説く変な人という扱いになるわけだし。
俺もそこが心配だったから、キャロルに後見人をお願いしたのだ。
「そんなことはありませんよ。僕はこうみえても勉強家なので、いろいろな人が言っていたことを知っているだけです」
俺は全然勉強家ではないが、そうとでも言わないと信ぴょう性がないだろう。
「そうなんかなぁ。私はちょっと、それじゃ納得できへんのやけど」
「そうですか?」
まともな脳みそをしてたら、納得できるわけもない。
だが納得してもらうしかないし、納得するしかないだろう。
他に解釈のしようもないのだから。
「まあ、ちょびっとなぁ」
リリーさんは、別に俺を睨んだりはしていないし、不審がっているようには見えない。
ただ「隠し事しとるんやろ?」という空気は伝わってくる。
「勉強をすれば、新しい知識なんていうものは、無限に湧き出てくるものですよ」
「そうかなあ」
「たとえば」
別に、ここで無理に納得させる必要もないのだが、言い訳はしておこう。
「リリーさんはさっきから僕の顔色を窺おうとするたびに、目を細めてますよね。ひょっとして、目がとても悪くて、僕の顔が良く見えないのではないですか?」
「よく解るなあ。そうやねん、目が悪いんよ。お父ちゃんもそうやねんけどな」
やっぱそうか。
さっきからずっと目を細めて、しかめたような顔してたのだ。
「たぶん、眼鏡というものを知りませんよね」
「眼鏡?」
「ガラスを使った道具で、小型化したレンズを二つ、両目の前で固定するんですよ。上等な眼鏡を使えば、僕の顔どころか、遠くの山までくっきり見えるようになります」
「そんな道具があるんか?」
明らかに表情が変わった。
リリーさんは眼鏡に関心があるようだ。
当然だが、目が悪いのに視力矯正器具がなければ、日常生活で非常に不便になる。
こんな目と鼻の先、一メートルも離れていないというのに、俺の顔を見るのに目を細めているようでは、よほど不便があるだろう。
それを解決できる道具があるとなれば、関心を寄せるのは当たり前だ。
「では、そんな道具があったとして、僕が考えたものだと思いますか?」
「……んーと、そうなんと違うんか? だって、教養院にも目が悪い子ぉはいっぱいおるけど、そんなんつけてる子は一人もおらんで」
「それが、学校の中に使っている人がいるんですよ」
「騎士院の子か?」
「いえ、クラ語を教えている亡命者のクラ人の女性です」
「……へえ、なるほどなぁ」
リリーさんはすぐにこの言葉の意味を理解したようだ。
「イーサ・ヴィーノという名前の先生なんですけどね。クラ人の世界では、既にそういうものも発明されて、広まっているんですよ」
「そうなんか。向こうは進んどるんやなぁ。羨ましい限りやわ」
「そうなんです。同じものを作ることができれば、みんな使うようになるのに、誰も価値に気づかないんですよ」
アホみたいなことだが、そういうことはある。
日本のような国際化が進んで開かれていた国でさえ、導入すれば仕事の効率が格段に良くなるような機械が海外で売られているのに、情報の断絶から何年間も導入されないということは、良くあることだった。
「そのイーサって先生は、なんでそれを広めようとしないん?」
「イーサ先生はクラ人の宗教の修道士だった人ですから、そういった俗世の金儲けのようなものには関心がないんです」
「ふーん、なるほどなぁ」
「まあ、そういうことで、思いもつかない進歩的発見というのは、見えない所で発生していて、なかなか気づかないものなのですよ」
「ユーリくんは、勉強を良くしてるから、それに気づいたといいたいんか?」
「そういうことですかね」
実例があったのだから、部分的にしろ納得せざるをえまい。
「なんだかはぐらかされた気がするけど」
「それはさておいても、眼鏡は便利ですよ。きっと、見違えたように世界が鮮やかになります」
俺は無理やりに話題を変えた。
「確かに、興味深いわ」
はぐらかさずとも、リリーさんの興味は眼鏡のほうに集中しているようだった。
「イーサ先生はシャン語を流暢に話せますし、気難しい方ではないので、借りてみたらいかがですか。自分だけの一点ものを作らないと、良くは見えないと思いますが」
「あれ、そういうもんなん?」
「ええ。目の悪さに合わせてガラスの曲度を変えないといけないんですよ」
「ふぅん」
「左右の視力が違う場合もあるので……。まあ、シャムに聞けば大体わかると思いますよ」
と、話しているうちに時間が過ぎていき、そのうちに帰らなければいけない時間になった。
そして、別々に店から出た。
半分、シャムのルームメイトを見てみたいという思いもあったが、鋭いところはあるがトゲのない穏やかな人っぽいので、良かったな。