第025話 初めての講義
翌日の午前から講義は始まった。
俺たち一年生は、制服を脱ぎ、学院に指定された運動着を着て、運動場に集合した。
運動場は、だだっぴろい。
長方形の土がむき出しになった庭で、日本の学校にあった校庭に近い。
ただし、楕円形のラインが引いてあるわけではない。
ただ整地してあるだけだ。
それでも綺麗に整地してあり、丘になってしまっているところや谷になってしまっているところは全くなく、草も引っこ抜いてあって、粒の小さい砂利石みたいのが撒かれている。
どんな訓練をさせられるんだろうな。
まあ、こっちも貴族なんだからあまり酷いことはしないだろう。
「今日は走りこみを行う。俺がいいというまで走れ」
教官が言った。
えっ……。
わりとスパルタなのか?
ま、まあこんなものか。
本格的な運動をしたことがないやつに、それを仕込むには、まず走りこみをさせる。
きっとお決まりなのだろう。
「返事はハイだ!」
「……」(戸惑い)
「ふざけるな! 大声でハイと返事しろ!」
教官に怒鳴られると、
「ハイ」「はい」「ハイッ!」
と各々が返事した。
イイエはないのだろうか。
まあ「返事はレンジャーだ!」とか面白いことを言われるよりはマシか。
「なにをしている!!! 走り込みをしろと言ったろ!!! さっさと走り始めろ!!!」
そういわれても、子どもたちは戸惑うばかりだ。
この国の人間は小学校から団体行進の練習をしているわけではないのだから、そりゃ戸惑うだろう。
そもそも、校庭のどこを走っていいやらわからない。
ラインが引いてあるわけではないし、こんなところを走るのも初めてなのだから。
シャトルランみたいに同じ所を行ったり来たりする子もでてきそうだ。
教官も大声は出しているが苛立っているわけではないようだ。
毎年のことなのだろう。
「おいっ、じゃあお前から走れっ!」
そう言われたのは俺ではなかった。
「わ、わかった」
戸惑いがちにそう言ったのは、キャロルだった。
キャロルも参加している。
長い髪を後ろでまとめている。
同じ運動着を着ているが、女の子自体ひとりきりなので、明らかに目立っていた。
それにしても、よりにもよって自分の国の王女をのっけから怒鳴りつけるとは。
この教官もなかなか見上げた根性をしておる。
「返事はハイだ!」
「はっ、ハイ!!!」
「よしっ! いい返事だ。俺が走るからついてこい」
「ハイ!!!」
教官が走り始めると、キャロルはその後ろをタッタと走りながらついていった。
結局教官から走り始めるのかよ。
まあ、これも毎年の恒例なんだろうな。
その後ろに運動大好きグループみたいのがついていって、他が追走を始めた。
***
俺もトコトコと校庭の外周を走りはじめた。
遅いも早いも同じ外周をトットコトットコ走っている。
教師はその中を練り歩くように走って、脱落しそうなヤツに激励を飛ばす係をしているらしい。
「おいっ! そこ勝手に休むなっ! 走れっ走れっ!」
生徒の中には運動などまるでしてこなかったと見える小太りの子どももおり、そういう子たちは上手く走れないようだ。
走りはじめてすぐ、一キロも走らないうちに音を上げ始めている。
つまるところ、この運動はこういう子たちを矯正するのが主目的なんだろうな。
「そんな根性なしでは騎士はつとまらんぞ! おいっ足を止めるなっ!」
脱落しようとする生徒の背中を押しながら、無理やり走らせる。
こら大したもんだ。
立派なブートキャンプや。
そんな中、俺はまあまあ大丈夫だった。
屋敷に入る前から毎日のように干し草を運んだりトリフン片付けたりしていたし、後になってはソイムにしごかれ、体力はそれなりについている。
それに加えて、そもそも俺は頑張ろうとも思わず、ミャロに合わせてチンタラ走っていたので、ぜんぜん息切れしなかった。
一人二人と体力の限界を迎え脱落していくなか、俺はやっと調子が出てきた感じだった。
一方、俺の横で走っているミャロは、残念ながら下から数えたほうが早い有様であった。
「すっすいませんっ、ボクはもう……」
根性がないわけではなく、顔が青くなって足下がガクついてくるまで健気に走り続けたのだが、ついに限界を迎えた。
「よく頑張ったぞ」
「ハァハァ、ありがと、ございます」
ばいばいと手を振ると、ミャロは脱落して後ろのほうへ消えていった。
ミャロは、教官の水準でまずまず走ったと認められたのか、怒られなかった。
校庭の真ん中のほうに入り、首尾よく体育座り組の仲間入りをした。
それからも俺はマイペースに走っていた。
一人消え二人消え、十人消え、あんまり人がいなくなっても走り続けた。
そのうち、背中がバシンと平手で叩かれた。
誰だと感じる間もなく、
「おいっ、俺についてこい」
と教官の声がかかり、俺を追い抜いていった。
キリがないので、生徒を回収してダンゴに纏めて走ることにしたのか、とすぐ察しがついた。
速度がグンと上がる。
体力に自信のある俺でも、この速度ではそう長くもたないだろう。
まあ俺もダラダラ長く走っていたくはないから、これはこれでいいか。
でもやっぱりミャロみたくなるまで走らないと許してくれないのかな。
ペースを上げると、今まで頑張ってきた者たちもポロポロと脱落していった。
教官はそいつらを追わない。
追わないというか、彼自身がペースメーカーになっているので、追えない。
どちらにせよ、今もまだ走っている生徒は体力的に及第点なので、構わないのだろう。
そのうち、俺と、あと二人の三人だけになった。
三人だけ。
俺とドッラとキャロルだ。
ドッラはともかく、なぜキャロルがいる。
不思議だった。
王女様なのに、なぜこんなに体力がある。
「お前には負けないからな」
ドッラである。
もう死ねよこいつ……めんどくさい……。
「私も、お前には、絶対に、はぁ、負けん」
キャロルもなぜか張り合ってくる。
わけがわからん。
俺がなんか悪いことしたか。
俺はお前にビンタされた覚えはあるけど、逆に何かした覚えはまったくないのだが。
無意識のうちにおっぱいでも触ってたのかな。
「はあ、はあ、俺はもう限界だ」
わざとらしく演技をしてみる。
「ふざ、けるな」
キャロルに怒られた。
軽く殺意が篭っている気がする。
こわい。
ちなみに疲労の加減からするとキャロル>ドッラ>俺の順番でキツそうだ。
これは体力の問題ではなく、本格的に走りだす前に俺はサボっていたのだから、俺が一番つかれていないのは当たり前なのだ。
よってこれは競争としては成り立たない。
なぜ意地の張り合いと化すのか、わけがわからない。
とにかく、このままでは俺がトップになってしまう。
そもそも傍目から見てもキャロルは明らかに限界を超えていて、根性だけを燃料に走っている感じなのに、何故「お前には絶対に負けん」などと言ってくるのだろうか。
俺は勝ちたくないのに、このままでは勝ってしまう。
新手の嫌がらせかよ。
「よしわかった。競争だな。やってやるぜ」
俺が元気にそう言うと、二人がこっちを睨んできた。
勝負開始って感じだ。
「だが、俺の見るところによると、お前らは俺より一周多く回っている。これじゃ公平じゃない」
頑張り屋の二人は、チンタラ走っていた俺より先に行っていたはずだ。
先に行っていたのに、教官に引き連れられて合流した時には後ろから来たのだから、そのとき俺は一周周回遅れになった計算になる。
「だから、俺は、これから、教官を追い抜いて一周回ってくる。それからスタートだ」
二人はギョっとした目で俺を見た。
教官は既に完全に落としにかかっているスピードで走っている。
それを追い抜いてさらに一周して戻ってくるというのだから、これはもう相当の難事だろう。
短距離走のようなスピードで一周を激走しなければならない。
だが、それが俺の狙いである。
途中で脱落大いに結構。
勝負好きどもの不毛な争いには巻き込まれたくない。
多少辛くてもさっさと終わらせたい。
途中で脱落すれば俺の負けだ。
おっしゃいくぞ。
俺は短距離走のごとく走りはじめた。
あっという間に教官を追い抜いて、先をゆく。
後ろから誰かが駆けてくる気配がする。
教官が俺の頭をひっぱたくために追いかけてきたのか。まずかったか。と思い、振り向くと、教官は相応な後方にいた。
ドッラだった。
わけがわからん。さっきの話を聞いていなかったのか、アホめ。
「アホかお前。なんでついてきた」
「お前が一周遅れなら俺も一周遅れだ!」
????
こいつ本気で知恵遅れか?
「俺は、お前の後ろをずっと走ってた」
あー。
そういうこと。
察しがついた。
てっきりドッラは俺よりずっと先を真面目に走ってると思っていたが、違ったのだ。
それは逆で、こいつは最初の最初から俺と謎のかけっこ勝負を一人で勝手にしていたのだ。
俺がミャロとチンタラ走ってた時から、ストーカーのように後ろを追尾していたのだろう。
つまりこいつは俺より遅く走っていた。
「どんだけアホなんだよ、めんどくせぇ」
あ、しまった。口に出てしまった。
「なんだとぉぉぉ!!!」
案の定怒った。
まあいいや。
抜かれて負かされても悔しいことなんてないし。
タッタカタッタカ走って、流石に息が散々に乱れ、足がガクついてきたとき、ようやっと一周して追いついた。
大分疲れて足が笑っている。
こりゃもう脱落しても構わないだろう。
だが、それを拒むやつが後ろにいた。
「ヒッハーヒッフー、ハーフー、ヒヒャアー」
顔を真っ青にして追ってきているドッラだ。
ドッラは大分後ろにいるがまだ脱落した様子はない。
追いつこうと、萎える足を叱咤しながら走っている。
つーか、叱咤どころかホントに足を殴りながら走っている。
こいつがこんななのに、俺が先にギブアップしたら、なんだか変だ。
さすがに恥ずかしい。
男として恥ずかしい。
そう思わせる走りぶりであった。
男として恥ずかしいなんて感情が俺の中に発生すること自体が自分でも不思議だったが、ドッラがこんな風になってまでまだ走っているのに、まだけっこう走れる俺が「ふー、もう限界☆ 疲れちゃって一歩も走れない☆」なんて言いながら額の汗を拭っている光景を想像すると、さすがに嫌気が差す。
もうちょっと走ろうと思う。
「かっこ悪いと、思うか?」
キャロルが聞いてきた。
なんだこいつ?
「後ろで走ってる馬鹿のことか?」
思わずそう言ってしまうと、キャロルはギロリと睨んできた。
別に馬鹿にしているわけではないが。
いや馬鹿にしてることになんのか。
常に馬鹿だと思っているんだから常に馬鹿にしてることになるか。
「そうだ」
やっぱりそうらしい。
「いや、かっこいいと思うぞ」
すると、剣呑な表情が溶け、意外そうな目で俺を見た。
「馬鹿だが根性がある。あれはあれで大したもんだ。俺にはとてもできない」
努力のしどころを全く間違えてる気がするのは置いておいて。
「そっか」
キャロルはなぜか薄く微笑んだ。
ドッラは結局、俺の背中に追い付くことなく、徐々に置いて行かれて距離が離れ、パタリと倒れた。
一周まわって倒れ伏したまま動かないドッラを教官が世話しだすと、俺とキャロルは、どちらともなく走るのをやめた。
足を止めると、どっと汗が噴き出してきた。
息が乱れ、軽く目眩がする。
「はぁ、はぁ、かけっ比べはもういいのか」
「ハーハー……いい」
なんだ、もういいのか。
はあ疲れた。
なんだったんだろう、一体。
「屑に負けるのは我慢できなかったが、お前はかろうじて騎士の心を持っていることが分かった。だから、もういい」
なんだか分からんうちに俺という人物の再評価は進んでいたらしい。
屑から真人間にレベルアップだ。
それにしても屑と思われていたとは。
助けた覚えもあるのに、世の中というのは世知辛いものであるなぁ。
***
順番に水浴びをしたあと、昼食を食って午後になった。
基本的に午前は実技、午後は座学となっているらしい。
自然、午後は同級生たちとは離れることになる。
今日の午後は上級算盤の講義がある。
講義室へ向かおう。
残念ながら、ミャロは同じ時間に開催されている別の講義に行っているので、いない。
ひとりぼっちだ。
思えば大学でもぼっち講義は多かったな。
講義室に入ると、三百人くらい座れる教室に人がいっぱい居た。
そろばん教室みたいな小さなものを想像していたら、そうでもなかった。
俺もけっこう早く来たのに、こんなに混んでるのか。
まあ、一般科目は教養院のほうからも人がくるから、人が多いのかもしれない。
俺は適当な席に座った。
そして、かばんからマイそろばんを取り出して机に置いた。
やることがなくなった。
「よう、あんた騎士院の子か?」
いきなり隣の奴に話しかけられた。
そっちをみると、なかなかのイケメンが座っていた。
歳のころは、どうだろう、二十前くらいに見える。
日に焼け、とても良い体格をしている。
俺も騎士院の男たちを見ているが、良い体格をしている連中はたくさんいるものの、焼けているやつはあんまりいない。
シャン人の肌はなかなか焼けないのだ。
普通に屋外労働をしていても、まぁちょっと黒くなったかなくらいで、小麦色にはなかなかならない。
体質もあるのだろうが、地域柄、紫外線が多くないのが要因と見ている。
「こんにちは。いかにもそうですが」
「俺はハロル・ハレルだ」
ハロル・ハレル。
苗字は聞いたことがない。
つーか、聞いてもいないのに、名乗りおるとは。
なんつーか馴れ馴れしいな。
「ユーリ・ホウです」
「おお」
ハロルは大げさに驚いたふりをした。
「ホウ家の跡取りか。有名人に出会っちまったな」
どいつもこいつも俺の名を知ってやがる。
ちょっと気味が悪いな。
自分の力でノーベル賞でも取ったのならともかく、何もしてないのに有名人というのは。
「有名人かどうかは知りませんが」
「あんた、ここにはスキップできたのか?」
スキップ?
なぜルンルン気分でこんなところにこなければならない。
いや、免除のことか。
「ええ、そうです」
「俺は去年から学院の授業を受けてるんだ。親父の跡を継ぐことになったんでね」
去年から?
どういう意味だろう。
こいつ二十前に見えるけど。
騎士院も教養院も、十歳から入学可ということで、別に二十歳から入学するのもできなくはないらしいが、やっぱり浮くし、俺の年では年齢が違う同級生はいない。
去年からというと、どう考えても年代が合わないのだ。
よほど年かさになってから入学したことになる。
まあ事情があってそういうことになることもあるだろうけど。
「失礼ですが、あなたはどちらの学生なんですか?」
「俺は聴講生だよ」
???
聴講生とは?
「騎士院でも教養院でもなく、一般人ということですか?」
思えば、制服のようなものを着ていない。
まるっきりカジュアルな私服だ。
「知らないのか? 一般から来ている聴講生はたくさんいるんだよ。ここの野郎どもも、半分くらいはそうなんじゃないか」
え、マジで?
そんなの初めて聞いたけど。
しかし半分といえばかなり多い。
なるほど、半分は一般人だったわけか。
よく見りゃ服装も様々だ。
「それってなんか得になるんですか? 資格がもらえたりとか」
「資格は貰えないが、聴講料は安いし、教師の質もいいからな。遠くから来て聴講生をやっているやつも多いよ」
「純粋に学問のために来ているわけですか」
そりゃまた偉いもんだ。
「そんな大層なもんじゃないさ。俺なんか商人の子だから算盤は覚えなきゃなんないしさ。読み書きもできなきゃ同業に馬鹿にされちまうだろ? 多少は教養もないと貴族様とも話ができない。お知り合いにもなれないわけだ」
ほほー。
義務教育がないぶん、自主的にこういう所に通って学を身につけるわけだ。
家庭教師を雇うよりは安くつくんだろうな。
それに家庭教師なんか雇っても、場合によっちゃ教えられた知識が正しいとは限らない。
だけど、ここなら大貴族様と同じ講義を受けているわけだから、まあ知識が正しいか間違っているかは別として、取引先との会話で認識の相違が起こる心配はないわけだ。
「各々必要な講義だけとっているわけですか。じゃあ必修とかもないんですね」
「そういうことになるな」
「なるほど、色々教えてもらってありがとうございます」
「いやいや、構わんよ」
さすがに大人だけあって、大人の対応だった。
「ところで、ハロルさんのところは商人をやってるって言いましたよね」
商人の子だと言っていた。
「どんな商売をやっているんですか?」
「うちは貿易だな。船乗りだ」
「キルヒナのほうに?」
貿易なんつったって、貿易相手国はキルヒナしかない。
「そうだな」
やっぱりバルト海をわたって貿易をしているらしい。
あーあって感じだ。
キルヒナが滅びたら商売ができなくなる。
キルヒナは現在進行形で攻められていて、しかも劣勢なのだから、あまり将来性がある商売とは言えないだろう。
「戦争のほうは大丈夫なんですか?」
と俺が聞くと、ハロルはなんだか嫌なことを思い出したような顔になった。
「あがったりだな」
なるほど。
業界は厳しいらしい。
「そんなですか」
俺の認識と違って、キルヒナはかなり風前の灯なのだろうか。
「うちが運んでた商品の産地がな。トガ領って場所なんだが、潰されちまったからな」
なんだ、キルヒナが滅びる一足先に商売が成り立たなくなったわけか。
「なるほど、そういうわけですか」
「他の商品はまた別の商人のシマになっちまってるから、手はだせないし」
そりゃ大変なこって。
そんなんなら継がなきゃよかったのに。
「難しいですね」
倒産寸前の会社を継いだようなもんだ。
この世界には有限責任なんていう良心的な制度はないだろうから、商会が倒産したら無限責任で丸裸にされるはずだ。
丸裸になる前に自分から潰してしまえば、そうならずに済むが、長年やってきた家業というのは、そう簡単に切り離せるようなものではないだろう。
新しい商品でも開発できればいいんだけどな。
成功するに決まっている商品のアイデアは幾らでもあるが、彼らは別に作る側ではないので、言っても仕方ないだろう。
口を出してやる義理もないしな。
「それでも、ハレル商会を潰すわけにはいかないからな。俺が頑張らねえと」
ハロルは切羽詰まった顔をしていた。
なにやら責任感があるらしい。
「頑張ってください」
まあ、せいぜい頑張れ。
陰ながら応援してるさ。
と思った時、ふと考えついた。
「そしたら、クラ語を覚えてクラ人と貿易したらどうですか?」
シャン人がだめならクラ人と貿易したらいいんじゃないの。
「クラ人と?」
はてなという顔になった。
「クラ人のほうは我々を毛嫌いしているそうですが、別にこっちにクラ人と取引しちゃいけないって法があるわけじゃないでしょう。間諜のような真似をすれば死刑でしょうけれども」
「そうなのか?」
「いや、僕は法律家じゃないんで知りませんけどね」
我ながら、まったく無責任な話である。
とはいえ、思いつき話だしな。
「まあ、調べてみるか。だが、商売できるのかな」
「どうでしょうね。最初にツテを作るまでが難しそうですけど。こっちはともかく、向こうはシャン人と貿易するのは禁止でしょうし」
「そうなのか?」
「いや、知りませんけどね。でも、たぶんそうなってると思いますよ」
知らんけど。
だけど、普通は戦争をするとなれば、前段階として国交断絶がある。
いわゆる断交だ。
それは、こっちの世界でも元の世界でも変わらないだろう。
なぜ断交するかといえば、勝手に自国民が旅行にいったりして、戦争相手国に捕虜や人質にされたりしたら面倒だからだ。
だから予め国境を封鎖して、人の行き来を禁ずる。
それは当然の措置であるはずなので、こっちの世界では事情が違う、ということはないだろう。
だが、何事にも裏口のようなものはある。
儲けで動く半分ならず者みたいなやつと商売すりゃいい。
これは馬鹿でも考えつくことなので、ハロルも分かっているはずだ。
「でも、よっぽど上手くやらないと最初のツテを作る前に殺されちゃうかもしれませんね」
その可能性は高そうだ。
「うーん……」
ハロルは考え込んでいた。
「向こうで捕まったら、問答無用で奴隷らしいからな」
そうなのか。
「軽々しく言ってしまってすいませんでした。やっぱり難しいものですね」
俺の一言でクラ人の島にでも乗り込んで、こいつが奴隷にされたらちょっと夢見が悪いぞ。
「いや、面白い」
「うっ……そうですか?」
「面白いかもしれねぇ」
二度いった。
二度いうということは、よほど興味をもったのだろう。
自分が言っといてなんだが、やめておいたほうがいいと思うが。
「危ないですよ」
「やってみる価値はある。こちとら海賊の相手は慣れてるしな」
「……そうですか」
海賊というのはクラ人の海賊だろうな。
一人で「うん、うん」とか頷いてるハロルを尻目に、授業が始まっていた。