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第012話 会議の終わり

「それでは、会議を始めましょう」


 サツキが宣言した。


「議長はこの私、サツキ・ホウが務めさせて頂きます。会議の目的は、ホウ家次期当主の決定について一定の合意を得ること」


 なんか株主総会みたいだな。

 いや、どちらかというと役員会か。


 一定の合意を得るったって、どうやるんだろう。

 最終的にサツキが決定権を握っているのだろうか。

 そのへんの細かいしきたりはよく分からない。


「まず、最初に。ここに、ゴウク・ホウの遺言書があります」


 サツキが言うと、参加者の耳目が一斉に集中した。

 なんだ、遺言書があるのかよ。


 サツキは服の中に手を入れ、一通の封書を取り出した。

 便箋が封筒に入ってる形の封書だ。

 開封した形跡はなく、真っ赤な封蝋で閉じられている。


 白光りするような美しい便箋……ではなく、全体的に汚く、薄汚れていた。

 もっとも間近でそれを見ることになった俺は、汚れの中に赤いものが混じっているのを見ることが出来た。


 血だ。

 いかにも戦場から持ってきましたといった感じの封筒だ。


「見ての通り、まだ開封しておりません。今、この場で開封しましょう」


 サツキは、誰にでも見えるように、蝋封をバリッと剥がした。

 中からは二枚の羊皮紙と、なんだか髪の毛みたいなものが入っていた。


 髪の毛は糸でくくられてもおらず、ぞんざいに中に入っているだけだった。

 よほど焦っていたのだろうか。


 手紙と一緒に何本かの髪の毛がぱらぱらと落ちて、机の上に散った。

 サツキの表情に、一瞬だけ影が差した。


 サツキはハンカチを取り出すと、遺髪を一本一本丁寧に拾い集め、それに包んだ。


「手紙が二枚と、遺髪が入っておりました」


 部屋にいる皆が沈んだ表情をしている。

 それだけ人望があったということだろうか。


 ほんの短い付き合いしかなかった俺には、なんとも実感がわかなかった。

 だが、ここにいる他の者にとっては、そうではないのだろう。


「……後でここにいらっしゃる皆様方に、順に回そうと思います。まずは私から拝読させて頂きます」


 サツキが手紙を手に取り、読み始めた。

 五分ほどで二枚ともを読み終える。


「……一枚はわたくし宛の私信ですので、この場での音読は控えさせていただきます。もう一枚は、正真正銘、遺書でした」


 あー、なんか嫌な予感がする。

 いろいろとお膳立てされてる気がするんだよな。


 そもそも、今初めて開封して読んだという形をとっているが、こういった席の前に大なり小なり策謀をする人間が、そのような運否天賦をするだろうか?


 密封された遺書といっても、遺書の内容というのは大抵、だいたいのところは遺族が知っているもんだ。

 逆を言えば、先んじて内容を知っていたからこそ、遺書を開封しないでいられた。ということも考えられる。


「では読みます……私、第二十七代目ホウ家当主ゴウク・ホウは、弟ルーク・ホウを次代の当主に指名する。以上」


 ああ。

 やっぱりな。

 腑に落ちると同時に、胸の奥に黒いものが渦巻く。


 ルークを見上げると、なんだか呆けたような表情をしていた。


 そうもなろう。

 政治に疎いルークは、まったく安心しきっていた。


 ルークがそういう可能性を想定していたら、事前にもっと心配していたはずだ。

 キョドキョドと心配したり、控室でもオドオドしながら歩きまわったりしていたはずだ。

 こんなことになるとは、夢にも思っていなかったに違いない。


 きっと、兄にある種の信頼を抱いていたのだろう。


 兄は絶対に自分を後継者に指名したりはしない。なぜなら、自分が向いていないし務まりきらないのが分かりきっているから。


 それに、「騎士号を持っていない者が選ばれるわけがない」という思い込みもあった。


 ルークは以前そんなようなことを言っていたが、ありゃウソだったということだ。

 俺も納得してしまっていたが、あれはルークの勘違いで、絶対的条件ではなかったのだ。


 会議参加者を見る。


 半数ほどは眉を寄せて考え事をしていたりするが、あとの半分は平然とした顔をしている。


 騎士号も持っておらず、実家に殆ど顔出しすらしていないルークが、将家の当主に選ばれるというのは、イリーガルではなくても、イレギュラーではあったはずだ。

 これほど眉も動かさないというのは、やはり既知の情報であったからとしか思われない。

 

 開催自体は緊急だったが、サツキが事前に丹念に根回ししていたのだろう。


「馬鹿げている! 騎士でもない者がホウ家の当主だなどと!!!」


 そう怒鳴ったのはラクーヌであった。

 お前発言権ないんじゃなかったのかよ。


「黙りなさい」


 サツキがそう言うと、ラクーヌは苦虫を噛み潰したような顔をしていた。

 なんだこいつ。


「だがっ……!」

「これが異常な措置であることは承知しております。ですが、既に女王陛下にもお伺いは立ててあります。問題はございません」


 つい先程開封した手紙なのに、女王陛下に確認を取ってあるとは。

 もしやテレパシー能力者か。


 んなわけない。

 やっぱり予め知っていたわけだ。


「問題ないわけがあるか!」

「もう一度だけ警告します。黙りなさい」

「ぐっ……ぬうっ……」


 サツキが冷徹に言い放つと、ラクーヌはしぶしぶ黙り、震えるようにして椅子に座った。


「皆様も知っての通り、ホウ家の領地は半島の奥詰まりに位置し、王国で最も暖かで豊かな土地を与えられており、そのため他国への援軍は代々ホウ家が担ってきました」


 ほほう。

 初耳だった。


 なるほど、そういう事情があったのか。


 逆に言えば、ホウ家以外の将家はキルヒナ王国に近いところにあるから、もしもの時のために温存しているわけだ。

 いざ自分の番が来た時に、さあ身を守ろうと構えた盾が、ボロクソと成り果てていたら、守りようもない。


 王都より前にいる連中は盾になるが、後ろにいる連中は盾にはならない。

 実際には兵を出して懸命に戦うかもしれないが、自領が脅かされるまでは必死に守らないんだろ? という疑念は付きまとい、あまり期待はできないだろう。

 だとしたら、攻めてこられる前に使ってしまったほうがよい。という考えなのだろう。


 まるっきり貧乏くじのようにも思えるが、豊穣な土地を与えられた代償と取ることもできる。


 だが、代償といっても、高くつき過ぎる気もする。

 なにしろ、他の将家は何十年も、ひょっとしたら何百年も殆ど人死にがないような状況なのに、ホウ家だけがズタズタに引き裂かれ、ボロ布のように成り果てているのだから。

 これでは、いくらなんでも不満が続出してしまうだろう。


 あるいは、戦えば戦うだけ報奨金みたいのが貰えるシステムとかなのかもしれないな。

 出征先の国から貰えるのか、シヤルタ王国から貰えるのか、それは不明だが。


 だからこそホウ家はこんなに良い家を持っているのかもしれない。

 さすがにそれは邪推か。


「ですが、此度の戦でホウ家はいよいよ矢尽き弓折れ、騎士団の戦力維持が難しくなってきました。女王陛下はそのことを理解しておられ、戦力が回復するまで軍団の再建に専念せよとのお達しがありました。つきましては、しばらくの間は家長は騎士でなくても良いと、特別の配慮をしていただきました」


 ジジイばかりじゃ戦争にならんから、使い物になるまで休んでいてよし。ということか。

 その間はどうせ戦わないんだから騎士じゃなくていいよと。


 実際は、女王とやらがそういう考えを持っていたわけじゃなく、そういう建前を政治工作で引っ張り出してきたんだろうが。


 事前にそんな大掛かりな政治工作を済ませて、遺言執行の障害を取り除いておいたということは、お膳立てはバッチリというわけだ。

 気に食わない。


 なにしろ、事前に当の本人であるルークに一言の相談もなかったのだ。

 つまり、ルークはハメられたとしか考えられない。


 そのハメられた当人は少なくとも嬉しくはなさそうな顔をしている。

 なにがなんだかわからない――。

 みたいな顔をして、困り果てた顔で、味方を探して周りをキョロキョロしてる。


 俺はルークの脚をちょんちょんと触った。

 そして小声で言う。

 小声といってもサツキには聞こえてるだろうが、関係ない。


「お父さん、いいんですか? 嫌なら嫌って言わないと。決められちゃう流れですよ」

「はっ……そ、そうだな」


 ルークは我に返ったようだ。

 よしよし。


「私には到底務まりません。辞退いたします」



 ***



「ハッ!」


 こちらまで聞こえるくらい大きな声の嘲笑が上がった。

 ラクーヌだ。


 現状からするとむしろルークを馬鹿にしてくれたほうが有り難いくらいなのだが、でもやっぱりイラっときた。

 このやろー、腰抜け野郎のくせして。


「ルークさん、大丈夫ですわよ。まあ、多少変化はあるでしょうが、お望みであれば今まで通りの生活をしてもらっても結構なのです」


 んんん?


 は?

 どーゆーこと?


「実務は我々でやりますから」


 ルークを傀儡にしちゃうってことか?

 んでサツキが代わりに実権を握る。


 流石にそりゃまずいだろ。

 周りの人間は納得するのか?


「どういうことでしょうか。私より適任者はいくらでもいると思いますが」

「かいつまんで説明しますと、我々にはだいたい四つの選択肢がありますの」


 サツキはゆっくりと話し始めた。


「まず、一つ目は分家の誰かを連れてきて、当主に据える選択肢ですわね。これは、適任者は三人ほどいるのですが、とっても遠い親戚ですの。三人共、騎士号は持っていますが爵位でいえば騎爵でしかありませんし、内二人はホウ家の領民でもありませんわ。だから、私としてはできれば避けたいところですわね」


 そりゃそうだろうな。


 ここにいるお歴々だって同じ考えだろう。

 特にホウ家の領民ではないという二人は、つまりは領外の他家に嫁いでった女子の子ってことだろうし。


 ちらっとラクーヌのほうを見たら、ゆでダコみたいになってキレてた。

 ラクーヌは傍系で、とっても遠い親戚でもなく、騎士号も持っており、実戦経験もある。

 爵位はなんなんだか知らないが、きっと御大層なものを持っているのだろう。

 だがサツキは一貫して無視している。


「もう一つは、ルークさんが今から騎士号を取るという方法。調べてみたらルークさんは騎士院の単位を三百単位のうち二百九十単位まで取っていますから、今から騎士院に行って、最後の実技で合格を貰ってくるだけで、すぐに騎士号は取れますわ。これが最も自然な形にはなるのですが、お嫌でしょうから強制はいたしません」


 なんだ、早々に中退したのかと思っていたが、卒業までギリギリんところまで行ったのか。

 ギリギリといっても、大学四年中退とかではなく、あとは卒論だけみたいな状態らしい。


 卒業しちまえばよかったのに。

 騎士号を貰ってしまうと半軍人の予備役みたいな形になるとか、デメリットがあるのだろうか。


「三つ目は、私の娘に騎士の入り婿を取るという方法。これはたいへん現実的ですわね。ですが、娘はまだ十歳にもなっていませんので、現在すぐに実行するわけにはいきません」


 シャン人の世界では若年結婚はできない仕組みになっているのか?

 とんでもない原始的な風習が残っていると思ったら、へんなところが近代的である。


「四つ目は、ここにいるルークさんの息子さんに騎士院に入学してもらって、騎士号を取ってもらい、当主になってもらうという方法です」


 ルークの息子って誰だ。

 俺の他に隠し子でもいたんかな。

 そんなんしたらスズヤの怒髪が天を衝くぞ。


 いやいや。

 はぁ、俺か。


 正直その発想はなかった。

 罠にハメられたのはルークだけじゃなくて俺もだったってことか。


 つーか、こりゃ俺がメインの可能性まである。

 やられたな。


「これもたいへん現実的な手ですわね。ただ、もちろん彼は騎士院の単位は一つも持っていませんので、最初からということになります。皆様御存知の通り、騎士院を卒業するには十五年ほど時間がかかります。といっても、彼は夫も認めていたほど優秀な子ですから、十年で済むでしょう。でも、やっぱり、今すぐというわけにはいきません」


 いやいや。

 やだやだ。


 別に俺はこの国で暮らすのは嫌ではないが、刀槍担いで戦えとなると話は別だ。

 愛国心なんてまったくないし。

 できれば戦争が始まったらスタコラサッサと逃げられるポジでいたい。

 種族ごと追い詰められているのに逃げ場なんて存在するのかという問題もあるが。


「ユーリは騎士にはしません」


 俺はルークの顔を見上げた。

 先ほどのオドオドした表情はどこへやら。

 真剣な表情でハッキリと宣言していた。


 あぁ、スズヤが惚れたのはこのルークなのか。

 そんな感じのする顔だった。


「あら、ユーリくんが騎士になりたいと言ってもだめなのかしら」

「もちろん、それならば別です。ですが、強制はさせません」

「でも、子どもは騎士に憧れるものよ」


 なにいってやがる。

 ふざけるな。

 人をハメておいてどの口がいいやがる。


「僕の心の内を勝手に創作しないでください。不愉快です」


 俺がハッキリそう言うと、サツキは狐に摘まれたような顔をしていた。


 言ってやった言ってやった。

 生意気なガキと思われようがどうでもいいし。


「……ユーリもこう言っています」


 ルークを見ると、やはり子どもが暴言を吐いた時に親がする、困ったような顔をしていた。

 なんだよ。そんな顔しないでよ……。


「でも、将来のことは分からないでしょう。そのうち、騎士になりたいと思うようになるかも」

「それはそうかもしれませんが、あらかじめ他の道を塞いでおくようなことはやめてください」

「ルークさん、誤解しているわ。私は塞いでもいないし強制もしていないのよ」

「ですが……」

「ユーリくんが嫌ならば、私が責任をもって娘に婿を取らせます」


 へー。

 勝手にそうすれば。


「……」


 おい、黙っちゃったよ。

 お、お父さん?


「ルークさんには少しの間だけ名義上、家長になってもらえればいいのよ。つまり、さっき言った四つの方法のうちの三番目か四番目が取れるまでのつなぎということになります。もちろん、本格的にやりたくなったら騎士号を取ってもらって二番目の方法を取ることにしても構いません」

「それはありえませんが……しかし……」


 ルークにとってのメリットがまったくない。

 親戚づきあいがギスギスするというデメリットがあるくらいで、あとは面倒なだけだろう。

 ルークは手に職があるのだから悩む必要はない。


 牧場はホウ家の領内にあるから、経営はやりにくくなるが、場合によっちゃ、牧場ごと領外に移転するという手もあるだろう。


 それでも十分にやっていける。

 移転に必要な費用がない、というのなら、王都にいる上客に頼めば、頭金の融資くらいは引き出せるだろうし。

 断れ断れ。



 ***



 だが、ルークは俺のほうをチラチラと見ていた。

 顔色を窺っているふうでもなく、息子のことを考えるとどういう選択がいいのかなぁ、とか考えているようだ。


 せっかく息子の栄達の道が現れたのに、ここでそれを切っちゃっていいのかなぁ。

 まだ子どもだし、あとあとどう考えが変わるかわからないし、あとで気が変わって当主になりたがるかもしれないぞ。

 もしそれが駄目でも、責任もって入り婿を探してくるっていうしなぁ。


 とか考えているような気がする。

 まあ、俺ももう八年も息子やってるからね。

 大抵のことは解るんだよ。

 このお父さんは考えが思いっきり顔にでるタイプだしね。


 つまり、ルークは俺にとっての千載一遇の大チャンスかもしれない、とか考えているのだ。(たぶん)

 やめろマジで。


 そもそもシャムに婿取るという逃げ道が用意されているとはいえ、実際にそれが機能するか極めて疑わしい。

 あのシャムに婿とか、上手くいく気がぜんぜんしない。


 このサツキとて、シャムの親なのだから、娘の幸福を考えるのが普通だろう。

 実際はどうだか解らないが、少なくとも、その傾向はあると考えておくべきだ。


 俺もシャムと話したのは一度きりだから、人格を理解しているとは思わんが、俺に対してあれだけトゲトゲしていたシャムが、汗臭い無骨な武人と結婚させられて、上手くいくものだろうか。

 上手くいって幸福になるというヴィジョンも想像できなくはないが、その可能性はどうも低い気がする。


 かといって、学者肌の男を連れてくるとなると、今度は将家の頭領としての仕事が務まらなくなるだろう。

 どういう形の軍なのか知らんが、どうせ高度に組織化されているわけではないのだろうし、そんな弱っちい男が頭では、下がまとまらなそうだ。


 だとすると、サツキは実際にはこのケースを採用しようとは考えていない。

 というふうに、考えることもできる。

 だが、このへんはルークはシャムに会ったことないから、全然わからないはずだ。


「駄目ですよ、断ったほうがいいです」

 俺はボソっとルークに耳打ちした。


「ユーリはちょっと黙っていなさい」


 厳しい声で言われた。

 うぐぅ。

 まぁそう言われるよなぁ。


 ルークは何事かを決心した顔になっていた。


「そういう事であれば、務めさせていただきます」


 あーあ、言っちゃったよ……。

 これは言質になるぞ。


「まあ、それは重畳」

「重畳でもなんでもねえよクソババア……」


 俺はボソッとつぶやいた。


「あら、なにかいったかしら」

「いえ……」


「ですが、請われればの話です。この会議で合意を得られなければ……」

「あら、大丈夫ですわ」


 サツキは机の上に肘をついて、胸の前で両手を合わせている。

 なんだか可愛い女の子ポーズだった。

 たぶん四十を超えているが、三十歳くらいにしか見えないので、さほどおかしくも見えない。


「決を取れば、きっと皆さん賛成してくれますとも」


 工作済みらしい。

 たぶん、ジジイどもは説得してあんだろうな。

 ラクーヌという異物がいるから、そこまで違和感は覚えないが、あいつがいなかったら完全に茶番劇の舞台だったわけだ。


 はあ。

 なんだか可愛らしく見えるはずのポーズが碇ゲン○ウの指組みポーズに見えてきた。


 だが、この会議場には俺の最後の味方が残っていた。

 先ほどから、横断歩道を渡る小学生ばりに、ピンと腕を伸ばして挙手しっぱなしのラクーヌである。

 腕疲れねえのかな。


「じゃあ、さっそく決を取りましょうか?」

「ふざっけるな!!!」

 思わず耳を覆いたくなるほどの怒号であった。


「しきたり通りでゆけば儂が当主になるのが当たり前であろうが!!! なにを抜け抜けと掟破りの話をしておるか!!!」


 へー。

 そうなんだ。


 実のところ、俺もそう思うんだよ。


 特攻に付き合わなかったからってハブられるってのもどうかと思うしね。

 でもやっぱり、当主は特攻して立派に闘死したんだから、それに付き合わないでのうのうと帰ってきた人間が、大手振って次期当主に収まるっていうのは変に思えるんだよ。


 降格はしないまでも、すぐに昇進、というのはおかしいでしょう。

 特攻に否定的な俺でさえそうなんだぜ。

 ここにいる頭の硬い連中はもっとそう思ってるんじゃないのかね。


「はぁ……」


 サツキはこめかみのあたりを指で押さえるようにして、頭痛の元を冷たい目で見ていた。

 呆れているのか。

 さてどうやって出て行ってもらったらいいのかと考えているのか。


「ふぅ~~~~~」


 サツキをじっと観察していると、だんだんとコメカミに青筋がたって、息が荒くなっていくのが見て取れた。

 そこで気づいた。

 呆れているのでもなく、考えているのでもなく、怒りを抑えているのだ。


「儂は先の遠征でも武功を立ててきた!!! 何が不満なのだ!!!」


 え、自分でそれいう?


 俺がそう思った瞬間であった。

 ガタン、と椅子が倒れる音がした。


「お黙りなさい!!!」


 椅子を蹴って立ち上がり、豹変したような怒りの表情をしたサツキがそこにいた。


「あなたの魂胆など見え透いているのです! 戦場で誰にも言わず出奔したのはなぜですか! 王鷲攻めが失敗すると見込んでいたのでしょう! そうすれば、包囲された城は殲滅され証人はいなくなる。そうしてあなたが当主へ――もしそうなったらと思うと、ぞっとしますわ!」


 サツキさんはよっぽどマジギレしているようで、凄い剣幕でラクーヌを罵倒しはじめた。

 耳がキンキンするほどの大音声だ。


「そのような卑劣な野望で主君を見捨てるとは、あなたは騎士の風上にもおけぬ屑です! そのような屑が、怖気づいて震えているならまだしも、図々しくもこの期に及んでまで当主の座を求めるとは! もし恥を知るなら、今すぐここで自害なさい!」


 自害とか。

 切腹とかあんのかな。


 つーかその前に、ラクーヌひでえ奴だな。

 話を聞いてみたら、屑の代表みたいな奴だった。


 特攻を拒絶するのと、その場で出奔するのはぜんぜん違う。

 エク家が領地に堂々と税金を課して、領民に対して偉ぶっていられるのは、ホウ家にその権利を保証されているからだ。


 戦争に参加し当主の命令に従うのは、その代償としての義務ということになる。


 もちろん特攻はその義務の範囲外になるが、その場合は通常の軍務を引き続きまっとうする必要がある。

 主君が特攻したからといって、すべてを放り投げて出奔していい理屈はない。

 恐らく兵はまだ残っていたのだろうから、彼らをまとめ上げ、戦闘を継続すべきだろう。


 出奔というのは、義務の放棄、つまり敵前逃亡にあたる。


 しかもそれは、サツキの考察によると、主君の惨死を見据えてのことであったらしい。

 ゴウクが特攻に成功して、敵軍が退却していったからよかったが、そうでなかったら自軍は殲滅され、事情を知る者は残らず、遺書は届かなかったかもしれない。


 遠征した騎士団が殲滅されてしまえば、出奔したとてその事実を知る者は、誰もいない。

 ラクーヌは大手を振って帰ってきて、筆頭の候補者として、やはり当主となっていただろう。

 ラクーヌの次はルークというほどに人材が払底しているのだから、他の選択肢はない。


 諦めどころをわきまえずに、欲をかいているところはアホ臭いが、策謀自体は成功率の悪くない賭けだったのではないだろうか。

 しかし、いかにもたちが悪い。


 仲間だと思ってたけど、さすがにこいつが家長になるとまずそうだ。

 ここまで屑だとルークを謀殺する危険性が高い。


「なにか反論があるなら言ってみなさい」


 ラクーヌは顔を真っ赤にして鬼のような形相になっている。

 親の敵を見るような目だ。


 逆にお前はなんで自分が当主になれると思ってたんだよ。

 サツキはサツキで、煽るのはいいがちゃんと考えてるのか。


「彼は腰に剣をぶらさげていますが、止められる人ってここにいるんですかね」

 ボソっと言っておいた。


 ラクーヌは今、立ち上がっているので、腰にぶらさがっている剣がよく見えた。

 ラクーヌは衛兵を無理やりどかしながらこの会場にやってきて、うやむやのままに同席を認められたので、帯剣を預かるタイミングがなかったのだろう。


 そんな状況で、ここにはラクーヌのほかは、使えそうにない爺婆と、牧場経営者の男と、その息子(七歳)と、あとは未亡人しかいない。

 現役の戦士はラクーヌ以外、誰もいない。


 サツキはハッとした顔をした。

 そこまで気が回っていなかったらしい。


 それかルークを当てにして……いや、さすがにそれはないよな。

 さすがに立場ある人間がこんな場所で狂乱はしまいと思っているのか。


「衛兵!!!」


 大声で叫んでパンパンと手を鳴らした。

 そうそう。そうしてもらえると助かる。

 この場はとりあえず衛兵を呼ぶべきだ。


 少なくともサツキ、ルーク、俺には手出しができないようにしておいたほうがいい。

 そうしないと実力行使という手が消えないからな。


 サツキが大声で呼ぶと、すぐに部屋の大扉が開け放たれた。

 そうして、向こう側から二人の男が現れた。

 こういう会議だからか、格式めいたローブを羽織っているが、その下にはきちんと鎧を着込んでいた。


「そこの男を退去させなさい」


 命令すると、衛兵たちはすぐにラクーヌに近づいていく。


 おっ、出ていかせんのか。

 それでもいいけど。


 衛兵が何ごとかをラクーヌに言い、腕を掴もうとした時だった。


「っ、くッ、ウガアアアアッ!!!」


 ラクーヌは剣を抜き払うと、妙な雄叫びを上げながら、振り返りざまに衛兵二人の首を切り払った。

 あっ。


 一瞬遅れて、俺の頭が状況を理解する。

 あっ、という間の出来事だった。


 一人の首は八分目まで切断され、頸骨だけで繋がったような状態になり、もう一人の首はごろんと転がって、主を無くした体のほうは、噴水のように血をまき散らしながら倒れこんだ。


 おいおいおいおい。

 おいおいおいおいおいおいおいおい。


 俺は人が死ぬのを見るのは初めてじゃないし、死体を見るのももちろん初めてではない。

 だがそれは、病床で死ぬ人間と、死んだあと遺体という形でカンオケに入った人間を見たことがあるという意味だ。

 自殺の現場をみたことも、殺害という形で人が死ぬところをみたことも、一度としてない。


 驚くほど気が動転した。

 目の前で殺人が起こったという事実に。


 血を浴びるほど近くはないが、物凄くリアルに首から血がふきでている。


 その間にもラクーヌは、一足飛びでテーブルの上に飛び乗ると、その上を走ってこちらに向かってきていた。

 衛兵を殺したのは衝動だったようだが、その行為でむしろ覚悟が定まったという感じだ。


 とっさにルークを見ると、慌てて立ち上がってサツキを庇おうと動いている。

 ルークが戦ってくれるのだろうか。


 俺は、産まれてこのかたルークが武器を握っているところを見たことがない。

 家には短剣や槍みたいのがあるが、素振りしているところなど一度も見たことがない。


 やばい、せめてなにか武器になるものは。


 もちろん、そんなものはなかった。

 昼間なので燭台すらもなく、コップか、または椅子くらいしかない。


 実力のほどは今さっき証明している。

 一太刀で二人の首を断つというのは、並の技量で為せるものではないだろう。


 ラクーヌは怒りに任せて机の上を走ってきている。

 もうほとんど近い。


 だが、その進みは何かおかしい。

 泥濘(ぬかる)みの上を走っているように、足下が滑っている。


 テーブルクロスだ。

 布の上で足を踏ん張るたび、一歩ごとに滑っているのだ。


 俺はテーブルクロスの端をギュッと握ると、ぐるぐると腕を回してスソの部分を腕全体に絡みつかせた。

 ラクーヌが三枚目のテーブルクロスに乗ったのを確かめると、机を蹴飛ばして椅子ごと転げ落ちた。

 俺の体重の重みで、テーブルクロスがズリ動く感触がある。


「うおっ!!」


 ドタンッ! と、机の上から大きな音がした。


 ラクーヌがテーブルクロスに足を取られ、ひっくり返ったらしい。

 机の端からラクーヌの姿が現れる。

 走りの勢いが残っていたせいで、机の上からすべりおちてきたのだろう。


 ルークはサツキを突き飛ばすと、自分はラクーヌを素早く避けた。


 俺は仰向けにすっ転びながら、それを見ていた。


 ラクーヌが体勢を崩したままテーブルから滑り落ち、受け身も取れず床に体をうちつける。

 ルークは素早く近寄り、踵で剣の腹を踏みつけ、まずは剣の使用を不可能にした。

 そして一瞬の間も置かず、剣を握っているラクーヌの手を残った片足の踵で踏み据えた。


 女子供の手であったら粉々に粉砕しそうな勢いで、二回三回と踏みつける。


 ラクーヌの手が柄から離れたのを認めると、とっさに片手を床について起き上がろうとするラクーヌの頭を、脇の下で封じた。


 何をするのかと思えば、片腕を首に回し、もう片腕で襟を掴み、ギュッと首を絞め付けている。


 フロントチョークだ。


 一連の動作は実にスムーズで、滞ることなく素早く、流れるようにこなされた。

 ラクーヌがテーブルから転げ落ちたときから、五秒と時間は経っていない。


 おとーちゃんやるやん。


「グゥゥ――!!!」


 ラクーヌはガッツリ首を締められているのか、悪態もつけないようだ。


 俺は地面に横たわっているので、ラクーヌの顔がよく見れた。

 茹で蛸のように顔を真っ赤にして、口から唾液の泡をふかせながら、歯を割れるほど食いしばり、全身全霊で拘束から逃れようとしていた。


 だが、首をガッチリと抑えられているので、逃れるすべはなかった。


 そのまま三十秒ほど締め続け、ルークが離れると、ラクーヌはその場で崩れ落ちた。


 落ちたのだ。



 ***



「おとーさんかっこよかったです」

 立ち上がったルークに素直にそう言うと、

「そうか? まあ、昔とった杵柄が無駄にならなくてよかったか……」

 と言って嬉しがるでもなく、複雑そうな顔をしていた。


「それより、よくやったな。ユーリが転ばせていなかったら、危ないところだった」

 ルークは俺のあたまを大きな手でなでた。

「ありがとうございます」


 照れくさいが悪くはない。

 実際いい機転だったと思うし。


 だが、それがなかったとしても、ルークは勝っていたかもしれない。

 危ないところだった、ということは、このおとーちゃんにとっては、少なくとも絶体絶命の脅威ではなかったのではないだろうか……。


 それから、ラクーヌは衛兵に引っ立てられてゆき、会議も一時解散という運びになった。

 明日もう一度やるらしい。


 つまり泊まりになってしまった。

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