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The Dub Band Dub Land

AOBA NU NOISEのTシャツです!

aobanun

今年ももう残り2週間を切ってしまったので、振り返りモード、とか言いたいところなのだがすべてが爆裂な進行で進んでいるので、それどころではなかったりする。明日も出張だし(しかしレコードは買うと思う)。

 

だがこの間ふと同僚に言われたのだが、どうもこの1年私は大分他の人のために尽くしてきていたようである。自覚はない。なんか目の前に脈々と、これやんなきゃな、ということが続けざまにあって、それをやってきていたら1年経っていた、と言う感じである。

 

だからそんなこと思いもしなかったのだけれども、そう言われてみると途端にあのこともこのこともそのこともそういう類のものに思えてきて、なんかついでにあれはあいつがああやらなければやらんでも良かったことだったんじゃないか、とか思えることが次から次から次へと次へと思い出されてきて、それで無性に腹が立ってきたのだった。

 

まあ腹を立てても今更しょうがないので、今年はお地蔵様に笠をかぶせ続けてきた1年だった、と考えることにしようではないか。どうもまだ今年中の分ですらかぶせ終わらないように思えるのがちょっとアレなのだが、まあそういうものである。

 

でも来年も多分、居並ぶお地蔵さんに笠をかぶせ続けてかぶせ続けてかぶせ続けて、過ごしていきそうな気がしている。それで、あれそういえばそろそろお地蔵さんが何か持ってくることもあったりするのかな、とかふと考えた時にヤフオクですげえのを落札したりする、とかそういう日々になったりするのかも知れない。ということは私の今年の、おおこれは、という発見物、落札物はもしかしたらお地蔵様の思し召し、なのかも知れない。この間信じられないことに競る羽目になったけれども、結局落札したModern Englishの12インチとか、まさかお地蔵様が・・・!?

 

いやいや、そういう見返りがあるとか、そのような知恵はいらんのじゃ、奉仕の心じゃ、隣人愛じゃ、とノーマルな状態の私は思うのであった。そう、だって困った時はお互い様だったりもするしな、とそう思う。これは本当にそう思う。

 

でも、映画『スカーフェイス

のラスト10分くらいをYouTubeで繰り返し見て自分を落ち着かせたりしなきゃいけないほど心がすり減ったりしている時にはそう思えなかったりもするので、来年は無心でお地蔵様に笠をかぶせてあげることのできる人間、それになりたいものである。

 

しかしふとネットで笠地蔵のこと調べると、なんか胸糞悪いこと言っている人とか一定数いて、まったく、素直に良い話を良い話と思えない人間どもは地獄に落ちやがれ、Say hello to my little friend、ってんだよな。なんか無茶苦茶なことばっかりの世の中だからこそ、笠地蔵みたいな話を素直に感じてえんだよこちとらよ。

 

と言葉が荒れてくるのはいけませんな。穏やかに年の瀬を迎えたいものですね。Dennis Bovellの「Sufferer Sounds」を聴いている。

UKレゲエのMatumbiの中心人物として、そしてニューウェイヴ期にThe Pop Groupだ、The Slitsだ、The Raincoatsだ、なんなら坂本龍一だ、というプロデュースやリミックスでお馴染みの彼の1976年から80年の間の音源のコンピレーション(未発。なのですか全部?)、である。とは言え私はレゲーは好きだし、Matumbiはじめ彼の作品も数枚は聴いているものの、何かを語れるほどそんなに詳しくはなく、たまたま最近起き抜けにHorace Andy

Dance Hall Style (Reis)

Dance Hall Style (Reis)

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が聴きたくなってずっと聴いたりしていた中でのリリースなので、これは運命(もしくはお地蔵様のお導き)、となって入手して聴いていた。まあ大好きなDisciplesからのリリース!?という驚きもあったし。ということで彼の運営していたサウンドシステムからタイトルが取られたこのコンピであるが、門外漢である私が聴いてもめちゃくちゃハッとする瞬間が連続のミキシング(ダブ加工)のオンパレードだし、その過激な加工だけに終始しない、それに耐えうるスウィートネスを湛えたメロディやハーモニーなど、バランスよく楽しめるので、すごくこのアルバム好きだなあ(素直な感想)。Janet Keyの「Silly Games」のヴァージョン、などうっとりとするくらいのソフトさと飛び具合のバランスに舌を巻くし。ということで今夜もインナースリーヴの彼のインタヴュー読みながらまた聴き返してみることにしよう。

 

Hosanna ( Greeting2MYPPL ) ( Meridian )

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ご存知の通り、今は車のナンバープレートに自分の好きな4つの数字を選ぶこともできるわけである。私はやっていないのだが、結構自分の好きな数字を使っている人の数は多いようである。

 

もしかしたらここをお読みの方で車を所有している方でもそういう人もいるであろう、と推測されるが、もう免許を返納してしまったけど、一部でカルト的な人気を誇るうちの母もそうであった。2011、というのが彼女の選んだナンバーであったのだが、それは母が昭和20年1月1日生まれだから、であった。そんな風に誕生日で、という方も多いのではないだろうか。

 

ということで車で移動するのが多い私なので、結構人の車のナンバープレートを見る機会が多いわけであるが、色々なるほど、とか思うことが多い。たとえばミニのナンバーだと3298とか32、とかが結構いる。ミニクーパー、とかミニ、である。これは結構ナンバープレート界では歴史が古い語呂合わせだと思うのだが、それはミニカーでトミカから1979年に初代ミニクーパーが発売された時、そのナンバーが3298となっていたことからもわかるであろう。という感じで、そういう車由来の数字も結構あって、たとえばBMW118のナンバーが118、とかである。

 

あとは多分運転しているのはサイトウさんかな、という3110、ゴトウさんかな、という510、サトウさんかな、という310、など想像するのも楽しい。セヴンイレヴンの駐車場で目にすることが多いのはオーナーさんの車かしら、という711、とかまあ本当色々である。

 

他にも自分の好きなものを語呂合わせで、というのも結構見受けられて、まあ実に嘆かわしいけれども、実際のところ物凄くよく見るのは5296である。あの背が高いのと小さいのがいる男性2人組の、あの何とも気持ち悪い歌を歌うあの2人のユニット名を数字化して、であろう。おぞましいのでその名前をここに記すことはしないけれども、容易に想像ができるはずである。

 

ちなみにこないだ830、というナンバーの車を見て、はてなんだろな、とか思っていたのだけれども車のリアウィンドウに熱唱するE. Yazawaの顔をカッティングシートで作ったものが貼ってあり、あ、なるほど、となった次第である。

 

他にもなんか色々なるほど、というのがあるだろうからナンバープレートウォッチングはやめられないのだが、まあそっちに集中し過ぎないように安全運転、であるがね。

 

Honourの「Alaafia」を聴く。

シカゴ出身のプロデューサーのファーストアルバム、である。これが物凄くおっかない音楽、である。ついでに血が飛び散ったようなピクチャーディスクもおっかないし、めちゃずっしりと重い、付属する写真集も、なんだかそのぼやけた感じの世界がおっかない。全ての音がノイジーで歪んだ重苦しい空気の下で時に強烈にビートが響いたかと思えば消え、時にジャズを、時にゴスペルを、時にヒップホップを、感じさせると思ったら消え、また現れては消え、という非常にジャンル分けとかが難しい、というかTrickyの一部とかSalemの一部をブーストさせて「おっかない」というテーマでまとめたような非常に極端な音楽。ラップまで飛び出すが非常に断片的で、しかし全体として非常に何だかエモーショナルな感触だけが残るので、まだまだ聴いたことないような音楽というのがこの世には生まれてくるものだなあ、と感動すること請け合いの1枚。すげえな。

Navel

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そうだ、先週のことと言えば、寝る直前に韓国で戒厳令、とかいうニュースを見て何すや、と思い不安になりながらも寝て、起きたら戒厳令解除になっていて、なんだったんだ、とはなったものの普通こんなにさっくりと解除にならないよな、やはりついこの間まで朴正煕だの全斗煥だのがいて、光州事件とかあった国は政治の暴走への警戒とか対峙の具合が違うんだな、と感じ入ったこともあった。

 

しかし世界を見渡してみると、89年の今頃の楽観的にとらえられた世界の動きがあった時代から、やっぱりこうなっちゃうんだなあ、という何とも重苦しい時代になってしまうものなんだな、とガクッと来るなあ、というのも2024年の気持ちであった。

 

そう、なんとなく2024年を振り返る時期に来ていると思うのだけれども、今年もとにかくなんだか色々お出かけの多い年だった。yumboのライヴのために車で東京へ行く、とかは良いのだけれども、一体全体私は何の仕事をしているのか、と疑問に思うくらい仕事関係の弾丸気味の出張も大変多かった。

 

ほとんどが日帰りなのだけれどもたまに宿泊を伴う出張もあって、あ、それはyumboライヴの時もなのだけれどもたいていビジネスホテル、と呼ばれるような宿泊施設に泊まるわけである。まあ大体寝に帰る、と言った感じだし、何でもかんでも高騰して宿泊費も信じられないくらいの宿が増えている世の中だから別に良いのだけれども、なんとなく、嗚呼自分温泉とか好きなんじゃないか、と思うことが多かった。とくにあんまりシャワーの温度が上がらないようなユニットバスで身体を洗わなければならないシチュエーションの時に、よくそう思ったものである。

 

中には大浴場のあるビジネスホテル的宿泊施設、というものもあったりするのだけれども、え、っていうくらいの値段だったりするし、なかなか難しい。たぶん来年も同じようなお出かけ具合だろうと思うし、宿泊する機会もあるとは思うのだけれども、もうちょいアフォーダブルな良い感じの風呂あり宿、ないものかな。

 

とか書いていたら来週これまた弾丸日帰りで出張が入ったので、なんだかまだまだ振り返っている場合ではない勢いだけれども、ぎりぎりの線で温泉、大浴場狙っていきたいところである。

 

しかしそんなこと言うようになるだなんて、私も歳を取ったものである。昔の自分からはそういう欲求が生まれるなんてことはなかなか想像もつかなかったわけで、まあ人は変わる、っつうかそろそろ落としたペースが似つかわしいのかもしれない、いろいろと。

 

Molinaの「When You Wake Up」を聴いていたよ。

デンマークの女性シンガーの新作である、って前作を聴いていないのであれなのだけれども、今作はかなり面白くて愛聴している。もともとシンセポップ的な音、だったのですかね。今作から聴いている人間としては意外なのだけれどもML Buch

Suntub

Suntub

  • 15 love
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(このアルバムも今年聴いてとても良かった)も参加した今作は、まあつまんないことを言ってしまうとギターの壁のないシューゲイザー的な音楽、というかMy Bloody Valentineの「Loveless」の中の数曲とか4ADから出ていたSwallow

Blow

Blow

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(このたとえが伝わる人はあんまり若くないかもだが)を彷彿とさせられるのだが、それよりもまとまって心地よいところには決して落とし込まない、という何等かの強い意志を感じさえもする変なコード展開、変なメロディの曲群に度肝を抜かれる。最初はそういった曲の感じなのにどこまでも彼女のヴォーカルをフィーチャーした音作りにびっくりしていたのだけれども、それがだんだんクセになってくるから厄介な音である。全体的に歪みまくった音と曲なのに、関係なく愁いを帯びたヴォーカルがリードしていく、というある意味シンガーソングライター然とした作風は唯一無二。ドリームポップ、とか言えるのかもしれないけれども、若干悪い夢感があって、それが良い、という不思議な1枚。

 

Demeter

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ちょっとご無沙汰しておりました。別に何があった、というわけでもないのですが気がつくと師走になっていて、もう今年も終わりですね。

 

1年過ぎるのが早い早い、という話はさんざんこちらにも書いているのだけれども、最近は1日が、1週間が、ちょっと瞬きしている間に過ぎ去ってしまう。12月1日の日曜日に母と墓参りして、寿司食べて、60年ぶりくらいに会うという後輩の家に母を置いてその間にハードオフ行ったりレコード屋行ったり、とかしていたのだけれどもあれからもう1週間、と12月8日の日曜日には震えたりしていた。あの日買った(正確には買い直した)The Monochrome SetとかNahtとか、まだ全然聴いてもいないのに。

 

まあ瞬きの間に1週間は終わるわけだが、そんな一瞬の間にも色々とあったような気がする。おでんを2日連続で食べたな、ということは確実に覚えているのだが、あとはさっぱり・・・

 

いや、警察に行った。そうだそうだ。

 

私はちいかわ、というものが、まあこれは個人の意見なので聞き流してほしいのだけれどもどうにも大嫌いで、それは設定とかストーリーとかそういうものは関係なくて、あの姿形が本当に嫌いなのだ。そんなちいかわの何かのぬいぐるみが我が家の駐車場の入り口に落ちていて、車の出入りがあるところだから邪魔だな、と車を停めてからちょっと隅の方によけて置いたのだけれども、どうも気になって気になって仕方がない。

 

それは落とした人が、多分子どもだろうと思うけれども、そんな私が全然微塵もかわいいとは思えぬちいかわの中の、更になんか造形が醜悪なキャラのぬいぐるみ(後で知ったけれども、ももんが、らしい)だとしてもおそらく愛着を持って使っていたものだろうし、中にどうもちょっとお金も入っているようなので、もしなんか届を出した時に見つかったら嬉しいだろうな、しかしそれがわけもわからぬ我が家の駐車場の入り口のすみっこの方で風雨にさらされ、朽ち果てていくだけでは、その落とした子どももかわいそうだな、そしてたとえちいかわと言えどもこのぬいぐるみもかわいそうだな、と悩んで悩んで近くの交番に持って行ったのであった。

 

そうしたら夜ということもあって交番はパトロール中で留守、初めて交番の入り口脇の電話から警察署に電話して、近隣の交番から人を派遣すると言われたけれども結局みんな出払っていて無理、明日以降とかでも良いからまた出直してほしい、とか言われてしまった。

 

でも、そんなちいかわを我が家に留め置くのもちょっとな、ということで警察署まで車を走らせ、当直の警察官の人に書類を書いてもらって、とかやって無事に届けてきたのであった。ちなみに中のお金は70円だったのだけれども、30分くらい、半径2キロくらいで済むはずのことが結局2時間近くかかってしまって警察署を出るころには真っ暗になっていて、空腹にもなっていて、なんだか疲れたな・・・、眠いな・・・、と帰宅したのであった。

 

でも、その警察署の暗い駐輪場のところには猫がいて、その子がじーっと伸びをしながらこっちを見ていた。思えば2年くらい前、銀行のATMに置き去りにされていたスマートフォンを交番に届けに行って待っている間も、向かい側の塀の上から猫がじーっとこちらを見ていたのであった。どうも私が落とし物を届けに警察署とか交番とかに行くと、同時になんらかのネットワークの働きによって猫もそこに派遣され、私の行動をきちんと見届けることになっているようである。

 

あいつがちゃんとやっているかどうか確かめるにゃ、よし、やり遂げたにゃ、という会話がネットワークの中で成されて、猫界の中では私の信用度が高まっている、と考えれば別にこれくらいの苦労、なんともない、のにゃ。

 

Sissi Radaの「Demeter In Aexone」を聴いている。

ギリシャ出身、現在はベルリンを拠点に活動しているらしい彼女の、ハープ即興一発録り、というハードコアなアルバムである。これまでの彼女の作品は聴いたことがないのだけれども、このアルバムの写真をJay Glass Dubsが撮っていたり、とそういうコネクションもあったりするみたいでエレクトロニック方面の音作りもこれまではしていたのですな。しかし今作は一切オーヴァーダブとか余計な機材とかはなく、単純にギリシャの彼女のアパートの一室で録音された作品のようである。当然ながら構成はかっちりとしているわけではないのだけれども、単純にハープの響き、そして音の連なりだけでかなり没入できる、瞑想向きの音楽、である。しかしギリシャ神話のペルセポネへのオマージュ、と言われても何がなんだかちょっとよくわからないけれども、夜にぼーっと聴くにはこれほど最適なレコードもないかも。

After The War

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もうそろそろ冬が近い、ということでそうなると私の場合、鍋料理のレシピを増やすことに精を出し始めるのだが、冬の楽しみといえばそれくらいしかないのではないか、と結構本気で思っている。

 

予想よりももっと早いペースでめちゃくちゃになりつつあるこの世の中で(とくに戦争とか選挙とか、とかく争いごとは昔から醜いものだけれども、最近ネットとかの介在で本当に醜悪なものになりつつあるし、その醜悪さを面白がっているような界隈がネット上とかにあることが私は許せない)、もう本当に人間としてのギリギリの何かを保つためには料理しかないではないか。あとレコード。

 

ということで色々と、鍋もののレシピをある時は醜悪なものに成り下がってしまうインターネットとかを美しく使って調べたりして、レシピをストックしているのだが、ふと家の中を見てみると、長谷川あかりさんのレシピ本があった。

彼女のレシピはネットとかで見ていて、色々と参考になるものが多いなあ、という印象だったのだけれども我が家的にもそういう意見だった、というわけで、このような本が家にある、ということはtd家挙げて長谷川あかり推し、と言えるであろう。

 

で、このレシピ本なのだが、発想と言うか着眼点が良いし、あとこれはカレーなのか、という奇想天外なものも多いのだが、カレーの自由さ(そして一方で、インドカレー店の方々のネット上で散見される不自由さ)に関しては色々とこちらも学びを得てきたので、まあカレーであろう、というレシピが多く載っていて面白い。実に面白い。私の好物と言えば白菜(鍋物が好きな理由の一つ)としらす、なのであるが、白菜としらすのカレー、という信じられないものが載っていたので別に水曜日ではなかったけれども先日作ってみて、あっさりとできて、しかも脳みそが裏返るくらいに美味しかったので、今この長谷川あかりさんは我が家で列聖できる存在、とまで言えるかも知れない。

 

しかし彼女の他のレシピ本のタイトル見てみると「いたわり」とか「クタクタな心と体をおいしく満たす」とかそういうフレーズが散見され、なるほど現代って奴は・・・、と思うと同時に、ということは彼女はある意味聖女、と言う感じになるのかな、とかぼんやり思ったのはそれは私も仕事の大嵐は去ったとはいえ、結構クタクタなのかしら。

 

さ、料理の話をしたので次はレコード。「The NID Tapes: Electronic Music From India 1969-1972」がめちゃくちゃ面白かった。

インドのデザイン学校National Institute Of Design(もちろん知らなかったけれども、イームズが設立に関わっていたのか)に存在した電子音楽スタジオのアーカイヴ音源、である。Emptysetのメンバーがアーメダバードにあるこの学校を訪れた際にこの音源の存在を知り、それでリリースに至った、という経緯のようであるが、MoogのモジュラーシンセとかテープマシーンをDavid Tudor(ここの学校で教えたりもしていた模様)がセットアップして作られた音源がここに収められており、当然知った名前はないインドの方々による作品が収められている。しかしそれらはここに収められているDavid Tudorの作品と比しても全く劣らないどころか、かなり過激に電子音が飛び交う刺激的な作品ばかりで、マジでぶったまげる。別にインドだからと言ってインドっぽい音楽、というわけでもなく(あ、タブラ電子加工のめっちゃかっこ良い作品も入ってはいる)優れた電子音楽としてCrampsあたりから出ていても全くおかしくなかったであろう作品集。前オーダーしていたタワレコでキャンセルされて不貞腐れてたら、しばらく経ってJet Setで発見して入手したのだけれども、もっと早くトばされたかったぜ、と心から思う衝撃のアナログ2枚組(D面はかっこいいエッチング)。

There Is A Hot Lady In My Bedroom And I Need A Drink

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そうそう、先週の土日は仕事だったんだけれども旅に出ておりまして、岐阜に行ってきたのであった。

 

とは言え記憶といえば、新幹線、人の群れ、新幹線、人の群れ、バス、レコード屋レコード屋レコード屋、暑さ、遅延する電車と人の群れ、電車、元気な老人たち、電車、レコード屋、電車、大騒ぎする老人たち、朝食会場いっぱいの老人たち、電車、「これぞ田舎」な風景、午前中の地獄、昼の地獄、午後の地獄、「これぞ田舎」な風景、電車、人の群れ、レコード屋&はじめまして、人の群れ、新幹線、人の群れ、新幹線、といった感じなので特にここに記すこともないかなあ、という感じである。まあ上記キーワードから、なんとなく察してもらえれば、という感じである。

 

ただ、今回の旅でこうありたい、と思ったのは、まあまだ老人ではない、という前提で、もし自分が老人になれるのならば元気な老人が良いなあ、ということと、最終一本前の新幹線でもしiPadでゲームをするならば、きちんと通知音が鳴らない設定にして使う人でありたいなあ、ということと、新幹線3人掛けの席の真ん中の席で、ひじ掛けを2つ使って大きく体を伸ばさないような人でありたいなあ、ということであった。

 

あと、またレコード屋ばっかり行って、と思われる向きもあるかと思うのだが、ああそうだよ限られた時間内の楽しみといえばそれしかないからな!と開き直りたいところである。名古屋も岐阜も、レコードが比較的リーズナブルでなんだか感動した。感動して1枚家にあるのにダブって買ってしまった。そろそろヤキが回ったかな・・・。

 

しかしまあ最近、驚くくらい家でレコードを聴いたりする時間とか雑誌すら読んだりする時間が取れなくて、とくに夜、最近全然使い物にならない感じでぐんにゃりとしているもので、軽く引いている。今週末も忙しいので、ちょっと参ったな、と思う昨今であるが、まあヤキも回ってきたところなのでそろそろ色々控えめにしていきたい、と本当に思っているのだった。本当である。でもまたすぐレコード届いたりはするんだなこれが。

 

Terje Rypdalの「The Singles Collection」をこの間名古屋で入手できてうれしかった。

Singles Collection

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ノルウェーのギタリストの89年作、である。タイトルにあるようなシングルのコンピ、ではなくシングル集のようなコンセプトで色々な短めの曲を集めた作品、でこれがまた面白い。私は彼の作品は70年代のものをちょこちょこ聴いているだけなので全然詳しくなんかないのだけれども、このアルバムは存在を知ってから気になっていたのであった。ということで私も昔だったら全然これダメだわ、となっていたであろう、私が好む彼の作品とは全くもって一線を画しまくりの、フュージョン一歩手前、ダサさ一歩手前、というギリギリのところが不思議と実に今聴くと新鮮で、面白い。そもそものコンセプトを考えた上で聴いているからだろうけれども、音色的には80年代の音(あえて)なわけでそこら辺に関して耐性があるかないか、洒落がわかるかどうか、で結構評価も変わるのではないだろうか。私の場合、「これ12インチで出てないのかな」とか(ライナーにもあるような感じで)思ってしまうくらいバグらせられる出来、という印象なわけだが。全編ハードロックばりにギター鳴りまくり、ビートは時にファンキー、バラードもあり、でMaterialとかの延長戦でこういうのがあってもおかしくない、とか夢想できるような音、である。2曲書いているAllan Dangerfieldの弾くシンクラヴィア(!)とか時代を感じさせられるが、それも含めてコンセプトアルバム、として大変楽しめる1枚。ってこのアルバムから実際にプロモで7インチがある、とな?もう何が何だかわからなくなるが、ちょっと欲しいな・・・。

 

 

 

 

 

Ready To Go Home

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まあおそらく仕事的に1年で一番の繁忙期、というか地獄の季節からの出口の光明が何となく見え始めた、と思ったら、急に降って湧いたピンチヒッター仕事のせいで、今週末突如岐阜県に出張することになった。

 

まあこの件に関して色々言いたいことはあるのだが、それはとてもではないけれどもここに書くのが憚られる壮絶な罵詈雑言になるので、さすがに控えようと思う。でも本当にここ最近仕事的に大変だったのでゆっくりしたいお年頃なのだが、そうもいかなくなってしまって絶望したので、マジでここに書くのが憚られるような罵詈雑言を言いたいところである。しかし大人なので控えておこうと思う。

 

しかしこんな差し迫ったタイミングなものだから、ホテルも空いてるところは軒並み高いわ、新幹線の指定席も土曜日の午前中の良い感じの時間のはもう全部「×」だわ、でかなり閉口した。何、何があるのよ、その週末に東京、もしくはその先で民族大移動を起こさせるようなイヴェントって、とげんなりしながらちょっと調べたら、Snow Manが名古屋でドームコンサート、とな・・・。スノーマンといえばレイモンド・ブリッグスの絵本、

そしてDavid Bowieの前フリ入りヴァージョンの映画、


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あーこの映画86年当時に映画館で観たなあ・・・。同時上映の強烈な「風が吹くとき


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と共によく覚えてるし、「2本ともDavid Bowieの映画」という間違った認識をしそうになったりもするよね・・・

 

と逃避したくなるくらい、なかなかハードスケジュール確定の週末になってしまった。しかしながら自分を奮い立たせるために、「岐阜 レコード」とか名古屋乗りかえで時間が取れそうなので、「名古屋 レコード」とか検索しまくったのは言うまでもない。

 

5年前の真夏に名古屋に行った際は、もちろん仕事だったけれどもなかなか楽しかったな、あの時行ったレコ屋も良かったよな、と調べてみたらディスクユニオンができていて、嗚呼そういえばそうだったなできたんだよな、と思い出したけれども、それより何より、バナナレコードが2店舗減って、RECORDSHOP ANDYもなくなってしまっていた。

 

5年前は色々あった年だった。カナダに行ったり検査入院したり名古屋行ったり祖母が死んだり大阪行ったり、とか激動だった。まさに激しく動いていた。で、その翌年、遂に念願のMarc Almond様のライヴをこの目で観た直後からコロナ禍で、なんだかポーズボタンを押されたような感じになったわけだけれども、そうだよな、5年もあればレコ屋も移り変わってしまうし、中古盤の値段も上がっていることであろう。

 

変わらぬのはレコードを買っている人のなんか気合、というか怨念、というか、みたいなものか、と他人のフリしているけどまだ私も、そりゃあ大量にレコード売り払ったりもしているし量も減ったけど、まだ買ってたわな、そういや。

 

そんな2019年あたりから曲作りをBobby Gillespieが1人でアコギを弾きながら始めた、というPrimal Screamの新作を聴く。

Primal Screamというバンドは焦点が定まったり、時代と共振したりする時に凄く良いアルバムを出してくる。今回はその両方で、もしかして今までで一番ビシっと決まったアルバムかも知れない。「More Light」以来久々のプロデューサー、David Holmesの例えばUnloved等の最近のプロジェクトからも意外ではないけれども、冒頭のゴスペル風コーラスからグワっときて、ストリングスや管も大フィーチャーされた、フィリーソウル風、というかサルソウルディスコ風、というか全体的にちょっとヴィンテージ感のあるアレンジが効きまくっためちゃくちゃグルーヴィなナンバー、それと対をなすスローで沈み込むようなダウナーなナンバー、どれも良い塩梅で配置されていて、アナログ2枚にわたってなかなか構成がきちっとしている。もうちょいシャキッとしても良いかな、とか思ったりする瞬間があったりもするのだけれども、それとてグルーヴィなナンバーが今回本当に凄すぎるから、なのだろう。ベースがめちゃくちゃフィーチャーされていてそれが意外に一番の聴きどころだったりもするけれども、弾いているのはJason Falknerで、なるほどDavid Holmesとはもはやセットのようなものなのかもな。歌詞がまたBobby節の世相ぶったぎりもあって、ポリティカル・ディスコ・アルバム、って何かで見かけたけれどもなるほど言い得て妙、である。とぐだぐだ書いているけれども8年ぶりのアルバム、その8年の間の過去の振り返りまくりのリリース(未発表音源とか衝撃の極初期音源コンピとかデモとか)とか30周年ライヴとか、そういうのが続いていたからもう新作とかないのかな、という気持ちになっていたのも確か。で、それをひっくり返してくれる鮮烈なアルバム、というだけで嬉しいのである。父親、Martin Duffy、そしてMark Stewartに捧げられている、というのもまた、ね。