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旧ライフハック心理学

心理ハック

443 『マインドハックス勉強法』が本日発売

お知らせです。
拙著、『マインドハックス勉強法』が本日発売となりました。

私としては初めて出す「勉強本」です。

私が「勉強の本」を書くとなると、どうしても「心理に絡めて」ということになります。心理と勉強は今さらいうまでもなく、けっこう深い関係があります。

ぱっとでてくるところでも、「記憶の問題」があるでしょう。
さらに、「モチベーション」。
「ストレス」。
「時間」。
「継続と習慣」のという行動と心理。

以上にはもちろんスポットを当てたわけですが、ある意味これだけなら、心理の本を適宜応用すれば済みますので、これらを自然と活用されている人々へ、インタビューして実践事例を盛り込んでみました。

著名人へのインタビューではありませんから、実名を出したりは致しませんでしたが、たとえばマインドマップを勉強にどう活用するかといった「マインドハック」の実例として、マインドマップを掲げてみたりもしました。

しかし本書で最も強調したかったことは、「勉強しよう」と決意したときにはあるはずの、勉強の魅力と動機づけが、なぜかくもあっさり失われてしまうか、という点なのです。その心理的カラクリもさることながら、魅力が失われないようにするマインドハックスこそが、私が全体を通して追い求め続けたテーマです。

業務で忙しい中、すでに「勉強している」もしくは「する時間を模索している」ビジネスパーソンを、第一に念頭に置きました。「もう寝るしかないだろう…」「どこに勉強なんかする時間がある!?」という状況に陥ったところで、それでも勉強することの「魅力」を思い起こさせるような「ハックス集」が作れたら、と考えました。

そういう意味を込めて、ツールやサイトの紹介を多目に盛り込みました。どれほど勉強に意味があろうと、あるいは収入がアップできると思っても、面白くもないことを、毎日続けるのは大変です。ぜひご自分にあっ多道具を見つけ、それに触れる快感から勉強が続くというような展開に乗っていただけたら、と思います。

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442 BIG tomorrow (ビッグ・トゥモロウ) 2008年 09月号に掲載されました

pp106-107に掲載して戴きました。
テーマは、「一瞬でやる気人間に変わる!」です。

担当の吉田さんには、いささか専門的な話をうまくまとめていただき、ありがとうございました!

もちろんこのテーマで私が話をさせていただくとなると、やから、大きく逸脱するわけにはいきません。

これらの本で書いたことを念頭に置きつつ、雑誌見開きの「ライフハック」に沿うようなお話をしました。

実は、なんの関係もないのですが、本誌の冒頭で渡辺俊介投手(千葉ロッテマリーンズ)がインタビューされています。渡辺投手のお話が、私の考える「やる気」とリンクしていてとても面白いと、勝手に思いました。

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441 準備不足と先送り

「先送り」をテーマとした本としては、今や、古典に属すると言ってもいいような本書です。「ライフハックス」と「心理学」の境界線上にあるような本書での試みは、私にとってはときどきは振り返りたくなるものです。

「先送りぐせ」を臨床心理士やカウンセラーが扱うというところに、惹かれるわけです。「なにを大げさな」と言われるのを恐れていては、この手のジャンルは職業として成り立たない。
こういうのはやはり、米国の方が取り組みやすいでしょう。日本でこうした取り組みが出てくるには、「海の向こうではこんなやりかたが流行っているんだよ」と言えることが必要です。必要は言い過ぎかもしれませんが、そう言えた方がぐっと仕事になりやすいのはたしかです。

本書では、「先送りの症例パターン」を6タイプに分類しています。

完璧主義
夢想家
心配性
反抗者
危機好き
抱え込み

この6タイプのうち、「反抗者」をのぞく5タイプまでが、「準備不足」あるいは「準備不能」の状態に陥るため、「入念な準備」を求めて「先送り」するという悪循環にはまっています。

完璧主義
たとえば完璧主義だと、準備時間がいくらあっても足りませんから、無限の準備期間を求めて、仕事は先に送られざるを得ません。5タイプ全部に共通していることなのですが、実作業に入ってしまってからでは、もはや「完璧」は望めなくなることが多いからです。
実作業に入ると修正がやりにくくなるため、作業自体は進んでも、意に沿わぬ結果に陥ることが少なくないわけです。少なくとも、完璧に近いイメージを求める場合ほど、そうなりやすいでしょう。

夢想家・心配性
まったく同じではありませんが、夢想家と心配性タイプは、「準備ができないために先に送る」という意味で、どちらも「完璧主義」と似ています。ただ、夢想家は空想の中で準備をするのです。だから、実作業段階まではなかなかたどり着けません。

一方で、心配性タイプは、準備不足を心配します。そのためやはり、なかなか実作業に入れません。準備の仕方が分からないのか、準備する時間が惜しいのかは様々でしょうが、準備せずにいながら不安になるわけです。

危機好きと抱え込み
危機好きと抱え込みはまた少し違います。危機好きタイプは、準備してはいられない状況に入って、作業だけに打ち込まざるを得ない事態を好むのです。事がそこへ至れば、今さら準備不足をくよくよしてはいられなくなるからです。

抱え込み型グズ人間は、著者によれば、「偽善グズ」とも呼ばれます。自分本来の仕事をそっちのけにして、人からの依頼にばかり時間を回して、そして「自分の仕事をやる時間がない」と嘆くのです。しかしこうした人の心理も、「準備が苦手」という事情を考慮すれば、よく分かります。

人からの依頼は、依頼を受けた段階で「準備されたもの」とみなすことができます。結局のところ、実作業に入ってしまえば仕事は進むのです。

「反抗型」は少々特殊ですが、他5タイプはこのように、「準備不足」か「準備不能」ととらえることによって、「先送りせざるを得なくなっている」心理に近づくことができます。この問題に対する対策をひとことで言うなら、「適切な成果を得るための準備を整えること」になるでしょう。その時間をどうやって作るかが、最初に考えなければならないことです。

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440 タスクシュートで仕事に取り組むイメージ

テクラボで大橋悦夫さんが、タスクシュートという時間管理ツールの概念と実際の使用事例について詳しく連載しています。

http://www.pasonatech.co.jp/techlab/time_use/index.jsp

シゴトが楽しくなる!エンジニアのための時間活用術!|てくらぼ|パソナテック(PASONA TECH) via kwout

中でも私自身の感覚として、非常にフィットしたのが次のエントリです。まさにタスクシュートで仕事すると、こうした感覚を常に意識することができます。

そうすると、これ以前の感覚とはどうだったのか?
タスクシュートを今のように日々の仕事から外せなくなったのは、結構最近のことなのですが、それ以前はどうだったのか?

私にとって、これまで仕事にせよ勉強にせよ、「一人で立ち向かっている」という感覚の強いものでした。つまり、下のようなイメージだったということです。

べつに仕事がこのモンスターツリーみたいだったわけではありませんが、感覚的には直線というか階段を上っていって、最後にはRPGのボスキャラと対決する、というイメージが強かったと言えます。

それがタスクシュートを使うようになってから、「私」は「私たち」として意識されるようになりました。この差は何と言っても重要で、次の二つの感覚が同時に手に入ったのです。

・「私」は何人もいるのだから、今日のノルマを絶対視する理由はない
・「私」は「私たち」の一人だから、その一角を担う責任果たさなければならない

こうした感覚は以前には明らかに、全くなかったものです。明らかにこれはとらえ方の問題で、「私」が一人であることは今でも明らかです。それが今日、明日、明後日と仕事に取り組んでいくことに違いはないのです。

しかし、連日作業予定と作業実績を書き込んで行くにつれ、あてになる時間帯に、ムリのない量を割り振れば、「私」は存外信頼できるものだ、ということがまずわかりました。

それなら時間軸に沿って「私」は複数いると考えてもかまわないわけで、「私たち」が締め切りに間に合うように協力するなら、「私」が今やらなければならない義務は軽くなると同時に、その重くない義務を果たす限り、「私たち」全体の仕事は必ず完了する、ということも、常に意識できるようになったわけです。

この流れは、次のようにまとめられます。

  1. タスクは必ず微分する
  2. 微分されたタスクそれぞれに複数の「私」を割り当てる
  3. タスクの成果を積分する
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439 「やりがい」について チクセントミハイの分析より

「やる気を出す」ということと「やりがいを感じる」ということは、確かによく似たところもありますが、本来分けて考えられるべきものだと私は思っています。後者の方がおそらく、本当に人が求めるものです。

本当に人が求めるものの研究は、いかにも心理学に向いているようですが、実はあまり心理学で研究されていません。極めて著名なところで、今回とりあげるミハイ・チクセントミハイの「フロー体験」と、だいぶ古いですがエイブラハム・マスローの「至高体験」があります。

エイブラハム・マスローは、人は「自己実現」を求めて生きていて、自己実現に近い人ほど頻繁に「至高体験」という、耐え難いほど強烈な喚起の体験を経験しているという、事実なら今でも斬新と思える調査結果をまとめました。

ミハイ・チクセントミハイは、ダンス、バスケット、チェス、外科手術などは特に、非常に没頭しやすい活動で、それらの活動を人が好むのは、「フロー 体験」 を得る機会がたくさん持てるからだと指摘しています。この中で「外科手術」だけは、「フロー体験を得る」ために行われては困るのですが、必要に応じて行う 活動(つまり一般的な仕事)であっても、フロー体験を得る機会をもたらすという意味では、興味深い発見です。

「フロー体験」はチクセントミハイの造語ですが、説明的には「自己目的的活動」でしょう。「自己目的的活動」つまり、「活動それ自体を行いたいことが動機になる活動」は、「内発的動機づけ」の概念と重なる点が非常にたくさんあります。

ここで私の興味はどうしても、「フロー体験」をたくさん体験したければ、どういう活動を行ったらいいのか、という点です。簡単に言えば、どんな活動に、私たちはやりがいを感じやすいのかということです。

チクセントミハイは「限定的」という留保をつけながらも、フロー体験にはおおよそ次のような共通因子が見て取れるといいます。

1 友情とくつろぎ
2 危険と運
3 問題解決
4 競争
5 創造

これらの因子を見ると、すぐに次の共通要素が見つかります。「現実に対する自己原因の実感」です。何らかの現実に対して、自分が影響を与えていると 共に、 その影響を与えることは、それほど容易でないという感覚がえられること。それが「やりがい」の要素として欠かせないということが見えてきます。

危険と運はギャンブルという形でこの要素をもたらしますし、問題解決は言うまでもありません。競争も同様です。創造は特に、自分が原因とならないな らば、 現実そのものが存在し得ないでしょう。友情とくつろぎだけは、そこまで能動的でなくても成立しますが、自分が存在していないも同然の、しかし親密な交友関 係というのは、あっても極めて珍しいと考えられます。

もちろん、危険と運一つ取ってもわかるとおり、「やりがい」には「かなりの成算」が欠かせません。人が危険なことに挑戦するのは、それがやりがいを 感じさ せると共に、首尾よくやれるという勝算あってのことです。ほぼ確実に破綻する社交や、絶対に勝てない試合や、何もできないとわかっている創造行為などは、 普通「やりがい」を感じさせないものです。

しかし同時に、成算は絶対であってはダメです。そこがギャンブルをギャンブルにしているポイントです。自分はうまくやれるだろうと思うのは欠かせませんが、自分でなくても誰がやっても100%成功するに決まっていると思っていることに、人はやりがいを感じません。

この点はけっこう重要かつ、デリケートな要素だと私は考えています。危険に対する挑戦や創造行為であれば、うまくいかせる自信があるが、絶対ではない、という感覚が大事なのはまちがいありません。しかし、交友関係や音楽鑑賞(くつろぎ)になぜそれが必要なのか。

この点については、また回を改めて書くことにします。この点が、「退屈と飽き」に関係していると私は思うのです。

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