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読者の方とWikipediaの編集者の皆さんへ

 昨日の「10年前に僕が作成した鉄道未成線資料400件がそのままWikipediaにパクられた話 - とれいん工房の汽車旅12ヵ月」というエントリーにいろいろとコメントありがとうございます。はてなブックマークはてなブックマーク - 10年前に僕が作成した鉄道未成線資料400件がそのままWikipediaにパクられた話 - とれいん工房の汽車旅12ヵ月」にコメを残していった方も感謝します。
 前回の最後に

「参考文献」として上げれば、資料やデータをそのまま丸写ししてもいいのでしょうかね。手入力でやればもお咎めなしなんですね。(中略) 著作権とかには詳しくないんですが、文章ではなく、こうした資料というのはコピペしても問題ないのですかね。

と書きました。
 他の方のご意見を聞いていても、やはり争点は、

  • 私の作成した「資料」が「編集著作物」に該当するか否か

というところのようです。
 拙著「鉄道未成線を歩く (私鉄編) JTBキャンブックス」の「大正・昭和期における未成鉄道の失効路線一覧」という「資料」が「編集著作物」かどうか。これは僕自身が立証する事柄なのかどうか分かりませんが、以下の側面だけは「資料」の制作者として主張させていただきます。

「大正・昭和期における未成鉄道の失効路線一覧」について

  • 「備考」欄に記した情報は、元資料をそのまま引き写したのではなく、私自身が調査・編集したものです。申し訳ないけど、これは他人様の資料と一緒になることはありえないですね。
  • 「年月日」には公文書で一般的な元号表記ではなく西暦表記を使い、また「距離」項目で原資料でマイル表記(1930年まで)となっているものをキロ表記で換算したのも私の判断です
  • 路線の「区間」表記は、現資料では都道府県名や郡・市町村名、一部では字名まで記載されていましたが、スペースの都合で一部を省略しています。また、読者の参考とすべく駅名や現在の市町村名などを補遺しています
  • Wikipediaの当該項目については拙著以外に参考文献が掲げられていませんでした
  • また、当該項目には、当方の作成資料以外の情報がほとんどありません(あったとして「備考」欄の言葉の修正とか)

 それが「創作性」に繋がるかどうか。Wikipediaの編集人の方々がそれをどのように判断するのかは興味があります。
 なお、当方の「資料」が「編集著作物」に該当しない「リスト」と判断された場合、

  • その当該記事の中に、当方の資料しか存在しない点
  • 当方制作資料が言及なしで修正されている点

についてどう判断なされるのか。つまり、「引用」の条件を著しく逸脱している点をどう考えるのか興味があります。
 あと、
ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありません 」という項目に「統計の過剰な記載」という記事があります。当方の資料が「編集著作物」にあたらないとされた場合、その方針とはどのような整合性がとられるのでしょうか。

未成線」という言葉に関する明確かつ公知な定義

 なお、
Wikipedia:削除依頼/未成鉄道の失効路線一覧 - Wikipedia
でも、「問題の表が編集著作物と言えるかどうかが記事の存続と削除の分岐点になります」という考え方で議論がされているようです。
 ここで、

この表は「日本の未成線」という明確かつ公知な定義にしたがって作成されています(中略)定義が明確かつ公知である以上、時間と労力さえあれば誰がやっても同じようになる性質のものです。したがって、素材の選択については創作性がないと判断します。

との意見がありました。
 「未成線」と名の付く商業本をこの世で初めて刊行した著作者の立場で説明させていただきますと、「未成線」という言葉には「公知な定義」はございませんでした。
 「未成線」とは未完成の鉄道路線の略称と了解されていますが、鉄道趣味者も含めて一般的に通用する言葉ではありませんでした。平成期になって鉄道趣味書が「未完成の鉄道路線」の呼び方として使うことで、初めて趣味人の一部の人間の間でその言葉が知られるようになりましたが、拙著が刊行された際にも(未成線知名度が低いため、拙著の制作時は別な名前を仮称としていました)、そして今でもまだまだ一般的な用語とは言えません。
 「未成線」とは、主に監督官庁であった鉄道省運輸省、そして鉄道会社の間では了解されていた言葉でした。「主に工事施行認可を受ける前の免特許線に対して使われていた」「近年、鉄道マニアの間でも知られるようになった」「国鉄の未完成路線を『未成線』と呼称するのはあまり正しい表現ではない」などの状況を指摘し、定義付けをしたのは私です。
 定義が明確かつ公知であるとは言えない状況で、拙著p.4にて「主に工事施行認可を受ける前の免特許線に対して使われていた」と「未成線」の狭義での使われ方を説明しております。その上で、未完成のまま失効した免特許線のみをリスト化した「大正・昭和期における未成鉄道の失効路線一覧」が生きてくるのです。拙著p.190での資料解説とそれらは一体化されていました。

ウィキペディア日本語版の管理者兼チェックユーザー係を名乗る方へのメール

 17日の夕刻にウィキペディア日本語版の管理者兼チェックユーザー係を名乗る方からメールが来ていました。

  • 今回の件について、どのような対応を求めているのか

という主旨の問い合わせです。


 上記で紹介して"「資料」の制作者として主張"とあわせて、以下の対応を求めました。

            • -

 Wikipedia:削除の方針を閲覧しましたが、かなり分量が多くてどのように応えればいいのか迷いました。
 以下、僕の個人的な希望を述べます。

  • 1. 2009年10月20日 (火) 01:15以前の記事にある資料を全て削除してください
  • 2.「未成鉄道の失効路線一覧 - Wikipedia」というページの存廃については特に希望しません。当方作成の資料に依拠した情報が抹消されると何も情報が残らなくなりますが、その後どうなされるのかまでは関与しません
  • 3.謝罪などは不要です。ただ、記事を存続するにしても、削除するにしても、なぜそのような判断をしたのか説明はしてください

 Wikipediaに優れた記事が存在するということは承知しています。私もいろいろ参考にさせてもらったことがあります。様々な編集によりよりよいものになっていつた記事もいくつか知っています。ただ、「記事の充実」というのは新しい情報を広く集めていくだけではないと思います。
 さらによりよい記事で楽しませていただけることを期待しています。

                • -

 これに対して先ほど返信が届いていました。
 今後しばらくはWikipedia:削除依頼/未成鉄道の失効路線一覧 - Wikipediaでの議論に委ねようと思います。


 最後になりますが、改めてコメとブクマをいただいた方に感謝します。みなさんのご助言、あるいは感想を拝見することで、いろいろと頭の中が整理されました。どのような形でWikipediaに要請すればいいのか迷っていたのですが、ある意味、ストレートに対応を求めることができました。
 Wikipediaに直接乗り込んで削除依頼と権利保護を訴えるべきだ、とのご意見をいくつかいただきました。ただ、僕は彼らの論理に精通していないし、同じ土俵で議論すればたぶん感情的になるだろうと思い、しばらく様子見をするつもりでした。Wikipediaの事情に詳しい読者の方に相談したいと思っていたのですが、反応は想像以上でした。
 前回のエントリーの返信コメにも書きましたが、もともと、この「とれいん工房の汽車旅12ヵ月」という日記(ブログ)を始めた四年前、今回話題にした「大正・昭和期における未成鉄道の失効路線一覧」というリストをエントリーに載せるつもりでいました。この日記に、日々の記録と共に、過去の同人誌を含めた拙著の記事やデータを公開するつもりでいました。自分の知り得た情報はぜひみんなに知ってもらいたいし、もっと未成線に興味を持つ人が増えてくれると嬉しい。僕の自意識は「鉄道ライター」じゃなくて、「鉄道マニア」だから。
 たとえば、「西武鉄道新宿線と池袋線を結ぶ連絡線計画(その1) - とれいん工房の汽車旅12ヵ月」と言う記事は、「鉄道未成線を歩く 私鉄編」本編においてスペース的に扱えず塩漬けしていたネタを5年後に記事としてエントリーしたものです。
 「大正・昭和期における未成鉄道の失効路線一覧」については、覚えたてのはてな記法を駆使して全体の3分の1くらいは準備したのですが、やはりブログに載せるというのは微妙なところがあるわけで(レイアウト的にキツくなります)、そのまま放置していました。
 ならば、パクられようがなんであろうがいいじゃないの、なのかもしれません。ただ、ゴメンなさい。自分じゃなくて他の方が勝手にアップされた記事には違和感が残ります。

著作権が侵害されたどうのこうのというより、文章の書き手としての「仁義」や「マナー」はどうなんだろうか。そちらの方が気になります。

と最後にまとめた意味は、そこらの複雑な感情が入り交じっているのです。
 私は幸いネットにアクセスできる環境にありますし、「はてな」という一種特異なコミュニティーで日記を書いていたので、Wikipediaという存在に対抗する手段を確保することができました。ただ、文献の作成者には、自分の文章や資料がネットで使われていることに気付かないことも少なくない。そこらへの配慮をお願いしたいなあと思います。
 上では僕の権利の主張っぽいことを書きましたが、これらの本も別に僕1人で書き上げたものではないです。中川浩一、青木栄一、和久田康雄ら先人の蓄積した情報があり、それを読んだ上で僕なりの視点で本を書き上げていったわけです。それって商業本だけじゃないですよね。同人誌でもネットでもWikipediaでもなんでもそうですよね。先人の研究や報告があるからこそ、後学の者もさらに深いところまで辿り着くことができる。
 残念ながら、そうした先人の研究や報告を軽視する傾向が最近は目立ちます。Wikipediaやネットだけではありません。僕の守備範囲である鉄道趣味に関しては、商業出版される本にもアイデアや豆知識の安易な再利用が目立つような気もします。本が売れないからなのかもしれませんが、なんとかならんのかなあ、と常々思っているのですが、それはまた別の話。