時計のトレンドをうかがえば、日本の高い技術力を生かしつつ、和の美意識を表現した製品が次々と発表され、日本人のみならず、海外の時計ファンの間でも大好評を博していることがわかります。それは老舗セイコーも同様で、なかでも自社開発の機械式ムーブメントを使い、世界に向けてジャパンメイドの時計を発信し続けているブランド「プレザージュ」は、そうした取り組みを代表する存在と言えるでしょう。
つややかな黒漆文字板×きらめくベゼルの対比が美しいセイコー「プレザージュ クラフツマンシップシリーズ 漆ダイヤルモデル SARH001」。公式サイト価格は243,100円(税込)
本連載では、その「プレザージュ」のなかでも有田焼、琺瑯(ほうろう)、七宝、漆(うるし)といった、日本の伝統工芸を文字板の仕上げに取り入れた人気コレクション「クラフツマンシップシリーズ」から、去る2024年10月11日に発売され、レギュラーモデルとして展開されている話題の「漆ダイヤルモデル SARH001」を取り上げます。
本作の主な特徴は2点。1つはシリーズ初のGMT機能搭載という点です。GMTとは、時差がある2つの地域の時刻を同時表示するワールドタイム機能のうち、GMT針(24時間針)が24時間目盛りを指し示して第2時刻を知らせるタイプのこと。近年、ビジネスやトラベルのグローバル化、インターネットの発達などで、ワールドタイムは最も求められる付加機能とされ、GMT搭載モデルも時計各社が積極的にリリースしています。
秒針(鏡面仕上げ)とスペード型のGMT針(サテン仕上げ)の金色が漆黒に美しく映え、視認性を高めています
こうした時宜を得て誕生した本作では、文字板外周の24時間表示まで長く伸ばされたGMT針が時針とともにスペード型にデザインされており、これが秒針末端のC字型の装飾ともあいまってフェイスにクラシカルな味わいを添加しています。加えて、そのGMT針と24時間表示、秒針などに取り入れられた金色が背景の黒に際立って視認性を高め、かつ漆文字板と実に優美に調和。時分針や立体的なバーインデックスの白色も黒とのコントラストを最大化することで、この時計の表情をいっそう引き締まったものに見せているのです。
そしてもう1つの特徴は、これはもう言うまでもなく、日本の伝統工芸である漆塗りで仕上げられた文字板です。漆とは「ウルシ」の樹液を加工した塗料のことで、その利用の始まりは古く、なんと縄文時代以前なのだとか。当時は塗装や装飾のほか、石斧と握り手の接着などにも使われていたそうです。やがて、その高い耐久性から椀や皿といった器などに多用され、防腐性や殺菌作用をもつことから、家具や楽器などの仕上げや装飾にも取り入れられました。
金沢漆器の技術により、つややかな漆黒に仕上げられた文字板は大変美しく、その表情はラグジュアリーです
こうして人々の暮らしとともにあり続け、ときに芸術作品として讃えられて権力者や好事家らに珍重されてきた漆工芸ですが、このうち、本作においては、金沢漆器の技術が採用されています。この伝統技術で施される蒔絵は、安土桃山文化に端を発するきらびやかさと繊細さを見せ、しかし、素朴さも感じさせるという点で京都漆器などとはまた異なる味わいをもつ、金沢を代表する伝統工芸と言えるでしょう。
この漆文字板では、その開発と監修を漆芸家の田村一舟(たむら いっしゅう)氏が担当しています。田村氏は世界に類を見ない独自の細密技法を生み出した金沢漆器の名匠であり、漆器のみならず、たとえば高級万年筆や腕時計などの製品にあしらった蒔絵などは、その精緻な美しさから世界的に高い評価を受けているのです。
田村一舟氏は1957年、石川県加賀市山中にて祖父が蒔絵職人、父が漆職人という家庭に生まれ、後に加賀蒔絵の本流を継ぐ巨匠、清瀬一光師に師事。漆工芸を海外に広く知らしめることにも尽力する漆芸家です
漆文字板の開発において、田村氏は美しい漆黒を表現するべく、たとえば下塗りの焼き付けにおける温度と時間に試行錯誤を繰り返し、また、文字板に最適な厚みをもたせるのに適切な研ぎ方や漆の重ね方を見出すのに数か月を要したそう。いっぽう、全工程に約3週間を費やすという生産においては、下塗り〜上塗りまでは他の職人に任せているものの、擦り漆や呂色(ろいろ)仕上げ(ツヤ上げの一種)といった最も重要となる工程は、田村氏がみずから手掛けています。
金属と漆を直接結び付ける革新的な製造手法と、平滑面を生み出す古来伝承の技を組み合わせたうえで、熟練職人たちが「研ぐ→塗る→乾かす」という一連の作業を繰り返すことによって生み出される、この黒文字板からは、漆独特の上品なつややかさと奥行きある繊細な表情が醸し出され、見る者の目をくぎ付けに。その吸い込まれるがごとき無比の美しさが、本作の真価を決定づけていることは疑いありません。
本作のいちばんの魅力が漆文字板にあることはもちろんですが、それを取り囲むベゼルの鏡面が光の移ろいにともなって鮮やかに変化するさまもまた、実に美しいものです。これが漆文字板の光沢と交響して、この時計をより個性的な存在に見せているのだと思います。なお、そのベゼルやケースに採用されている「ダイヤシールド」はセイコー独自の仕上げの一種で、日常使いによってもたらされる擦り傷や小傷から、時計本来の美しい輝きを守るための表面加工技術です。
ケースバックからは自社製自動巻きムーブメント「6R54」の繊細な動作が目を楽しませてくれます
バンドはセイコーのオリジナルで、素材はカーフスキン(カーフレザー)。カーフとは生後半年以内の仔牛のことで、その革質は「キメが細かい」「しなやか」「風合いに品がある」「トラ(折れジワやたるみジワ、血筋などによって革表面に現れる筋状痕)や傷、虫喰いが少ない」「流通量が少なく、希少で高価」などが特徴です。本作の革バンドには、そのプレシャスな革を、表材のみならず裏材にも用いており、したがって手首に装着した際、この革ならではのしなやかさ、当たりのやさしさが実感できるのです。
表のみならず裏面にもカーフを贅沢使用。肌に寄り添うかのようなタッチ感が心地よい革バンドです
ちなみに、このバンドのカーフはLWG(Leather Working Group)が認定するタンナーが製革した素材となります。LWGは2005年、製革や皮革加工、輸送、販売、利用など皮革関連全般において持続可能なビジネスを提唱し、その拡張を図るべく設立された国際組織。この団体によるLWG認定は、「製革・加工の工程で使用禁止物質を使わない」「排水処理を実施している」などの取り組みを行うメーカーや工場、団体などに付与されています。
今回はビジネスシーンでの使用を想定して試着したのですが、これにより、本作のプレーンで端正なたたずまいがドレッシーなビジネススタイルにまったく違和感なく合うことが確認できました。しかも、つややかでありながらも過剰でないエレガントな漆の光沢が、ありきたりな黒文字板の時計と一線を画すものにし、この時計を大人の手元にふさわしい存在にしています。
漆の深みあるつややかさ、ベゼルのきらめき、カーフの端正な風合いがあいまって、大人らしい手元を演出します
もちろんシンプルで、てらいのないフェイスとあってビジネスのみに寄らず、オフシーンではきれいめなカジュアルに合わせて使用できますし、ケース幅40.2mmは多くの人の腕に自然となじんで見えるはずで、こうした意味からも汎用性の高い時計なのだと思います。また、肌なじみのよいカーフバンドの採用もあって装着感にストレスはなく、終日の着用でも快適というのも高評価です。
黒の神秘を湛え、奥行きを感じさせる光沢を表す漆文字板の美しさと、GMT機能の搭載や高い視認性、快適な装着感といった実用性も兼ね備えた本作は、末永く使用でき、年月とともに愛情を深めることのできる、まさに一生モノと呼ぶにふさわしい傑作です。しかも、漆文字板の製作など、高い技術をもって手間暇を費やして製作されていることを考えれば、これは価格を超えたバリューの、買って損なし&使って後悔なしの超お値打ち時計なのだと確信しました。
【SPEC】
セイコー「プレザージュ クラフツマンシップシリーズ 漆ダイヤルモデル SARH001」
●駆動方式:自動巻き式(手巻き付き)
●キャリバー:「6R54」
●パワーリザーブ:約72時間(最大巻き上げ時)
●付加機能:24時針(デュアルタイム表示)、秒針停止、日付表示
●防水性能:日常生活用強化防水(10気圧)
●耐磁性能:あり
●風防ガラス:内面無反射コーティング加工デュアルカーブサファイア
●文字板表面加工:黒漆塗り
●ケース材質:ダイヤシールド加工ステンレス
●ケースバック:シースルーバック(ステンレス×ガラス)
●ケース幅:40.2mm
●ケース厚:12.4mm
●バンド材質:カーフスキン
●中留め:ワンプッシュ3つ折れ方式
●総重量:87.0g
写真/篠田麦也(篠田写真事務所)