起工日 | 昭和13年/1938年8月2日 |
進水日 | 昭和14年/1939年3月24日 |
竣工日 | 昭和15年/1940年1月20日 |
退役日 (解体) | 昭和45年/1970年 |
建 造 | 佐世保海軍工廠 |
基準排水量 | 2,033t |
垂線間長 | 111.00m |
全 幅 | 10.80m |
最大速度 | 35.0ノット |
航続距離 | 18ノット:5,000海里 |
馬 力 | 52,000馬力 |
主 砲 | 50口径12.7cm連装砲 3基6門 |
魚 雷 | 61cm四連装魚雷発射管 2基8門 |
次発装填装置 | |
機 銃 | 25mm連装機銃 2基4挺 |
缶、主機 | ロ号艦本式缶 3基 |
艦本式ギアード、タービン 2基2軸 |
- 帝国海軍史に堂々君臨する不沈艦 雪風
- 機動部隊の栄枯盛衰 ガダルカナルの攻防
- 強運艦の片鱗 危険な輸送を耐え凌ぐ
- 第十六駆消滅 雪風は味方を食ったのか
- 熱望した水上戦でも敗北 レイテは海軍の墓場
- 撃退の好機は臆病風に飛ばされる 悲哀信濃の処女航海
- 敗北すれども我勝てり
- 駆逐艦丹陽としての中華民国での余生
- 雪風沈む 返還運動の表裏
- 謎の沈没船 TARUSHIMAMARU
- 雪風を雪風たらしめたもの
帝国海軍史に堂々君臨する不沈艦 雪風
駆逐艦の中では文句なし、帝国海軍艦艇全ての中でも五指に入るほど有名な【雪風】です。
主力駆逐艦であった「陽炎型」、それに準ずる戦力であった「朝潮型」、「陽炎型」と同等クラスの「夕雲型」。
主戦場に優先的に動員されたこれら合計48隻の中で、終戦まで生き残ったのはこの【雪風】のみ。
海戦に不参加だったわけでも、常に逃げ腰だったわけでもなく、他の駆逐艦と同様に必死に戦い続けていました。
そして【雪風】のすごいところは、最初から最後まで一貫して戦力だったところです。
終戦時に残存していた艦艇は他にも何隻もいましたが、そのほとんどが損傷状態、または戦時中に長期の修理を行ったり、出撃が控えられた時期がある艦でした。
開戦当初から終戦間際まで継続して主戦力だったと言える艦は、他には【利根】【初霜】ぐらいしかいません。
【雪風】はさらに、戦闘に参加しながらもほとんどの戦いを無傷で切り抜け、たとえダメージを受けても小破、直撃弾を受ければ不発弾、襲いかかる魚雷が船の下を通り過ぎるなど、幸運エピソードに事欠きません。
不死身の2隻を「呉の雪風、佐世保の時雨」と称したりもしましたが、その【時雨】も終戦まで猛攻を耐えぬくことはできませんでした。
幸運艦と呼ばれたのは他にも【瑞鶴】や【羽黒】などがいますが、彼女らもやはり終戦前に沈没しています。
彼女らは決して運だけに頼っていたわけではなく、それぞれが誇れる武勲、戦果を立てています。
それでも敗北してしまったのです。
いかに【雪風】が他を凌ぐ豪運の持ち主だったかがわかります。
当然【雪風】も運だけで終戦を迎えたわけではありません。
乗員の練度は非常に高く、戦果を挙げるだけではなくその被害を未然に防ぐ手腕も相当なものでした。
加えて歴代の艦長も優秀な人材ばかりで、乗員の実力をさらに高める力を兼ね備えていました。
日本は、簡単に言えば数と兵器の性能と燃料によって太平洋戦争で敗北しましたが、個人個人の練度は常識はずれなものを持っていた乗員が数多くいます。
【雪風】はそのような乗員を迎え入れ、またそのような乗員を艦内で育てたのです。
【雪風】に限らず、幸運艦と称される船は、ただ運が良いのではなく、自らを助けるための力を持った人材の宝庫であるが故に、幸運も付いてきた船でした。
機動部隊の栄枯盛衰 ガダルカナルの攻防
【雪風】は竣工時には【黒潮】【初風】と3隻で第十六駆逐隊を編成し、第二水雷戦隊に所属していました。
【雪風】は昭和15年/1940年10月11日、帝国海軍最後の観艦式となる「紀元二千六百年特別観艦式」に参加しました。
観艦式が終了した後、新たに竣工した【時津風】【天津風】が第十六駆逐隊に編入。
このままだと5隻編成になってしまうので、【黒潮】が第十五駆逐隊へ転籍し、太平洋戦争にはこの4隻で挑みました。
昭和16年/1941年12月12日、初陣となる「レガスピ上陸作戦」に参加。
ですが第十六駆逐隊は小隊ごとに任務が異なっていて、【天津風、初風】の第二小隊はこの作戦に参加していません。
続いて24日には「ラモン湾上陸支援」に参加したのですが、意外にも【雪風】はこの際に【P-40】の機銃掃射によって重油タンクが損傷して燃料漏れが発生。
さらに安全装置がかかっていたとはいえ魚雷先端にも銃弾がカンカンと命中していて怖い怖い。
意外にも初損傷は非常に早かったのです。
ちなみに重油漏れに関しては、右側に穴が空いていたので、人や物を左に寄せて更に左旋回、タンク内の重油を傾かせてから、一気に木栓を打ち込んで塞いでいます。[3-P30][4-P35]
昭和17年/1942年1月4日、ダバオに停泊していたところを空襲された時は、これを教訓にしっかり爆撃を回避しています。
先の損傷を【明石】に修理してもらっていた【雪風】ですが、事前に飛田健二郎艦長(当時中佐)は空襲を予見しており、機関には火が入れられていたので、早々に始動できたのです。
この爆撃では【妙高】が被弾しているので、雑な爆撃ではなかったこともわかります。
【雪風】がいた場所には見事に爆弾が投下され、この機敏な動きがなければ【雪風】は無事ではなかったかもしれません。[3-P33]
【雪風】は「メナド攻略作戦、ケンダリー攻略作戦、アンボン攻略作戦」と続けて従事します。
アンボン攻略時には黒い楕円形が見えたことから潜水艦だと慌てましたが、実はこの正体がクジラかイルカだったということで笑い話になっています。
アンボン攻略の際は陸軍支援のために2月3日から艦砲射撃も実施しています。[3-P47]
2月には初の海戦となる「スラバヤ沖海戦」に参加。
「スラバヤ沖海戦」は大勝したとは言え攻撃が全然当たらない戦いでして、【雪風】ら二水戦はちょっと安全に戦いすぎました。
【雪風】達駆逐艦の武器といえばもちろん魚雷なのですが、逃げる相手を魚雷で狙うのはなかなか難しく、大量に発射された魚雷は1本も命中しませんでした(当時の魚雷の起爆設定が過敏だったので、命中前に波とかの影響で爆発した魚雷も多い)。
しばらくは巡洋艦の砲撃を眺めながらの追跡です。
【羽黒】の砲弾が【英ヨーク級重巡洋艦 エクセター】に命中した瞬間も目の当たりにしていました。[4-P51]
【雪風】は第二次昼戦で【蘭軽巡洋艦 デ・ロイテル】らとの距離をぐんぐん縮め、敵の砲撃を受けながらも黙って魚雷発射のタイミングを待ち続けました。
実際に発射した距離については諸説ありますが、公刊戦史では8,500~9,000m、『雪風ハ沈マズ』では3,000mとされています。[3-P90]
しかしこの魚雷は敵がその後転舵したために命中することはなく、この後第四水雷戦隊の突撃が始まります。
このように直接的な戦果はありませんでしたが、艦隊全体では【蘭軽巡洋艦 デ・ロイテル】を始め多くの連合軍艦艇を撃沈しており、【雪風】は海に投げ出された敵兵約40人を救助しています。
【雪風】が救助したのは主に【蘭ジャワ級軽巡洋艦 ジャワ】と【英E級駆逐艦 エレクトラ】の乗員でしたが、【ジャワ】の乗員はオランダ人の他にもジャワ島出身と思われる船員が多く、規律も何もあったものではありませんでした。[4-P57]
それに下士官も訊問に対してペラペラ喋ります(下士官は流石にオランダ人だと思いますが)。[3-P106]
一方で【エレクトラ】のほうはさすが英国と言ったところでしょうか、ちゃんと士官を立てましたし、「ジュネーブ条約」を盾にして身分待遇の保証を毅然と求めてきました。[3-P104][4-P58]
この砲術長トーマス・スペンサー大尉から話を聞くと、連合軍側は日本の巡洋艦1隻を撃沈し、1隻を大破させたと認識していたようです。[3-P105]
スラバヤの制海権を手中に収めたところで、輸送が加速する中、そこに横槍を入れてやろうと企んでいる船が存在しました。
【米ポーパス級潜水艦 パーチ】です。
ですが3月2日、【パーチ】は攻撃を開始する前に、海戦の生存者を捜索していた【漣】と【潮】に発見されてしまいます。
慌てて潜航する【パーチ】でしたが、すぐに2隻の攻撃が始まり【パーチ】は重傷を負ってしまいました。
3日になっても【パーチ】の状態は悪いままで、自沈処分も含めて対応を考えていたところで、再び【パーチ】は発見されます。
この3日の【パーチ】発見後は【雪風】が撃沈したことになっていますが、他に【天津風】や【時津風】が【パーチ】発見から攻撃、沈没までの流れに関わっている可能性があり、その最期にも少々疑問が残ります。[3-P108][4-P61][5-P39]
【パーチ】は逃げ切れないと観念して自沈し、【潮】が生存者の救助にあたっています。
その後もニューギニア島やハルマヘラ島などの攻略に向けて支援を続け、「蘭印作戦」の終結など開戦前の計画を達成したことで、4月には進軍は小休止します。
多くの艦艇はこの間に整備を受け、また編成も改められて次の作戦を待ちました。
6月に入り、連合艦隊はミッドウェー島を占領するという壮大な計画を立て、「真珠湾攻撃」以来の大艦隊が太平洋を横断していきました。
ただこの計画内容がダダ漏れで、例えば『雪風ハ沈マズ』では航海士の山崎太喜男中尉がドックの工員から直接、また噂で仲居が話していたと聞き、『奇跡の駆逐艦 雪風』では飛田艦長自身が料亭の女将から「ミッドウェーってどこにある島ですか?」と聞かれたとあり、官民問わず軍に親しい存在の人には広まっていたようです。[3-P127][4-P75]
『駆逐艦雪風』では測距員が【雪風】帰投後に家族と会った際に次の目標がミッドウェー島であることを話したという描写もあります。[5-P42]
こんなザル計画と、連合軍が解読している暗号が合致したことで、万全の迎撃態勢をとっていたミッドウェー島に攻撃隊は阻まれたり、航空機に逃げられたりしています。
それに対してもう一度爆撃を仕掛けようと準備していたところで、敵空母の出現が報告されたことで、機動部隊はてんやわんや。
しかもそこに【SBD】の奇襲爆撃が重なり、あれだけの権勢を誇った【赤城】達は次々と火を噴き出して、「ミッドウェー海戦」はまさかの惨状となりました。
この戦いでは、本戦前日の4日に輸送部隊は【B-17】から空襲を受けています。
なので【雪風】達も決戦の覚悟はしていたでしょうが、はるか先の空母がやられたと聞いても、二水戦にはどうしようもありません。
甲板は真っ赤に燃え盛り、爆弾や魚雷の誘爆が舷側を吹き飛ばし、その穴からは豆粒のような乗員が投げ出されていきます。
【飛龍】だけが健在で、この後死力を尽くして【米ヨークタウン級航空母艦 ヨークタウン】を死の淵まで追いやり、最後は【伊168】の魚雷で撃沈させることができましたが、【飛龍】も返り討ちにあい、これで空母4隻が一気に沈没してしまったのです。
第十六駆逐隊と第十八駆逐隊は救援に向かうように命令されますが、鉄城【赤城】の真っ赤な姿を目にして、本当に負けたんだと愕然としたことでしょう。
楽勝ムードをぶち壊した「ミッドウェー海戦」ですが、これはアメリカと戦うということがどれだけ愚かであるかを身をもって知る序章に過ぎません。
6月23日、菅間良吉中佐が艦長に就任。
そして7月14日、機動部隊の半壊によって部隊は再編され、機動部隊護衛の第十戦隊(第三艦隊所属)が組織されます。
第十六駆逐隊は二水戦からこちらへ移り、【翔鶴】【瑞鶴】が中心となった新生機動部隊に付き添うことになります。
戦争が新しい局面を迎えたのは8月でした。
【雪風】と【時津風】は、トラック島にいた【明石】と大破中の【最上】を護衛して日本に戻ることになっていました。
ところが帰投中の7日、連合軍が一気にガダルカナル島に上陸。
ルンガ飛行場はヘンダーソン飛行場と名前が変わり、連合軍の侵入を抑えるはずだった航空基地(まだ未完成)は、突然敵の上陸を護衛する大きな砦に成り代わったのです。
日本に戻っている【雪風】が「ガダルカナル島の戦い」に加わるのは少し先で、国内にいる間は【飛鷹】【隼鷹】【瑞鳳】の三改装空母の訓練に付き合っていました。
そして9月4日、改装されたばかりの【雲鷹】を護衛して横須賀を出港。
すでに鼠輸送が始まっていた時期ですが、第十戦隊の【雪風】はその役目を受けず、偵察や護衛など、少し控えめな活動でした。
しかし10月12日には【天津風】とともにガダルカナル島横のヌデニ島にある水上機基地を艦砲射撃しています。
本格的に関わった戦いと言えば「南太平洋海戦」です。
とにかくヘンダーソン飛行場が諸悪の根源なので、こいつをどうやって陸海で協力して取り返すか、これを中心にこれまで戦ってきたわけですが、制空権内への輸送と、敵制空権への輸送では雲泥の差があります。
鼠輸送に代表されるように日本の輸送は軽量少量に悩まされ、盤石の装備を備えているアメリカの防御陣を切り崩すのは至難の業でした。
なので陸軍の進軍計画はしょっちゅう延期され、機動部隊と航空艦隊との連携もうまくいかず(10月21日の予定が26日にまで延期)、南下しては北上し、南下しては北上しての繰り返しでした。
そして26日、ようやく総攻撃が決まり、「南太平洋海戦」が始まります。
【雪風】は当初は【瑞鶴】の護衛についていたのですが、【瑞鶴】が運良くスコールの中に逃げ込むことができたので、【翔鶴】の護衛に加わりました。
その【翔鶴】ですが、【瑞鶴】とは対照的に次々と急降下爆撃が行われます。
各艦の機銃が熱を帯びますが、それらや【零式艦上戦闘機】を振り切った【SBD】がどんどん爆弾を投下します。
数発は回避できましたが【翔鶴】はついに被弾し、その後大破するまでの被害を受け、満身創痍になりながらも全速力で撤退。
【雪風】は【瑞鶴】の護衛に戻ったのですが、帰還機は敵の猛攻が一発で見て取れるほど酷い有様で、無事に着艦できない機も多数ありました。
なので駆逐艦は不時着水した味方機のパイロットの救出を行いながら、何とか日本は沈没艦を出さずに「南太平洋海戦」を戦い抜きました。
【雪風】の確実な戦果は撃墜1機なのですが、他に敵に見つかる危険を冒してでも探照灯で味方機を空母の位置まで誘導しています。
しかし敵の【米ヨークタウン級航空母艦 ホーネット】撃沈、【米ヨークタウン級航空母艦 エンタープライズ】中破という戦果を上げながらも、アメリカにはヘンダーソン飛行場への圧倒的な火力支援という最大の目的は阻まれてしまいます。
そのため今度は艦砲射撃でヘンダーソン飛行場を沈黙させ、その間に輸送と総攻撃を仕掛けることになりました。
これまでも艦砲射撃は何度も行ってきましたが、一向に壊滅しないヘンダーソン飛行場(アメリカ軍は重機で飛行場を建設していたため、日本が想像するよりもはるかに早く被害を回復していました)を破壊するために日本は「金剛型」4隻を一気に投入し、また【比叡】【霧島】が中心となって挺身攻撃隊が編成されます。
【雪風】はこの挺身攻撃隊に所属してガダルカナル島へ突撃するのですが、それを阻止する米艦隊と激突。
これが近代戦争でも稀に見る大混戦となった、「第三次ソロモン海戦」です。
11月13日、唐突に始まった「第三次ソロモン海戦第一夜」では、【雪風】は【比叡】の左舷前側で警戒をしていました。
ところが右舷側でいきなり砲撃戦が始まり、何が何やらわからないうちに周囲では火災が起こり、爆発が起こり、そして悲鳴が聞こえてきました。
【雪風】は記録では敵艦1隻を撃沈したとなっているのですが、この戦いは謎が多すぎるので何もかもが本当かどうかもわかりません。
【雪風】はこの戦いで【比叡】の副砲による誤射被弾があるようです。
ちなみにこの戦いにおける誤射ですが、直接誤った標的を狙ったケース以外にも、彼我の距離が近すぎて砲弾が通過し、目標のその奥にいる味方に命中するケースもあったようです。[5-P61]
情報を総合すると、【雪風】は【夕立】達が突っ込んでいったことで早速隊列が乱れた一群の中から【米マハン級駆逐艦 カッシング】に対して砲撃を実施。
命中した砲弾は【カッシング】を焼き、炎がより砲弾を集中させました(やがて沈没)。
【米ベンソン級駆逐艦 ラフィー】は【比叡】か【霧島】の砲撃を受けた後、【雪風】が放った魚雷が2本命中したと言われています(【長良】の砲撃かもしれないし、『駆逐艦雪風』では1,000ヤード≒900mと近すぎて撃てなかったとなっているし、どれでもないかもしれない)。
他にも【雪風】は流れ作業のように【米ベンハム級駆逐艦 スタレット】【米フレッチャー級駆逐艦 オバノン】に機銃も含めたゼロ距離射撃で撃ちまくり、損害を与えています。[3-P163][4-P141]。
【夕立】の大活躍が光る「第一夜」の戦いですが、第十六駆逐隊では【天津風】が大破(他2隻は参加していません)、また【比叡】が操舵不能によって漂流しており、この扱いをどうするか、海軍は決断に迫られていました。
13日早朝、【比叡】の周りには【長良、雪風】の他【夕暮】【白露】【照月】【時雨】が集まっていました。
曳航ができればよかったのですが、空襲を恐れて【霧島】達は一旦撤退しており、戻ってくるのは日没後を予定されていて、そして懸念通り夜明けとともに【比叡】は空襲に晒されました。
【比叡】は動くことはできるのですが、ぐるぐる回るだけなので離脱はできません。
空襲により【比叡】は被弾被雷で被害を積み重ねますが、まだ明け方であることから、これからもっと過酷な攻撃があるかもしれません。
【比叡】の救出は非常に困難となりました。
それに伴い、空襲の合間に【雪風】には第十一戦隊司令官の阿部弘毅中将を始めとした司令部が移乗。
ですが偉いさんが乗っている船になった【雪風】は、中将旗を目印に攻撃が集まってきます。
このため【雪風】は至近弾を受けて缶にヒビが入ってしまい、やがて中将旗は降ろされました。[3-P173][4-P149]
結局【比叡】艦長の西田正雄大佐の命令で【比叡】はキングストン弁が開放されて自沈されることが決定。
退艦を拒否して本人が暴れるのを抑え込んで、西田艦長も【雪風】に移されました。
一部の証言では【雪風】の魚雷で雷撃処分されたというものもあるのですが、戦闘詳報にはその記録がなく、最初に雷撃処分を命令した阿部中将も、処分を第二十七駆逐隊に命令しているので、自沈の可能性がかなり高いと思われます(実際に魚雷は発射されず)。
【比叡】の乗員が続々と【雪風、照月】に移っていきますが、その瞬間もまた空襲があり、カッターは爆発の波で大きく揺れました。
主を失った【比叡】の姿を目に焼き付けて、【雪風】達は撤退していきました。
この時またしても敵機の群れが現れて疲労困憊の中また対空射撃が始まりましたが、運良くスコールが発生していたので急いでそこに逃げ込みました。
夜になり、空襲の危険性が減ってから5隻はもう一度【比叡】の元に戻ってきたのですが、その時にはもう【比叡】は海の底でした。
「第一夜」で【比叡】を失い敗北した日本。
【雪風】は空襲による被害で缶の亀裂や発動機の故障など、機関部の損傷があったため、次の作戦には参加することができませんでした。
【雪風】はトラックに向かい、その後【明石】の応急修理を受けて【初雪】と共に【飛鷹】を護衛して日本に戻りました。
そして【雪風】がいない「第二夜」は【霧島】の沈没という結末を迎え、「第三次ソロモン海戦」は敗北。
【雪風】はこの戦いで初めて戦死者を出し、そして「ガダルカナル島の戦い」は決着が付いたも同然でした。
参照資料
Wikipedia
艦これ- 攻略 Wiki
NAVEL DATE BASE
大日本帝國海軍 特設艦船 DATA BASE
[1]戦争アーカイブ「特攻兵器の目標艦に」
[2]BS1スペシャル 少年たちの連合艦隊~”幸運艦”雪風の戦争~
[3]『雪風ハ沈マズ』強運駆逐艦 栄光の生涯 著:豊田穣 光人社
[4]奇跡の駆逐艦「雪風」太平洋戦争を戦い抜いた不沈の航跡 著:立石優 PHP文庫
[5]駆逐艦雪風 誇り高き不沈艦の生涯 著:永富映次郎 出版共同社