起工日 | 昭和3年/1928年11月28日 |
進水日 | 昭和5年/1930年2月27日 |
竣工日 | 昭和5年/1930年11月10日 |
退役日 (沈没) | 昭和19年/1944年4月23日 |
マカッサル海峡 | |
建 造 | 石川島造船所 |
基準排水量 | 1,680t |
垂線間長 | 112.00m |
全 幅 | 10.36m |
最大速度 | 38.0ノット |
馬 力 | 50,000馬力 |
主 砲 | 50口径12.7cm連装砲 3基6門 |
魚 雷 | 61cm三連装魚雷発射管 3基9門 |
機 銃 | 7.7mm単装機銃 2基2挺 |
缶・主機 | ロ号艦本式ボイラー 4基 |
艦本式ギアード・タービン 2基2軸 |
ジョン・F・ケネディ率いる魚雷艇を踏みつぶした天霧
【天霧】は竣工後に【朝霧】【夕霧】【狭霧】とともに第八駆逐隊を編成し、第二水雷戦隊に所属していました。
昭和10年/1935年9月26日の「第四艦隊事件」では僚艦の【夕霧】が艦首を脱落するという大怪我を負っており、【天霧】自身も小破しています。
【天霧】は【夕霧】の艦首を奪い去った巨大な三角波を目撃していました。
太平洋戦争開戦前は「日華事変」や「北部仏印進駐」などに参加しており、昭和15年/1940年の時点で所属は第三水雷戦隊、編成は第二十駆逐隊に変更となっています。
太平洋戦争では「マレー作戦」遂行のための輸送支援を行う馬来部隊として出撃しました。
カムランやシンゴラへの上陸、輸送を行っていた【天霧】ですが、昭和17年/1942年1月26日、【天霧】たちはエンドウで護衛してきた船団の揚陸を見守りながら周辺を警戒していました。
その時、偵察機からの情報で2隻の巡洋艦がこちらに向かってきているという報告が入ります。
実際は【豪V級駆逐艦 ヴァンパイア】と【英S級駆逐艦 サーネット】だったのですが、この報告を受けて【天霧】たちは襲撃に備えて準備を進めました。
やがて日付がかわり、午前4時を回ったところで【第4号哨戒艇】が2隻を発見、その後【吹雪】も同じく2隻を発見し、【天霧】達は敵を撃退するべく前進します。
「エンドウ沖海戦」が始まりました。
【川内】と【白雪】が先頭に立ち、【ヴァンパイア】と【サーネット】に対して砲撃を開始。
奇襲を仕掛けるつもりだった2隻は、それどころか包囲されかかっていることに気付いて、慌てて魚雷を放ちながら撤退を始めました。
魚雷は全て命中せず、【白雪】の探照灯で照らされた【ヴァンパイア】に砲撃が集まり始めました。
【ヴァンパイア】は直ちに煙幕を展開し、視界から何とか逃れました。
この時【白雪】の探照灯も故障で消えてしまい、完全に【ヴァンパイア】を見失ってしまいます。
やがて【天霧】も戦場に集まり、今度は煙幕に逃れることができなかった【サーネット】の追撃を開始。
相手1隻に対してこちらは【川内】と6隻の駆逐艦ですから勝ち目なんてありません。
虎の子の魚雷も外している今、一度捕まったら沈むまで攻撃される他ありませんでした。
【白雪】の探照灯も復旧し、【サーネット】は四方八方からの砲撃によって撃沈されました。
ところがこの【白雪】からの探照灯照射が、見失った【ヴァンパイア】が反撃するために放ったものだと勘違いした【初雪】と【天霧】が、瀕死の【サーネット】への砲撃を止めて【白雪】へ砲撃を行ってしまいます。
突然味方から砲撃を受けることになった【白雪】を目撃した【川内】は、慌てて全体への砲撃中止を命令。
幸い被害はありませんでしたが、暗闇での敵味方の識別は注意深く行わなければならないという戒めが残る海戦でした。
その後も通商破壊、船団護衛と地味かつ重要な仕事を続けていた馬来部隊でしたが、次々と要衝を手中に収めていき「マレー作戦」は終了。
南遣艦隊はいったん本土に引き揚げることになりました。
しかし快進撃の結果、4ヶ月で大筋の計画をほぼ達成してしまったことで、日本はふわふわした展望しか持てなくなり、その結果陸軍と海軍の意見を両方とも叶えるような、戦力を分散させる方向に進んでしまいます。
連合軍の奮闘で「ポートモレスビー攻略」は延期され、そして「ミッドウェー海戦」でも空母4隻を瞬時に失う歴史的な敗北をした日本は、ここで一気にガス欠状態となってしまいます。
これほどの敗北にもかかわらず敵の反攻はまだ先だと高を括っていた日本は、8月の連合軍ガダルカナル島上陸によってようやく焦り始め、ガダルカナル島奪還のために戦力を集中させ始めます。
「ミッドウェー海戦」で戦艦のお供として出撃していた【天霧】は、その後インド洋での通商破壊作戦である「B作戦」のためにメルギーで停泊していました。
ところがいきなりルンガ飛行場を奪われたことで「B作戦」は中止され、急遽【天霧】らもこの地に向かうことになりました。
まずトラック島に向かった【天霧】は、ここからガダルカナル島に上陸する川口支隊を乗せた【佐渡丸、浅香丸】を護衛してガダルカナル島へ向かうことになります。
しかし出撃当日の8月24日、「第二次ソロモン海戦」によって【龍驤】を失った他、敵の輸送を食い止めることはできず、加えて【睦月】が向かっていたガダルカナル島への輸送部隊も空襲を受けて【睦月】と【金龍丸】が沈没するなど手痛い敗北をします。
この結果を受けて敵の制空権の中を輸送船でえっちらおっちら進むのは得策ではないと判断され、輸送船に乗っていた川口支隊は全員第二十駆逐隊に移乗し、駆逐艦だけでガダルカナル島輸送をすることが決定します。
これが最初の鼠輸送でした。
しかしショートランドから出撃していた【海風】【江風】【磯風】との合流地点に向かっていた第二十駆逐隊は、28日に敵爆撃機に補足されてしまいます。
【SBD ドーントレス】に翻弄される第二十駆逐隊は、貧弱な機銃で応戦しますが焼け石に水で、この空襲で2発の直撃弾を受けた【朝霧】が沈没。
さらに【白雲】(3月10日から第二十駆逐隊へ)が機関室損傷で航行不能、【夕霧】も被害を受け、無傷で逃げ切ったのは【天霧】だけでした。
【天霧】は【白雲】を曳航し、3隻はラバウルへと引き返していきました。
第二十駆逐隊で稼働できるのが【天霧】だけとなったので、ここからはしばらく隊を離れた行動となります。
早速9月1日にはガダルカナル島への輸送に再び出発。
この時駆逐艦よりかは遅いですが、重火器類の搭載もできてそこそこ速い【敷設艦 津軽】を伴っています。
この輸送は被害もなく無事達成され、帰り道ではヘンダーソン飛行場へ向けて艦砲射撃も行いました。
これを皮切りに鼠輸送は活発に行われ、場合によっては揚陸を容易に行うために大発動艇を曳航するという手段も取られました。
ですが例え輸送が成功しても敵側はこちらよりも安全に輸送を継続しており、さらに陸上でも苦戦続きで事態は好転しません。
持久戦になると輸送の障害が少ないアメリカ側が圧倒的に有利なのです。
10月1日に第二十駆逐隊は解隊となり、【天霧】は第八艦隊に編入されます。
11日には「サボ島沖海戦」が勃発し、輸送隊の護衛とヘンダーソン飛行場への艦砲射撃を行うはずだった部隊が【古鷹】と【吹雪】を失って敗北。
すでに輸送を終えている【日進】や【千歳】らが危険であることもあって【天霧】や【川内】らはショートランドを出撃します。
ところがこの間に【古鷹】の乗員を救助していた【叢雲】と【夏雲】が空襲にやられており、結局輸送の2隻は無事だったものの一連の動きの中で4隻もの艦艇を失ってしまいました。
間髪おかずに14日に【鳥海】【衣笠】らのヘンダーソン飛行場艦砲射撃の護衛に同行。
しかし効果は薄く、この時別働隊として輸送を行っていた輸送船が3隻沈められており、その後も輸送や砲撃が繰り広げられましたがいずれも戦況を挽回するには程遠いものでした。
11月13日に【比叡】【霧島】を主軸として輸送と艦砲射撃を行う作戦が実行に移されましたが、「第三次ソロモン海戦第一夜」ではその主軸たる【比叡】が沈没してしまいます。
海上勢力は大きく削ぎ落しましたが飛行場は十分稼働していたため、ここからの航空機と【米ヨークタウン級航空母艦 エンタープライズ】からの艦載機が輸送部隊に襲い掛かりました。
【天霧】は【望月】とともに輸送部隊収容隊に属していたのですが、この空襲によって11隻中6隻の輸送船が沈没。
【佐渡丸】を護衛し、乗員を救助しながらショートランドへと引き返していきました。
この「第三次ソロモン海戦」の敗北が決定打となり、日本はガダルカナル島からの撤退を真剣に考え始めます。
それに先駆けて【天霧】は【瑞鶴】や【陸奥】を護衛しながら本土へ帰投し、整備を受けることになりました。
現地に残った駆逐艦達は、今度はガダルカナル島に残る兵士たちをできるだけ救い出す「ガダルカナル島撤収作戦(ケ号作戦)」成功の為に奮闘することになります。
整備中の昭和18年/1943年3月3日、2月25日に編入されたばかりの第十一駆逐隊の一員である【白雪】が「ビスマルク海海戦」で沈没。
不安定な編成が続く中、【天霧】は整備終了後にレカタ基地への輸送を集中的に行います。
ところが5月15日に【夕霧】が【米タンバー級潜水艦 グレイバック】の雷撃を受け、艦首を喪失してしまいます。
【天霧】は【夕霧】を曳航してラバウルまで引き返し、【夕霧】は一命をとりとめましたが、これで第十一駆逐隊は2隻だけになってしまいました。
戦場からは少し離れている北側のサンタイサベル島。
しかし連合軍は6月30日にレンドバ島、7月4日にニュージョージア島に上陸を開始し、レカタへの輸送を行っている駆逐艦たちもこの「ニュージョージア島の戦い」に動員されることになります。
4日に【新月】ら輸送隊がクラ湾に差し掛かったものの、すでに先客が張り込んでいたため、魚雷で【米フレッチャー級駆逐艦 ストロング】を撃沈することはできましたが輸送は断念。
5日に支援隊、第一次輸送隊、第二次輸送隊の3編成で再びクラ湾に突入することになりました。
【天霧】は第二次輸送隊として出撃しています。
しかし支援隊は【米ブルックリン級軽巡洋艦 ホノルル】らの壁に抵抗できず、レーダー射撃によって【新月】が沈没。
【天霧】ら第二次輸送隊は【新月】が敵艦隊を発見したとともに、反転、攻撃を行うように命令があったので、戦場で敵艦隊に対して攻撃を行っています。
しかし【天霧】の魚雷は命中せず、砲撃を行った【初雪】は反撃を受けてしまいます。
幸い不発だったので【初雪】の損害は軽微でしたが、この間に【新月】はすでに通信不能の状態だったため命令もなく、現場判断で輸送に戻りました。
輸送隊は揚陸中に直接的な妨害がなかったため、【長月】が座礁、のち放棄となってしまいましたがそれなりに輸送を達成しました。
戦場では【涼風】【谷風】が形勢不利の中砲雷撃を行っていましたが、見事魚雷が【米ブルックリン級軽巡洋艦 ヘレナ】に命中して撃沈しています。
その【ヘレナ】の乗員を救助している横を、揚陸を終えた【天霧】と【初雪】が通り過ぎたため、【米フレッチャー級駆逐艦 ニコラス、ラドフォード】が攻撃を仕掛けてきました。
レーダー射撃がどんどん【天霧】に襲い掛かり、記録では10発もの被弾があったそうです。
この砲撃で10人の戦死者を出しており、【天霧】はたまらず残っていた魚雷を発射して反撃しますが命中せず。
【初雪】と一緒にとにかくかっ飛ばして逃げ出しました。
ブインまで逃げ切り、その後ラバウルまで下がって応急処置を行った【天霧】は無事だったのですが、残念ながらブインに留まることになった【初雪】は17日の空襲で沈没してしまいました。
一定の輸送は達成された「クラ湾夜戦」でしたが、日本はここにきて第三水雷戦隊司令部が全滅するという一大事に直面します。
さらに12日には第二水雷戦隊旗艦の【神通】が沈んだ「コロンバンガラ島沖海戦」が勃発し、最も実戦型の第二水雷戦隊とそれに次ぐ第三水雷戦隊が1週間で消滅してしまう危機的状況に陥ります。
8月1日、【天霧】はブカ島への輸送隊である【時雨】【嵐】【萩風】を護衛してブインからコロンバンガラ島へ向かっていました。
途中で15隻という数の魚雷艇が次々と現れたのですが、幸い被害を受けることなく追い払うことができ、4隻はコロンバンガラ島に到着、揚陸を完了させます。
輸送を終えた4隻は引き揚げるためにベラ湾を通過してブインを目指しましたが、そこでまたしても魚雷艇が現れます。
ところがいきなり目測1kmという近距離で黒い物が飛び出してきたため、【天霧】は(判断については証言が多岐にわたり不明)結果的にこの黒い物、すなわち【魚雷艇 PT-109】を轢き潰してしまいました。
【PT-109】は戦時量産の木造魚雷艇で、エンジン音を小さくするために低速で移動していました。
そこに突如【天霧】らが現れて、艇内では砲撃準備だの加速だの転舵だの大混乱に陥ります。
結局加速する間もなく【PT-109】は両断され、2名が戦死、艇長含め11名が何とかカソロ島まで泳ぎ切って助かっています。
このカソロ島、通称はケネディ島と呼ばれており、ケネディとは助かった【PT-109】の艇長を指します。
そしてこのケネディこそ、ジョン・F・ケネディ、のちに第35代アメリカ大統領に就任するその人でした。
当時彼は中尉、ちょっと偉いだけの人物だった彼が、18年後にはアメリカのトップに君臨するのです。
【PT-109】を破壊した【天霧】は、衝突や爆発の被害も大きくはなかったものの放置できるほどではなかったため、コロンバンガラ島への輸送は【江風】に交代となり、【天霧】はツルブ輸送だけ行った後にトラックまで引き揚げて修理を行います。
ですがこの間に先日コロンバンガラ島まで輸送を行った【嵐、萩風】、さらに代わりに出撃していた【江風】が6日の「ベラ湾夜戦」で闇討ちされ、何もできずに沈没してしまいました。
怪我の功名というと失礼ですが、【PT-109】に激突したことで【天霧】の寿命は延びたのです。
修理を終えた【天霧】は引き続き輸送任務ばかりを負わされますが、やがてコロンバンガラ島からの撤退が決定するとその作戦にも従事。
11月に入って「ブーゲンビル島の戦い」が始まると、ここへの輸送が急務となったので当然【天霧】もここの輸送に加わることになります。
ですが5日にラバウルが空襲されて【天霧】は小破。
この傷をおしてブーゲンビル島のすぐ北にあるブカ島への輸送に参加し、21日に行われた1回目の輸送は無事に達成されました。
2回目の輸送は24日にラバウルを出撃し、当日夜に無事ブカ島に到着。
今回も何事もなく揚陸は達成され、あとは急いで退却するだけです。
ところが今回はアメリカにこの動きを発見されており、帰り道に何とか間に合った第23駆逐部隊が待ち伏せしていたのです。
【天霧】が難を逃れた「ベラ湾夜戦」同様、レーダーで警戒艦の【大波】【巻波】の位置を確認した駆逐艦はまずこっそり魚雷だけを流します。
そしてそれが命中した後に別の部隊が砲撃を行うという作戦で準備をしており、放った魚雷は寸分狂わず2隻に命中しました。
【大波】は魚雷を受けて轟沈し、まだ抗い続ける【巻波】には別部隊の砲撃が集中して目論見通りこれも撃沈させました。
その警戒艦から少し距離をあけて進んでいたのが、【天霧】【夕霧】【卯月】です。
突然前方で爆音と炎が上がり、すぐさま3隻は敵襲から逃れるために進路を変更し逃走します。
ですが魚雷を放った第45駆逐群がやはりレーダーを駆使してこちらに迫ってきました。
相手は「フレッチャー級駆逐艦」です、10年落ちの「特型」とは性能が違います。
やがて射程に入ったのでしょう、後方から砲撃が飛んでくるようになりました。
速度で負けているのは明らかです。
【卯月】は煙幕を展開しますが、レーダー相手に煙幕は大した効果を生みません。
このままでは全滅か相当な被害を負うのが確実でした。
それを察知したのか、突如【夕霧】が反転し、見えない敵に向かって立ち向かっていったのです。
【天霧】と【卯月】は援護することもできず、ただひたすらに北上、北上。
【夕霧】は3隻の沈没の危機を、2隻の生還という事実で上書きし、沈没していきました。
味方の死はあったものの、「セント・ジョージ岬沖海戦」を生き抜いた【天霧】。
しかし幸運は長く続くものでなく、12月7日に【天霧】は【秋風】に衝突。
修理の為に本土まで撤退することになり、20日に【照川丸】を護衛してトラック島を出発し、まずはサイパンを目指しました。
ところが【照川丸】は21日に【米バラオ級潜水艦 スケート】の雷撃を受けて沈没。
トラック島から駆け付けた【能代】や【隠岐】などのとともに救助活動を行った後、ひとまずトラック島へ引き返しました。
ちなみにこの【スケート】は4日後の25日に【大和】に魚雷を命中させています。
26日に今度は【卯月】とともに【旭東丸、日栄丸】を護衛してトラック島を出撃し、無事パラオまで送り届けることに成功。
翌昭和19年/1944年1月9日に【天霧】はフ901船団を護衛していよいよ呉へ戻るためにパラオを発ちます。
ですがどこへ向かうにも潜水艦の網を潜り抜ける必要があり、フ901船団も潜水艦の網に引っかかってしまいます。
12日に船団の【にぎつ丸】が【米ガトー級潜水艦 ヘイク】の魚雷2本を受けてしまい沈没。
またしても護衛対象を失った【天霧】でしたが、生存者を救助したのち、14日にようやく呉に入港しました。
修理と並行して2番砲塔を25mm三連装機銃2基に置き換えた【天霧】は、3月1日にモタ07船団の護衛に参加して復帰。
この船団は無事に9日に台湾に到着しています。
その後も輸送を何度か行っていましたが、4月23日、【天霧】は【青葉】【大井】とともにやはりシンガポールから輸送の為にダバオへ向かっていました。
ところがマカッサル海峡に差し掛かったところで、突然艦底でとんでもない衝撃が【天霧】を襲います。
機雷に接触し、爆発が起こったのです。
【天霧】は右に15度傾斜し、急いで浸水を抑えようとしますが爆発の衝撃でひしゃげた縦壁や防水扉が上手く作用してくれません。
機関室もやられ、火災も徐々に広まり、さらに燃料に引火したためいよいよ手が付けられなくなります。
ここまで数々の幸運に助けられてきた【天霧】も、ついにこの炎の前に力尽き、やがてゆっくりと沈んでいきました。