前回は、ベル研究所(ベル研)とプリンストン高等研究所の話をさせていただいた。ここで出会った天才たちが現代の情報通信技術に与えた影響の大きさを感じていただけたのではないだろうか。そして、その出会いが偶然に支配されていたことにも触れた。今回は、この「偶然性=セレンディピティー」について考えてみたい。
ここ最近、街中の書店が減りつつあることに憂慮されている方も多いのではないかと思う。今でも紙の書籍が好きで、それをAmazonなどのECサイトではなく、実店舗で買うという方も多い。私自身も時間を見つけて書店に行くのが大好きである。
出版部数の少ない本や業務上必要な特定の本を買うならECサイトの方が便利であり、これを使わない手はない。しかしながら、それでも書店に行くのは、買うつもりがなかった本、あるいは出ていることすら知らなかった本との出会いを求めていると言っても過言ではない。買おうと思っていた本をかごに入れ、その後に書店の中をなんとなくふらっと歩き回って目に入ってきた本、それが自分の偏った狭い視野を広げてくれるような、まさに「蒙を啓く」ような存在になってくれたことは、一度や二度ではない。自分の業務に関する本や趣味に関する本ばかりを読んでいると、どうしても視野偏狭になってしまうのだ。
ECサイトで本を買うと、同じ分野の似たような本を大量にリコメンドされる。そういうアルゴリズムが動いているのである。一つの分野を探求する、あるいは少しだけ周辺分野に視点をずらす。そういう目的であれば、このアルゴリズムは極めて便利であり、全くもって否定すべきものではない。しかしながら、偶然の出会いにはつながりにくい。
情報通信の世界にも、偶然の産物が存在する。古い話であるが、「世田谷局ケーブル火災」の話をしてみたい。1984年、東京・世田谷区の電話局で火災が発生し、8万9000回線の固定電話が不通になるという大きな災害であった※1。
※1:現在でもNTT東日本のウェブサイトには、「過去の主な大規模災害等事例」として、この火災について掲載されている。
そして、その火災が原因で、「混線」が発生した。意図せずに多数の人たちが一つの会話に参加するようなことが起きたのである。もっと現代的な表現を使えば、「電話会議システム」に接続したような現象が、火災によって偶然引き起こされた。そして、その混線を経験した一人が、後に「ハイパーネット」を創業する板倉雄一郎氏であった。板倉氏は、この1984年の混線をヒントに、1989年に電話会議サービスを提供する会社を興した。そしてこのサービスは時流に乗って成長していく※2。
※2:このあたりの経緯や、その後については、板倉雄一郎著「社長失格」(日経BP社刊)につづられており、ここでは立ち入らない。なお、ベンチャー企業の失敗談については、この本に加え、Jerry Kaplan著、仁平和夫訳「シリコンバレー・アドベンチャー―ザ・起業物語」(日経BP社刊)が抜群におもしろい。
偶然※3があるからイノベーションが生まれ、イノベーションをビジネスに結び付けることが、スタートアップあるいは、あらゆる企業の成功に通ずるのではないだろうか。
※3:偶然というと、「発生確率が極めて小さいもの」と認識されがちである。しかしながら、「偶然はそれほど偶然ではない」ということを示したのが、David J. Hand著、松井信彦訳「『偶然』」の統計学」(早川書房刊)である。
そして、偶然という視点で見ると、現在のAIに足りない部分が見えてくる。