加藤泰觚
日本の江戸時代前期~中期の大名。伊予大洲藩世嗣加藤泰義長男で、伊予新谷藩初代藩主加藤直泰養子。新谷藩2代藩主。従五位下出雲守
加藤 泰觚(かとう やすかど)は、江戸時代前期から中期にかけての大名。伊予国新谷藩2代藩主。
時代 | 江戸時代前期 - 中期 |
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生誕 | 明暦2年(1656年) |
死没 | 享保11年2月24日(1726年3月27日) |
戒名 | 万了院殿風外清雲大居士 |
墓所 | 東京都台東区松が谷 海禅寺 |
官位 | 従五位下出雲守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川綱吉、家宣、家継、吉宗 |
藩 | 伊予新谷藩主 |
氏族 | 加藤氏(光泰系) |
父母 |
父:加藤泰義、母:霊光院 養父:加藤直泰 |
兄弟 |
泰觚、泰恒、泰孝、泰実、小出有敬、 池田長久正室ら |
妻 | 正室:妙眼院(織田長頼の娘) |
子 | 泰貫、泰恒、松平信房正室 |
略歴
編集大洲藩嫡子・加藤泰義の長男として誕生。
先代藩主で大叔父の加藤直泰に嗣子が無かったため、寛文9年(1669年)にその養嗣子となった。天和2年(1682年)、直泰の死去により跡を継ぐ。駿府加番に任じられた。
享保元年(1716年)10月12日、病を理由に長男の泰貫に家督を譲って隠居し、享保11年(1726年)2月24日に死去した。享年71。