加藤泰貫
日本の江戸時代前期~中期の大名。伊予新谷藩2代藩主加藤泰觚長男で、新谷藩3代藩主。従五位下大蔵少輔。駿府加番を勤めた
加藤 泰貫(かとう やすつら)は、江戸時代中期の大名。伊予国新谷藩3代藩主。
時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 延宝4年10月25日(1676年11月30日) |
死没 | 享保13年9月21日(1728年10月23日) |
改名 | 大七郎(幼名)、泰貫 |
戒名 | 天祐院殿徹山宗悟大居士 |
墓所 | 愛媛県大洲市新谷町の大恩寺 |
官位 | 従五位下大蔵少輔 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川吉宗 |
藩 | 伊予新谷藩主 |
氏族 | 加藤氏(光泰系) |
父母 | 父:加藤泰觚、母:妙眼院(織田長頼の娘) |
兄弟 | 泰貫、泰恒、松平信房正室 |
子 | 大久保教平正室、泰広 |
略歴
編集2代藩主・加藤泰觚の長男として誕生。享保元年(1716年)10月12日、父の隠居により跡を継ぐ。駿府加番となった。享保12年(1727年)6月3日、従弟で養嗣子の泰広に家督を譲って隠居し、享保13年(1728年)9月21日に53歳で死去した。