加藤泰義
日本の江戸時代前期の武士。伊予大洲藩2代藩主加藤泰興長男で、大洲藩世嗣。従五位下美作守
加藤 泰義(かとう やすよし)は、江戸時代前期の伊予国大洲藩の世嗣。官位は従五位下・美作守。
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 寛永6年(1629年) |
死没 | 寛文8年3月8日(1668年4月19日) |
官位 | 従五位下美作守 |
藩 | 伊予大洲藩世嗣 |
氏族 | 加藤氏(光泰系) |
父母 | 加藤泰興、岡部長盛娘・吉 |
兄弟 |
泰義、泰堅、泰茂、加藤光信室、 大橋重義室、松浦昌正室 |
妻 |
太田資宗娘・奈辺 霊光院 |
子 |
泰觚、泰恒、泰孝、泰実、小出有敬、 池田長久正室ら |
略歴
編集2代藩主・加藤泰興の長男として誕生。
伊予大洲藩嫡子として生まれ、寛永17年(1640年)に徳川家光に御目見した。承応元年(1652年)叙任されたが、家督を継ぐことなく寛文8年(1668年)に40歳で死去した。
代わって次男・泰恒が嫡子となった。