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なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信、№648

船越通信、№648  2025年1月12日(日)  北村慈郎

 

5日(日)は礼拝後、残れる人でお茶を飲んでしばらく懇談しました。その際Hさんのフィンランドのお土産のクラッカー(?)にトナカイの肉(コンビーフのようなもの)をのせていただきました。私はトナカイの肉を食べたのは生まれて初めてでした。トナカイというと、クリスマスのサンタクロースをのせて走るトナカイのイメージが強く、物語の中の動物で、牛や豚のような肉食動物という認識はほとんどありませんでした。めずらしいトナカイの肉をいただきながら、しばらくみなさんと懇談し、12時半ごろ散会しました。その後後片付けをして、私も午後1時11分のバスで追浜に出て、鶴巻に帰りました。

 

年末の29日(日)から5日(日)の一週間はのんびり鶴巻で過ごしましたが、5(日)からの一週間は何だか急に慌ただしくなった感じで、忙しく過ごしました。集会への出席・参加が多かっただけでなく、現在中国上海で生活している、中国人の男性と結婚し一人の男の子のいる紅葉坂教会時代の最後に私が洗礼を施した当時日本に留学していた韓国人の女性から、毎日のように電話がありました。

 

その相談は、一年半前からのもので、昨年10月半ば以降はほとんど電話はなかったのですが、ここにきて頻繁に電話をもらっています。私は、彼女の抱えている問題が何とか良い方向に行くようにと願い、又祈りながら、彼女の話をできるだけ丁寧に聴いて、要望があればそれに応えるようにしています。

 

7日(火)は午後6時からZoomで教区の常置委員会がありました。私も要請陪席者の一人として参加しました。この日は教区総会関係や定例の議題の他に、一人の教師の按手礼志願の件と東北教区から神奈川教区への要望の件が話し合われました。

 

按手礼志願は、この日の常置委員会はZoomでしたが、志願教師と面接した上で承認されました。この日の面接でも、私の戒規免職問題をどう思うかという質問が一常置委員から出ました。

 

東北教区からの要望の件については、その要望の内容をZoomに参加した東北教区の二人の方から伺いことにほぼ終始し、神奈川教区としてのその要望をどう受け止めるかは今後考えて行くことになりました。この日の常置委員会は午後8時を大分過ぎて終わりました。

 

8日(水)は午後6時から大和のシリウス会議室で行なわれた県央共闘会議幹事会に、基地小を代表して出席しました。この幹事会では在日米軍自衛隊関係の行動や事故の報告がはじめにあり、その後今後の取り組みについて等の協議をします。この日は一時間くらいで幹事会を終えました。

 

受付に置いてあった「厚木基地現状と動向2024」というパンフレットを読んで、改めて米軍や自衛隊の飛行機やヘリコプターの墜落の危険性について考えさせられました。このパンフレットの最初にこういう記事が載っています。

 

「🔷墜落一歩手前!離陸直後の緊急着陸」と題してこのように記されています。「ヘリコプターの緊急着陸事故が続きました。(2024年)8月3日には米海軍大輸送ヘリコプターMH53Eが海老名市内の水田に、(同)10月10日には同じ米海軍汎用ヘリコプターMH60Rが茅ヶ崎海岸に。しかも、この2件は、厚木基地を離陸後10~15分後に起きました。

 

/MH53Eは、厚木基地所属のヘリではありません。(同)7月に陸奥湾で行なわれた機雷掃海訓練のため米本国から派遣されていた機です。MH60Rは、厚木基地所属で、第7艦隊の巡洋艦駆逐艦搭載ヘリです。

 

/離陸直後の事故ということで考えられるのは整備ミスですが、これらの機が、なぜ緊急着陸に至ったかは、具体的な説明はありません。

 

/MH53Eは、厚木基地に戻ったものの、自力で帰投できず、大型輸送機で運ばれました。MH60Rは、一週間もたたないうちに訓練飛行を再開させています」。

 

また、昨年11月22日には原子力空母ジョージワシントンが横須賀に入港しました。

 

「米空母は、これまで米国の戦争の先鞭を担い、艦載機が爆撃を行なってきました。多くの市民を殺傷し、市街地・生活基盤を破壊して来ました。また、原子炉を搭載しているので、事故が起きれば関東一帯に被害が及びます。空母艦載機の事故や騒音被害も住民を苦しめています。

 

/しかし、その空母の存在を支えているのは、海軍航空施設としての厚木基地です。厚木基地がなければ、空母の母港化はありませんでした。戦闘機は岩国に移駐した後でも、第7艦隊のヘリ部隊を支える国内唯一の海軍航空基地として、厚木基地は機能しています」。

 

そのように述べているこのパンフレットは、最後にこのような言葉で結んでいます。「厚木基地の整理・縮小・返還を求め、空母の母港化を撤回し、軍事による安全保障から対話による外交に転換しましょう」と。

 

基地をなくし、軍事力ではなく、憲法第9条に基づく平和外交による安全保障を求めて行くことが、ウクライナやガザでの戦闘行為を終結することに繋がっていくのではないかと思います。神奈川教区の基地・自衛隊問題小委員会の一員としても、私はそのことを強く主張していきたいと思います。

 

9日(木)13:00-16:00国会前の辺野古新基地建設反対の座り込みに、2015年になってはじめて参加しました。

 

辺野古では昨年12月に沖縄県から代執行を奪った国は大浦湾へのくい打ちを開始しました。沖縄の民意を無視し、大浦湾の深いところでは90メートルもある軟弱地番に杭を打ち込んで作ったとしても、その機能からしても、滑走路の短さなどの理由で、そもそも普天間基地の返還には至らないだろうと言われ、また軟弱地番の上にできた基地は滑走路の歪みが生まれ、数年ごとに大規模な修理が必要とされるのではないかとも言われながら、国は全く聞く耳を持たずに工事を進めています。

 

この日は私たちの参議院議員会館前での座り込みは3人でした。午後3時から4時までの1時間、この日は官邸の向かいの交差点で沖縄出身者の一人の女性による「土砂投入反対」の座り込みがありました。辺野古で新基地建設が続く限り、今年も私たちの座り込みも官邸前での座り込みも続けて行くでしょう。

 

この日は19:00から支援会の世話人・事務局会のメンバー全員13名によるZoomがありました。主に昨年12月に行なわれた第43総会期第1回常議員会の報告が陪席した事務長のKさんと世話人代表のK牧師からありました。その後関西で5月5日(京都)、6日(大阪)で行なわれる私の支援コンサートの件と、通信第35号の内容と発行時期、そして支援会総会について話し合いました。

 

11日(土)は、13:00-14:30、神奈川県立かながわ労働プラザ会議室で寿地区センターのボランティア交流会があり、それに参加してから船越教会に来ました。

 

ヨハネによる福音書による説教(83)「イエスの葬り」ヨハネ19:31-42

1月12(日)降誕節第3主日礼拝

 

注)讃美歌奏楽はインターネットでHさんが検索してくれました。

 

⓵ みなさん、おはようございます。今から礼拝を始めます。しばらく黙祷しましょう。

(各自黙祷)

② 招きの言葉 「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」。   (ヨハネ3:16)

③ 讃 美 歌    475(あめなるよろこび)

https://www.youtube.com/watch?v=8NhNj2kgiVc

④ 主の祈り  (讃美歌93-5A)を祈りましょう(各自祈る)。

⑤ 交 読 文  詩編2編1-12節(讃美歌交読文5頁)

⑥ 聖  書  ヨハネによる福音書19章31-42節(新約208頁)

⓻ 祈  祷(省略するか、自分で祈る)

⑧ 讃 美 歌     529(主よ、わが身を)

https://ss627798.stars.ne.jp/sanbika21/Lyric/21-529.htm

⑨ 説  教   「イエスの葬り        北村慈郎牧師

 

前回ヨハネ福音書のイエスの十字架死にいての記述から(19章23-30節)、私たちへの語りかけを聞きました。そのイエスの十字架の下にいたのは、弟子達ではなく、数名の女たちでありました。弟子たちはイエスの十字架を前にイエスを棄てて逃げてしまいました。

 

ユダヤの権力者である大祭司たちやローマ帝国の総督ピラトによって十字架につけられたイエスのそばにいて、イエスの死を見つめ、その場に留まっていることは恐ろしいことです。弟子たちはそれに耐えることが出来ませんでした。

 

しかし、数名の女たちは、十字架の下に立って、イエスの最期を見届けました。この逃げてしまった弟子たちと十字架の下に留まっていた女たちの対照的な姿について、森野善右衛門さんは「いざという時の強者と弱者の逆転を示しているようで興味深いことです」と言っています。

 

エスを信じる(イエスを信じて歩みを起こす)ということは、イエスのいるところに共にいるということではないかと思いますが、その意味では弟子たちより、女たちの方の信仰が強かったと言えるかもしれません。

 

さてヨハネ福音書では、イエスの十字架上での死に続いて、今日の箇所ですが、「イエスの死体の取り下ろし」(19:32-37)と「埋葬」(同38-42節)について記されています。前者のイエスの死体の取り下ろしの記事は、ヨハネ福音書独自のもので、共観福音書にはありません。後者の埋葬の記事はヨハネ福音書だけでなく、共観福音書にもあります。

 

エスが処刑されたのは金曜日のことであり、夕暮れが来れば安息日が始まり、しかもその安息日は、過越祭の第一日という「大事な日」でありましたので、ユダヤ人たちは、何とかして金曜日の夕暮れまでにすべてのことを終えたいと思ったのでしょう。<ユダヤ人たちは、安息日に遺体を十字架の上に残しておかないために、足を折って取り降ろすように、ピラトに願い出た>(31節、新共同訳)と言うのです。「足を折る」のは死が早まるからです。

 

<そこで、兵士たちが来て、イエスと一緒に十字架につけられた最初の男と、もう一人の男との足を折った。イエスのところに来てみると、既に死んでおられたので、その足はおらなかった>(32,33節、新共同訳)と言われていて、イエスの足を折ることは中止されます。何とも残酷な仕打ちです。

 

しかし兵卒の一人が、さらにそれを(イエスの死を)確認するために、槍でイエスの脇腹を突きさすと、血と水が流れます(34節)。

 

このことが真実であるということについては、目撃証人がいると、ヨハネ福音書記者は、35節で、強調しています。その目撃者が誰であるかは35節では明示されていませんが、それが「イエスの愛弟子」であることはヨハネ福音書の研究者のほぼ一致した見解であります。

 

「血と水」の流出に注意を引き付けることによって、ヨハネ福音書記者は先ず第一に何よりもイエスの死が現実であることを確認しようとしているのであります。ヨハネ福音書ではイエスは「言(神)が肉(人間)となった」(1:14)方であり、この瞬間に、血と水がイエスの死体から流失することによって、言(神)の肉体(人間)性が最も鮮烈に表現されているのだと思います。

 

また、ヨハネ福音書記者が血と水の流出を記したのは、そこに象徴的な意味を込めているものと思われます。イエスヨハネ福音書において「生ける水」の源(4:10,12-14,7:37-38)ですから、この血と水の流出によって、生命がイエスの死から流れ出ていることを示そうとしたのです。

 

この34節を聖餐(「血」)と洗礼(「水」)のサクラメントの根拠を象徴するものとして読む人もいますが、ヨハネ福音書記者の強調点はサクラメントそれ自体よりも生命の源としてのイエスの死に置かれているように思われます(オデイ)。

 

そしてさらに、<これらのことが起こったのは、「その骨は一つも砕かれない」という聖書の言葉が実現するためであった。また、聖書の別の所に、「彼らは、自分たちの突き刺した者を見る」とも書いてある>という説明が加えられています((36,37節、新共同訳)。

 

エスの死をこの聖書の成就と解することによって、ヨハネ福音書記者は、イエスによる神の勝利に関心を集中し、そのことによってイエスの死においてすら神の主権を、死んだイエスと神が一体であることを強調しているのであります。死においてさえ、人がその槍で刺された方を見つめる時、人は神の独り子としてのイエスをそこに見るのだということです。

 

さて、アリマタヤのヨセフという人物が、ピラトに願い出て許可を得、イエスの死体を十字架から取り下ろしに行きます(38節)。

 

ヨセフは、アリマタヤの金持ちで、イエスの隠れた弟子(マタイ27:57)であり、神の国を待ち望んでいた地位の高いサンヒドリンの議員(マルコ15:4)でした。ユダヤ人をはばかって密かにイエスの弟子となった人物です。

 

38節に<イエスの弟子でありながら、ユダヤ人たちを恐れて、そのことを隠していたアリマタヤ出身のヨセフ>と言われています。そのヨセフがニコデモと共に、ピラトに願い出て許可を得て、イエスの死体を十字架から取り下ろし、埋葬します。

 

「弟子たちが全て逃げ去った後、ユダヤ人をはばかって密かにイエスの弟子となったアリマタヤのヨセフや密かに夜イエスの下に行ったニコデモが、公然とイエスの死体の引き渡しを、危険を覚悟で願い出、非難を覚悟の上でイエスを埋葬したところに、イエスの真実に触発された人間の真実の麗しさがある」(菅隆志)と言えるでしょう。

 

38-42節をもう一度読んでみたいと思います。<ピラトが許したので、ヨセフは行って遺体を取り降ろした。そこへ、かつてある夜、イエスのもとに来たことのあるニコデモも、没薬と沈香を混ぜた物を百リトラばかり持って来た。彼らはイエスの遺体を受け取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従い、香料を添えて亜麻布で包んだ。イエスが十字架につけられた所には園があり、そこには、だれもまだ葬られたことのない新しい墓があった。その日はユダヤ人の準備の日であり、この墓が近かったので、そこにイエスを納めた>。

 

エスの埋葬は、ユダヤ人の埋葬の習慣に従って行われました。イエスの死体は墓の中に横たえられ、ここにイエスの地上の生涯についての記述は終ります。

 

十字架の死→取り下ろし→葬り→墓の中に横たえられたイエス、埋葬ですべては終わったのです。このイエスは神にさばかれ、見捨てられた者の死の姿そのものです。そこには「見るべき面影はなく、輝かしい風格も、好ましい容姿も」(イザヤ53:2)ありません。三日目に復活するまでの墓の中のイエスの三日間は、神不在の時間ではないか、ということがここで問われます。

 

何でもできないことのない全能の神が、今、ここでは、イエスと共に苦しみを担い、十字架につけられ、死の墓へと赴き給うのです。神は十字架につけられた神であり、苦難と弱さと無力における神であります。しかしこのように、イエスと共に死んで葬られ、この世の最低点にまで下られた神こそ、私たちを救う神なのです。

 

なぜなら、聖書においては、神の力はその強さにおいてではなく、その弱さ、無力さにおいて示されているからです。「力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」(Ⅱコリ12:9)。「無力の力」、ここに、有力と無力との考え方の根本的な転換が示されているのです。

 

ボンフェッファーは獄中から、次のような意味深い一節を書き送っていますーー「神はこの世においては無力で弱い。そして神はまさにそのようにしてのみ、私たちのもとにおり、また私たちを助けて下さるのである。キリストは彼の全能によってではなく、彼の弱さと彼の苦難によって私たちを助けて下さるということは、マタイ8:17――「これは、預言者イザヤによって『彼は、わたしたちのわずらいを身に受け、わたしたちの病を負うた』と言われた言葉が成就するためである」――に全く明らかである。この点にあらゆる他の宗教とキリスト教との違いがある。人間の宗教性は、人間が困った時にこの世における神の力を示す。しかしその神は、機械仕掛けの神である。聖書は人間に、神の無力と苦難を示す。苦しみたもう神だけが、私たちを助けることができるのである」(『抵抗と信従』邦訳253頁)。

 

このボンフェッファーの獄中書簡の言葉は、信仰の本質にふれているように思います。この世の富、武力、権力、地位、特権などと結びついて示されている神は、聖書の神ではありあません。「神と富とに兼ね仕えることはできない」(マタイ6:24)と聖書に言われているように、神と武力、神と権力、神と特権とに兼ね仕えることはできないのです。初代キリスト者は、十字架につけられたイエスを神と信じたがゆえに、ローマ皇帝を神として拝することを拒否したのです。そしてそのようなキリスト者は、ローマ帝国の側から見ると、ローマの神々を信じない「無神論者」として見られたということは、もっともなことでした(森野善右衛門)。

 

パウロはこのように述べています。<十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です」(1:18)と語り、<ユダヤ人はしるしを求め、ギリシャ人は知恵を探しますが、わししたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝えます。すなわち、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものですが、ユダヤ人であろうがギリシャ人であろうが、召された者には、神の力、神の知恵であるキリストを宣べ伝えているのです。神の愚かさは人より賢く、神の弱さは人よりも強いからです>(同1:22-25)。

 

またパウロは、「わたしは福音を恥としない」(ローマ1:16)と言っていますが、「福音を恥としない」とは、十字架を恥としないことであり、それは「十字架につけあれた神」「無力な神」を恥としないということです。キリストの十字架の奥義は、そこにおいて神からも人からも棄てられたイエスが、全くの無力に徹することによって、この世の見棄てられた者、神無き者、苦しめられ、虐げられている者にとっての力となり、慰めと救いとなりたもうということです。力と富とにおける神ではなく、無力と苦難と貧しさにおける神、十字架につけられた神についてこそ、私たちを救う神の知恵と力とが証しされていると言うのです。

 

今もイエスは、貧しく、いと小さいひとりである隣人の姿において私たちに出会われるのではないでしょうか(マタイ25:40)。教会は、その外観の壮麗さや人数の多いことによって教会であるのではなく、たとえ二、三人であっても、イエスの名によって集い、イエスの名によって共に祈り、聖書からの語りかけを聞いて共に生きていくところに、イエスも共にいてくださり、そこに教会が存在するのであります(マタイ18:20)。すなわち、十字架の下に立ち、十字架を恥としないところに、イエスを信じる群れである教会が立てられるのです。

 

私たちの教会は、まことに小さく、弱く、取るに足りない群れでありますが、数が多くなり、この世的に有力な教会となることよりもむしろ、地の塩・世の光として、十字架を恥とせず、真実にイエスに信従する教会となることを目ざして歩み続けたいと思います。

 

主がそのように私たち一人ひとりを導いてくださいますように!

 

(この説教の後半は、ほぼ森野善右衛門さんのヨハネ福音書講解説教によっています。)

 

祈ります。

 

神さま、今日も礼拝に集うことができましたことを、心から感謝します。

神さま、今日はイエスの十字架とその死から、無力さの中にある真の命について改めて教えらえました。私たちはこの世の生活の中で力を求めていく自分がいることを思わされます。そして無力な神ではなく、全能の神を求めている者であります。

神さま、どうかイエスの十字架を通した私たち人間の救いを見失うことなく、弱さの中にある真の力を私たちに与えてください。

ロシアによる軍事侵攻やイスラエルによる軍事攻撃が続き、戦争によって命を失い、生活基盤を失う人々が今も起きています。どうか速やかに戦争が停止しますように。私たちを、平和を造り出す者にしてください。

 

神さま、どうか今戦争や貧困・差別、また自然災害によって苦しむ人々を支え、助けて下さい。国や人々の支援が苦しむ人々にいきわたりますように。

他者のために働く人々を力づけ励ましてください。

今日から始まる新しい一週の間、私たちの仲間の一人一人をその場にあってお守りください。

新しい一週の全ての人の歩みを支えて下さい。

この祈りをイエスのお名前を通してみ前に捧げます。  アーメン。

 

⑩ 讃 美 歌    449(千歳の岩よ)

https://www.youtube.com/watch?v=xj_skK7rias

  •   献  金
  •  頌  栄  28                                                    

http://www.its.rgr.jp/data/sanbika21/Lyric/21-028.htm

⑬  祝  祷

  主イエス・キリストの恵み、神の慈しみ、聖霊の交わりが、私たち一同の上に、また全ての人の上に豊かにありますように。     アーメン                      

⑭ 黙  祷(各自)

これで礼拝は終わります。

 

船越通信、№647

船越通信、№647  2025年1月5日(日)  北村慈郎

 

明けましておめでとうございます。新しい年の皆様お一人お一人の歩みの上に主の支えをお祈りいたします。

 

12月29日(日)は2024年最後の礼拝でした。その日の礼拝説教はヨハネによる福音書の講解説教の続きでした。聖書の個所はヨハネ福音書19章16節b―22節で、イエスの十字架の記事になります。

 

前週はイエスの誕生を祝うクリスマスの礼拝と燭火礼拝があり、降誕節でした。その次週の日曜日である29日(日)の礼拝説教ではイエスの十字架についての説教ということで、私は説教の枕でこのように申し上げました。

 

「前週はクリスマスの礼拝でイエスの誕生の出来事を扱いましたので、イエスの誕生から今日はイエスの生涯の終りである十字架というイエスの死の出来事を扱うことになりますので、戸惑われるかも知れませんが、その点はお許しいただきたいと思います」。

 

ところが、5日(日)の説教準備で森野善右衛門さんの『世の命キリスト~ヨハネ福音書10-21章による~』の当該箇所を読んでいましたら、クリスマスとイエスの死である十字架が直結することは、必ずしもめずらしいことではなく、むしろ必然であるということを教えられました。

 

森野善右衛門さんはこのように述べています。「イエスの十字架の死は、神の愛の極致である。この意味で、クリスマスは十字架に直結しているのです」。

 

29日(日)は礼拝後、講壇前に設置したアドベントの4本のローソクの飾りをはじめ、クランツなどクリスマスの飾りを片付けました。そして新年になってからの再開を約し、散会しました。私も12時40分には教会を出て、この日は京急田浦駅まで歩き、鶴巻に午後3時前に着きました。

 

年末年始の一週間は、どこにも出かけずに鶴巻で過ごしました。今回は昨年の新年1月1日に能登地震が発生し、羽田で飛行機事故が起こったようなことはなく、世相としては比較的穏やかな年末年始だったように思われます。

 

80代になってから私は寿の越冬活動には参加していませんが、物価高の中今年の越冬の炊き出しには沢山の方々が来られたのではないでしょうか。寿で活動している方々は、炊き出しを必要としない社会をめざして炊き出しをしていますが、なかなか炊き出しを必要としない社会を創り出すことは困難です。

 

日本の社会は一時よりもむしろ貧困化が進んでいるのではないかと思われます。日本の社会の貧困は、一時期は山谷・釜ヶ崎・寿のような寄せ場に集約されていたように思われますが、現在は寄せ場の全国化とでも言われるような、貧困層が全国各地に広がっているのではないでしょうか。

 

フードバンクや子ども食堂の広がりは、そのことの現れでもあるように思います。格差が広がっている社会では、極端な思想や政治が受け入れられ易くなります。アメリカのトランプ現象や政治の右傾化はその類型の一つと見ることもできるのではないかと思います。

 

そんなことを思いながら、年末年始にかけて一冊の本を読みました。『善き力~ボンフェッファーを描き出す12章~』(イルゼ・テート著、岡野彩子訳、2024年、新教出版社)です。

 

先ずこの本の中に、私が先日のクリスマス礼拝でイエスの誕生は「新しい世界創造」であるということを語りましたが、それに近いことが記されていました。その部分を引用してみます。

 

この本の「第7章 世界におけるキリスト者の責任~私たちはボンフェッファーから何を新たに学べるのか~」の最初の部分に、このような記述があります。

 

【…1935年11月18日の新約聖書講義で、ボンフェッファーは使徒言行録2章42節の「彼らは使徒たちの教えに変らずに留まり続けた」という聖句を取り上げている。/「彼ら」――これは、聖霊降臨の出来事によって設立された教会の人たちを意味する。//聖霊降臨に際して、/「新しい宗教が起こるというのではなく、世界の一部が新たに創造されるのである。――これが教会の設立である。……これは生活の全体を支配するものであって」、単なる「一領域、つまり宗教のための領域」ではない。「教会にとって重要なのは、神と聖霊と御言葉である。それゆえ特別に宗教が重要というわけではなく、御言葉への従順、御父の行為、すなわち聖霊によって新たな創造を行なわれたことが重要である。……いかに最初の創造が「宗教的」な事柄とは言いがたく、むしろ神の現実であったように、第二の創造も同様にそうしたものではなく、それは、聖霊においてキリストを通して行われる神の創造である」】(166-167頁)

 

また、【ボンフェッファーは、1944年に獄中でこう問いかけている。「……いかにしてわれわれは、宗教的に特権を持つ者としてではなく、むしろ完全にこの世に属するものとして自らを理解し、エクレシア、すなわち召し出されている者であれるのか。そのときこそ、キリストはもはや宗教の対象ではなく、何かまったく別のもの、真にこの世の主なのである」】(244頁)と述べています。

 

この本を読んで、私はナチズム時代のヒットラーに抱え込まれた「ドイツ・キリスト者」という教会に対して、ナチズムを批判した「告白教会」の運動がどういうものであったのかが、今までよりも少しはっきりしました。

 

今年は戦後80年になりますが、戦時下の日本の教会にはドイツの「告白教会」のような運動がありませんでした。それは何故なのでしょうか。

 

戦時下国家の要請によって成立した日本基督教団の中枢は、復活信仰などキリスト教の重要な教義が国家に否定される時には、国家に抵抗し、殉教もいとわないという主旨の発言をしたと言われます。

 

日本の侵略戦争や他国の人の命や生活を奪う飛行機の献納には、殆ど反対がなかったようです。これはどういうことなのでしょうか。

 

戦時下の教団中枢は、キリスト教という宗教の教義を大切にして、世の中では戦争が起きていても、それは自分たちの中心的な課題ではないと考えていたのでしょうか。

 

天皇制絶対主義的な国家であった当時の日本国家の中でその国家に抵抗することは、殆ど死を覚悟しないでは不可能だったという厳しい現実があったことは事実だと思います。しかし、それは、ドイツでもナチズムに抵抗することは死を覚悟せざるを得なかったという点では同じではなかったかと思われます。

 

それなのになぜドイツでは「告白教会」の運動が起こったのに、日本ではそのような運動が起こらなかったのでしょうか。

 

日本でも戦時下共産主義者の中には、己の奉ずる思想の故に獄中の人になった人がいました。キリスト教ではホーリネスの一部の人は、己の奉ずる神信仰が天皇制に抵触したので獄中の人になりました。

 

何故ホーリネス以外のキリスト教徒は戦時下の国家体制の中で、獄中の人にならずに生き延び得たのでしょうか。

 

エスの福音が新しい世界創造であるという視点が欠落していたからではないか。

 

ヨハネによる福音書による説教(82)「成し遂げられた」ヨハネ19:23-30

1月5(日)降誕節第2主日礼拝

 

注)讃美歌奏楽のユーチューブは本日はありません。

 

⓵ みなさん、おはようございます。今から礼拝を始めます。しばらく黙祷しましょう。

(各自黙祷)

② 招きの言葉 「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」。   (ヨハネ3:16)

③ 讃 美 歌    368(新しい年を迎えて)

④ 主の祈り  (讃美歌93-5A)を祈りましょう(各自祈る)。

⑤ 交 読 文  詩編70編1-6節(讃美歌交読文75頁)

⑥ 聖  書  ヨハネによる福音書19章23-30節(新約207頁)

⓻ 祈  祷(省略するか、自分で祈る)

⑧ 讃 美 歌     419(さあ、共に生きよう)

⑨ 説  教   「成し遂げられた」        北村慈郎牧師

 

今日は新しい年の最初の日曜日です。この2025年も、イエスに従う者として聖書からの語りかけを聞きながら歩んでいきたいと思いまます。

 

先ほど司会者に読んでいただいたヨハネ福音書の箇所には、十字架につけられたイエスのそばでおこった出来事とイエスの死について記されています。19章23節、24節をもう一度読んでみたいと思います。<兵士たちは、イエスを十字架につけてから、その服を取り、四つに分け、各自一つずつ渡るようにした。下着も取ってみたが、それには縫い目がなく、上から下まで一枚織りであった。そこで、「これは裂かないで、だれのものになるか、くじ引きで決めよう」と話し合った。それは、「彼らはわたしの服を分け合い、わたしの衣服のことでくじを引いた」という聖書の言葉が実現するためであった。兵士たちはこのとおりにしたのである>(新共同訳)と記されています。

 

エスを処刑するために、このゴルゴダの丘に来た兵士たちが(彼らは恐らく4人であったろうと思われますが)、そこに立てられた3本の十字架の下で、イエスが十字架につくために脱ぎ捨てた衣を、分け合い、また籤引きをしています。今、彼らの頭上では、ヨハネ福音書が証言しているすべての人間を神の子として招き、解放する救い主であるイエスが死のうとしているのです。そのイエスは彼ら兵士たちにとっても救い主であるのですが、それなのに、そのようなことは知らぬげに、またそのようなことは自分たちには全く関係がないかのように、兵士たちは、衣を分け合い、籤引きに夢中になっています。

 

彼らは先ず、イエス上着を、4人それぞれで分け合います。ところがあとに、イエスの着ていた下着が残ります。それは縫い目のない織物と言いますから、当時は極めて貴重な織物であったに違いありません。兵士たちも、この貴重な品を、四つに裂いて分け合うのは、勿体ないと思ったのでしょう。彼らは籤を引いて、誰か一人の所有物にしようとするわけです。

 

そのようなイエスの十字架の下で繰り広げられていた兵士たちの振る舞いを、ヨハネ福音書の著者は24節で、<それは、「彼らはわたしの服を分け合い、わたしの衣服のことでくじを引いた」という聖書の言葉が実現するためであった。兵士たちはこのとおりにしたのである>と記しているのです。

 

ここに引用されているのは、詩編22編19節です。この聖書(旧約聖書)の言葉が実現するためであったとは、どういうことでしょうか。それは、今この十字架の下で起こっていることは、決して偶然起こっているのではなくて、その些細な点に至るまで、みな神の計画の中で起こっているのだということです。兵士たちは、十字架の下で、今自分たちの頭上で起こっていることと、何の関係もないかのように、ただ自分たちの欲望の赴くままに、行動しているように見えます。しかし、彼らを動かしているのは、実は他の何ものでもなく、神自身だというのです。

 

そのような兵士たちとは別に、25節には<イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた>と言われています。十字架の下にいたのは、イエスの衣を分け合っている兵士たちだけではありませんでした。すなわち、そこには、今十字架の上で起こっていることを、胸を引き裂かれるような思いで見守っている、一団の人々がいたのです。

 

その人々というのは、ここに記されているように、イエスの母、その姉妹、クロパの妻マリア、マグダラのマリアというような人々です。十字架の下に集まっていたのが、これら4人の女性たちだけでなかったことは、次の26節に、<イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた>と記されていることでも、明らかです。すなわち、そこにはそれらの4人の女性たちのほかに、少なくとも「(イエスの)愛する弟子」と呼ばれる男性がいたことは、確かです。

 

26節、27節を読みますと、<イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた。それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です」。そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った>とあります。

 

今地上の生涯を終えようとしているイエスが、この最後の時に、母マリアの今後の生活についての配慮を示されます。イエスは、母マリアに対して「「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われます。母に対して「婦人よ」と呼びかけるのは、何ともよそよそしい感じがしますが、ヨハネ福音書のイエスは2章のカナの婚礼の記事でも、「婦人よ」と呼びかけています。イエスが母マリアに対して「婦人よ」と呼びけるのは、個人的な血縁関係を越えて、神に愛されている一人の人間として母マリアを見ていたからではないでしょうか。

 

マルコによる福音書3章31節以下にこのように記されています。<イエスの母と兄弟たちが来て外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた。大勢の人が、イエスの周りに座っていた。「御覧なさい。母上と兄弟姉妹がたが外であなたを捜しておられます」と知らせると、イエスは「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか」と答え、周りに座っている人々を見回して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、私の兄弟がいる。神の御心を行なう人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ」(マルコ3:31-35)。

 

エスにとっては、自分の母や兄弟だけでなく、すべての者が肉親なのです。そういう意味で、イエスは、個人的な血縁関係を越えています。しかし、イエスは、自分が死んだ後の母の苦しみと別離の悲しみを考え、自分の代わりに、自分と最も密接に結びついている弟子を息子として与えることによって母への配慮を示します。

 

28節には<この後、イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、「渇く」と言われた。こうして、聖書の言葉が実現した>と記されています。イエスは「渇く」と言われます。イエスは、アンナスの尋問、カヤパの尋問、ピラトの尋問というふうに、引き続いての尋問で、極度に疲労しておられたに違いありません。それに、19章の1節には、ピラトがイエスを捕えて鞭打たせたと、記されていました。当時の鞭打ちというのは残酷なもので、時にはそのために死ぬ者もあったと、言われています。さらに、イエスは、十字架に釘づけにされたのでしょうから、多量の出血もあったに違いありません。イエスがひどい渇きをおぼえられたのは、当然です。

 

けれども、ヨハネによる福音書4章で、イエスは、サマリアの女との出会いの中では<「この水を飲む者はだれでもまた渇く。しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」>(4:13,14)と言われました。そのイエスが、ここでは「渇く」と言っているのです。一見矛盾のように思われるかも知れませんが、ヨハネ福音書の著者は決して矛盾とは思っていません。「むしろ彼は、この「渇く」という言葉をここに記すことによって、イエスこそ私たち人間と全く同じ所まで降られた神であることを、私たちに告げているように思われます」(井上良雄)。そして、この28節でも、24節の場合と同じように、「こうして、聖書の言葉が実現した」と言われているのです。

 

29節<そこには、酸いぶどう酒を満たした器が置いてあった。人々は、このぶどう酒をいっぱい含ませた海綿をヒソプに付け、イエスの口もとに差し出した>。

 

人びとは、ぶどう酒を含ませた海綿をイエスの口につけ、その渇きを静めようとします。それは、十字架につけられて死んでゆく囚人たちが皆、最後には渇きを訴えるので、あらかじめ用意されていたものに違いありません。ヨハネ福音書の著者は、すべての人間に尽きない命の水を約束されるイエスが、人々から、そのような憐れみを受けられたと記しているのです。

 

30節<イエスは、このぶどう酒を受けると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた>。

 

新共同訳で「成し遂げられた」と訳されているのは、テテレスタイというテレオーという「完了する」という言葉の現在完了受動態で、「完了された」という言葉です。いつもメール配信の時に送っています六つの日本訳をみますと、新共同訳、田川訳、岩波訳は「成し遂げられた」、シュラッター訳「すべて成し遂げられた」と訳し、口語訳は「すべて終わった」本田訳は「終わった」と訳しています。

 

口語訳のようにこのところを「すべてが終わった」となりますと、ある意味で、イエスの地上の生涯はこれで万事休したというようにも受け取れます。イエスの地上の生涯は、すべて失敗であった。イエスの働きは、結局挫折したのだというように、です。しかし、「成し遂げられた」となりますと、失敗、挫折ではなく、イエスの地上の生涯の目的は達せられたという意味になります。

 

ヨハネ福音書の著者が描くイエスは、神からの使命を成就して、気高く、落ち着いて、堂々として死に赴かれます。それはまさに栄光の時、勝利と凱旋の時であります。十字架の死は、受肉に始まるイエスの生涯と時の完成の時であり、それは「きわみまでの愛」(13:1)の完成の時でもあります。「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さった」(3:16)。神のこの世に対する愛は、そのひとり子を十字架に死なしめ、死に引き渡すことにおいて極まったのです。そのイエスの終りは、敗北・挫折・中断ではなく、神の御業の完成であることをヨハネ福音書は証ししているのです。

 

ですから、この十字架上でのイエスの言葉である「成し遂げられた」は、ある意味で「勝利宣言」であったのではないでしょうか。「成し遂げられた」の第一の意味は、イエス自身にとって、彼の地上での歩みの目標が、ここで達せられたということです。しかし、それだけではありません。この言葉は、私たちを苦しめている死の力、罪の力、悪魔の力――そのような力の支配からの解放も「成し遂げられた」のです。それゆえにパウロは、Ⅱコリント5:17で、<だから、キリストに結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた>と、言うことができました。

 

もちろん、私たちの現実の生活は、終りの日が来るまでは、なお様々な脅威のもとで営まれるより他はないでしょう。しかし、そういう恐れに充ちた生活の中にあって、私たちは、この「成し遂げられた」という言葉が、十字架のイエスによって語られたということに、信頼して生きることができます。

 

「イエスの死は、多くの人たちを感動させ、そこから多くの人たちが新しい生命へとよびさまされたのであります。死は一つの終りですが、その先は無なのではなく、むしろそれは新しい生命に通じます。そこに死を越えた希望の世界が開かれるのであります」(森野善右衛門)。

 

「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です」(Ⅰコリント1:18)とのパウロの言葉を噛み締めながら、この新しい年も一歩一歩イエスに従って歩み続けたいと願います。

 

主がそのように私たち一人一人を導いてくださいますように!

 

祈ります。

 

神さま、新しい年になりました。今日も礼拝に集うことができましたことを、心から感謝します。

神さま、今日はイエスの十字架が私たちに与えてくれます、解放の使信を聞くことができました。新しい年も聖書の使信に耳を傾けながら、あなたの招きと期待に応えて、教会としてもキリスト者個人としても、精一杯歩んでいけますように、私たちをお導きください。

新年になっても、ロシアによる軍事侵攻やイスラエルによる軍事攻撃が続き、戦争によって命を失い、生活基盤を失う人々が今も起きています。どうか速やかに戦争が停止しますように。私たちを、平和を造り出す者にしてください。

 

神さま、どうか今戦争や貧困・差別、また自然災害によって苦しむ人々を支え、助けて下さい。国や人々の支援が苦しむ人々にいきわたりますように。

他者のために働く人々を力づけ励ましてください。

今日から始まる新しい一週の間、私たちの仲間の一人一人をその場にあってお守りください。

新しい一週の全ての人の歩みを支えて下さい。

この祈りをイエスのお名前を通してみ前に捧げます。  アーメン。

 

⑩ 讃 美 歌    313(愛するイエス

  •   献  金
  •  頌  栄  28                                                    

http://www.its.rgr.jp/data/sanbika21/Lyric/21-028.htm

⑬  祝  祷

  主イエス・キリストの恵み、神の慈しみ、聖霊の交わりが、私たち一同の上に、また全ての人の上に豊かにありますように。     アーメン                      

⑭ 黙  祷(各自)

これで礼拝は終わります。

 

新年の祈り(カール・バルト『一日一章』リヒャルト・グルーノー編、小塩節・小槌千代訳より)

明けましておめでとうございます!

 

新年の祈りカール・バルト『一日一章』リヒャルト・グルーノー編、小塩節・小槌千代訳より)

 

主よ、私どもの神よ!あなたはご存じです。私どもが何者であるかを、良き良心を持つ者と良心の疾(やま)しい者――満足している人と不満な人、確かな人と不確かな人――信念を持つキリスト者と慣習的なクリスチャン—―敬虔な人と中途半端な人と不信心な者であることを。

 

そしてご存知です。どこから私どもが来ているかを、親戚、知人、友人の群れから、あるいは大きな孤独から――平穏な豊かさからあるいはさまざまな苦難と困難から――安定して家庭環境からか、あるいは緊張しているか壊れてしまった家庭環境から――キリスト教会のかなり親密な群れからかその端から出てきているかをご存じです。

 

今しかし私どもは皆あなたの前に立っています。どんな不平等にあっても次の点では等しいのです。

 

私どもは皆あなたの前でも、そしてお互いの間でも不正の中におります。皆いつか死ななければなりません――私どもは皆あなたの恵みが無ければ失われているでしょう――だがまた次の点で等しいのです、あなたの恵みは皆に約束されており、愛する御子、私どもの主イエス・キリストにおいて約束され与えられています。

 

新年の初めにあなたを賛美し、私どもがあなたから出ており、あなたに向かって歩むことが許されていることを感謝させてください。ベツレヘムの星を私たちの頭上に輝かせ、道を明るくしてください。私たちが自らのすべての日々あなたの来臨を目前に見、心に抱かせてください。

 

                           アーメン

船越通信、№646

船越通信、№646  2024年12月29日(日)  北村慈郎

 

22日(日)はクリスマス礼拝でした。この日の礼拝説教では、ヘブライ人への手紙1章1-4節をテキストにして、イエスの誕生の出来事が神による新しい世界創造であるということを強調して話しました。

 

聖書では人間はアダムの誕生によって歴史的存在になり、創世記3章の堕罪によって神に反抗するようになりました。その人間の神への反抗は、バベルの塔の建設によって極みに達します。

 

そこで神はアブラハムを選び、召されて、契約を交わします。アブラハムとその子孫であるイスラエルの民は、神との契約を守ることによって神に祝福された民として、バベルの塔の建設によって全世界に散らされた人々がいるこの地球世界の中で生きることができるのです。

 

ところがアブラハムーイサクーヤコブと代が続きますが、ヤコブの時代にイスラエルの民が生きていたパレスチナで飢饉に見舞われ、ヤコブの子のヨセフの物語に記されているように不思議な導きで、ヨセフがエジプトの宰相をしていたエジプトにヤコブの一族は移住することになります。

 

エジプトに移住したイスラエルの民は、ヨセフも亡くなり、エジプトの王も何代か変り、ヨセフのことも知らなくなったエジプトの王(パロ)は、増え続けるイスラエルの民を恐れて、彼らを奴隷としての酷使するようになりました。

 

そのエジプトで奴隷として酷使されていたイスラエルの民は、モーセが指導者となり、神の不思議な導きがあって、エジプトを脱出し奴隷状態から解放されます。そして40年の荒野の彷徨の末に、パレスチナに場所を与えられて生活するようになります。

 

そのイスラエルの民は、エジプト脱出後シナイ山モーセを通して新たに神と契約を結びます。これがシナイ契約で、その中心は十戒にあります。十戒は神を愛することと自分を愛するように隣人を愛するという、私たち人間が神の定めに従って生きるということはどういうことなのかを、二つで一つの戒めによって示している私たち人間が幸せに生きる道しるべになっています。

 

エジプトを脱出したイスラエルの民は、神の民としてこのモーセによるシナイ契約に基づいて生きるようにと促されたのです。

 

しかし、パレスチナに定住したイスラエルの民は、王国形成以前は士師たちによって指導され、王国形成後は王や預言者によって導かれたのですが、残念ながらシナイ契約を守ることができず、バビロン捕囚により国家を失いますが、捕囚民としても、また帰還後のパレスチナにおいても、イスラエル民族のアイデンティティーをかろうじて守り通し、ローマ帝国支配下の時代になります。

 

そういう歴史を経たイスラエルの民の中からイエスが誕生したのです。

 

そのイエスヘブライ人への手紙の著者は(おそらくヨハネ福音書も)アダムに代わる新しい世界創造の担い手として考えていたのではないかと思います。

 

とすれば、教会は単なるキリスト教という宗教集団ということではなく、イエスの仲間、イエスのチームとして、イエスによる新しい世界創造の担い手と言えるのではないでしょうか。

 

新しい世界とは、神の支配する義(正義・公平)と平和(和解)と喜び(幸せ)が満ちた(ローマ14:17)新しい世界を意味します。私はイエスの誕生は、そのような世界大の出来事ではないかと信じています。

 

この日の礼拝は、毎年クリスマス(やイースター)の礼拝に出席して下さる数名の方々を加えて15名の出席者でした。礼拝後茶菓をいただきながらしばらく懇談して散会しました。私も午後2時には教会を出て、鶴巻に帰りました。

 

24日(火)は午前10時半ごろ鶴巻を出て、船越教会に行きました。お昼過ぎに教会に着き、まずこの日の燭火礼拝のプログラムを印刷し、冊子にして、受付に置きました。それから、燭火礼拝は夜暗くなりますので、現在外灯の電源が切れたままで、会堂のコンセントから電気コードで電気を引いて楽ちん号の電源にしていますので、そのままだと夜の外階段は真っ暗になります。そこで、楽ちん号の電源コンセントから電気コードでサーチライトを垣根の所に設置して、外階段を照らすように準備しました。

 

階段から教会玄関までは教会の2階の部屋の外壁に外を照らす電気が設置されていますので、それを電気コードで電源につなげば電灯がつきます。その確認準備を済ませて、燭火礼拝の説教に最後の手を入れて、燭火礼拝の始まるのを待ちました。

 

午後4時半ごろにはH・Sさんが食事作りに教会に来てくださいました。その後NさんとH・T江さんが加わり、燭火礼拝後の祝会食事の準備をして下さいました。奏楽者のSさんも早めに来て、オルガン演奏の準備をしていました。

 

私は6時20分ごろに会堂に行きました。すでに会堂には数名の方がいらしていて、その中には初めての方も一人いました。声をかけましたら、H・Tさんのお友達ということでした。6時半過ぎには毎年クリスマス礼拝だけに来る2家族、幼い子供2人を入れて6人が来ました。その6人に、何時も礼拝に来ている私を入れて8人に他に4人が加わり、今年は18人の出席者で燭火礼拝を行いました。

 

燭火礼拝の説教では、ヨハネ福音書プロローグのロゴス(言)賛歌の「言が肉となった」から、「言」という神からのイエスを通した語りかけが私たちには与えられているので、私たちは独りで生きているのではなく、神(=イエス)との対話の中で、「神我らと共に」というインマヌエルの現実の中で生きているということを強調しました。

 

礼拝後用意された食事がプレートで各自に運ばれて、礼拝堂の隣の和室と集会室で祝会の食事を行ないました。

 

祝会の食事が終わった頃、午後9時少し前でしたが、毎年燭火礼拝に出席していたA・G君が来てくれました。彼は今年就職したばかりで、仕事が終わってから駆けつけてくれたのです。彼のことは彼が幼い頃から知っていて、その成長を見守って来ましたが、すっかり頼もしい青年になっていて、嬉しくなりました。G君と握手して、その喜びを噛み締めました。

 

午後9時過ぎに後片付けして皆さんと散会した後、私も娘が来ていましたので、私自身の牧師館の後片付けをして、娘と一緒に京急田浦から横浜に出て、そこで娘と別れて、相鉄で海老名まで行き小田急に乗り換えて、午後11時過ぎに鶴巻温泉駅に着きマンションに帰りました。

 

26日(木)は今年最後の国会前の辺野古新基地建設反対の座り込みに行きました。座り込みをしている参議院議員会館前の道路のイチョウ並木は、ほとんど葉が落ちで枝だけになって、冬の到来を告げていました。けれどもこの日は比較的暖かな日で、座り込んでいても寒さを感じませんでした。さすがに人通りは少なく、閑散としていましたが、この日は同じキリスト者の女性の方と教団の話をしている内に時間が過ぎ、座り込みを終えて、午後4時少し前に散会し、鶴巻に帰って来ました。

 

これをもって2024年は終わります。

新しい年が皆さまにとって、また全ての人にとってよき年となりますように!

 

ヨハネによる福音書による説教(81)「磔刑のイエス」ヨハネ19:16bー22

12月29(日)降誕節第1主日礼拝

 

注)讃美歌奏楽はインターネットでHさんが検索してくれました。

 

⓵ みなさん、おはようございます。今から礼拝を始めます。しばらく黙祷しましょう。

(各自黙祷)

② 招きの言葉 「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」。   (ヨハネ3:16)

③ 讃 美 歌   208(主なる神よ、夜は去りぬ)

https://www.youtube.com/watch?v=722DiX2D5yg

④ 主の祈り  (讃美歌93-5A)を祈りましょう(各自祈る)。

⑤ 交 読 文  詩編27編1-6節(讃美歌交読文28頁)

⑥ 聖  書  ヨハネによる福音書19章16節b―22節(新約207頁)

⓻ 祈  祷(省略するか、自分で祈る)

 讃 美 歌     469(善き力にわれかこまれ)

https://www.youtube.com/watch?v=BxkGqy-ZzzY

  •  説  教   「磔刑のイエス」        北村慈郎牧師

 

12月8日(日)の70周年記念礼拝から待降節降誕節と、3回の日曜日の説教のテキストはヨハネ福音書以外の聖書箇所でした。今日はまたヨハネ福音書の続きである19章16節後半から22節の十字架につけられたイエスの記事から、わたしたちへの語りかけを聞きたいと思います。

 

前週はクリスマスの礼拝でイエスの誕生の出来事を扱いましたので、イエスの誕生から今日はイエスの生涯の終りである十字架というイエスの死の出来事を扱うことになりますので、戸惑われるかも知れませんが、その点はお許しいただきたいと思います。

 

今日のヨハネ福音書の箇所には二つのことが記されています。一つは、イエスが十字架につけられたという磔刑の報告です(16節後半―18節)。もう一つはイエスの十字架上の罪状書きに関する議論です(19-22節)。

 

先ずヨハネ福音書の描くイエス磔刑の報告の記事について見ておきたいと思います。19章16節後半に、<こうして、彼らはイエスを引き取った>とありますが、これは19章16節前半で<そこで、ピラトは、十字架につけるために、イエスを彼らに引き渡した>(新共同訳)を受けて言われています。

 

ピラトはイエスを尋問してイエスを釈放しようとしました(19:12)。しかし、ユダヤ人の祭司長たちが「殺せ、殺せ、十字架につけろ」と叫び、<ピラトが、「あなたたちの王をわたしが十字架につけるのか」と言うと、祭司長たちは、「わたしたちには、皇帝のほかに王はありません」と答えた」(19:15)ので、<そこで、ピラトは、十字架につけるために、イエスを彼らに引き渡した>(19:16)と言うのです。

 

このピラトの態度には、優柔不断で自己保身に走る権力者の姿が垣間見えます。ここでピラトがイエスを引き渡した「彼ら」と言われているのは、ユダヤ人の祭司長たちではなく、19章23節に<兵士たちは、イエスを十字架につけてから、…>と言われていますので、ローマの兵士たちです。

 

ローマの習慣によりますと、受刑者は自分のかけられる十字架の横木を、自分でかついで行かねばならないことになっていました。十字架の縦の柱は、あらかじめ刑場に立てられていたのです。横木と縦の柱の十字架全体を背負うことは、とても一人の人間の力ではできなかったからです。しかし横木だけでも、鞭打ちなどで衰弱している死刑囚にとっては、それを背負って運ぶのは非常に苦痛で、死刑囚は、兵卒らに鞭打たれて喘ぎながら、刑場への道を登ったと、言われています。

 

エスの場合も、同様であったに違いありません。共観福音書(マルコ15:21)では、クレネ人シモンが途中でイエスに代わってかついで行きますが、ヨハネ福音書では、イエスはひとりで最後まで自分の十字架をかついで、恐らくエルサレムの城壁の外にあったと思われる刑場のあるゴルゴダまでの道を歩み抜かれます。

 

ゴルゴダはヘブル語で人間の髑髏(されこうべ)を意味していて、この刑場がそのような名で呼ばれたのは、その刑場のある丘の形が、髑髏の形に似ていたからであろうと言われています。

 

18節には、<そこで、彼らはイエスを十字架につけた。また、イエスと一緒にほかの二人をも、イエスを真ん中にして両側に、十字架につけた>(新共同訳)と言われています。

 

ルカ福音書は、このイエスと共に十字架につけられた二人の犯罪人たちとイエスとのやりとりについて、詳しく書いていて(ルカ23:39以下)、一方の犯罪人がイエスに、「イエスよ、あなたが御国の権威をもっておいでになる時には、わたしを思い出してください」と言ったのに対して、イエスが、「よく言っておくが、あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」と言われたというのです。

 

しかしヨハネ福音書は、そのことについては何も語りません。ゴルゴだの丘にイエスを真ん中にして左右に二人の犯罪人がつけられた3本の十字架が立てられたという事実のみを語っているのであります。その事実を通して、ヨハネ福音書の記者はイエスの福音の持つ深い真理を、私たちに語っているのではないでしょうか。

 

井上良雄さんは、「この丘の上に立てられた三本の十字架は、無言のままでも、私たちの救い主であるイエスが文字通り一人の罪人として死なれたということを示すだけでなく、彼が、これも文字通り罪人たちと共にいて下さる救い主だということを示しています。この丘の上の二人の罪人たちが、もう逃れる術(すべ)もない仕方で、今イエスと結びつけられているように、私たちもまた、イエスと離れ難く結合されています。ある人は(恐らくバルトだと思いますが)、このゴルゴダの丘の光景こそ、教会というものの原型だと言いました。そのように言うことができると思います」(『ヨハネ福音書を読む』より)と言っています。

 

しかもイエスの十字架は、二人の犯罪人のように罪の故の十字架というよりも、オデイ言うように、ヨハネ福音書の「イエスの死は彼を絶望や神による遺棄の感覚で満たしはしない。何故ならば、彼は神が彼に生きよと与えた生と務めを完全に生き抜いたからである。・・・彼の地上の生命と業は神の栄光のためであることをも知ってのことであった(17:4)」。「十字架上の悲痛な死において、イエスは自分がその為に生まれ、その中へと遣わされた生を真理への究極的証言を担って生き抜くのである(12:27,18:37参照)。そしてその真理とはこういうことである。イエスは最も高価なものを与えようとする。我々に、そして神に」。つまりイエスの十字架はイエスの愛の結実であると、オデイは言うのです。

 

 

 

19-22節を読みます。<ピラトは罪状書きを書いて、十字架の上に掛けた。それには、「ナザレのイエスユダヤ人の王」と書いてあった。イエスが十字架につけられた場所は都に近かったので、多くのユダヤ人がその罪状書きを読んだ。それは、ヘブライ語ラテン語ギリシャ語で書かれていた。ユダヤ人の祭司長たちがピラトに、「『ユダヤ人の王』と書かず、『この男は「ユダヤ人の王」と自称した』と書いてください」と言った。しかし、ピラトは、「わたしが書いたものは、書いたままにしておけ」と答えた>(新共同訳)。

 

ここには、イエスの罪状書きに関する議論が記されています。

 

当時、死刑囚には罪状書きを付けて、この死刑囚がなぜそのような刑を受けなければならないかを、人々に示すのが、慣わしであったと言われています。イエスの場合には、その罪状書きに、「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」と書いてありました。その罪状書きを書いたのは、ピラトその人でありました。

 

ピラトがその罪状書きに、ユダヤ人たちが主張しているように、「自ら神と名乗った者」とか、「安息日のおきてを破った者」とか書かずに、「ユダヤ人の王」と書いたのは、イエスをピラトが尋問したときに、ピラトが<「それでは、やはり王なのか」と言うと、イエスはお答になった。「わたしが王だとは、あなたが言っていることです。…」>(ヨハネ18:37)と答えたことからでしょう。

 

先ほども申しましたように、ピラトには、イエスが死刑に価する者とは思えなかったので、何としてもイエスを釈放しようと、努力しました。しかし結局は、ユダヤ人たちの執拗な要求に、押し切られてしまいました。そういうピラトは、内心穏やかではなかったでしょう。自分が正しいと思うことを貫けなかったということで、自分自身に対しても、腹を立てていたことでしょう。そういう心持ちが、この「ユダヤ人の王」という罪状書きの言葉になったと思われます。

 

当然のことですが、ユダヤ人の祭司長たちは、この罪状書きを読んで、これでは困ると、言い出します。まるでイエスユダヤ人の王であることを肯定するような、そういう書き方では困ると、言い出します。せめて「この人はユダヤ人の王と自称していた」と書いてほしいと、言うのです。しかしピラトは、ユダヤ人たちの申し入れを拒絶して、「わたしが書いたことは、書いたままにしておけ」と言って、自分の主張を貫きます。

 

ここで大切なのは、ユダヤ人たちとピラトのやりとりや葛藤、ピラトの心の揺れ動きなどではありません。大切なのは、それらすべてのことを貫いて、そしてそれらすべてのことを用いて、神の計画が着々と実現されてゆくということです。

 

この罪状書きの件にしましても、この「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」というその言葉は、動かすことのできない真実を語っています。ナザレのイエスその人は、そこに書かれている通り、ユダヤ人の王であり、さらに人間全体の王として生まれ給う方であり、そのような方として私たちに与えられた方です。この真実が、ユダヤ人たちとピラトの葛藤を貫きまたそれを用いて、十字架上に掲げられることになりました。しまもイエスの十字架はイエスの愛の結実であります。ということは王としてのイエスは、その愛において世界を支配するということです。

 

ですから、ここにもヨハネの手紙一3章16―18節の言葉が当てはまります。<イエスは、わたしたちのために、命を捨ててくださいました。そのことによってわたしたちは愛を知りました。だから、わたしたちも兄弟のために命を捨てるべきです。世の富を持ちながら、兄弟が必要な物を事欠くの見て同情しない者があれば、どうして神の愛がそのような者の内にとどまるでしょう。子たちよ、言葉や口先だけでなく、行いをもって誠実に愛しなさい>。

 

こうしてピラトは、自分の全く知らない仕方において、イエスが(愛の)王であることを世界に預言することになったのです。

 

しかもその言葉は、20節によると、「ヘブライ語ラテン語ギリシャの国語で」書かれていました。ヘブル語、ラテン語ギリシャの国語と言えば、その当時の人びとにとっては、全世界の言葉だと、言っていいでしょう。

 

すなわち、イエスこそ王たちの中の王だという事実が、図らずも全世界に向かって告げ知らされたということです。ここに示されているような様々な人間同士の対立や抗争、妬みや憎しみ、それらのものを通じて、またそれらのものを用いて、神は、イエスこそ王であることを、世界に向かって告げ給うのです。そして人間と世界を救うための計画を、神は着々と進め給うのです。――あるいはこのように言うこともできます。例えばピラトはここで、自分の行動の意味、自分の語っている言葉の意味を知りませんけれども(そしてまた、彼の行動や言葉には、醜悪なものや嫌悪すべきものが、一杯つまっていますけれども)、しかし彼は、そのような行動や言葉を通して、神の救いの計画に、仕えていると言うことができます。

 

歴史的事件はしばしば、それをつくり出し、ひきおこした人たちの思いを越えて、思いがけない方向に展開することがあります。バビロン捕囚からユダヤの民を解放したペルシャ王クロスもまた、自分ではそうとは知らないで、神の歴史の証人のひとりとなります(イザヤ44:28-45:13)。使徒信条の中で、主イエス・キリストと並んで出て来る唯一の名前は、ポンテオ・ピラトです。世界史と神の救済史とは、このように私たちの思いを越えて深く交錯しているのであり、キリストの十字架の世界史的意味をもっともよく示しているのは、ヨハネ福音書であるといえるでしょう(森野善右衛門)。 

 

エスの十字架は、世界の愛の王としてのイエスを証言であることを、今日はヨハネ福音書から聞くことができました。そのことを心にとめて、新しい一年を迎えたいと思います。

 

祈ります。

 

神さま、今日も礼拝に集うことができましたことを、心から感謝します。

今日は2024年度の最後の礼拝です。この一年能登半島地震による災害から始まって、様々な出来事が起こりました。私たちはその困難に十分に良く対処できずに、多くの人々に苦しみを増幅させてしまったのではないかと悔やみます。今もウクライナやガザでは戦争によって、また世界の各地では私たちが創り出している気候危機による自然災害によって、命を失い生活基盤が破壊されている人々が多く出ています。

神さま、どうか今苦しむ人々を支え、助けて下さい。国や人々の支援が苦しむ人々にいきわたりますように。また、私たちに戦争のない平和な、互いに愛し合い、自然と共生する社会をつくっていく力をお与えください。

新しい年がそのような年となりますように、私たちをお導きください。

他者のために働く人々を力づけ励ましてください。

今日から始まる新しい一週の間、私たちの仲間の一人一人をその場にあってお守りください。

新しい一週の全ての人の歩みを支えて下さい。

この祈りをイエスのお名前を通してみ前に捧げます。  アーメン。

 

 讃 美 歌    297(栄えの主イエスの)

https://www.youtube.com/watch?v=9youPtqZQNg

  •   献  金
  •  頌  栄  28                                                     

http://www.its.rgr.jp/data/sanbika21/Lyric/21-028.htm

⑮  祝  祷

  主イエス・キリストの恵み、神の慈しみ、聖霊の交わりが、私たち一同の上に、また全ての人の上に豊かにありますように。     アーメン                      

⑯  黙  祷(各自)

これで礼拝は終わります。ー22