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2025.01.02

「死」の少し前に起こること…医者に「余命」を告げられたとき、知っておいたほうがよい「意外な事実」

だれしも死ぬときはあまり苦しまず、人生に満足を感じながら、安らかな心持ちで最期を迎えたいと思っているのではないでしょうか。

私は医師として、多くの患者さんの最期に接する中で、人工呼吸器や透析器で無理やり生かされ、チューブだらけになって、あちこちから出血しながら、悲惨な最期を迎えた人を、少なからず見ました。

望ましい最期を迎える人と、好ましくない亡くなり方をする人のちがいは、どこにあるのでしょう。

*本記事は、久坂部羊『人はどう死ぬのか』(講談社現代新書)を抜粋、編集したものです。

余命の意味

自分がいつ死ぬのかがわからないのは、とてもいいことだと思います。

もし、死ぬ日時がわかっていたら、それが何十年も先の場合は別として、十年を切ったあたりから、正月を迎えるたびにあと何年と気になり、さらに進むと、月が変わるたびに、あと何年何ヵ月と緊張の連続になるでしょう。ましてや余命が一年を切ったりすると、それこそ毎日、貴重な残り時間が指の間からこぼれ落ちるような恐怖に駆られるのではないでしょうか。

がんで治癒が望めない状態になると、医者は患者さんや家族に余命を告げることがあります。残酷な気もしますが、あらかじめ心づもりをしてもらうほうが、患者さんの側にも医療者側にもよい効果があるからです。

しかし、医者の告げる余命の意味は、正しく理解されているのでしょうか。

私の友人は、母親が肺がんになったとき、治療の相談の電話をかけてきて、「医者に余命は五ヵ月と言われた」と言いました。余命が半年とか三ヵ月というのはよく聞きますが、五ヵ月とはまた中途半端というか、珍しいと思ったので、「ほんとうにそう言われたのか」と聞くと、「一ヵ月前に余命は半年と言われた」とのことでした。

医者は予言者ではないので、そんなにピタリと余命を言い当てることはできません。にもかかわらず、医者の説明をそこまで真に受ける患者さんや家族がいることを、医療者は知っておいたほうがいいかもしれません。

実際、患者さんの認識のズレは、医療者の想像をはるかに超えることがあります。

余談ですが、私が在宅医療のクリニックにいたとき、同僚の若い医者が、体調がよくないと訴えるがんの患者さんに、「がんだから」と言うとショックが大きいだろうと思い、「○○さんの病気は悪性ですから」と説明すると、相手は驚いたようにこう言ったのです。

「がんとは聞いとったが、悪性とは知らなんだ」