声なき「高地の民」マケドニアの王子、アレクサンドロスを大王へと導いた「あの哲人」の英才教育。
紀元前5世紀頃に最盛期を迎えた古代ギリシア文明。しかし、その「文明の光」をエーゲ海を越えて東方世界へと広めたのは、先進的なアテナイやスパルタの人々ではなかった。ギリシアの北東、マケドニアの大王アレクサンドロスの征服活動によって、ギリシア文明はオリエント文明と出会うこととなったのである。「地中海世界の歴史」第4巻『辺境の王朝と英雄』(本村凌二著)は、この「ヘレニズム時代」に1巻をあてた異色作だ。
大樽の老人の「無礼発言」に感動
荒涼とした平原のギリシア本土から北上すると、鬱蒼と茂る樹木におおわれた山々が連なり、水源となる河川に潤された平野が広がる。マケドニア王国は、紀元前7世紀半ばにこの一帯で創建されたといわれる。
「マケドニア」とは、ギリシア語では「高地の人」を意味していたらしい。また、この王国について、同時代のマケドニア人が書き記したものはほとんど残っておらず、そのため「声なき民」とよばれることもあるという。
そんなマケドニア王国で、前356年、王子として生まれたのが、アレクサンドロスだ。のちに超大国ペルシアを滅ぼして大王とよばれるアレクサンドロスには、その人物像を伝えるさまざまな逸話が残されている。
よく知られているのが、ギリシアのディオゲネスと出会ったエピソードだ。
ディオゲネスは、欲望からの解放と徳を求め、何もかもを捨てて大樽に住む哲人だった。そのディオゲネスに会ってみたい、アレクサンドロスが望んだという。
ところが哲人は平然と断ったから、わざわざアレクサンドロス自身が哲人の前に出かけなければならなかった。そこで、奇妙な老哲人は日光浴をしており、立ち上がろうともしなかったから、まわりはあわてふためいた。
アレクサンドロスはこの老人に興味をつのらせ、「何か私にできることはありますか」と尋ねた。するとディオゲネスはぶっきらぼうに「ありますよ。あなたの影でわしの日光浴を邪魔しないでほしい」と答えたから、周囲の連中はこの無礼な発言に驚いた。
〈ところが、それに応じたアレクサンドロスが「もしアレクサンドロスでなかったならば、私はディオゲネスのようになりたい」と言ったから、周りの人々は背筋が寒くなるほど心を動かされ、大きな衝撃を受けたという。いかにも、玉座と乞食という天衣無縫の両極端の人物ならではの物語ではないだろうか。〉(『辺境の王朝と英雄』p.81)