難しいドラマは観てもらえない
本来、脚本はオーケストラにおける楽譜のようなもので、作品の骨格と言ってもいい。
黒澤明の映画『七人の侍』などの脚本で知られる橋本忍は、著書『複眼の映像』の中でこう書く。
〈 通常、私は脚本直しをした監督とは、二度と組むことはない。第一線級の監督は脚本の直しなどはしない。脚本を直すのは、腕のない二流もしくは三流監督の、偏狭な私意や私見に基づくもので、脚本にとっては改悪以外のなにものでもなく、私たちはこうした無断改訂の常習者を「直し屋」と呼ぶが、「直し屋」はそれが習性で、脚本が誰であれどんな作品であれ、改作をやめない。だから私は相手が「直し屋」と分かると、徹底して仕事を忌避する 〉
しかし、日本シナリオ作家協会の会員で、映画・テレビドラマの脚本を多数手がける脚本家の西岡琢也は、橋本のような仕事のやり方は今では通用しないと話す。
「生身の役者が演じるわけだから、多少(脚本を)変えたり、シーンを入れ替えたりするというのは以前からあった。昔はプロデューサーから前もって『この部分を変えます』という連絡があったけれど、それもだんだんなくなっていった。
今は監督、役者たちが勝手に変えている。特にテレビの人は、決定稿ですと言って(完成した原稿を)渡したときは『ありがとうございました』と言うけど、後は自分たちで変えればいいと思っている。決定稿とは名ばかり。いわば『名ばかり決定稿』ですよ。
とはいえ、テレビドラマというのは映画と違って尺が決まっているから、放送時間をいかに埋めるかという作業でもある。CMとの絡みとか、撮影所を使える日程の都合とかで、脚本に手を入れるのはやむをえない部分もある」
そもそも、日本のテレビドラマはテーマが限られている。ほとんどのドラマは恋愛物、あるいはサスペンスである。欧米では政治物やSF物なども人気を博しているが、なぜ日本ではそうしたドラマが作られないのか。
「民放のドラマの場合、CMのスポンサー企業の商品に、化粧品といった20代、30代の女性をターゲットにした物が多い。だから、それにふさわしい番組を作ろうという話になってくる。当然、難しい社会派の内容は見ないから、恋愛物だというふうになる。素材は限られてきますよね」(西岡)
一方、サスペンスの2時間ドラマの対象とされる年齢層はもっと上になる。
「あれは、例えば序盤に笑えるシーンがあって、10時くらいになると犯人だと思われていた人が死んで、最後は意外な人物が断崖の上で犯罪を告白するというふうに、構成のパターンが決まっている。
殺し方にしてもあまり残虐過ぎてはいけないし、2時間でまとめなきゃならないので、動機が入り組んでいると時間内に説明できないから駄目。そうなると借金、あるいは夫の愛人、遺産を巡る争いなど、いくつかのパターンに集約される。
なぜそういうドラマが量産されているかというと、単純に視聴率が取れるから」