2001-07-01から1ヶ月間の記事一覧
晴れてはいるが、空は濁ったような、ブルーグレーみたいな色。芝生のまわりに生えている桂の木に、上半身裸の造園業者の人がホースで水をやっている。ホースの先から放出された水が、きれいに一本の線になって宙にのび、強い光を浴びていて、やや離れた場所…
アトリエへ向かう途中にある中学の校門の脇に、まるでそこだけ周囲から切り離された別の世界であるかのように涼し気に青紫の花を咲かせている紫陽花も、さすがにもうその色に少しだけ疲労が感じられるようになって、花びらの緊密だった配列もややバラけ気味…
(昨日からのつづき、『ヤンヤン・夏の想い出』について。) では、『ヤンヤン・夏の想い出』という作品は、前述したような意味において、エドワード・ヤンの今までの仕事の最高の達成と言えるのだろうか。確かに、冒頭部分は凄くて、このままブッとばしていっ…
ビデオが出ていたので、エドワード・ヤンの『ヤンヤン・夏の想い出』を観直した。 数多くの人物が登場し、その関係が複雑に錯綜しながら展開してゆくのを、切り返しと移動撮影を厳密に避けた、フィックスとパンのみで的確に語ってゆくエドワード・ヤンの演出…
この暑さで疲れがたまっているのか、強い日射しで頭がヤラれてしまっているのか、ここ最近、ところ構わず、知らず知らずに眠ってしまう。ぼくはもともと、ほとんど不眠症と言ってもいいほど寝つきが悪いのだけど、それがまるで嘘のようだ。ちょっとでも時間…
小沼勝の『NAGISA』をビデオで。ある1人の齢若い女の子の身体が、世界のただなかにあり、その身体が、世界が彼女に向かって投げかけてくる様々な表情の変化に感応し、様々な試練のなかでしなやかに運動している様を映しだすこと。おそらくそれは、映…
ジェームス・マンゴールド監督の『17歳のカルテ』をビデオで。 この映画は一見すると、内部と外部との間にある境界や、管理する者とされる者という対立が、絶対的ではないかのように描かれているかにみえる。精神病で入院しているはずの患者たちには、いかに…
小林さんの作品は、もうモロに「ペインタリーな」感性によってつくられた、しっかりし過ぎている程しっかりした「絵画」としか言い様のないもので、そこが最大の強みであると同時に弱味でもあるようなものなのだ。だから絵画に対して少なからぬ執着をもって…
連日、湿っ気た暑い日がつづくなか、7/11の日記に書いた、アトリエへ行く途中にある中学の正門の脇に咲いている紫陽花の花は、今日も変わらず、そこだけ別の次元に接続されてでもいるかのように、この強い日射しや湿気に汚されることなく、文字どおり全く涼…
岡崎乾二郎氏の『ルネサンス・経験の条件』、第1章「アンリ・マティス」を読んだ。これは、「批評空間」の臨時増刊号『モダニズムのハードコア』に掲載された文章が元になっている。この文章を「批評空間」誌上で読んだ時、そのマティスとティツィアーノの解…
今日のようなおそろしく暑い日の日記に、暑い暑いという言葉をやたらと書き込んでしまうのは、あまりに芸のないことだとは分かってはいるのだけど、あんまり暑くて頭が働かず、自己抑制を失ってしまっているので、平気で何度も暑い暑い暑い暑いと連呼してし…
そこここに咲いている紫陽花の花は、雨が少ないのと日射しが強いせいでだろうか、もうほとんどがすっかり萎びて、色もくすんでしまっていて、葉っぱばかりがやけに元気よく、青青と茂っているのだが、アトリエへ行く途中にある、中学の正門の脇に咲いている…
真っ赤なプラスチックの、象さんの絵なんかが描かれている如雨露で、小さな、5、6歳くらいの女の子が、アスファルトの地面に、水で線を引いていた。その線に沿って、ヨーイ、ドン、と、もう一人の女の子と母親らしい人物が揃って走り出し、母親が、僅かの差…
ウワサの、三人祭、7人祭、10人祭、というのを『HeyHeyHey』で初めて観た。印象は、よく分らない、と言うか、とっ散らかった感じだった。多分それは、テレビの表象能力の問題が大きくて(だから「音」だけ聞くと全然印象か違うのだろうけど)、テレビの音楽番…
『シェイディー・グローブ』は、もしかしたら、『ユリイカ』や『月の砂漠』へと発展してゆくことによって捨てられてしまった様々な可能性に満ちているのではないだろうか、とも思えたのだった。例えば、役所広司のいない『ユリイカ』の可能性とか、田舎の家…
フランス映画祭で『月の砂漠』を観てから(感想はここ)何となく引っ掛かっていて、もう一度見直してみたいと思っていた青山真治の『シェイディー・グローブ』をビデオで観た。これがとても面白くて、以前に観た時とはかなり印象が違っていた。 この映画に登場…
セザンヌによって実現された絵画によるイメージのイレギュラーな特異性を、セザンヌの「天才」や「気質」に還元してしまうような見方に対しては、違和感を覚えざるを得ない。セザンヌという人は恐らく「天才」などという言葉とは無縁の人であって、どのよう…
桂の木の生えている辺りを通ると、蜜のように重たく粘つくような甘い匂いが香ってくるのだけど、実際に近づいて、その幹や葉の匂いを嗅いでも、まったくそんな匂いはしないのだった。(まるで、木の幹から樹液がじわじわと染み出すように、暑くて湿った空気の…
画材を買いに行った帰りの電車のなか、若い妊婦とその母親と思われる2人連れがいた。母親は妊婦をいたわるような感じで脇に立っていた。母娘にしてはあまり似ていないなあ、と思いながら、電車も混んでいたし、それっきり忘れてしまった。アトリエに近づくに…
あまりに暑いので髪を切りにゆく。美容院は線路ぎわの建物の二階にある。イスに坐って待っている間に、窓から外を見下ろす。もう花はしおれかけてしまっている紫陽花だけど、葉は勢いよく溢れるほどにもくもくと茂っていて、線路のフェンスを埋もれさせてし…
あっつい。自分の身長ほどもある木枠と巻いた画布とを両手で抱えて乗っている電車の窓から見えた川原は、そこに生えている草の色の濃さも、そこに射している光の濃さも、もうすっかり夏のもののようだった。水面に日の光が反射して、一瞬ぎらりと光った。 電…