⚫︎マネの「アトリエでの昼食」(1868年)の特徴は、まず、遠近法的に空間を表現するパースを感じさせるものがほぼ存在しないということ。唯一、テーブルの角がちよっとだけのぞいていて、奥に向かって傾いているが、テーブルクロスの色と、その後ろに立っている女性の着ている服の色がとても近いためにあまり目立たない(手前の青年、後ろの女性、鉢植えという、画面向かって左側にある三つのモノが、徐々に小さくなっていくことで横倒しの三角形を作っていて、それが疑似的な遠近法的効果を作ってはいるが、それは「正しい遠近法」ではない)。さらに、この絵のフレームの中には地面(床)が存在せず、描かれているすべて、3人の人物、兜や剣が置かれた椅子、テーブル、壁際にある鉢植えの置かれた台の、どれもが床との接地面が描かれない(後ろの女性の足元はフレーム内に収まりそうな感じだが、意図的に隠されている)。ゆえに人や物たちの存在する空間がはっきりしないで(計測可能な三次元空間ではない)、ふわふわしたままだ。
空間は主に、モノとモノとの「重なり」によって「前後関係」として示され、「深さ」の感覚が希薄だ。
「アトリエでの昼食」というタイトルだが、この絵には、アトリエ感も昼食感も希薄だ。確かに、テーブルの上には食べ物が並んでいるが、どの人物も食べ物(食べる行為)に関心を持っているようには見えない。というか、この絵に描かれているものは、人も物も、それぞれの関係が希薄で、「一つの場面」を作っているようには思われない。食卓の椅子の上に兜や剣が置かれているのも不自然だ。別の場所から切り取られてきた写真を貼り合わせたみたいな無関係さを感じる。3人の人物は皆無表情だが、それぞれが異なる表情で無表情であるように見える。
空間表現としても、場面的(物語的)表現としても、それぞれの関係が希薄で、すべてを統べる共通性(基底座標)が見当たらない。
さらに特徴的なのが、手前の青年の着ているジャケットが、真っ黒のほぼ平面的なベタ塗りで、それが画面の中心部で大きな面積を占めている。マネ以前の画家でも、肖像画などで、黒い服がほぼベタ塗りの黒で表され、画面を引き締める効果を作っていることはあるが、ここまで大胆にベタの黒塗りが前面にあることはないだろう。また、手前の青年のジャケットと、中間にいる髭とたばこの男の描写が主に平面的に処理されているのに対し、後ろの女性は陰影によって膨らみを強調する描写になっている。
(女性の膨らみと、椅子の座面、テーブルの幅が、この画面に、かろうじて薄い「深さ」を出現させている。平面的な重なりの中に、何層かのズレた「薄い深さ」が無理に差し込まれることで空間化されている感じ。)
画面中で最も明るく見えるのは、最も後ろにあるように見える鉢の白で、この明るさが手前の黒いベタ塗りの強さと拮抗している(青年の襟元の白も効いている)。
後ろに立つ女性の着ている服と、テーブルにかかるテーブルクロスは、明度は高いが彩度が低いグレーであり、その燻みに対してきっぱりしたベタ塗りの黒の強さが対比的に際立つことで、後ろのグレーよりもむしろ「黒」の方が明るい色であるかのように見えてくる。この明るい黒が、後ろにはあ鉢や、襟元の白と拮抗する。
このようなマネの空間表現と、その下に示したマティスの空間表現とは、見かけほどには遠くない(マティスの画像はMOMAのウェブサイトから)。