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じっぽ当直日誌・スーパーマイルド@はてな

『さるさる日記』から続く、中年内科医の日常日記。これまでの分はこちら。http://touchoku.jugem.jp

79年目の終戦記念日に、早田ひな選手の言葉で、知覧特攻平和会館に行った日を思い出した。


 8月15日。終戦記念日。猛暑のなか、長男と買い物へ。
 安くなっていたゲーミングノートPCに心を惹かれたのだが、己の欲求に今回はなんとか打ち勝った。
 家にはまだ十分使えるゲーミングPCがあるし、Steam Deckもある。
 これは安い!お得!という観念にとらわれて、結局使わないもの、必要ないものを買う習慣をやめたい。だが、今の僕にとっての最大の娯楽は、株取引と衝動買いなのだ。職場のパソコン、もう古いしなあ、などと買うための言い訳を探してしまうが、職場にゲーミングノートPCがあると危険でしかない。
 ただでさえ、最近出費多いからなあ。もう僕の収入も、収入が得られる期間も限られているのだから、お金の使い方を考えなければ。子どもたちの学費が最優先事項。
 その一方で、楽しむためにお金を使える時間も、もうそんなに残っていないな、とも思う。

 卓球の早田ひな選手が知覧の特攻平和会館に行って、卓球に専念できる時代が当たり前ではないということを確認したい、と発言したことについて、中国の選手たちがXのフォローを外した、というのがネットニュースになっていた。
 中国の選手たちには彼らが受けてきた教育や背景、その国で生きるための処世術があるのだろうし、仕方ないことなのかもしれない。それぞれの国にとっての「あの戦争の歴史」がある。
 その選手たちが今度大会で早田選手と会ったら、これまでと同じように接してくれたらいいな、とは思う。

 SNSで誰それをフォローしたとか外したとか「いいね」したとかは、ここまで「政治的」「思想的」に判断されている時代なのだ。発言内容にちょっとイラッとしたからフォロー外した、とか、ファンのプロ野球チームが負けた日、相手チームのファンではしゃいでいたからフォローをやめたりブロックしたりすることが、僕にはある。有名人じゃなくて良かった。不快なら見ない、というのはお互いにとって無難な距離感でしかない。

 早田選手の発言には、映画『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』などで、若い人たちが太平洋戦争や特攻隊員について知る機会が増えたのも影響しているのだろう。
 きっかけは何であっても、「知る」「自分で見る」ということは大事だ。
 知覧の特攻平和会館といえば、大学時代に夏の大会で鹿児島に行った際に、行きたい、という先輩たちと朝早くに起きて訪れた記憶がある。
 いつも笑顔の美しくて優しい先輩が、涙をポロポロ流しながら展示を見ていたのを思い出す。
 自分たちと同じくらいの年齢の人たちの「最期の言葉」をみて、たぶん、そこには書けなかった気持ちを想像すると、押しつぶされてしまいそうだった。

 広島の原爆資料館に行ったときも、原爆を落としたアメリカがどうこう、というよりも、「なんで人間はこんなことをやってしまうのだろうか」と、ひたすら悲しく、怖かった。
「戦争の時代には生きたくないな」とも思った。

 何事も、実際に見て、読んでから、その意味や価値を判断する人が少しでも増えてほしい。
 だが、人生は短く、空気を読まないと生きづらい。


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