この記事は黒井心さんの『ここ一年で心に残ったベストエンタメコンテンツを全力でオススメする Advent Calendar 2024』17日目の記事だ。
昨日はのーねーむさんの記事だった。
旅行記事はなんぼあってもいいですからね。
さて今回の記事で挙げるのはパニスだ。年の瀬の今、皆さん今年触れたあのパニスが良かったな、なんて思いに浸っている人も多いのではないか。かくいう私もその一人。この記事ではそんな私の個人的な今年のベストパニスを紹介する。ベストパニスというのはパニスの中の年間ベストだ。数あるパニスの中から栄えある1位に選ばれたパニスとはどこのパニスなのか。またベストパニスは『このパニスがすごい』『パニスが食べたい』『パニス大賞』『パニス川賞』『山本パニ五郎賞』『ベストパニッサー賞』『世界を変えた100のパニス』なと様々な賞も総なめすることになる。またこれは個人的な感想であり「このパニスが良かったぞ」などというご意見も募集中だ。
まずパニスとはなにか。パニスは料理だ。日本語のWikipediaにも特に記事がなかったが、ひよこ豆のペーストを焼いたものだそうだ。ひよこ豆というのは言わずもがな豆である。ひよこ豆のペーストというのは……フムスを想像してみてほしい。ヴィーガンのメニューとしてちょいちょい出てくるあれである。食したことが無い人はフムスは割合いろんなとこで食べられるので是非。イスラム圏の料理屋では大体前菜としてある。パニスはその焼いたやつだ。日本料理で言うなら厚揚げだろうか。ダイズのペーストを焼いたやつ。
さて、パニスが何か判明したところで──そもそもベストエンタメという枠で料理の話をしていいのかという問題が出てくる。しかし千葉雅也もこう言っているではないか。
音楽ですね。餃子は音楽なんですよ。
(『センスの哲学』 千葉雅也)
餃子は料理であり、音楽はエンタメである。つまり餃子は音楽。パニスはエンタメ。こういうことだ。あながち冗談でもなくて、そもそも、自分は料理をおもしろ=エンタメとして捉えるのが好きだ。自分は大食いでもないし、お腹は弱い。量という料理の楽しみ方からは縁遠い人生だが、食の持つエンタメ性は好きだ。味にうるさいわけではないが変な味は好きだ。すぐクラフトコーラとかクラフトビールとか飲むし、そういう変な、油断ならないものを定期的に摂取してしまう。逆にエンタメの方面から食を見てみても、かの有名な『夜汽車の男』を筆頭に(まずこれが筆頭に出てくるあたり真面目に食べる気が無いというのはある)食のエンタメ性に着目した作品は枚挙にいとまが無い。ちなみに自分がこういった形で食を楽しんでいますということを書いた記事が以下である。
という長い言い訳を挟んで、ここ一年で心に残ったベストエンタメコンテンツことベストパニスの発表を行う。
それは山谷酒場のパニスだ。
山谷酒場とは山谷にある飲食店だ。山谷というのは東京都は台東区に位置する地名で、著名な近場には浅草がある。ただ鉄道網の網目をかいくぐった位置にあり、山谷酒場は最寄りである日比谷線三ノ輪駅からも15分は歩く、行きやすいとは言えない店である。実際自分も店に行くときは店のみに用事がありついでにあそこ寄ってこ、なんてことはない。ただひたすらに店まで歩くのみである。
だがそんなぽつんとある山谷酒場に俺は複数回行っている。それは当然料理が美味しく、更にそこの料理がワンダーでありエンタメだからだ。そのエンタメ性から山谷酒場は主にスパイス界隈で名を馳せている…らしい。この界隈というのがよくわからない。東京カレンダーとかに載るのとも、BRUTUSの特集に載るのとも違う、しかし確実に同質のカルチャーを共有するあのSNSの界隈である。その界隈での評判を聞き店へ向かったのが3年くらい前だろうか。そしてその界隈の言っていることは正しく、山谷酒場は唯一無二の料理を提供してくれた。
パニスの話の前に山谷酒場のフラッグシップとも言える山谷酒の話をする。これはスパイス酒というべき飲み物で、クラフトコーラを十重二十重に織って濃くしたような複雑な味がする飲み物だ。複雑なのにこれはこの味だと決めきれない曖昧な、しかし切り立ったうまみがある。つまり大変美味しい。これに類似する飲料をまだ自分はここ以外で飲めていない。美味しすぎて店で売っている原液を買うのを躊躇するほどだ。家で飲んだらだめになっちゃうから。
話をパニスに戻す。そもそも、自分はパニスを目当てに山谷酒場に行ったわけではない。何度か行っているからなに食べても美味しいしな、と店に行きメニューを見たときに目に飛び込んできたのがパニスだった。パニス。パ・ニ・ス。ロリータの冒頭のように一音ずつ口に出しても一体どんな味なのか見た目なのかそもそも何なのか想像もつかない。しかしだから面白い。頼んでからしばらく待ち、はたしてパニスが現れた。
まずパニスの外観を見てほしい。
これがパニスである。まずパニスという言葉の響きを面白いと思って頼んでこれが出てきたとき、かなりわくわくした。意味が分からなさすぎる。そしてサーブしてくれた人の話を聞くに、これらのパニスはパニスと一口に言ってもすべて味が異なるのだということがわかった。その内訳がこれである。
記事の冒頭でひよこ豆のペーストを焼いたものがパニスと書いたが、おそらくこのパニスは豆だけでなくそれぞれの素材を加えている。料理よくわかんないけど。
という説明を受けて、まず左上のひよこ豆のパニスを食べる。うん。おいしい。サクッと言うよりはほろっとした食感。作りたてだからか、ほのかに温かい。豆の味が凝縮されていて見た目以上にお腹にたまる。なるほどな~と思ってごぼうを食べてみる。
ゴボウの味がする。ひらがなではなくカタカナのゴボウだ。製法が同じなのだから食感も先ほどのひよこ豆とほぼ同じのはずなのだが、口の中にささがきされた、皮がまだ残っているゴボウがあるように思える。あるようにしか思えない。なんだこれは。太い繊維質な食感を感じる。ごぼうを超えたゴボウなのか。これが。
これが言いたかったことで、つまりこのパニスは美味しすぎる。美味しいだけでなく抽象化された見た目からは想像できないほどに濃縮された素材のうまみが、脳にその素材そのものを食べたかのような幻影を抱かせる。常に少しだけ素材そのものを超えている料理。それが山谷酒場のパニスである。
バジルを食べる。濃縮されたジェノベーゼの味がする。パスタを一皿分フォークで巻ききって一口で食べたらこんな味がするのかもしれない。
トマトを食べる。食感は粉っぽいのに舌に酸っぱい果汁が広がっていくのが分かる。おそろしいのはただのトマトの味ではなく、焼き目のついたトマトの焦げ目の向こうの甘さまで感じられることだ。間違いなくオーブンで焼いたトマトの味。石窯で焼いた薄い本格派ピザの上にゴロッと載っているトマトの味だ。何でこの不定型な豆の料理からそれを感じるんだ。
にんじんを食べる。にんじんの先っぽ、ほのかな甘さを感じるにんじんの部分だけを集めて合体させたアルティメットにんじんの味がする。土臭さのない理想化されたにんじんの味。ハム太郎とかが食べているアニメにしかないめっちゃ美味しいにんじんはきっとこんな味なんだろうなと思わせる味だ。
マスタードを食べる。辛い。結構辛い。しかし美味しいマスタードってこういうレイヤーの多い辛さだよねという思いがある。そのものがガツンとくると言うよりマスタードを食べて咀嚼して飲み込んだあと口に残るおいしい風味がずっと続くみたいなおいしさ。後味を固形化させている。後味が常にする。
桃とバルサミコ酢を食べる。ここまで存分に見せつけられているので桃の味がしようと全く驚かないぜと思ったら一口目で笑ってしまう。なんでこのディストピア飯みたいな見た目から、バルサミコ酢をかけた桃の味がするのか。本当に意味が分からないが、確かに桃の、しかも固い桃ではなくちょうど熟したフォークで刺すとするっと繊維を突き抜けるくらいの美味しい桃の味とその上に少し鼻に来るバルサミコ酢がかかった味がする。瑞々しい桃の果汁と酢が混ざった甘酸っぱい風味を確かに舌に感じる。普段使わない味覚野を使って舌が筋肉痛になる。
という感じでパニスを一皿食べきったときにはお腹より脳がいっぱいになった。なんというか常に口内と脳内で差異が生じるという貴重な体験。おいしさ以外で食事が人に与えうる衝撃の局地を見たようなそんな不思議な時間だった。もちろんパニスはあくまで前菜であり、美味しすぎる卵とトマトの炒め物やコシャリなど国際色とバラエティ豊かな食事にすっかり満足してしまう。いや~美味しかった。美味しい料理のあとには最寄り駅までの少し長い帰り道も思い出を振り返るいい時間になる。
ということで山谷酒場のパニスについて書いた。お店自体は広すぎず狭すぎず気取らない感じの店内だ。さらにDMで予約ができるという電話がおっくうなあなたと俺に優しいシステム。是非一度行ってみて、山谷酒を飲んでみてほしい。そして俺も食べたことのないバナナステーキやにんじん一本焼きなどを食べてみてほしい。
そんなわけで、明日はねじまきさんの記事です。