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続けてもいいから嘘は歌わないで

同人作家の同人以外の雑記が主です

パニス

この記事は黒井心さんの『ここ一年で心に残ったベストエンタメコンテンツを全力でオススメする Advent Calendar 2024』17日目の記事だ。

adventar.org

昨日はのーねーむさんの記事だった。

note.com

旅行記事はなんぼあってもいいですからね。

 

さて今回の記事で挙げるのはパニスだ。年の瀬の今、皆さん今年触れたあのパニスが良かったな、なんて思いに浸っている人も多いのではないか。かくいう私もその一人。この記事ではそんな私の個人的な今年のベストパニスを紹介する。ベストパニスというのはパニスの中の年間ベストだ。数あるパニスの中から栄えある1位に選ばれたパニスとはどこのパニスなのか。またベストパニスは『このパニスがすごい』『パニスが食べたい』『パニス大賞』『パニス川賞』『山本パニ五郎賞』『ベストパニッサー賞』『世界を変えた100のパニス』なと様々な賞も総なめすることになる。またこれは個人的な感想であり「このパニスが良かったぞ」などというご意見も募集中だ。

まずパニスとはなにか。パニスは料理だ。日本語のWikipediaにも特に記事がなかったが、ひよこ豆のペーストを焼いたものだそうだ。ひよこ豆というのは言わずもがな豆である。ひよこ豆のペーストというのは……フムスを想像してみてほしい。ヴィーガンのメニューとしてちょいちょい出てくるあれである。食したことが無い人はフムスは割合いろんなとこで食べられるので是非。イスラム圏の料理屋では大体前菜としてある。パニスはその焼いたやつだ。日本料理で言うなら厚揚げだろうか。ダイズのペーストを焼いたやつ。

さて、パニスが何か判明したところで──そもそもベストエンタメという枠で料理の話をしていいのかという問題が出てくる。しかし千葉雅也もこう言っているではないか。

音楽ですね。餃子は音楽なんですよ。

(『センスの哲学』 千葉雅也)

餃子は料理であり、音楽はエンタメである。つまり餃子は音楽。パニスはエンタメ。こういうことだ。あながち冗談でもなくて、そもそも、自分は料理をおもしろ=エンタメとして捉えるのが好きだ。自分は大食いでもないし、お腹は弱い。量という料理の楽しみ方からは縁遠い人生だが、食の持つエンタメ性は好きだ。味にうるさいわけではないが変な味は好きだ。すぐクラフトコーラとかクラフトビールとか飲むし、そういう変な、油断ならないものを定期的に摂取してしまう。逆にエンタメの方面から食を見てみても、かの有名な『夜汽車の男』を筆頭に(まずこれが筆頭に出てくるあたり真面目に食べる気が無いというのはある)食のエンタメ性に着目した作品は枚挙にいとまが無い。ちなみに自分がこういった形で食を楽しんでいますということを書いた記事が以下である。

firstlot13.hatenablog.com

という長い言い訳を挟んで、ここ一年で心に残ったベストエンタメコンテンツことベストパニスの発表を行う。

それは山谷酒場のパニスだ。

山谷酒場とは山谷にある飲食店だ。山谷というのは東京都は台東区に位置する地名で、著名な近場には浅草がある。ただ鉄道網の網目をかいくぐった位置にあり、山谷酒場は最寄りである日比谷線三ノ輪駅からも15分は歩く、行きやすいとは言えない店である。実際自分も店に行くときは店のみに用事がありついでにあそこ寄ってこ、なんてことはない。ただひたすらに店まで歩くのみである。

tabelog.com

だがそんなぽつんとある山谷酒場に俺は複数回行っている。それは当然料理が美味しく、更にそこの料理がワンダーでありエンタメだからだ。そのエンタメ性から山谷酒場は主にスパイス界隈で名を馳せている…らしい。この界隈というのがよくわからない。東京カレンダーとかに載るのとも、BRUTUSの特集に載るのとも違う、しかし確実に同質のカルチャーを共有するあのSNSの界隈である。その界隈での評判を聞き店へ向かったのが3年くらい前だろうか。そしてその界隈の言っていることは正しく、山谷酒場は唯一無二の料理を提供してくれた。

パニスの話の前に山谷酒場のフラッグシップとも言える山谷酒の話をする。これはスパイス酒というべき飲み物で、クラフトコーラを十重二十重に織って濃くしたような複雑な味がする飲み物だ。複雑なのにこれはこの味だと決めきれない曖昧な、しかし切り立ったうまみがある。つまり大変美味しい。これに類似する飲料をまだ自分はここ以外で飲めていない。美味しすぎて店で売っている原液を買うのを躊躇するほどだ。家で飲んだらだめになっちゃうから。

話をパニスに戻す。そもそも、自分はパニスを目当てに山谷酒場に行ったわけではない。何度か行っているからなに食べても美味しいしな、と店に行きメニューを見たときに目に飛び込んできたのがパニスだった。パニス。パ・ニ・ス。ロリータの冒頭のように一音ずつ口に出しても一体どんな味なのか見た目なのかそもそも何なのか想像もつかない。しかしだから面白い。頼んでからしばらく待ち、はたしてパニスが現れた。

まずパニスの外観を見てほしい。

パニス

これがパニスである。まずパニスという言葉の響きを面白いと思って頼んでこれが出てきたとき、かなりわくわくした。意味が分からなさすぎる。そしてサーブしてくれた人の話を聞くに、これらのパニスパニスと一口に言ってもすべて味が異なるのだということがわかった。その内訳がこれである。

記憶が違ってたらごめん

記事の冒頭でひよこ豆のペーストを焼いたものがパニスと書いたが、おそらくこのパニスは豆だけでなくそれぞれの素材を加えている。料理よくわかんないけど。

という説明を受けて、まず左上のひよこ豆パニスを食べる。うん。おいしい。サクッと言うよりはほろっとした食感。作りたてだからか、ほのかに温かい。豆の味が凝縮されていて見た目以上にお腹にたまる。なるほどな~と思ってごぼうを食べてみる。

ゴボウの味がする。ひらがなではなくカタカナのゴボウだ。製法が同じなのだから食感も先ほどのひよこ豆とほぼ同じのはずなのだが、口の中にささがきされた、皮がまだ残っているゴボウがあるように思える。あるようにしか思えない。なんだこれは。太い繊維質な食感を感じる。ごぼうを超えたゴボウなのか。これが。

これが言いたかったことで、つまりこのパニスは美味しすぎる。美味しいだけでなく抽象化された見た目からは想像できないほどに濃縮された素材のうまみが、脳にその素材そのものを食べたかのような幻影を抱かせる。常に少しだけ素材そのものを超えている料理。それが山谷酒場のパニスである。

バジルを食べる。濃縮されたジェノベーゼの味がする。パスタを一皿分フォークで巻ききって一口で食べたらこんな味がするのかもしれない。

トマトを食べる。食感は粉っぽいのに舌に酸っぱい果汁が広がっていくのが分かる。おそろしいのはただのトマトの味ではなく、焼き目のついたトマトの焦げ目の向こうの甘さまで感じられることだ。間違いなくオーブンで焼いたトマトの味。石窯で焼いた薄い本格派ピザの上にゴロッと載っているトマトの味だ。何でこの不定型な豆の料理からそれを感じるんだ。

にんじんを食べる。にんじんの先っぽ、ほのかな甘さを感じるにんじんの部分だけを集めて合体させたアルティメットにんじんの味がする。土臭さのない理想化されたにんじんの味。ハム太郎とかが食べているアニメにしかないめっちゃ美味しいにんじんはきっとこんな味なんだろうなと思わせる味だ。

マスタードを食べる。辛い。結構辛い。しかし美味しいマスタードってこういうレイヤーの多い辛さだよねという思いがある。そのものがガツンとくると言うよりマスタードを食べて咀嚼して飲み込んだあと口に残るおいしい風味がずっと続くみたいなおいしさ。後味を固形化させている。後味が常にする。

桃とバルサミコ酢を食べる。ここまで存分に見せつけられているので桃の味がしようと全く驚かないぜと思ったら一口目で笑ってしまう。なんでこのディストピア飯みたいな見た目から、バルサミコ酢をかけた桃の味がするのか。本当に意味が分からないが、確かに桃の、しかも固い桃ではなくちょうど熟したフォークで刺すとするっと繊維を突き抜けるくらいの美味しい桃の味とその上に少し鼻に来るバルサミコ酢がかかった味がする。瑞々しい桃の果汁と酢が混ざった甘酸っぱい風味を確かに舌に感じる。普段使わない味覚野を使って舌が筋肉痛になる。

という感じでパニスを一皿食べきったときにはお腹より脳がいっぱいになった。なんというか常に口内と脳内で差異が生じるという貴重な体験。おいしさ以外で食事が人に与えうる衝撃の局地を見たようなそんな不思議な時間だった。もちろんパニスはあくまで前菜であり、美味しすぎる卵とトマトの炒め物やコシャリなど国際色とバラエティ豊かな食事にすっかり満足してしまう。いや~美味しかった。美味しい料理のあとには最寄り駅までの少し長い帰り道も思い出を振り返るいい時間になる。

店の外観もユニーク

ということで山谷酒場のパニスについて書いた。お店自体は広すぎず狭すぎず気取らない感じの店内だ。さらにDMで予約ができるという電話がおっくうなあなたと俺に優しいシステム。是非一度行ってみて、山谷酒を飲んでみてほしい。そして俺も食べたことのないバナナステーキやにんじん一本焼きなどを食べてみてほしい。

そんなわけで、明日はねじまきさんの記事です。

札幌旅行①お寿司おいしすぎ編

某日

旅行の計画を立てているLINEで旅程を完全に1週間間違えていることに気づく。休みの予定などが一気にずれるのでなんとか計画を立て直す。

某日

朝5時に起きる。旅行の日はなんだか目が冴えている気がするが一時的な興奮だろう。最後の持ち物チェックをし、夜明け前の街を自転車で走る。空港に向かう早朝バス乗り場にはすでに幾人か並んでいる人がいた。当然こういう時にはくるりの『ハイウェイ』を聴く。バスが来る。予約しているのでスムーズに乗れたが、予約していない人もいた。朝5時半のバスに予約せず来るの胆力がすごい。席に着きすぐ爆睡。アラームで起きるとバスが羽田空港に着く。下車。通常なら寒い外気も雪国に向かう我々には涼風のごとし。友人と合流し、もう一人の友人を待つ。まだ店が1店も空いていない人がまばらな出発ターミナルにも、始発電車に乗ってかみるみるうちに人が増える。その波に乗って友人も登場。さっさと出発ゲートをくぐる。この時間にも沖縄、宮崎、北海道…様々な便が出ている。

飛行機まではまだ時間があるのでお腹に何か入れようとするが早朝過ぎてゲート内の蕎麦屋やスタバは長蛇の列。万世のカツサンドを買う。800円なんて物価に慄いてはいけない。そしてカツサンドはうまい。搭乗が始まるので乗り込む。やった!ポケモンジェットだ!ここでおわかりだろうが、今回は北海道に向かう。飛行機にはバックモニターもない。座るや否やまた爆睡。目が覚めると当機はすでに着陸態勢に入っていた。リンゴジュースを頂き、到着の衝撃を楽しむ。ぞろぞろと飛行機を降りると空港の中でさえキンとする寒さを感じる。北の大地に来たのだ。ガランとした到着口を進む。あまり予定も詰まってないので、新千歳空港を見てやるかと二階へ。

二階の出発口前フロアには到着口とは比較にならない巨大なお土産屋ゾーンが広がっている。越谷レイクタウンかと思った。まだ朝九時前だが、行列をなしている店がある。しかも複数ある。始発の飛行機では間に合わないはずなのでおそらく市内から普通に空港に買いに来ている。恐るべし北海道。出遅れたのでとりあえず練り物を食べる。1個200円ほど。めっちゃ美味しい。じゃがチーズの練り物なんて北海道スターターセットみたいなものじゃないか。端っから格の違いを見せつけられ、めまいがしたのでとりあえず空港を出ることにする。フリーきっぷを買い小樽へ。1時間半ほど電車に揺られるが結構な乗車率。小樽が近づくと雄大な海岸線が車窓から見えてテンションが上がる。終点小樽に着く。

駅すぐのバスターミナルでバスに乗り換える。流石に空気が冷たい。小樽はまだ長崎屋がドンキと拮抗している。早速ガラナを飲みバスが来るのを待つ。ニセコ行きのバスなんかも通ったりしてインバウンドの力に思いをはせる。バスに乗り込んで向かうのはおたる水族館だ。道中気づいたが、おたる水族館は今週末で冬季休館に入るらしい。だからか、小高い土地に立つ水族館は結構人が入っていた。

こういう雰囲気

そもそも水族館に来るのが割合久しぶりなのでゆっくりと中を見て回る。いい感じに古い施設、ひなびた館内のサインや看板。そして水槽の中の魚たち。ゆるく組み合った要素がなんだかチルい。ふらふらと進むと、トドのショーが寸前に始まったことに気づく。どうやらショーは館の外のプールでやっているらしい。それは見なきゃと館を飛び出して外のプールに向かおうとした時の光景がこれである。

青と白のしましまの屋根があるところにトドがいる

北の大地を舐めてはいけない。外のプールというのはこれくらい遠いのだ。トドを見るために走って坂を下るも、トドが魚をもらいながら胸ビレを叩くショーはプールに着く寸前に終わってしまった。しかしこんなスケール感とは思わないよ。他にもペンギンやアシカたちを見ていると(ペンギンはどこの水族館に行っても一眼レフを構えるガチ勢がいるのが凄い)とつぜんヒョウが降ってくる。痛い!と叫びつつイルカプールに避難する。ショーをやっていないイルカプールはなんだか荘厳な雰囲気があり、誰もいない客席を前にしてすーっとイルカが泳ぐ様は神秘的ですらあった。イルカ、身体の使い方が普通に綺麗でいい。

なんだかんだ2時間弱楽しんでまたバスで小樽へ。駅付近でスープカレーを食べる。当然おいしい。スープカレーはカレーでありながら素材の味を活かしたものなのですべての素材が美味い北海道では当然美味い。エビをバリバリ食べる。スープカレーにおけるレンコンのありがたさよ。

具だくさん

身体がほかほかしたので観光地巡り。運河沿いをぶらつき、古い町並みを通ってお菓子屋さんへ。しかし腹痛でほぼ薬局にいた。なんでよ。でもテイクアウトしたシュークリームは目を見開くうまさ。こりゃ人も殺到するわ。

結局徒歩で駅まで戻り、そのまま電車で札幌へ。これまたたまたま見つけたミュンヘンクリスマス市に向かう。いわゆるクリスマスマーケットだ。大通公園を彩るイルミネーションをくぐると、なかなかに混んでいるクリスマス市の会場に着く。雑貨の店や食べ物の店などがひしめく場内でお土産を買ったりホットワインを飲んだりソーセージを食べたりする。鹿肉のソーセージが美味しかった。あと寒い中人混みで食べる飯というのはなんだか良いものだ。昨年横浜赤レンガ倉庫のクリスマスマーケットにも行ったが、あそこは海沿いで風が強くしかもテントもない野ざらしだったのに比べ、札幌のクリスマスマーケットはテントにストーブもあり風もなく静かに雪がちらつくという最高のクリスマスマーケットだった。適度に酔って札幌で寿司を食おうと町中をうろつくもどこも混んでいる。結局すすきのからバスで宿に向かう。ちょっと郊外のバス停で降りるとそこはもう雪景色。とりあえず宿に急ぎチェックイン。寿司欲を満たすため近くの回転寿司屋に向かう。

結果的にここが旅行のハイライトで、とにかくすべてのネタが美味しかった。大抵地方に行くと魚は美味しいが、明らかに一段格上の旨さ。マグロでさえただの赤身がトロを超えており、中トロはさらにそれを超えてきていた。『トップガン』の続編が『トップガンマーヴェリック』だった驚きと喜びをまさか寿司で得られるとは。あと本土では見ない銀鱈の寿司が大変なことになっており、一人が頼んでそのリアクションを見て他の人も次々頼むという最高の寿司エコーチェンバーが発生していた。函館漁火という回転寿司屋さんです。あと名前的に本店が函館何かと思ったらここにしかないお店らしい。なんでよ。でもぜひ皆さん行ってください。往復飛行機代の価値がある味です。

オレンジの皿が銀ダラ

雪が降りしきる中帰りがけにセイコーマートに寄る。雪が降る景色の中ではコンビニもなんだかエモく見える。様々なオリジナル商品を買い込みホテルに戻る。大浴場で温まりサウナからの外気浴で凍えたりする。部屋でさらっと酒盛りをして就寝。

降りしきる

 

r.gnavi.co.jp

 

某日

チェックアウト間際…ではないがそこそこ遅く起きる。ちんたら支度をしてギリギリにチェックアウト。バスで市内まで向かう。とりあえずパンを食べようと地下街を闊歩しパン屋へ。クロックムッシュがやたらうまい!どうなっていたら普通にチェーンで都内にもたくさん店舗があった。だがおいしい事実は変わらないし。午前中なのに近くの回転寿司屋さんは30人ほど待っていた。お次は…スイーツだ!と昨日小樽で見かけた六花楼へ。札幌店は歴史ある建物にお店を構えており、二階がカフェになっている。カフェは埋まっていたのでシュークリームをテイクアウトし地下街で食べる。札幌の地下街はとにかく広くて座る場所がたくさんある。店舗の前の机で勉強していたり寝ていたりしている人も空間に許されている。東京の何も許さない空間とはえらい違いだ。東京の地下街は全員が購入資金を持っており購買意欲がある前提で、店舗間をいかに滑らかに魅力的に移動させるかという装置に過ぎない。札幌の地下街はその空間での自由が許されている感じがある。いい都市…。シュークリームは抜群にうまい。クリームの甘さが重たくなくスイスイと食べれてしまう。これで350円。驚きだ。シュークリームを食べながらなんと我々は海鮮丼のことを考えている。脳内の食い合わせなどリアルの美味しさの前では二の次だ。海鮮丼屋へ向かう。行きがけにリゾット専門店があり大いに惹かれるが繁盛していたので次の機会に。海鮮丼屋はご飯の量を選べて観光客に優しかった。いくら、うめぇ〜。何度かの満腹感を得てすすきののビルに物見遊山で向かう。地下のお土産やをうろうろして飲むヨーグルトを飲む。これまた旨し。ポケモンセンターやデパートなどを闊歩し、早めに空港に向かう。

 

【ベストエンタメアドカレ6日目】その画の力に目が離せない「フールナイト」

この記事は黒井心さんの『ここ一年で心に残ったベストエンタメコンテンツを全力でオススメする Advent Calendar 2024』6日目の記事です。

adventar.org

エンタメが飽和し、溶け出し、結露の様に窓に滴る世の中において、人がハマったエンタメの話というのは非常に価値があると信じてやまない。この記事が誰かのそういったきっかけになれば幸いだ。

昨日はtetsuoさんの記事だった。

【ベストエンタメアドカレ5日目】ガールズバンドクライと映像の距離|tetsuoh

多種多様な例示を素に緻密な映像語りが展開されて読み応え抜群なので未見の方は是非。

 

そして今回は漫画『フールナイト』を紹介する。

book.dmm.com

『フールナイト』は面白い。本作は安田佳澄によりビッグコミックスペリオールに連載され、現在9巻まで単行本が出ている。何が面白いのかという話の前に、今年この作品を読み始めたきっかけを語ろうと思う。

 

このツイートを見たからです。あまりにもこのコマの女性(主人公のヨミコ)が市川実日子すぎる。何が言いたいかと言うとこんなうろんなツイートからでも漫画を全巻買うやつはいるということだ。

 

『フールナイト』の話に戻る。この作品の面白いところを一言で言うと、とにかく漫画が表現できる面白さ──特に絵により表現できるもの──の全体的なバランスが高い。総合力としての漫画力(ちから)が強い。それを下支えするのはやはり絵の魅力で、個人的にこの絵の系統が見えず、突然変異的な魅力に溢れていると思う。そしてその絵が、世界観を語るうえで"足りて"いる。

作品の話をするならまずストーリーの説明が必要だろう。公式から引用。

ぶ厚い雲に覆われ陽が差さなくなった遥か未来の地球。

植物が枯れ酸素も薄くなった世界。

しかし人類は、人を植物に変える技術を開発し、わずかな酸素を作り出して生き延びていた。

先の見えない世界でも人として生きるか、苦しみを捨て植物として新たな生へ踏み出すか。

人々は選択を迫られるーー

ふわっとしたあらすじだが、補足すると人を植物に変える技術は"転花"と呼ばれる。いやいや、人がそう簡単に植物になるかよ、という点は金で説明されていて、転花すると1千万円が国から支払われる。転花は2年ほどかけて徐々に進行するので、手っ取り早く金が欲しい人は"転花"をさっさとし、まだ人間性が残っている間に豪遊するのだ。当然そんなことが横行する世の中(24世紀)は荒んでおり格差も今の比ではない。そんな中転花を行う転花院という施設に勤める蓬莱ヨミコと貧困(と親)に苦しむ神谷トーシローが本作の主人公となる。

※オタクポイント1

ヨミコとトーシローの恋愛未満の男女バディ感は大変おすすめ。みんなが大好きな、お互いがお互いによってある意味救われたと思っていて、しかし自身がもう一人に与えている救いに無自覚なバディになっています。

トーシローは例によって金を得る為に転花をせざるを得なくなり、その結果転花し植物になった元人間の言葉を聴ける特殊能力を手に入れる。ヨミコは自身の目的のためその力を利用することを目論見、転花院でトーシローを雇うが、そこで彼らは様々な事件に巻き込まれる…というのが大ざっぱなあらすじ。

様々なというか、今のところ街で起こる連続殺人事件が転花した人間によるものでは…というところから始まるアイヴィー編が終わり次の話が始まったばっかりなので既刊の話はほぼ2.3エピソードしかない。もっと短い話を細かく序盤に入れていくスタイルが普通(BLEACHだってソウルソサエティ編の前にそういう時期がある。幽遊白書だってそうだ)だと思うが本作は1巻で松野スミ編をやっていきなりそこから7巻くらいかけてアイヴィー編をやり始める。なんでだろうと思うが、たぶんこれは作者の設定が溢れ出てしまいそれらを乗っけた結果長大な話になっている…と思う。通常それは連載においてはマイナスだが、『フールナイト』ではそれが魅力にさえなっている。

というわけで魅力を箇条書き。

〇設定の強さ

本作の魅力は"転花"というギミックから思いつく数多の設定が抜群の画力で表されていることだ。転花技術により植物になった人間のおどろおどろしくも崇高な姿はもちろん、転花した人間が町中にいるため街には植物が生い茂っていること、そんなディストピアのような世界がゆえに街角が汚れ雑居ビルが立ち並んでいること。そういった作品世界に香り立つ臭いを絵で表現しようとしている。

またその白眉はアイヴィー編で出てくる転花の闇を象徴する部分だろう。作中では酸素が貴重なため、酸素税を始めとする様々なコストが街で住むにはかかってくる。それを払えない人々が街を去り、酸素の薄い地域にスラム街が形成される。その雑多な汚れ方。またそんなスラムの子供達が転花した植物を管理し、富裕層に出荷する農園──特に後者は久々に漫画の絵でウッとなった。漫画の中の理が侵されている事実に対して忌避感を覚えるというのは凄いことで、端的にフィクションにのめり込まされているという証左だ。ウッとなると同時に『やられた!』となる感覚はフィクションの醍醐味。メイドインアビスのあれそれとか。

そしてその設定は転花という大きなウソをついてるが故に現実に漸近する。フィクションの強みは現実を変奏できることだ。例えば毒親という言葉に込められた当事者の恨みつらみをトーシローにせよヨミコにせよ確実にキャラクタは背負っている。金が無いから転花をせざるを得ない苦しみは容易に現実に置き換えられる。作中で主人公の話と並行して語られるメグ父娘の話はそういった現実への漸近が最も顕著だ。元々都市部で暮らしていた父娘が金がないことをきっかけにスラム街に住むこととなり、それが故に父娘の絆が壊れていく話は正直読んでいて辛い。しかもその話まだ本筋に回収されてないし。

ちなみに最新エピソードの水上寺院のビジュアルも最高です。

 

○アクションの巧さ

フールナイトのジャンルはSFハードアクションと定義していいと思う。その名に恥じぬアクションがフールナイトにはある。もちろん主に叶野が担うヒリヒリと痛いアングル自在のアクションもそうだ。

 

※オタクポイント2

昨今色々でけぇ女キャラが流行っているがそんな中に叶野を見ることが無いのが嘆かわしい。元傭兵アクションバリバリでかほんわか女は絶対にSNSに刺さるポテンシャルがあるのでおすすめです。

 

も、と言ったのは単純にコマで表されるキャラクターの日常芝居の巧さもアクションに数えたいからだ。特に8巻のこのシーン。

『フールナイト』8 安田佳澄  

ヨミコが座る日常シーンだが、2コマ目をこの座りかける絵で描こうと思う作者の観察眼がすごい。このシーンは相対する2人の舌戦の前に置かれており、絶対にこんな日の丸構図、対立のために相対するシンメトリーで描いてしまうのに、どうせこの後会話で対立するんだから、と割り切ってあえてヨミコの座りかける瞬間を大きなコマに描くことで対立のタメの空気を演出するこの手腕。これも漫画におけるアクションの大事な要素だ。

 

さて、2つ箇条書きをしたが……ずっと絵の話しかしていない気がする。良いのかそれで。いやでも漫画ってストーリーの話しちゃうとなんか良くないなと思ってしまう。漫画というジャンルを語るうえで絵だけに言及するのは片手落ちなのだが…(個人的に漫画の要素としては絵とストーリーと台詞がある)ここで言えるのは転花という設定の強さだろう。この設定は人々の苦しみの突破口をフィクショナルに描く装置だ。現実的に言えばこれは自殺なのだが、自殺をあえてフィクショナルに描くことでそこにいたる過程をじっくり読ませることに成功している(それでも結構暗い話ではあるが)。そこが本作の魅力だ。

というわけでぜひフールナイトを皆さんに読んでほしい。この読んでほしいというのは、俺の手元に弾がこもった拳銃があった場合読んだほうが身のためだと言う言葉に読み替えられる切実さを持った言葉だ。正直あまりケレン味はなく地味に平均の威力が高い漫画なので過小評価されている気がしないでもない。だがSNSでバズるケレン味がなくても面白い漫画は面白いという意味でぜひ一読をオススメします。

そんなわけで、明日は機能美p(https://x.com/Quino_vi)さんの記事になります。ご期待ください(渡哲也)

 

日記(免許更新・予防接種)

某日

疲労の中帰宅。運転免許証の更新通知がとどいている。運転免許証の更新はいつもお決まりの免許センターでやっていたが、取れる休みと講習の空き日程が合わないことが予約を取ろうとした段階でわかる。今って講習も予約をしなければならない。うーんと言って、なんか予約システムの見せた幻影(予約が空いたように見せて取れないこと)に踊らされたりして、結局遠い免許センターに予約を取る。こうでもしないと行かない場所だし。

某日

休みだというのに通勤の時間に起きて車で免許センターへ。国道をひた走り、トイレ休憩にコンビニに寄る。何度かキャンプでも来た道をコンビニの駐車場から見やる。ドライブはほとんど休憩のために走っている。再び車を走らせる。なんだか住宅街を走らされウワーなどと言っていると免許センターに着く。

平日だがセンターは混んでいて、多くの人が床に記された順番待ちの列の並びに従っている。こういうお役所感は好きだ。掲示されてるポスターを見て日本の免許保有者の数は八千万人以上なんだな〜とか思ってると受付が始まる。列に沿って進む。ゴールド以外の人や免許返納の人は別の列にいる。すごいおじいちゃんがスーツを着て免許返納に挑んでいた。列は粛々と進みお金を払って視力検査して写真を撮る。写真を撮る前少し髪を整える社会性を前回の更新以降身につけた。写真後講習へ。連れ立ってきている人を見ると誕生日が近いメリットだなと思う。講習は社会人になって座学を受けられる貴重な機会だ。講習の講師は調子がいい世間話みたいなテンションで話していた。LOOPのせいで変わった法律の中身を聞き流す。講習のあとは更新済みの免許をもらって解散。写真はなんだかだいぶ前回と雰囲気が変わっていた。

秋晴れの下車に乗り近くのショッピングセンターへ。駐車場の入り方が分からずぐるぐるする。服を見ようと思ったけどあまり店舗数がなかった。未だに服屋に一回入って退店してもう一回入る時に気まずさを勝手に感じている。駐車場料金のため本屋で散財チャンス。いろいろ迷って『君のクイズ』を買う。小川哲は面白いのだが『ゲームの王国』をまだ通して読めてない悲しさもある。その後スタバでハロウィンドリンクを。スタバで駐車場料金分使えたのでは?いいんだよ。ハロウィン近くなのであちこちに小さな死神やハチなどがいた。不完全燃焼だったのでもう一軒ショッピングセンターへ。こっちは駐車場が3時間無料だった。最初からこっちでよかったな。しかし特に成果はなく、あえなく帰路へ。帰りの道中やけに眠くなって気を確かに運転する。ラーメン食べて帰宅。山岡家のラーメン、スープが妙に美味い。

 

某日

表参道でHIROMU OKAの個展を見る。映像にリソグラフィのテクスチャーを持ち込んで作られる映像には独特の温かみがある。STUTSのMVがすごく好きだったのだけど望むものが見られて満足。表参道にはあまり馴染みがないので目的もなくうろうろする。表参道ヒルズの階の分からなさってすごいなと思う。原宿駅付近にある段々の形のアパートがいつも気になる。あそこの中華は美味しいらしい。明治神宮まで歩き、更に明治神宮の裏手に回ると何故か馬がいた。お得な気持ちでポニーを観察して帰る。

某日

体調が悪いサイン。喉が渇き、唇が乾燥する。鼻水が止まらなくなる。風邪薬を飲んでさっさと寝る。

某日

インフルエンザの予防接種を受ける。なんだか例年より痛い注射をされた。気のせいかも。眼鏡を選んでみるも、眼鏡を外すと眼鏡をかけた顔があまり見えないという当たり前の壁にぶち当たる。悲しい。

 

 

少し長いツイート(デジタル民主主義・言わない・その他)

distance.media

オードリー・タンのインタビューが面白かった。フェイスブックなどが登場した時、人々がそれを公共の庭だと勘違いしたことが問題の始まりであり、デジタル民主主義は数千人から二万人ほどの規模で意思決定する際に有用である、また自身の選択がある集団の意思決定に関わるということをローカルな結びつきなどで人々は感じる必要がある──これらはデジタル、インターネットの結びつきへの期待感だ。と言いつつ、インターネットは人々の考えを加速させ妄想の域にまで引き上げてしまうから時々は直接会ったほうがいいなど地に足がついた話が展開されている。これを見ていると政治的な話のクリーンな面は人々の選択をどうやってまとめ上げ共同体の意思決定につなげるのかという話になるのだと思う。ダーティーな面というのは金である。それ以外にも移行期正義や、ゼロ知識保護など気になるワードがたくさん出てきて今後も読み返したくなるインタビューだった。

 

言わないという事で内圧を高めるという自分なりのテクニックがある。これを更に分解すると、今のインターネットで言わないという意思表示は存在しない。しかし意思表示には今までは考えられなかったクソリプというリスクが発生する(クソリプというコストというのは普通に新書などで論じて欲しいと思っている)。そうすると意思表示はクソリプのコストと天秤にかけられることになる。そうして表示されない意志というのがたまっていくのだが、これを天秤にかけた結果ではなく能動的な決断と捉えるとそれは自分の信じることとなるので強固になる。内圧が高まるということだ。こうして自分の内圧が高まり、へにゃへにゃだった足元が空気入れたての自転車のタイヤのようにピシッとすることが自分の尻でしっかりと座るということだ(この『自分の尻で座る』という比喩はニーチェのものらしいがどこで読んだか思い出せない)。

 

『女性が贈り物をし合うのは純粋な贈り物としてでなくマウント合戦としてである』みたいなツイートがあった(結構前)。まぁ、そんなことはないだろうと思うし実際違うよ!という発言がたくさん見られた。このツイートを見て思ったのは勘違いだなぁではなく、この人はそういう世界観で生きているんだなということだ。この人は色んなことにマウントという力関係を見いだして生きているのだと思う。だから他人の行動にマウントを見いだしてしまう。悲しいことだ。別のところで『友人に彼女/彼氏ができるとぽっと出の人間に親友を取られた気持ちになる』という文を見たことがあってシンプルに俺はそうはあんまり思わないなと思った。多分こういう発言に共感する人は友人に少しの彼女/彼氏感を感じているんだろう。同性でもそういうことってある。これは独占感とも言い換えられるかもしれない。同じケースで自分が思うなら「選択したな~」だろうか。これは同質感と言い換えられるかもしれない。ともかくこうした無邪気な決めつけが世界観を露呈することってままあって、そこにつけ込まれると異様に怒られるなという教訓があった。問題は無邪気な決めつけが面白すぎることだ。

 

トランプ大統領が誕生して以降アメリカってどうなってるんだという気持ちが大きくてそういう記事を読んている。

https://roles.rcast.u-tokyo.ac.jp/publication/20241023

しかしそのどうなんだという気持ちはこういうインタビューなどを見ているとちょっと変わってきている。どう考えてもアメリカが克服しようとしている、そしてトランプが克服をぶち上げている問題というのは日本でも随所に見られるものだからだ。たまたま日本にはトランプがいなかっただけで、いたとして、それが理性で抑止できるとはあまり思えない。抑止というのも変な言い方で、選挙の俎上で吟味できるかは怪しいと言わざるを得ない。いわく物価の高騰、いわく多様性への"疲れ"みたいなものは毒ガスのように低い土地に溜まっていっていて誰が火種を投げ込むかという話に他ならないように見える。特に日本の政治は党派性に左右されるからそうなっていないだけで多分そのうち党派性は解体されていくんじゃないかなと思う。その時に"強い"個人を選ばない理由がないんじゃないか。

 

というようにツイートには収まらない長さで時流への文を書くと良いなと思った。ブログとしては微妙だが。

 

 

 

日記(LOST DECADE・ゴミうんち)

某日

起きる。友人らと落ち合う予定があったので、都内へ。昼メシがてらという話だったのでなんとなく店をピックアップする。思い切り自分の趣味に寄せた店が承諾されたので意気揚々と向かう。例によって変則中華料理屋へ。机の上に出しっぱなしの取り放題の唐揚げやもやし炒めに心が踊る。麻婆豆腐や、汁なし担々麺という外せないメニューの中、謎の白身魚と高菜の酸辣煮込み的なものを頼む。いざ来たそれは酸っぱく辛い汁に白身魚がゴロゴロ入っているやつ。まんまだ。しかし魚の身がプリプリしており汁のすっぱからな風味とよく合う。何気にご飯も進む。食べていると良い感じに発汗してくる。遅れてきた友人を待つかどうか微妙な時間になったのでとりあえず店を出て書店へ。何がどこにあるかわからないな〜と歩いていると時間になったのでその場を離脱。そのままMOGRAで行われるDJイベント『LOST DECADE』へ。MOGRAは結構な人出。開演までしばし一階で待つ。音楽、特にクラブイベントは周囲にいる人の層がガラッと普段と違うのでなんだか面白い。未だにそういう界隈に溶け込まるほどの雰囲気をまとってない為に浮いている感覚がある。まあ悪いことではない。多分死ぬまでこうだろう。開演後に地下へ。この低音を聴きながら地下に行く感じ、良い。結果的にイベントはすごく良かった。DJイベントって行くたびに意味がわからないというか、人がでっけえ音で鳴らす既存の曲を聴いてそれが繋がってなんか良いバイブスを掻き立てられるその過程がピンときていない。その意味のなさが良いのだという事かもしれないがそれにしたってこの生産性の無さは何なんだろうと思う。もちろん生産性という尺度から離れた行為なのでクラブに生産性なんて求めていない訳だが、あまりにこの世の理から離れた空間であることは確かだ。特に音楽なんて持ち帰れないものだし。しかし乗代雄介がブログで紹介していた一節で、肌はその感覚を記憶すると読んだことがあり、そういうことかもと思った。クラブで感じた振動とかを俺は肌で持ち帰っている。その行為が唯一クラブを後に記憶するものだ。アーカイブにも残らない低音の響きは肌にだけ残っている。そんな事を考えながら容赦なく音に自分なりに乗っていた5時間ほどだった。

最後の方は時間の関係で早引け。そのままサウナへ向かう。豚骨ラーメンの気分になったがなぜかどこもかしこも閉まっていた。唯一空いている店はなんだか胡散臭くて断念。サウナ内の食堂で肉味噌炒め定食をいただく。うーん。完璧。そのままサウナで汗を流し特に何も考えず就寝。

 

某日

仕事中『昨日俺爆音で踊ってたな』と思い返すとあまりに社会性のないその行いに笑ってしまう。ディスコテークというのは原初、政府や政治への抵抗運動でもあったと聞く。未だにあの地下の音は資本主義や成果主義への抵抗でもある。

某日

「ゴミうんち展」に行く。六本木の21_21でやってるやつ。まずタイトルがいい。ゴミうんちは物事の様々な排泄物であり代謝であるという話でいろいろなうんちやゴミが飾られていた。展示に疑似うんちというトイレの流れを確かめるための模造うんちがあったのだがその英語名が「pooploop popup」でなんかオシャレで一周回って鼻につくなどした。帰りにSHAKE SHARKでハンバーガーを食べる。でかいハンバーガーは楽しい。

 

日記(ベビわる・.合法な暴力)

某日

起きる。洗濯物を回す。映画館へ。ギリ午前中に『ベイビーわるきゅーれ ナイスデイズ』を見に行く。映画まで時間があったので本屋をぶらついたり駄菓子屋を見たりする。駄菓子の値段上がってるな。小学生時分は塾に行くときのブタメンがすごく楽しみだった。あとシゲキックスのあいつを久々に見た。シゲキックスは遠足のお菓子Tierトップだったなとか思い出す。時間になったので入場。劇場はほぼ満席。自分はベビわるを配信で見ていいなと思ったので劇場で見るのは初めてだ。映画本編はもちろん面白かった。ベビわるのアクションはちさまひが女性だから男性に対峙した時重心を崩す挙動が多分にあったり体格差を活かす動きがあって楽しい。冬村かえでとまひろのタイマンでお互いがフェイントを掛け合うシーンがあるのだけどその動きが鋭すぎてH×Hのヒソカがクロロから空中でフェイントを食らった気持ちになっていた。わかりますか?あと宮崎はまだ行ったことのない都道府県なので訪れたい。ファンが多いからか笑いどころではきちんと笑いが起こり見ていて楽しかった。

映画館を後にして当てもなくぶらぶら。甘いものと炭酸を同じくらい求めていたのでマックでコーラフロートを買う。フロート類って初めて自分の意志で買うかも。テイクアウトの容器がフロート部分にジャストサイズすぎて外では食べにくかった。ソフトクリームもコーラもおいしかったけど、どちらもいい塩梅で食べられる時間帯が少ない(ソフトクリームが溶けるしコーラは溢れる)のがあまり自分には向いていなかったかも。道端で苦戦しつつ食べる。餃子屋があったので(ここは餃子が有名な街だ)入る。餃子2皿とご飯とスープのシンプルな定食を食べる。こういうのもいいな。宇都宮の餃子はライトな美味しさをあえて維持してる気がしたけどここのもそんな感じ。以前本場の指導の元餃子パーティーをしたが、餃子には皮が厚い(主に茹で餃子)派閥と薄い派閥があり最近は空から羽根つき派閥も舞い降りてきていると聞いた。餃子パーティーは厚い派の下行われてそれはそれでおいしかった。あれは点心の資格がある。しかし餃子をご飯のお供と捉えると皮は薄くてよいのだ。美味しくいただく。帰宅して作業とか。

某日

髪を切る。メニューにマッサージも含まれているので肩を揉まれるが凝っているね〜と言われ、最近流行りのハンドガンを当てられる。振動がすごい。というか痛い。痛くないか?これ。もはやマッサージと言うより暴力に近い。静かで合法な暴力だ。歯を食いしばりながら「これ強いですね」と言うと「ええ。小型でこのパワーですから。これでも四割です」そんな『私の戦闘力は53万です』みたいなセリフが返ってくるとは思わなかった。「試しますか?100%」そう問いかける店員の顔が戸愚呂弟に見えたのは間違いではないだろう。強く断った。シックスパック社はマッサージと偽って世界に暴力を広めている。最も優しい武器商人である。