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【読書メモ】群像2024年10月号~「西瓜糖」を検索せずにいられるか?

思えば昔から本の中の「おいしそうな場面」ばかりを好んで読むこどもだった。

ローラ・インガルス・ワイルダーのシリーズでは豚のしっぽをじゅうじゅう焼く場面やカエデの木からメープルシロップを採取する場面。

若草物語』ではクリスマスの朝のごちそうを「フンメルさんの家にプレゼントしてはどうかしら」と言うお母さまに「それはない」といまでも突っ込んでしまう。

そういうわけで図書館で見つけて嬉しくなったのが群像2024年10月号。

・エッセイ
「おいしそうな文学。」
江國香織枝元なほみ木村衣有子/くどうれいん/斉藤倫/最果タヒ/向坂くじら/関口涼子/武塙麻衣子/田中知之/崔実/中条省平土井善晴/奈倉有里/野村由芽/花田菜々子/原武史/原田ひ香/平松洋子藤野可織穂村弘堀江敏幸益田ミリ/町田 康/三浦裕子/宮内悠介/宮崎純一/山崎佳代子

 

エッセイはどれも楽しく読んだが、中でも印象に残ったのはこのふたつ。

 

魅惑のミントジュレップ/花田菜々子

江國香織きらきらひかるに登場する【ミントジュレップ】に憧れた中学生の頃。大人になってからミントの葉が入ったカクテルを見つけたが、それはモヒートだったとか。そしてここがすばらしいと思うのだが、筆者はミントジュレップを検索しないのだ。

しかしここまできて検索などできるわけがない。現実のミントジュレップは、おそらく私の頭の中のミントジュレップほどすてきなものではないのだから

憧れを憧れのままとどめておく。なんという勇気だろう。私にはできない。なぜなら実際に検索したことがあるからだ。それは「西瓜糖」である。

 

西瓜糖のない日々/藤野可織

ブローティガンの『西瓜糖の日々』を読み、私が真っ先にしたことは「西瓜糖」を検索することだった。それまでに思い描いていたのは「儚くて小さくて金平糖のような菓子」で、筆者も「薄いガラス片のような見た目の、かすかに冷たい、小さなお菓子」と理想の西瓜糖を想像していたらしい。おそらく大半のひとが同じようなイメージを抱いていると思う。

ところが実際に検索してあらわれたのは想像とはまったく違う形状のものだった。(興味ある方は検索してください)

筆者がすごいのは検索してもなお「私の西瓜糖」にこだわるところだ。

検索してみるとこの世には実際に西瓜糖というものが存在しており……(中略)でもそれは私の正解ではない。そんな西瓜糖は甘すぎるに決まっている。

検索してもなお「これではない」と言い切れる強さ。私など検索して「これが西瓜糖なのか……」としばらく呆然としたというのに。

そういえばそもそも原題は?と調べたところそのまんま『In Watermelon Sugar』

じゃあその『Watermelon Sugar』ってなんなのよ、とこれまた調べてみると思いがけないスラングハリー・スタイルズの曲とともに紹介されており、ここでもまた「なんでも検索すればいいってもんじゃない」と思ったのだった。

このエッセイでは他にも江國香織の『きらきらひかる』が挙がっていたが、江國香織の作品は小説でもエッセイでも本当においしいものが印象的に描かれており、お酒を飲みながらおいしい文章を味わえる。ちなみに当エッセイで江國香織本人が挙げているのは庄野潤三だった。

その他、武田百合子を挙げているのが3人。(『ことばの食卓』、『日々雑記』、『富士日記』)武田百合子の場合は「まずい」ものを書いてあっても食べたくなる、とあり、また『日々雑記』を読み返したくなった。

私の好きな「おいしい文学」はとてもひとつには絞りきれないのだが、いまぱっと思いついたのはこんな感じ。圧倒的に女性作家が多い。

(「開幕ベルは華やかに」はジャンルとしてはミステリになるのだろうが、私にとっては「おいしいもの小説」である。)

おいしいものを食べながらおいしい文章を読む。悪癖なのかもしれないがこればっかりはやめられない。

 

 

 

働き方を考える~フリーアドレス、テレワーク、オフィスでのマナーなど~

こんな記事が出ていた。前から「オフィスでの働き方」について考えていたのでまとめておく。

news.yahoo.co.jp

フリーアドレスはここが困る

現在、フリーアドレスのオフィスで勤務している私が声を大にして言いたいのは「コミュニケーションの問題ではない」ということ。

何が問題か。「私物を置きっぱなしにする輩がいる」ということである。つまりフリーアドレスは名ばかりで、暗黙の自席を作るやつが必ず発生するのだ。これが一番困る。

あとは引き出しがないので、ロッカー貸与がされなければ細々としたものを常に持ち歩くのが手間といえば手間。

理想は「部署の島は決まっていて、その中ではフリーアドレスくらいだろうか。完全なフリーアドレスで、部署間でもメンバーがバラけて座ってると、入社して日の浅い社員とか派遣社員とかアルバイトとかそれでなくても社員に馴染みがない立場の人は、社員を探すのに困りませんか?

テレワークのメリット・デメリット

通勤が何より嫌いな私にとっての福音。デスクもチェアもモニターも最適なものを揃えたので、むしろオフィスで使いにくいぼやけた解像度のモニターを使ったり、ヘッドレストのない椅子に座ったりするのがものすごく苦痛。

その他のメリットとしては、使い慣れたトイレに行けること、休憩時間に家事ができること(満員電車で帰宅すると家事をする気力も時間もない)、電車に乗らないので圧倒的に風邪をひきにくくなった、などなど。

私にとってデメリットは皆無なのだが、テキストベースでのやりとりよりも電話を好む人、外にランチに行きたい人、仕事帰りに飲みに行きたい人、などは出社したほうが良いだろう。

オフィスでのマナー/こんな人は嫌われる

マナーのなっていない不届き者はどの会社にもいる。「こういうのはマナー違反!」と思った今までの鬱憤をメモとして消化しようと思う。

これを書いていて気付いたが、とにかく「補充しない」が許せないらしい。「自分さえ良ければ良い」という姿勢が如実に見えるからだろう。

  • コピー機のトナーを替えない
  • コピー用紙を補充しない
  • トイレットペーパーを補充しない
  • 空になったポットの湯を補充しない
  • シュレッダーが溢れそうなのに押し込んで誤魔化し、決してゴミ捨てをしない
  • トイレの洗面所の髪の毛をそのままにして去る
  • フリーアドレスの席に私物を置く(※しつこい)
  • オフィスグリコの代金を払わない(論外)

なぜか忘れられないテレビ番組の記憶(昭和~平成の頃)

本当は同好の士と語り合いたいのだが、あいにく周囲に言ってもわかってもらえず、記憶にとどめているだけのものがものすごくたくさんある。

今までそれらは脳内に保管しているだけだったのだが、せっかくブログを始めたのでそれらをメモとして書き留めておこうと思う。

今回はテレビで見たものなど。

世界まる見え!テレビ特捜部 

ネットで世界中のコンテツが見られる現在ではあまりピンとこないだろうが、90年代に海外コンテンツを手軽に楽しめる番組だったのだ。特に中国とインドが出てきたときの期待感といったらなかった。(思いもつかないような内容のものが多かったのだ)

ちなみに私は最近「銀河英雄伝説」を視聴し始めたのだが、当初キルヒアイスが「と、次の瞬間!」と言い出しそうな気がしてむずむずした。(もう慣れた)

海外の「ドッキリ」番組

中でも強烈に覚えているのが海外のサプライズ番組での一コマ。確かどこかヨーロッパのいわゆる「ドッキリ」に類する番組だった。

男性がスキーリゾート地の別荘の一室でスキージャンプの中継を見ている。選手が滑降しジャンプしたその瞬間、なんとその生身の選手が窓を破って(だったと思う)雪まみれで室内に飛び込んでくるのだ。

驚く男性。念入りに飛距離を計測する記録員までメジャーを持って室内に入ってくるのがまた面白い。

だます、というよりまさに「サプライズ!」という感じでそれでいて非現実的で忘れられない。モンティ・パイソンのネタにありそう。

ジェットコースター・マニア

確かアメリカだったと思う。いわゆる「ジェットコースター・マニア」が大集合し、国内のジェットコースターをハシゴして周る、という番組だった。万が一に備えて医者も帯同している。一日何回もジェットコースターに乗る、という無謀な試みに驚いた。

 

バブル母VS現代っ子

何の番組だったから失念したが、バブル時代に青春を過ごしたお母さんと大学生の息子さんのジェネレーションギャップを紹介するコーナーだった。

肩パッド入りのボディコンスーツを着て前髪をおっ立て、扇子を振り回しながらジュリアナのお立ち台で踊っていたお母さんは、地味で堅実な息子の生活スタイルに首をかしげまくっているのである。

例えばお母さんはランチといえば素敵なレストランでの外食(もちろん男性のおごり)が当然だと思っているが、息子は自分で食パンにジャムを塗ったお手製のサンドイッチを大学に持っていこうとする。

大学のサークルの飲み会では男女一緒に安い居酒屋に行き、会計はワリカン。息子だけでなく女子学生も「ワリカンが当たり前じゃないですか?男とか女じゃなくて」とさらりと言う。

他にもたくさんのギャップがあったはずなのだが強く印象に残っているのはこの2つ。おそらく20年以上前の番組だったと思うが、この息子のライフスタイルが現在とあまり変わっていないような感じがする。

お母さんが何にでも驚き、絶句しているのを尻目に、息子や友人たちの自然な態度が当時でもとても清々しく見えたのを覚えている。

 

アメリカ横断ウルトラクイズ

「ニューヨークへ行きたいかー!」というキャッチフレーズに「トリスを飲んでHawaiiへ行こう!」くらい時代を感じる。80年代だもんなぁ。

強く覚えているのは機内ペーパーテスト。合格点に達していなければ空港からそのままとんぼ返りという仕打ちに大人の恐ろしさを感じた幼少期。いまWikipedia見たらなんと400問。あまりにも過酷。

敗者復活戦だったと思うが「早く涙を出したほうが勝ち抜け」というのもあった気がする。涙が滲んだ状態を判定する(「ほら!出てる!出てる!」)という状況が、当人たちは必死なのにどこか牧歌的だったので記憶に残っている。

全国高等学校クイズ選手権

昨年12月に放映した「細かすぎて伝わらないモノマネ」で高校生クイズでの福留アナ』が披露されており、あまりにも似ていて爆笑すると同時にあの頃の記憶が蘇った。

近年はバリバリの高偏差値校同士の超難問対決となっていたが、昔は知力以外にも割と体力で押していくチームなんかもあった気がする。80年代仙台に住んでいた私には、宮城一女の優勝がものすごく誇らしかった。

 

NHK特集 スポーツドキュメント 江夏の21球

放映自体は2021年だが、内容が昭和なので。番組中、江夏豊氏が革ジャンを着てタバコを吸いながら紫煙漂う中でインタビューに答えていたのに驚いた。あまりにも昭和。一連のプレイについて当時の他の選手は「偶然じゃないですか?」と言っているのに対して本人が「神業やね」と言っているのがすごい。(逆ではない)

玉木正之氏の名著『プロ野球大事典』の「江夏豊」の欄にはこう書いてある。

延長12回を投げてノーヒットノーランを記録し、みずからサヨナラ・ホーマーを打って試合に勝ったとき、「野球はひとりでも勝てる」といった言葉には誰にも有無をいわせぬ見事な迫力があった。もっとも、本人はその言葉を「神話みたいなみんや」と否定している。が、自分で「神話」というところがシブイ。

www2.nhk.or.jp

 

NHK教育テレビで放映していた海外映画

麻花売りの女

中国の農村の主婦がテレビを買うために売血をするのだが、採血が終わるやいなや「こっちからも採って」と逆の腕を出すのが面白かった。ラスト、ついにテレビを手に入れるのだが、テレビに群がる村人たちと対象的に虚無状態のヒロインが良かった。

麻花売りの女 : 作品情報 - 映画.com

ナンプーは死んだ

後にも先にもこれしか見たことがないタイ映画。麻薬から立ち直るのではなく救いのないバッドエンドに打ちのめされた。

映画 ナンプーは死んだ (1984) - allcinema

我らの歪んだ英雄

たぶん初めて見た韓国映画。寒々しくて悲しかったことだけを覚えている。これ原作もあるのか。読んでみたい。

我らの歪んだ英雄 : 作品情報 - 映画.com

 

青春!カリブ海

カリブ海に浮かぶ美しい島にある三流医科大学にやってきた6人の若者たち。医師になることへの理想と、島で体験する現実とのギャップに直面する。美しい大自然の中で大学生活を送り、人生について学ぶ若者の姿を、レゲエのリズムにのせてコミカルに描いた。架空の島の医科大学は、カリブ海グレナダに実在する医大がモチーフ。撮影はジャマイカで行われた。(NHK番組紹介より)

今でこそ海外ドラマなど配信サービスでいくらでも見られるが、昔はNHKでの放映がすべてだった。

大草原の小さな家」を見て育ち、「ビバリーヒルズ高校白書」に夢中になり、「アリーマイラブ」や「ER」を欠かさずVHSに録画したあの頃。
しかしこの「青春!カリブ海は超マイナー。一緒に見ていた母といまだに「あれはなんか変なドラマだったけど面白かったねぇ」と語り合っているのだが。

「頑固じいさん孫3人」、「素晴らしき日々なども地味だが佳作なので、Amazonプライムで配信してくれないだろうか。「素晴らしき日々」は森田健作が吹き替えていたのを覚えている。

www.nhk.or.jp

 

ついてない候補特集~オスカーを逃した人・作品たち~

歴代のアカデミー賞の各部門のノミネートを見ていると、賞を逃した作品や人に対して「これはノミネートされた年が悪かった」と思わざるを得ないときがある。個人的に「これは惜しかった」と思うものをまとめてみようと思う。

※未見の作品もあり。あくまでも個人の独断。実際の興行収入や評価などは加味しない。

作品賞

市民ケーン 1941年(第14回)

えー!受賞してなかったの!?と思う人が多数いると思う。この年の受賞作は「わが谷は緑なりき」この作品も監督がジョン・フォードだし駄作ということはないのだろうが、名作といえば必ず名前のあがる「市民ケーン」に比べたらどうしても印象が薄い。「市民ケーン」はモデルとなったハーストによって上映妨害運動が展開されたそうなので、それが原因らしい。

ショーシャンクの空に 1994年(第67回)

これはしょうがない度合いが高い。「フォレスト・ガンプ」の年だった。ちなみに「パルプ・フィクション」も候補に挙がっている粒ぞろいの年。(「パルプ・フィクション」はカンヌでパルム・ドール受賞)

アポロ13 1995年(第68回)

個人的な「悔しいで賞」No.1。この年の作品賞は「ブレイブハート」。アカデミーって宇宙ものは作品賞獲りにくいんだよなぁ。「ライトスタッフ」しかり「E.T.」しかり「ゼロ・グラビティ」しかり。どうしても史劇に負けがちな印象。(「E.T.」も「ガンジー」に負けたし)

プライベート・ライアン 1998年(第71回)

これが「恋におちたシェイクスピア」に負けたとは……。ワインスタイン恐るべし。

※このあたりが参考になりました。

www.businessinsider.jp

www.prediccionesdecine.com

主演女優賞

ケイト・ブランシェット「エリザベス」1998年(第71回)

受賞したグウィネス・パルトロー(「恋におちたシェイクスピア」)がどうだというわけではなく、単純にこの演技で獲ってほしかったなぁという願望。しかし、その後のキャリアではケイト・ブランシェットの圧勝。ブランシェットがオスカーノミネートの常連となり、助演と主演で2度の受賞に輝いた文句なしの名優になったのに比べて、パルトローはこの受賞1回のみで、その後はノミネートにも挙がらず。俳優というよりお騒がせセレブになってるし。

番外編:エド・ハリス

とにかくこの人について書きたかった。エド・ハリスの過去のオスカーノミネートは下記の通り。

第75回 (2003年)助演男優賞ノミネート「めぐりあう時間たち

→受賞はクリス・クーパー(「アダプテーション」)


第73回 (2001年)主演男優賞ノミネート「ポロック 2人だけのアトリエ

→受賞はラッセル・クロウ(「グラディエーター」)


第71回 (1999年)助演男優賞ノミネート「トゥルーマン・ショー

→受賞はジェームズ・コバーン(「白い刻印」)


第68回 アカデミー賞(1996年)助演男優賞アポロ13

→受賞はケビン・スペイシー(「ユージュアル・サスペクツ」)

これ、特に68回と73回が不運だったよなぁ……。私は「アポロ13」でのエド・ハリスが受賞すべきだったと思うし、他の年なら絶対獲ってたでしょう。ただただこの年の「ユージュアル・サスペクツ」のインパクトが惜しい。


www.youtube.com

エド・ハリスももう74歳なので、このままいくといつか「名誉賞」ということになってしまいそうだがそれは困る。ぜひとも演技者として受賞してほしい。

余談になるが、同じ宇宙をテーマにした「ライトスタッフ」でジョン・グレンを演じたときのエド・ハリスも良かったなぁ。主演より助演で輝く俳優だと思う。

 

『火星の人』はこれからのお守りにしたい本

2024年最後に読んだ本。先に映画『オデッセイ』を見ていたので、かなりの部分が脳内で補完できた。先に小説だったら早々に諦めたかも、(SFが苦手なので)

絶望的な極限の状況下で、本人とNASAをはじめとする地球の人たちが懸命になって策を考える、という設定が私のオールタイムベスト映画『アポロ13』によく似ている。ただしアポロ13はクルーでの戦いだったが、今回の主人公は「火星にひとりぼっち」である。

主人公のマーク・ワトニーはどう考えても絶体絶命の状況であっても「なにかできるはずだ」と知恵を絞る。そして「できることからひとつずつ」着手する。失敗しても自暴自棄に引きずられることなく、原因をきちんと検証し、また挑戦する。

やるべきことが膨大に思えても、できることは一度に一つ。計画を立て、綿密なテストを繰り返し、一度の失敗ですべてを投げ出さない。そして着実に前進する。

彼から「まずひとつずつ問題を解決する」という大事な教訓を得た。私はなんでも取り掛かる前にあれこれ考えすぎて疲れてしまうことがあり、下準備はかなり綿密に行うが、その分想定外のことにめっぽう弱い、という面がある。

加えてすぐに「0か100か」という極端思考に陥ってしまうし、気分に行動を支配されることが多々ある。一時の感情にまかせて無謀な行動をとるのではなく、状況を冷静に判断し、粘り強く前向きなワトニーの姿勢は大いに見習いたいと思う。

実際、この本を読んだ後に仕事が立て込んだ日があったのだが、「ひとつずつ。ひとつずつ」と唱えてみると不思議と心が落ち着き、きちんとこなせたのだ。ありがとうマーク・ワトニー!

また、火星にひとり取り残されたワトニーが「船長とクルーに責任はない」と何度も何度も繰り返しNASAに告げるところが良かった。自責の念にとらわれるルイス船長に対して「あなたは最善の判断をした」と告げる。今回の事故をミスと捉えて原因追及のために彼女を委員会にかけるなら僕は断固として抗議する、と。

「たぶんあなたは、クルーを失うのは最悪の事態だと思っているでしょう。ちがいますよ。最悪なのはクルー全員を失うことです。あなたはそれを回避したんです」自分だったらこんなふうに思えるだろうか。

そしてこの作品の一番の魅力はワトニーのユーモアセンスだと思う。(もちろん彼がものすごく優秀であることは大前提なのだが)ハードな訓練でクルーたちの雰囲気が悪くなった際、ワトニーは率先していつもよりもジョークを飛ばしていた、と評されている。ジョークを飛ばすことで現実を見据え、理性を最後まで手放さない。ワトニーにとって、専門知識と同じくらいユーモアは自分を鼓舞する大きな武器となるのだ。

また地味に大事だと思ったのは在庫管理。これは映画を見るとよくわかるのだが、火星に置き去りにされた彼がまず着手したのが、残された食糧の在庫チェックだった。現在手元にある食糧と救助が来るであろう日数から、一日に自分が摂取して良い分量とカロリーを弾き出す。これ、貯金やダイエットにも使えるやり方だと思った。

映画はマット・デイモンはもちろんだが、ルイス船長演じるジェシカ・チャステインがとても良かった。いかにもな男勝りな女性船長像ではなく、エリート軍人であり、優れたリーダーであり、ディスコミュージック好きという楽しい女性なのだ。

以下、小説内からお守りにしたい箇所を抜粋。

もちろん、一年分の食糧で四年生きのびるためのプランが描けているわけではない。だが、いまは一度にひとつのこと。

最悪だ。もう死ぬ!
よし、おちつこう。絶対なんとかなる。

なにがあったのか説明すべきだろう。もしこれが最後のエントリーになるとしても、少なくとも理由だけはわかってもらえる。

ぼくはついてる。3200キロはそう悪い数字ではない。1万キロ離れていたっておかしくないのだから。

考えなくてはならないことが多すぎて、一度には無理だ。いまは電力のことだけを考えよう

もうおしまいだ。希望ももてないし、自分をごまかすこともできなければ問題解決の余地もない。なにもかもうんざりだ!

オーケイ、いうだけいってすっきりしたから、どうやって生きのびるか考えなくてはならない。まただよ。オーケイ、ここでなにができるか考えてみよう……。

オーケイ、自己憐憫はここまで。ぼくは破滅したわけではない。予定よりきびしい状況になっただけだ。生きのびるために必要なものはすべてそろっている。

 

 

自分の棚卸しをしたい2025年

今週のお題「2024こんな年だった・2025こんな年にしたい」

2024こんな年だった

2024年はどんな年だったんだろう?と振り返っても特にぱっと思いつくこともないということは、きっと平穏で良い一年だったんだろうと思う。なにはともあれよくやった。おつかれ、自分。

2025こんな年にしたい

いま考えているのは自分の考え方やものの見方などを幼少期を振り返りながら見直してみよう、ということ。

最近、今まではこういう性質だと半ばあきらめてきた自分の考え方がだいぶ偏っているらしいと気がついた。いわゆる『認知の歪み』というもの。この本を読んで自分が悲観的に、そして短絡的に思い込む癖があると思うようになった。(取り越し苦労でいつもへとへとになっているのだ)

これは生育歴や環境が大きく関わっていると思うし、だからといって過去のことを今から変えることはできないのだけど、過去の、特に傷ついた出来事について自分がどう感じたか、どういう行動をとってなぜそうしたのか、その結果いまどう思っているのか、を掘り起こしてみようと思う。

本当はプロのカウンセリングを受けたいのだが、なかなか探し当たらないので、まずはセルフ・カウンセリングの意味でやってみる予定。

具体的に取り組みたいのはこんな感じ。

  • 過去を振り返って自分の考え方の癖を知る
  • 悩んだり迷ったりしたらやる
  • 新しいことや人や場所に身構えすぎない
  • エアロバイクを継続してみる
  • 自分の感じたことを大事にする。他人と自分をわけて考える
  • SNSを見すぎない(※理由は↓)

em-em000.hatenablog.com

2025年の総合テーマは「健やかであること」

心身ともに自分を追い詰めず、好奇心を忘れず、ひねくれたものの見方をせず、伸びやかに過ごすこと。

自分を振り返りながら生活できるようにこのブログも続けていきたいと思っている。

2024年買ってよかったもの

 

そば猪口

少しずつ買い集めている

今年のベスト。食事の量を見直したいなーと思っていて小鉢セットを先に購入してみて「小さい皿に数種類のおかずを盛り付けると満足感がある」ということを発見。深さのある皿も欲しいなと思っていてそば猪口を買ったところ大正解。もちろんそば用なので汁気のあるものはばっちりだし、普通のおかずにもちょうどいいし、ヨーグルトやゼリーなどのデザート盛り付けにもいける。最近はコーヒーやお茶を飲む際にも使用。倒してぶちまける心配がない形状なのが素晴らしい。すべてAmazonで購入し、安いもので¥660、高いもので¥2,580。毎月少しずつ集めるのが楽しい。

 

VICTORINOX(ビクトリノックス) トマト&テーブルナイフ

さすが商品名に「トマト」と入っているだけあって、トマトを切れば一発でわかる切れ味の良さ。ギザギザの刃がやわらかいものを逃さない。トマト以外ではパプリカを切ったときに感動した。ツルツルした表面でも刃を当てるとぐっと表面を掴んでいる感じでとても切りやすいのだ。私は手が小さいので、軽くて11センチという形状の使いやすさがありがたい。野菜以外にも硬いパンも柔らかいケーキもなんでもストレスなしで切れる。柄のカラー展開が豊富なのも嬉しい。

カリマー デイパック VT day pack R(ペールカーキ)

カリマーはもともとイクリプス 27を愛用していて、もうちょっと小さめのものが欲しいなと思い購入。雨蓋ポケットに収納できるのがこんなに便利だとは知らなかった。電車内で前に抱えたときちょうど取りやすい位置になるのだ。夏に利用するために買ったアイボリー寄りの色味はアウターが暗めになる冬でもかわいいので大満足。気に入ったので色違いで黒も買った。注意点としてはサイドジッパーを閉め忘れそうなこと。背負う前に必ず全部のジッパーを確認している。

www.karrimor.jp

和平フレイズ グリさらパン18cm レッド

デイリーポータルZでパリッコさんのレビューを読んでその場で購入。ガステーブル購入後、一度も使用したことがなかった魚焼きグリルの使い方をマスターしたのが今年一番の収穫。なにせ魚も肉も焦げないし確実に美味しいし調理が楽。フライパンだと焦げやすいし火加減を注視していないといけないが、これは基本的に放っておいても問題なし。(適当な時間に表裏ひっくりかえすくらい)

優秀すぎる「グリさらパン」をひたすら賛美させてください :: デイリーポータルZ

 

マキタ 充電式クリーナー 

使っていたダイソンのクリーナーがあまりにもうるさいので「軽くて・うるさくなくて・コードレス」の条件で買った。掃除のストレス大激減。本体はもちろん文句なしなのだが、個人的にごつい昭和のゲーム機みたいな充電器が大のお気に入り。

とてもごつい充電器

 

毎年同じ時期にメンタル絶不調になる理由とその解消法

10月の下旬あたりから毎朝涙がだーだーと溢れ、特に思い当たるようなストレスもなく、ただただ「つらい、生きていたくない」というような謎の感情に飲み込まれていた。

4年ほど前に適応障害メンタルクリニックに通院していたことがあり、そのときの診察券を引っ張り出して再通院を検討していたものの、電話予約する気力もわかず、ずるずると引き延ばしていたのだが、いろいろと試行錯誤した結果、大きく2つの原因があることに気がついた。

(現在もやもやは解消されているのでこうしてブログを再開し、備忘として書き留めておく。来年の自分のために)

1)日照不足

現在ほぼ在宅勤務をしているのだが、仕事に使用している部屋が【北向き】なのだ。休憩時にリビングに行くと日当たりの違いが明確にわかる。この日照不足による軽い冬季うつなのだ、という結論に至った。

そういえば去年も秋から冬にかけて調子悪かったような気がするな、と思い、夫とのLINEやりとりを探してみると、2023年11月下旬に「なんかメンタルがおかしい」「気が滅入る」「部屋が北側だから採光が弱まったせいだと思う」と書いているではないか。どんだけ忘れっぽいんだ自分。

大きめのディスプレイとデスクを使用しているので仕事する部屋を移動するのはできないのだが、せめて朝の日差しを浴びようと思い、朝30分ほど散歩することにした。気が向けばゆるく走ったりもしている。

「冬季うつ」に関しては、香山哲さんの「ベルリンうわの空」で「ドイツの冬は病気になるくらい日照時間が短い」とあり、ビタミンDタブレットと光療法器について書いてあったのがヒントになった。光療法器はいろいろと調べた結果、Beurer社のデイライトランプが希望に近いのだが、Amazonでは残念ながら入手できず。来年までに買えたらいいなぁ。

2)Xの見すぎ

単純にスマホを見すぎている、ということではなく、SNSを長時間見ているのがだめなのではないか?と考えていたら、なんとなく思い当たることがあった。

最近『自分が好きなもの』がよくわからなくなっていて、Xを見ているとみんな楽しそうだなぁ、いいなぁ…と思っていたが、ひょっとして『他人の好き』ばっかり見てるからなのでは?と思い至った。

他人があれやこれやを好き!と言っているのを見ているのは楽しいし、ネガティブな投稿内容じゃないからメンタルに支障ないだろうと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。楽しむことを他人に代行してもらってるような状態なのかもしれない。

映画を見たり本を読んだりすると、すぐに他人のレビューを見に行ってしまう悪いくせがあるのだが、これも自分の感情が目減りする行為だよなーとつくづく思う。

2025年は「自分の好きなものを自分で楽しむ」ということを目標にしたい。

導入したもの

もともとPMS対策としてビタミンB6は飲んでいたのだが、冬季うつにはビタミンDということなので、まとめてとれるこれにした。1日1粒なのがとても楽。

 

 

『地元愛』と埼玉県と

出身地への愛着、というのは地域によってどのくらい差があるものなのだろうか?
というようなことをこの記事を読んで考えた。

ご当地への愛着度ランキング2024、首位は沖縄、上京者では北海道、「ぜひ来てほしい」の最下位は埼玉県(トラベルボイス) - Yahoo!ニュース

私は東北出身(秋田県岩手県宮城県に住んだことあり)、夫は埼玉県出身なのだが、地元について話していると、私と比較して、夫はどうも地元に対する愛着が少ないな、と感じていた。

以前、知人夫婦(夫が埼玉出身、妻が北海道出身)と夏の高校野球を観戦していたときのことだ。埼玉代表校が出ていたのだが、知人(夫)も我が家の夫も、どうもテンションが上ってない様子。「なんで埼玉応援しないの?」と聞いたら「別に愛着がないから」みたいなことを言われてびっくりした。(野球に興味がない、というわけではない)

東北人だったらピンとくると思うが、東北人というのはまず自分の郷里の代表校を応援し、そこが敗退したら東北代表の高校を応援するものなのだ。だから仙台育英が初優勝したときには宮城県以外の人たちも「東北全体の勝利」のように感動した。北海道のひとだってきっと地元を熱心に応援すると思う。(数年前の駒大苫小牧フィーバーを思い出す)

この埼玉県民の地元に対する愛着の低さは夫個人の性質なのかと思っていたら、上記の記事によると、埼玉県は最下位だというではないか。なぜか?これは『東京に近いから』ではないか?

埼玉県民にとっての埼玉県というのは、東京にすぐ行けるがゆえにそこまで思い入れを持つ対象ではないのだろう。だって川口から歩いて荒川越えたらもう赤羽なのだから。私にとっての故郷を表すことばは『思慕』だけど、それは滅多に帰れないからだ。

『ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく』石川啄木

この句にぐっと来るのは故郷を離れたひとである。そういうひとは心のなかに故郷をしまっており、東京で疲れたら都内のアンテナショップに行ったり郷土の料理を味わえる飲食店を探し出す。(少なくとも私はそうだ)

こんなことを埼玉県民がするだろうか。東北出身の私は埼玉に住むようになるまでベッドタウンということばの意味が長らくわからなかった。みんな市の中心部に出勤して帰宅したら寝ることには変わりないのに、なぜわざわざ『寝るために帰る街』なんて言うんだろう?と思っていたのだ。言葉の意味を心から理解したのは埼玉に住んで都内に出勤するようになってからだ。これは確かに『寝に帰る街』だと。

ただ東京出身の人はそれなりに地元に愛着がありそうな気もしている。埼玉県人の特徴といえば愛着ではなく『自虐』である。『翔んで埼玉』の大ヒットを見れば、埼玉県はいじっても良い対象として全国的に認知されており、それを地元民も楽しんでいるようなのだ。(不快感を抱いている人はどのくらいいるのだろう?)

これには東北人の私は本当に驚いたのだ。だって『岩手県人には、そこらへんの草でも食わせておけ!』なんて絶対に言えないではないか。こんなこと言ったら洒落にならないだろう。

こう考えてみると、自虐も「東京に近い」という余裕の一種のような気もする。埼玉県を擬人化したら、「愛着と言ってもねぇ……。都内も近いし、これといってねぇ……」と言いながら困り顔で頭をかいているのではないだろうか。

それはそれで愛嬌あるな、と思ったのだった。

 

Hopelessly In Love:悲劇のカップル お互いを燃やし尽くしてしまうふたり

Amazonプライムでドキュメンタリーを探していて発見。TLCのレフト・アイ、亡くなってもう22年にもなるか~と思い鑑賞。

最強ガールズグループTLCのリサ・レフト・アイ・ロペスとNFLのスター選手アンドレ・リソンの熱愛の軌跡をたどる。異なる世界で活躍する2人の出会いと別れ、度重なる衝突と復縁。そして世界的なニュースになった放火事件についても赤裸々に告白する。リサの早すぎる死の陰にあったものとは?

むかーしMTVでやっていた『Past, Present & Future』というTLCのインタビュー番組を見て、レフト・アイがこのNFLのスター選手と交際しており、彼の豪邸に火をつけた、というニュースは知っていた。そのインタビュー番組の中でレフト・アイは『あの事件について報じているニュースは全部ウソ。アンドレも私も何も話してないんだから』と言い放っていたので、それ以来ずっと真相が気になっていた。

今回このドキュメンタリーでその疑問は解消できた。が、感想としては「なんていうかお互いを燃やし尽くすまで愛憎をぶつけあうカップルだな……」という感じ。

インタビューではふてぶてしく答えていたように見えた印象を更に強めたのが1994年11月号のVIBEのこの表紙。

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確かアンドレの家を燃やしたのが同年6月のはず。その後に刊行された雑誌のカバーで消防士の格好をした上に、こんな文言が載っている。

TLC FIRES IT UP
BURNING UP THE CHARTS, BURNING DOWN THE HOUSE

『BURNING DOWN THE HOUSE』は直訳だと家を燃やせ、スラングだとイケてるパーティをやろうぜ、というような意味らしいが、このダブルミーニングはちょっとどうなんだ。いわゆる「シャレにならん」という言葉が浮かぶ。今ならそれこそSNSで炎上必至だろう。

インタビューを見ると、アンドレの妹がリサ(レフト・アイ)を非常に嫌っている様子で、最初は「お兄ちゃんかっこいいし、NFLのスターだし、彼女が自宅に入り浸ってて始終べったりしてたら、そりゃ面白くないわな」と思っていたが、だんだんと「これは仕方ないかもなぁ。リサがエキセントリック過ぎる」という感想になってくる。

TLCはT-ボズとチリはわりかし常識人というか穏やかそうなんだけど、リサだけ問題児っぽい感じはあったかもしれない。ソロになる云々もあったし。まあいくら豪邸で何部屋もあったって、彼女を呼び込むなら家族と別の家にしたほうが良かったよ、アンドレ。家族の前でいちゃつかれるの、ちょっと嫌じゃない?でも友人とか毎日入り浸ってはBBQやったりしてたらしい。そういうの疲れそうだけど。

ただこのふたり、何度別れてもまたお互いのもとに戻ってきていた模様。このふたりに共通するのは「父親を殺害されるという悲劇に見舞われていること(アンドレは継父)」、「その家族の長子であること(きょうだいを守る立場だった)」という点。早くに大人にならなくてはいけなかった者同士で惹かれ合うものがあったのだろうか。はたから見るとどう見たって別れたほうが良さそうなのに、なぜか離れないカップルっている。ホイットニーとボビー・ブラウンもそうだった。アンドレとリサの場合もDVはなかった、とは言っているものの、リサが亡くなっている以上真相はわからずじまい。

印象深かったのは、父親のDVに抑圧されてきたリサが、幼い頃に妹と見たという「バーニング・ベッド」という映画のワンシーン。妹が語ったところによると、DV夫に抑圧されている妻が夫の就寝中、寝室に火を付ける、というシーンがあったそうだ。(実際にアンドレ邸の火災現場に居合わせたリサの妹が「まさに『バーニング・ベッド』の世界よ」と語っていた)アンドレとの交際で追い込まれたと感じたリサが思いついた抑圧からの逃避が、幼い頃に思い描いていた『火を付ける』という行動なのだとしたら、あまりにも悲しすぎる。それでもリサを保釈しようと、呆れる母と妹を尻目に駆け回るアンドレ。こうなってくると「あんた家燃やされたんだよ?」と肩を揺さぶりたくなってくる。

またリサと2パックとの交際についても私は全然知らなかったので「えー!」という感じ。当時の様子をインタビューする相手が収監中のシュグ・ナイトってのもびっくりだったが。

また、アンドレが夜な夜な遊び回っている間に「彼と同じことをしてやろう」と思い、女の子だけで朝まで飲みに行った話など、おぉ!これはTLCの名曲『Creep』そのままじゃん!と思ったのだが、どうやらリサではなくT-ボズの体験談がヒントになったらしい。

歌詞は、彼氏に浮気されている女性が自分自身も秘かに浮気 (creep)するという内容で、女性の視点から書かれているが、これはリード・ボーカルのT-ボズの体験談を聞いたことがヒントになったとされる(Wikipediaより)

あの頃あんなに格好よくて世界中の憧れだった彼女たちですらこんな思いをしてたのか……と今さらながらため息が出た。

アンドレについては、NFLのスター選手になる前は上記の父親が殺害される以外にも、NFLドラフト前夜に家を銃撃される災難もあったそうだ。(有名になることをやっかんだ人の犯行だろうと家族は言っていたが、治安が悪すぎるだろう)

父を亡くし、家族を養うために早く大人にならなくてはいけなかった彼が、心休まる暇がないまま急激に華やかな世界にのめり込んで行き、リサとの交際によってますます自分の人生をハンドリングできなくなっていったように見えた。

最後のシーンでアンドレが17年ぶりにリサの家族を訪ねていく。現在の彼は高校生のコーチをしているとのこと。(「週末にトラブルを起こすな」という言葉に実感がこもっている)

結婚10年になる妻と四人の娘に囲まれて幸せに暮らしているそうで、互いを燃やし尽くすようなリサとの交際を経て、ようやく穏やかな愛を見つけられたようだ。娘たちにもリサのことを話している、と彼は語っている。(妻の名前も「リサ」というのはちょっと出来過ぎな気がしたが)

「彼女との交際に後悔などない」と言い切ったアンドレに、最後には「あっぱれ」と言いたくなった。

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