複製された男のレビュー・感想・評価
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いかなる前情報も仕入れちゃイカン、俺のも読むな
「灼熱の魂」「プリズナーズ」のドゥニ・ビルヌーブ監督作品。
と書いても、ミスリードしてしまいそう。
「複製された男」という邦題自体は、原作があろうともこれまでの作品群からすると、これまでタブーを描いてきた監督の作品からすると極めて「真っ当な」でも「今回もそれか?」とすでに映画ファンからすると、一定のイメージを与えかねないタイトル。
冒頭母親からの電話の内容や、いきなり不穏なショーから始まるや、うって変って糖尿病のような歩き方の猫背なギレンホールが登場する。
この冒頭から、ある種の想像が付きまとう。
「同一人物ではないのか?」
どんなに繊細な性格だとしても、実はそうじゃないだろ、と思わせる顔の濃いギレンホール、比較的タイプの近い顔のガドン、ロラン。
その後も非常に多くの複線や小ネタを挟む。
一方が、役名もない三流役者で、の割には、いい暮らし、それと例のアブノーマルなショーの主催者的な存在の意味。
一方は、WEB検索では、その名前と職業が、ピンポイントで「誰かがかつて」検索したワードが存在する。
ガトンがアダムに会いに行き、別れ際、アンソニーの携帯に電話をするが、アダムが視界から消えた時、アンソニーが受信をキャッチする。そのあと息を切らして帰宅するアンソニー、など、芸が細かい。
母親がイザベラ・ロッセリーニ、というのがまたこの映画の「ヒッチコック」的かつ「リンチ」的な部分を担っていてニヤリ。
時折の空撮が、町を俯瞰した、ある種、世の征服者が街を見下ろすような絵、実際絵として登場する巨大な蜘蛛、近未来的でエロチックなビルのフォルム。セピアがかった映像に「ウルトラセブン」を少し思わす。
簡単に、蜘蛛の復讐劇、てな見方でも全然よくって、ただ単に、ガドンとロランの神がかり的な美しさと、ギレンホールのどこまでもあたふたした二人の男の演じ分けの素晴らしさ、始終不穏な音が、なんでこんなところでこんな音やねん(笑)な音響、先ほど述べた、やはり不穏な撮影。
ずっとニヤニヤしながら楽しめるという一面もある。
追記
映画の原題「ENEMY」について
蜘蛛星人の侵略、でも全然いいと思う。ラストからエンドロールはそういったクラシックなSFテレビドラマ風でかっこいいし。
あるいは、アダムにとって、アンソニーは敵であり、アンソニーにとっても然り。だが、アンソニーの、アダムの提案が猛烈に俗っぽくて、バカっぽいが、笑えそうで笑えない。気持ちもわからんでもない。
それは言い換えれば、いつもと違う「封印してた」「しかた」でしたいけど、パートナーにそんな「しかた」を今晩しちゃっていい?て聞くより、「ああ、今日のなんか違う」と思わせたいだけなんかもね。
同じ顔だろ❓
過去に、レンタルで観ました💿
アダムとアンソニーを演じたジェイク・ギレンホールは流石の演技力🙂
2人はなぜ瓜二つなのか❓
最後まで目が離せませんでした😀
メラニー・ロランとサラ・ガドンも、それぞれ親しい女性を好演🙂
私は途中から何がなんだかよくわからなくなりましたが😅
あの結末はつまり、アダムまだ何かしようとしていて、それを彼女は察知した…❓
難解な映画でした🤔
ドッペルゲンガー(自己像幻視)
原作がノーベル賞作家と言うことに魅かれて鑑賞、ところが自分そっくりな男の存在を知ったばかりに、妻や恋人を巻き込んで人生が急変するというサイコミステリーでした。
普通はよくある「他人の空似」と思って流すでしょうに、主人公は異常なほど執着、最初は隠されていた双子と疑ったりもしたが後天的な体の傷迄一致はあり得ませんね。
そんな設定だから、摩訶不思議な蜘蛛まで出してミステリーと言うよりSFやファンタジーを臭わせて辻褄を併せていました。原作者のジョゼ・サラマーゴさんは段落が通常の小説の章の長さに匹敵するほどの長文を特徴としているようだが監督のドゥニ・ビルヌーブさんも極めて個性的、やたら、顔のアップや照明不足やピント外れの映像を多用、反して建物は俯瞰の緻密な撮影、必然性のない妊婦の裸身シーンなど違和感の方が先に立つし、そもそも中年オヤジの私生活など興味が湧かないから無駄に長いスローテンポな展開に疲れました。結局、何が言いたい映画なのか私にはさっぱりでした。
蜘蛛に取り込まれ、足掻く男
難解な作品で、一回見ただけでは何が何だか解らないが、二回見ると何となく解るようになる。
アダムとアンソニーは同一人物で二重人格者、売れない役者もやっていたが、妻ヘレンの妊娠がわかってからは、大学の講師一本に絞って真面目な生活をしているようだ。
ただ本人は、そんな生活が窮屈に感じている。アンソニー(指輪をつけていた)がいた秘密の風俗っぽい部屋で、女性が蜘蛛を踏み潰すシーンは、ラストで出てくる大きな蜘蛛のような妻ヘレンからの解放を意味している。そこで 、独身のアダムという二重人格が生まれたと考えられる。
母親が「彼女と揉めたくないでしょ」という彼女とは、妻ヘレンの事であり、ヘレンがアンソニーを問い詰める時の「あの女」というのは、浮気相手のメアリーの事と思われる。
ヘレンは、アンソニーが自分にそっくりな人物がいると嘘をついていると考え、確かめに大学に行き、アダムがヘレンと初対面のような演技(役者ですからね)をしていると疑って、アンソニーに電話をかけてみたが、アダムが視界から消えてから電話に出たことで、アダムがアンソニーである確信を持ったはずである。アンソニーが嘘をつく理由としては、アンソニーが他の女と歩いているところを見られたとしても、「あれはそっくりさんだ」と嘘をつけるからである。
ブルーベリーの件でも、母親がやたらとブルーベリーを進めるので、子供の時から沢山食べてきたはずで、頑なに食べないというのはおかしな話である。よってあの時の人格は、本当の自分から解き放されたいと考えているもう一つの人格アダムであり、ブルーベリーをよく食べるアンソニーの方が本物ということができる。
本名がアダムなのかアンソニーなのかは謎であるが、妻がアンソニーと言い、マンションの人物もクレアと言っているので、そちらが本名のようにも思われる。アダムと言っているのはメアリーだけで、映画を進めた同僚はアダムとは言っていない。大学のHPにはアダムという名前はあるが、顔写真はないので、同僚の名前をメアリーに言っているだけかもしれない。
一見、二重人格で生まれた方が明るいアンソニーの方で、暗いアダムは元々の人格という先入観があるが、これが逆なので、複雑なストーリーと感じてしまう。
ラストでは、それぞれが別の女性と会うが、同一人物が同時に他の女性と会うことはできないので、どちらかが幻である。
メアリーがアダムの指の指輪痕を見て「別人だ!」と大騒ぎするが、指輪痕くらいで別人だと思うだろうか。せいぜい、「さっきまで指輪をつけてたの?」と思う程度だろう。これは、いつかメアリーに既婚者だとバレてしまうだろうというアダムの畏れが幻になっていたのではと思える。
ラストシーンも面白い。アダムは怪しい鍵を手に入れ、今夜は怪しい部屋に行けるとワクワクする。そこでヘレンに「今夜は出かける」と告げる。
しかし、おかしな事に気がつかないだろうか。アダムはこの後アンソニーと会い、またチェンジして元に戻り、アンソニーは普通に家に帰って来るのだ。本当にアンソニーが別人だと思っているなら、自分がここに戻ってくる未来はないので、わざわざ「今夜は出かける」なんて言う必要がない。
ここでは、アダムはもう本当の人格アンソニーに戻っているのだ。怪しい部屋への強烈なワクワク感が、アダムを素に戻したのだ。
そこでヘレンを見たアンソニーは、大きな蜘蛛を見る。アンソニーはヘレンを自分を束縛する蜘蛛として見ていたのだ。ヘレンが蜘蛛として見えることで、自分がアダムではなくアンソニーだと気づいたのだった。
上手く作られているけれど
どんでん返しというわけではないが、ちょっとした秘密がある作品はそれなりに多い。それを大きく分けると、作品内で秘密がはっきりと明かされるものと、そうでないものに分けられる。本作は明かされないパターンの作品だった。
それで、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督らしい力強い構図と音によって、不思議で不気味な世界を楽しむ事はできたのだが、意味がわからなかった。
あまりにもわからなかったので解説されたものなどを読み、なるほどなと納得して、もう一度流しで観てみた。
カオスとは見解読の秩序である、とは作品冒頭の言葉だが、どうやら私は混沌とした状態を楽しんでいたようで、解読され秩序ある物語に変わったとたんに面白くなくなってしまった。
もう一つ作品内の言葉で、一度目は悲劇だが二度目は笑劇とある。まさにその通りで、スリリングで緊張感があったはずのものが、酷く馬鹿らしいコメディのように感じてしまったのだ。
これも全て製作者側の思惑通りなのだろうけど、私にはハマらなかった。
意味ありげに何度も登場するクモが作品の秘密と直接関係なかったのも悪かったように思う。どうしてもクモに意識を持っていかれて、そればかり考えてしまう。
人間の男女の姿を蜘蛛のオスとメスの関係になぞらえたシニカルな作品
これは登場人物の顔ぶれや彼らの行動を見ていると、ナゾナゾのような映画である。
いろいろ解釈の幅があり、ジェイク・ギレンホール演じるアダムとアンソニーが、実は同じ人間の別人格のようにも見えるし、別人のようにも見える。どちらかに決めつけようとすると、どこかに無理が生じる。
例えば、実は多重人格の同一人物だとしたら、アンソニーがアダムを装ってメアリーとセックスしていて、「指輪の跡があるから」と別人と判断されるのが説明できない。
別人だとすると、アダムがアンソニーに出会う前からアンソニーとヘレン夫妻の記念写真の切れ端を所持していた理由が説明できない。
恐らく外見上はこうした解釈の多義性を残したまま、監督はストーリーとは別の物事を語ろうとしているのではなかろうか。言うまでもなく、それは男の性欲と女の蜘蛛の網である。
作品の冒頭、アンソニーが秘密の部屋でストリップ等の性的なショーを鑑賞するシーンがある。そこに出てきた蜘蛛は踏みつぶされる。メス蜘蛛の網の中では男が他の異性への性欲を全開に出来ないのだ。
しかし、市街を見れば、路面電車の上には電線が文字通り蜘蛛の巣のように広がり、蜘蛛の胴体そっくりな建築物が聳え立ち、やがて巨大な蜘蛛が街を睥睨する。
蜘蛛はさまざまな象徴として使用されているが、本作では男の性欲に対置されるものであることが明らかで、最も近いのは昆虫界のオスとメスの関係だろう。
男が配偶者や恋人を置いて、性欲の解放、充足を求めるのに対し、女は男を広大な網で絡め捕ろうとする。昆虫の世界では、オスは自分の5倍も大きなメスの作った大きな網の隅に同居しているが、やがて繁殖の用が済めば捕食されてしまう。
本作で繰り広げられるのは、蜘蛛のオスとメスと見紛うかのような男と女の関係であり、自分のメス以外に色目を使ったオスは、例えばアンソニーは無残な死を迎え、アダムはいったんはヘレンに性欲を充足してもらえるが、次のメスを狙おうとした瞬間、巨大な蜘蛛と化したヘレンに捕食されてしまうのである。
比較心理学では人間と人間の比較ばかりか、人間と動物の心理まで比較対照させて研究するが、監督はここで人間の男女を蜘蛛のオスとメスの姿になぞらえて、「バカですね~」とシニカルに呟いているように見えるw
不気味な街の佇まいと、それを強調する音事,事故のラジオ放送、2人で1人、面白かったが謎も多い
ドゥニ・ビルヌーブ監督による2013年製作(90分/R15+)カナダ・スペイン合作映画。
原題:Enemy、配給:クロックワークス、アルバトロス・フィルム
劇場公開日:2014年7月18日
3回見たが、正直良く分からなかった。
自動車事故は、ラジオ放送までされていたので、幻想やイマジネーションではなく事実と、自分には思われた。その一方で、母親は主人公のことを、教員で立派な家と言っていたので、彼女によれば、登場人物2人を合わせた存在ということになる。この2つの考えをごくごく素直に解釈すれば、1人の人格が、何故か2つに分けられたということになるのだが。
まあ、この性格が大きく異る超ソックリさん(ジェイク・ギレンホールが2役)が何故存在していたのかは置いといても、かなり面白く且つ興味深い映画だった。そして、区別がつけられない様な類似の高層住宅が立ち並ぶトロントの都市風景が執拗に映し出され、その中で区別不能なソックリさんが存在しても不思議は無い気にはさせられた。
外見はそっくりで同じ場所に同様の傷まであるらしい2人だが、性格だけでなく、仕事(大学助教授 vs 俳優)や暮らしぶり(質素なアパートvs 高級マンション)も随分と違っていた。ただ同じ大都市に居住し、好みの女性タイプは同じなのか、入れ違いを実施。共に女性側にはバレてしまった様だが、反応が対照的だったのが興味深い。俳優の方は、助教授の恋人(メラニー・ロラン)に猛烈に拒否され、自動車同乗中の大事故に繋がってしまう。一方、俳優の妊娠中の妻(サラ・ガドン)は入れ替わりを受け入れてくれた様に思えた。こっちの方が、自分及びお腹の中の子にgoodと冷静にリアルに判断したのだろうか?
最後のシーンの大きなクモは何なのだろうか?少し調べて見ると、ユング心理学では束縛する母親を象徴するとか。主人公の大学職員はブルーベリーを拒否していたことに象徴される様に母親の管理から逃れようとしている様であったが、入れ替わった男の妻、彼女が新たに束縛者になったということなのだろうか?イントロの女性がクモを踏み潰そうとする映像は、そういった女性による束縛を嫌ってる男の心情を反映した幻想?
そう言えば、支配者の様に街の上に大きく佇んでいた巨大な蜘蛛の様のものは、いったい何だったんだろう?誰かの幻想なのか、真実なのか?そして、大学助教授は、独裁者が食と娯楽を与える、或いは情報を制限するといった講義を行っていた。何か映画内容と関係がある様なくどさでもあった。
不気味なトロントの街の佇まいや、それを随分と強調する音楽の存在もあって、蜘蛛様乗り物を操る宇宙人イメージの街の独裁者が、支配強化のために密かに人を夢中にさせる様なヒトの部分的複製を仕掛けてきてるというSF的設定を、「メッセージ」を監督したドゥニ・ビルヌーブ監督ということもあり、自分はイメージしてしまった。あの2人は、1人の人間のある部分をそれぞれ体現した存在であると。
監督ドゥニ・ビルヌーブ、製作ニブ・フィッチマン M・A・ファウラ、製作総指揮フランソワ・イベルネル 、キャメロン・マクラッケン 、マーク・スローン、 ビクター・ロウイ、原作ジョゼ・サラマーゴ、脚本ハビエル・グヨン、撮影ニコラ・ボルデュク、美術パトリス・バーメット、衣装レネー・エイプリル、編集マシュー・ハンナム、音楽ダニー・ベンジー ソーンダー・ジュリアーンズ。
出演
ジェイク・ギレンホールアダム/アンソニー、メラニー・ロランメアリー、サラ・ガドンヘレン、イザベラ・ロッセリーニキャロライン、ジョシュ・ピース学校の先生、ティム・ポスト管理人、ケダー・ブラウン警備員、ダリル・ディンビデオ屋の店員、ミシャ・ハイステッド暗室の女性、メーガン・マン暗室の女性、アレクシス・ウイガ暗室の女性。
よくわからん
蜘蛛が何らかのメタファーなんだろうなということは分かる。
それ以外が全然わからん。
考察を見ると二重人格説やクローン説があるようで、原作ではもっとシンプルな展開にクローンっぽいが、映画だと原作にはない要素があるようなので、二重人格設定に変わっているのかもしれない。
全体としてはセリフが少なめで、間を取ってるシーンが多い。
また、終盤の事故のニュースでは事故が起きたことは分かるが、その被害者が誰かはわからない。つまり全然別の誰かが起こした事故という可能性もある。
そういったところから考えて、どうとでも解釈できる映画という気がする。
考察自体は楽しいかもしれないが、明確にこうだろうと推測できる要素が少ない。
スッキリした答えが欲しい人には向いていない映画と思う。
【噂に違わぬ超難解映画。・・を勝手に解釈する。】
ー 一度、通しで観て細部が分からず、VODだからこそ出来るズル
”気になったシーンの再生”
をしても、ドゥニ・ヴィルヌーブ監督の意図が全て把握出来なかった作品。(悔しい・・)
だが、全編を通して静かに流れる不穏な音楽や、独特の映像美には惹かれた作品である。-
◆感想
・キーの一つは、外見、声共に瓜二つの、大学の講師、アダム・ベル(ジェイク・ギレンホール)と、ダニエル・シンクレアという芸名の役者、アンソニー・クレア(ジェイク・ギレンホール:二役)を見分けるのが、”左手の薬指のエンゲージリング”という点。
アダムは、”金髪の”恋人のメアリー(メラニー・ロラン)がおり、アンソニーには、妊娠六カ月の”金髪の”妻、ヘレン(サラ・ガドン)が居る。
冒頭の、謎のストリップショーのシーンで、裸体の女性を指の間から凝視している男の指には、エンゲージリングが、ハッキリと映っている。
という事は・・。
・アダムが、大学の講義で繰り返し、語っている事。
”「支配」・・時の権力者は、情報を制約することで、支配してきた・・”
- 成程。”情報の制約”ね・・。-
・アダムが、自分とそっくりのアンソニーが”少しだけ”出演している映画を観て、彼に近づいていくシーン。
ー 最初は警戒するアンソニーだが、アッサリとアダムと会うことを受け入れる。ー
・アダムの母(イザベル・ロッセリーニ:母は、イングリッド・バーグマン)は、冒頭、アダムに電話で御説教じみた話をし、物語の途中では実際にアダムに会い、御説教じみた話をする。
- ブルーベリーの話。
別のシーンではアンソニーが、妻に有機栽培で育てたブルーベリーが冷蔵庫に無い・・、という話をしている・・。-
・この物語のもう一つのキーは、”蜘蛛”。冒頭のストリップショーで、踏みつけられようとしている”蜘蛛”。それを凝視するアンソニー。
劇中、街中を巨大な”蜘蛛”が歩くシーン。
因みに、この映画では殆ど霞がかった曇天が覆っている。
この、”蜘蛛”は何を象徴しているのか・・。
・アダムに成りすましたアンソニーが、”指輪の跡”をメアリーに指摘され”貴方は誰!”と詰問されるシーン。
その後、二人の乗った車が言い争いの果てに、早朝の高速道路でクラッシュするシーン。
ー その後、二人の遺体は一切、写されない。-
<今作を、映画館で観たら、感想はどのようになっていたであろうか。
ココからは、個人的な感想であるが、(VODでキーになると思われるシーンを二度見した私は、)
1.アンソニーとメアリーは、アダムの脳内でアダムの欲望を満たす、もしくは現実逃避の創造物である。
2.実際にはアダムが、妊娠6カ月の妻ヘレンを持つ男であり、冴えない毎日を送るアダムの不安感や焦燥感が、アンソニーとメアリーを作り出した・・と勝手に解釈した。
だが、映画としては、面白くはあるが、余りに解釈を観客に投げ過ぎではないかな・・、と思った作品でもある。>
ジェイク・ギレンホールらしい作品
ラストにギェーとなり、なんのこっちゃ!となり、でも気になりネタバレ解説を読み、おぉそういう事かと一気に満足感を得られました
これはネタバレ解説を読まなかったら消化不良の思いだけが残ってました
こういう作品はジェイク・ギレンホール似合います
常にオレンジがかった映像でキレイなトロントなのがもったいなかったのが残念でした
でもこの作品はクリアな映像じゃ合わないのかも
この作品は後味良くないのが良いところと思います
全体的な雰囲気は韓国映画に似ているような
なんじゃこりゃぁ?
やたらクモが出てくるし、最初のシーンもラストも意味不明だし、結局結論が分からず、モヤモヤします。
ジェイク・ギレンホールさんの演技力は間違いないものでした。
大学教授と三流俳優。
1人ずつ単体で見せられると、まるでどちらの話をしているのか分からなくなります。
でも、2人が一緒に映るシーンでは、2人とも全く別人に見えます。
途中かなり退屈ですが、そこそこ面白かったです。
ラストがここまで意味不明で笑った映画は初めてです。
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ここまでは観終わってすぐの感想。
流石によく分からなくて気になったので、ネタバレ解説を読みました。
すると…
ガラッと評価、世界観が180度変わりました。
なるほどぉ、すごい!
なんで、よく分からなかった皆さんも是非解説されている方のレビューやブログを見てみてください。
少なくとも星0.5個分くらいは評価が上がると思います。
これで、僕は星4ぐらいになりました。
でも、これは流石に分かりません。
せっかく面白いんだから、もう少し映画内でわかるようにしてくれるといいなということで、少し下げましたが。
全部分かった上でもう一度観てみたいです。
複製されているのか?同一人物なのか?
ネタバレをさらりと読んでから鑑賞。
全く知識なく見た場合、「?」で終わるでしょう。
しかし妻の言葉や態度など、一つ一つが意味深く感じられ、
よりこの映画の魅力が伝わってきたはず。
最後の突然の展開に意表をつかれましたが、どのような解釈を
すればいいのか。
主演のジェイク・ギレンホールが1人2役を演じ、「灼熱の魂」「プリズ...
主演のジェイク・ギレンホールが1人2役を演じ、「灼熱の魂」「プリズナーズ」のドゥニ・ビルヌーブ監督のメガホンで、ポルトガル唯一のノーベル賞作家ジョゼ・サラマーゴの小説を映画化。
答え合わせは必要か?
この映画見た人のどのくらいの人が、
この話を即座に理解できたのだろうか。
自分にはちんぷんかんぷんでした。
すぐにいろんなネタバレブログを探しました。
ネタバレブログを経てようやく分かった映画の意味。
そこからやっと面白さが分かった訳です。
ネタバレというか、これは自分で意味を考える映画なので、
ここで述べる内容は自分の解釈です。
この話は現実を妄想に置き換えた話。
複製されたのは自分自身で、アダムなのかアンソニーなのか、
最終的にはアダムが残るから、妄想はアンソニーか。
アンソニーという遊び人な自分の妄想を殺して、
身重の妻ヘレンと真っ当に生きようとしたが、
エロ秘密クラブ(冒頭シーン)の招待が来て、
やっぱり快楽でしょ→冒頭シーンへループ、
最後は妻が蜘蛛になる。
秘密クラブの蜘蛛を踏み潰すシーンは、
「妻は身重なんだから遊んじゃおうぜ!」
という遊び人であるもう一人の自分の願望。
「結局人間は快楽に支配される」とか講義で言うのは、
自分の中の葛藤の表れ。
こう書いても完全に理解できてるかどうか怪しい。
まあ映画なんて解釈は人それぞれ。
その意味では、誰かと語り合いたくなる映画でした。
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自宅にて鑑賞。スペインとカナダの合作で原題"Enemy"。おおよそ内容を反映していない邦題。序盤から不穏なBGMが流れ続ける。D.リンチがよく引き合いに出される一作だが、もっとドライで都会的な雰囲気を持ち親しみ易い印象。工事中の鉄骨を含めた靄がかった都会の風景が佳い。流線型の思わせ振りな給水塔の造形も作為的。蜘蛛のモチーフに対して、クライマックスでの事故後にアップになる放射線状のガラスが恣意的乍ら佳い。一言で「謎」、「意味不明」と切り捨てる事も出来るのだろうが、テイストや画面等、嫌いじゃない。70/100点。
・冒頭のタイトルコール時、J.サラマーゴの原作からの引用"Chaos is order yet undeciphered."が本作を暗示・牽引する。
・当初、“アンソニー”・“アダム”役はJ.バルデムにオファーされたが、テストの段階で不適格となり、その後、C.ベイルにもオファーされたがこちらもスケジュールが合わず、最終的に監督の推すJ.ギレンホールに落ち着いた。
・“アンソニー”と“アダム”を演じたJ.ギレンホールは、同じシーンで二役を演じ分ける際、テニスボールと棒を相手に見立てて演技したらしい。
・きっかけとなる劇中作『道は開かれる "Where There's a Will, There's a Way"』は監督の高校時代の英語教師がよく口にした教訓から採られていると云う。亦、その中でクレジットされており、“アダム”が検索する"bellhops #1"、"bellhops #2"の"Fraser Ash"と"Kevin Krikst"は本作のアソシエイト・プロデューサーである。
・街中を闊歩する異形のモノは、彫刻家L.ブルジョワの代表作で世界各国九箇所(その内の一つは六本木ヒルズ)に展示されている"Maman"からインスパイアされている。
・キャスト陣はクランクインに当たり、プレスを始めとした部外者にその役どころやプロットを口外しないと云う秘密保持の契約を締結したと伝えられている。中でもユニークなのは、私見を含め本作の中で蜘蛛が暗示するモノやその意味を口にする事は厳しく禁じられたらしく、それだけ本作にとって蜘蛛と云うモチーフは大切に扱われた。
・鑑賞日:2017年6月10日(土)
自分の敵は自分
出ました、全編宗教的メタファー映画。アメリカ好きですよねぇ。
人類史上初めてパパに反抗した男アダムと、縁結びや子宝に霊験あらたかと噂の聖アントニオの葛藤、ってとこみたいですね。
空の色を見るに全部脳内描写なので、1人の男性の中で罪人と聖人が葛藤しているのだと思われます。ミニードライバーのプリズナーをやりたかったのかな?だとしたら足元にも及んでないと私は思います。どうだろう?
支配とか教育の抑制とか言論の弾圧とか、後から効いてくるのかと思ったらそうでも無かったのも残念。
性欲をコントロールできないなら、日本に来て自転車借りてしまなみ海道をツーリングしたらいいのに、って思いました。
シュワちゃんのシックスデイが見たくなりました。複製された男って言えばアレですよね。
月に囚われた男も好きだなー。
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