三国志(さんごくし)とは
- およそ2世紀末から3世紀末の古代中国における「三国時代」の歴史書。著者は陳寿。後述する『三国志演義』と区別する際には「正史」と呼ばれている。本稿で解説する。
- .↑などを元に書かれた歴史小説『三国志演義』の通称。著者は羅貫中。こちらは『三国志演義』の記事で述べる。
※日本で作られた小説、漫画、アニメ、ゲーム各種作品の総称にも用いられるが、その場合演義と正史がごっちゃになっている。というか、演義の影響のほうが強い。これについては後述。
概要
詳しい説明はwikipediaや解説に詳しいネット媒体に譲るとして、ここでは簡単な歴史の流れを述べる。
当時の中国は劉邦が立ち上げた漢という国があったが、皇族や官吏が政治を顧みなかったために統治能力が低下。漢への不満を爆発させた国民は当時流行っていた宗教「太平道」の主導のもと、「黄巾の乱」と呼ばれる反乱を起こす。
黄巾の乱はなんとか鎮圧されるものの、これをきっかけとして漢王朝の権威は失墜、地方豪族による群雄割拠が始まる。そしてその後紆余曲折あって魏・呉・蜀という三つの国が建国され、覇権を賭けて三つ巴の戦いを繰り広げる…というのが大体の内容。
ちなみに、実は曹操が死んで曹丕が禅譲を受けてからが正式な三国時代の始まりであり、それまでは後漢時代だったりする(魏は存在していたが、漢帝国内の一公国/王国の扱い)。さらに中国を統一したのは魏・呉・蜀のいずれでもなく、「晋」という国だった…諸行無常。
三国志と三国志演義の違い
簡単に言ってしまえば、三国志は「歴史書」、三国志演義は「歴史小説」である。
陳寿はもともと蜀の歴史をまとめていた文官であり、蜀滅亡後はその腕を買われて魏・晋に仕え、蜀以外の史実もまとめた。これが「三国志」である。三国志は魏・晋を「漢王朝の正統な後継」とみなしており、魏・晋の皇族にマイナスイメージを植え付けるようなエピソードは記述しなかった(そりゃそうだ。リアルで首が飛ぶわ)。
また、編纂するにあたり「史実を忠実かつ簡潔にまとめる」ことを重視したため、「これホントかどうか怪しいわー」というエピソードについても記述しなかった。その一方で劉備の死について特殊な表現を使うなど、密かに母国の蜀を持ち上げていた。これが伏線になっていく。
そのため、陳寿の三国志は記述が必要最低限に抑えられていて読みやすい一方で、淡泊で面白みに欠けているのである。
なので、晋の後の劉宋の時代に裴松之が陳寿が書けなかった舞台背景や、信憑性が薄すぎるとして排除したエピソードを注釈として付け加えたのが現行の三国志である。
ちなみに三国志の呉の部分に関しては、呉の史官、韋昭が編纂した「呉書」を流用した疑いが濃厚である。
それに対し演義の方はエンターテイメント性を重視しており、「面白ければいいじゃん!」ということで架空の人物やエピソードが挿入されたり、一部の人物にチート補正がかかっていたり、陳寿が採用しなかった信憑性に欠けるエピソードを上手く盛り込んだりしてある。とある清の評論家いわく、「演義は7割史実、3割虚構(ウソ)」とのこと。
また、群像劇の様相をとりつつも蜀漢メイン(判官びいきの大衆ウケがいいのは万国共通)であり、前半は劉備、後半は諸葛亮がなかば主役めいて話が進んでいく。一応諸葛亮没後も話は続き、最後は三国最後の国である呉滅亡まできっちり描かれている。
演義に関連する書物・人物
もともと演義は宋や元代に誕生した講談や戯曲をベースとしており、演義の作者は羅貫中とされているが、後漢末から三国統一にかけての長大な物語を1人で作ったのではなく、各戯曲・講談を一つの物語としてまとめ上げた人物とされている。
このため、先行する作品や影響を与えた物語がある。
- 三国志平話
- 講談をまとめあげた三国志の原型とも呼べる作品。
- 後漢代、司馬仲相という一書生が、天帝の命令である裁判を行うことになった。原告は前漢の功臣でありながら、謀略で殺された韓信、彭越、英布の3人組、被告は劉邦、呂后。
この難しい裁判を司馬仲相は、韓信を曹操、彭越を劉備、英布を孫権に転生させ、劉邦夫婦を献帝と伏皇后に転生させることによって彼らに復讐をさせるという判決を下した。この名裁きの功労で司馬仲相も司馬懿に転生。
といったところから始まり、晋が統一を果たした後に漢の血を引く劉淵(実際は引いていない)が滅ぼすといったところで終わる。
- 基本的に荒唐無稽で荒削りな作品であるが、三国志を一つの作品としてまとめあげた最古の作品として評価はされている。
- 花関索伝
- 関索の元ネタ。
- 関羽の息子である花関索が、可愛いねーちゃん達を手にいれ、蜀を助けて右へ左へと大暴れという話。平話よりも荒唐無稽で、三国志をネタにした戦極姫6メアリー・スーに近い。
- 水滸伝の好漢である楊雄のアダ名が「病関索」であるなど、それなりに好評を博しており、関索の逸話が各種の三国志に取り入れられるなどしたが、後述する毛宗崗によって出番を削られてしまい、結局、関索は南蛮戦にちょろっと出てきて、いつのまにか退場する人物になってしまった。
- 毛宗崗
- 一口に演義といっても、実は改訂者の数だけ「演義」は存在していて、毛宗崗はその改訂者の1人である。
史実を重視して、荒唐無稽な説話や無駄記述を削除していったのが特徴で、それによって関索の出番が大幅に削られてしまった。
- 彼の校訂が決定版と見なされ、水滸伝における金聖嘆の70回本と同様に他の刊行本を駆逐していった(日本では、駆逐される前の刊本が入っていったので、毛宗崗が削った記述も入っている。)
なんで日本でこんなに三国志が有名なの?
答えはカンタン。昔から三国志を題材とした作品が多かったから。以降年代順にまとめてみる。
17世紀末
- 『通俗三国志』
- 元禄初年に刊行された三国志演義の訳本。つまり江戸時代にはすでに三国志が人々に親しまれていたのである。
また、白波谷(はくはこく)に黄巾賊が立てこもった故事から、山賊を指す「白波(しらなみ)」という言葉が生まれ、歌舞伎用語として用いられたりもしている。
1940年代
- 『吉川英治三国志』
- かの有名な『吉川英治三国志』が執筆されたのがこの頃。
第二次世界大戦戦中下の日本における貴重な娯楽小説であり、新聞は統廃合され連載小説が減り、外国の小説(特に英語を用いたもの)は検閲のせいで読めない!読みにくい!となっていた。
そんな中でも吉川三国志だけは検閲の影響も受けず安定して掲載が続き、単行本も没収の心配なく安心して読んでいられたという。
- …日中戦争の真っ最中に中国史を題材とした作品がなんでOKだったのかというと、当時の日本政府は自らが関与していた南京の汪兆銘政府こそが中国唯一の正当な政権と見なし、そっちとは同盟関係だったので問題ないという建前になっていたためである。
- 日本における三国志の伝播を語る際に絶対に外せない小説であり、後続する多くの三国志作品が吉川三国志の影響下にある、と言っても過言ではない。
例えば日本の三国志作品の多くは諸葛亮が死去した時点で話が終わることが多いのだが、その風潮を作ったのが吉川三国志なのである(ただし、中国の講談用のタネ本には諸葛亮死去で話が終わるものがすでに存在していた)。
もっとも、そのせいで諸葛亮死去以降に活躍する英雄の知名度が日本では極端に低くなってしまった、という弊害もあるにはある。
1970年代
- 『横山光輝三国志』
- 漫画家の大家、横山光輝が『三国志』の執筆を開始したのが1971年のこと。
途中何回か掲載紙を変えたものの、のべ15年、全60巻という氏のライフワークと呼ぶにふさわしい大作となった。
- 「学校の図書室にある漫画といえば横山三国志とはだしのゲン」という小中学校も多く、本作が三国志初体験という人も多い。
- 1991~1992年にかけてアニメ版も放送された。
1980年代
- 『人形劇三国志』
- 1982年、NHKが金と手間暇かけて製作したのが名作との誉れ高い『人形劇三国志』。
演義をベースとしつつも勧善懲悪の要素を強めたり、狂言回し兼解説役としてお笑いコンビの紳助・竜介を作中に登場させるなど、幼年層にもわかりやすくするための工夫がなされている。
とはいえ川本喜八郎による美しい人形の数々とそれを活かした映像美、俳優をメインに据えたキャストとその演技力の高さといった大人の見どころも満載。老若男女問わず誰が見ても十分に楽しめる。
- 『天地を喰らう』
- 週刊少年ジャンプで1983年から1984年にかけて連載された本宮ひろ志の三国志漫画。
荒唐無稽な展開と「俺たちの戦いはこれからだ!」と言わんばかりの豪快な打ち切りエンドなのだが、実際には人気アンケートは上位をキープしており、本宮氏が連載を終わらせたかったためあのような終わり方になったのだとか。
- だが、原作よりはむしろカプコンのゲーム版の方が有名かもしれない。
FCではRPG、ACではベルトスクロールアクションのシリーズが展開され、どちらも2作目は名作と名高い。2作目のサブタイトルはFC(ファミコン)版では「諸葛孔明伝」で、AC(アーケード)版では「赤壁の戦い」となっている。
- 『三國志』
- 光栄(現コーエーテクモゲームス)が『信長の野望』の次に放った歴史シミュレーションゲーム、それが『三國志』である。第一作は1985年にPC-8801にて発売される。後にファミコンなど複数の機種で発売される。
- 元々「川中島の合戦」でゲーム事業に参入した同社が「信長の野望」の大ヒットの後、次に題材として選んだのが三国志だった。そしてこちらも大ヒット。現在でもシリーズが続いている看板タイトルとなっている。
- 『三国志(日本テレビ版)』
- 1985年に水曜ロードショーで放送。原作は一応横山光輝三国志ということになっているが、ストーリーもキャラデザもほぼ別物となっている。ストーリーは長坂の戦いから赤壁の戦いまでを描いている。
- 登場人物の多くが史実より若い20代の設定だったり、曹操が金髪碧眼だったり、于禁が女の子だったり、趙雲が盗賊だったりと独特の設定が多い。
- 翌1986年には金曜ロードショーで続編の「三国志II 天翔ける英雄たち」が放送された。こっちは劉備と孫夫人の結婚から三国鼎立までを描く。
1990年代
- 『三国志(アニメ映画)』
- 1992年から1994年にかけて三部に分けて東映系列で上映された作品。日本テレビ版と異なり、こちらは演戯に沿って黄巾の乱から諸葛亮の死までが描かれている。ちなみに創価学会が深く関わっており、制作が系列のアニメ会社のほか、第三部にて学会歌である「星落秋風五丈原」が挿入されている。
- 『龍狼伝』
- 三国志演義をベースにした漫画で1993年から月刊マガジンで連載中。作者は山原義人。
主人公とヒロインは現代からの時代逆行で三国志の時代に飛ばされてきたという展開で幕を開ける。
主人公達をはじめとしたオリジナルの登場人物や設定も多く、赤壁の戦い以後は完全に演義からも離れた展開となっているが、全体を通していわゆる「超人」や「超常現象」が多く、このあたりは賛否が分かれる作風と言える。
- また司馬懿が作中に登場しておらず、代わりに司馬“仲達”という実質的なオリジナルキャラが登場し、このキャラは後にゲームである三国志大戦でカードとして登場した。
- 『蒼天航路』
- 三国志を題材とした漫画におけるターニングポイントといえる『蒼天航路』の連載が始まったのが1994年。
- これまでは悪役として描かれることの多かった曹操を主人公に据え、斬新な新解釈とどいつもこいつもカッコよく描かれた英雄達が織りなすストーリーが読者を魅了。週刊モーニングの看板作品となるのにそう時間はかからなかった。
- 『北方謙三三国志』
- 小説家北方謙三が三国志を題材に執筆した歴史小説。通称「北方三国志」。
全13巻を2か月に1本のペースで書き上げたことで有名となった(しかも原稿を落とさずに!)。
- 正史をベースにしているため、「桃園の誓い」など多くの演義オリジナルの要素は省かれ、また北方氏独自の要素が追加された結果、これまでの三国志小説とは一味違った趣がある作品となった。
- 関連書籍として「三国志読本-北方三国志」、「三国志の英傑たち」があり、北方氏へのインタビューや演義要素を削るに至った経緯、北方氏の武将に対する評価などが書かれている。本編のネタバレを多分に含むため、本編読了後に読むのが望ましい。
2000年代
- 『真・三國無双』
- 光栄(現コーエーテクモゲームス)が放ったもう一つの三国志を題材としたゲーム。
無印『三國無双』はぶっちゃけ「取り立てて見るべき所がない凡百の3D格ゲー」でしかなかったが、真~でアクションゲームにジャンルを変え、「無双系」と呼ばれるジャンルの礎を築き上げた。こちらも『三國志』シリーズ同様、コーエーテクモゲームスの看板タイトルにまで成長している。
- 『三国志大戦』
- アーケードゲームの雄セガが開発、2005年に稼働開始したオンライントレーディングカードアーケードゲーム。
- デッキ構築とカードさばきによる戦略・戦術性の高さから来る対人戦の面白さに加え、武将をカードに見立てることで生まれた(TCGにおける)コレクション性の高さがゲーマーに受けて大ヒット。
- 『恋姫†夢想』(恋姫†無双)
- 「どっかのメーカーがやるんじゃねーかなー」とうすうす思っていた三国志の萌え化。その先鞭がコレ。
- 「主人公以外ほぼ全員女性のエロゲー」というかなり無茶なことをやらかしており、恋姫を知らないプレイヤーはロリ孔明の「は、はわわ、ご主人様、敵が来ちゃいました!」というセリフを見てたいてい絶句する。 そうでない人もCV:若本の貂蝉を見て限界を迎える。
- とはいえゲームはシリーズ化し、2度のTVアニメ化やパチスロ化といったメディアミックス展開も行われているなど、一定の人気は獲得できた模様。
2010年代
- 『最強武将伝 三国演義』
- タカラトミーと中国の動画会社が共同で制作したアニメ作品。中国の国営放送である中国中央電視台にて2009年8月に放送されたのち、テレビ東京で2010年4月4日から2011年3月27日まで放送されていた作品。日本では「ホリプロ50周年記念番組」と銘打ち、声優陣はホリプロ所属の俳優、女優、お笑い芸人が担当している。
- 基本的に日本の三国志は呂布と蜀を中心に描かれることが多いが、本作品は中国も関わっていることから官渡の戦いなどもしっかり描かれている。
- 『孔明のヨメ。』
- 芳文社のまんがホームに連載されている4コママンガ。
- 黄月英が主人公のほのぼの系ラブコメなのだが、作者が三国志のためだけに中国の大学に留学したほどのガチオタであるだけに(さらに「取材旅行」と称した遺跡巡りの回数は十数回にもおよぶ)、時代考証や豆知識などもしっかりしており、変わった切り口の三国志が楽しめる。
- なお、作者の杜康潤は他にも取材旅行のレポをまとめたコミックや、友人であり漫画の師匠でもある荒川弘との共著で演義の解説本を出したりしている。こちらもおすすめ。
トンデモ三国志
三国志をモチーフにした作品は、それこそ星の数ほどにあり、中にはとんでもない物も存在する。
- 三国志後伝
- 三国志平話のラストであった晋が天下統一を果たした後に劉備のひ孫にあたる劉淵が晋を攻撃し、晋の皇帝を捕らえるという小説上の話をうけて生まれた三国志演義の三世ものスピンオフ続編。
- 筆者は羅貫中ではないが、実は上述の毛宗崗の本が生まれる前の中国の明時代(三国志演義がはじめに書かれた時と同時代)に書かれているため、明時代に書かれた李卓吾本をベースにしている吉川三国志や横山三国志に慣れている日本人には、中国人より相性がいい。
- 内容は、劉備の孫(三国志平話とここが違う)である劉淵が蜀漢の滅亡時に成都を脱出して、北の匈奴の地で再起を目指し、彼とともに漢王朝の再興を目指す蜀漢の名臣(諸葛亮や関羽・張飛・趙雲ら)の子孫とともに晋王朝と戦うというものである。
劉曜や石勒、張賓、呼延晏など史実上、晋王朝との戦いにおいて活躍した人物のほとんどが蜀漢の人物の子孫とされ、関羽の子孫などオリジナルの人物も含めて、晋王朝を打倒し、晋の皇帝を捕らえる。
ただし、歴史の流れとしては史実を大きく外れることはなく、劉淵の建てた北漢王朝は天下を統一することなく、孫の代で滅亡してしまう。
- 反三国志
- 名前の通り、蜀が魏や呉を駆逐して、中国統一・漢室復興を果たす物。
この作品が書かれたのは、清が滅亡してから第二次世界大戦終結までの混乱期に書かれたもので、仮想戦記の走りといえるのかもしれない。
- 田中芳樹が蒼竜伝でネタにするまで、知る人ぞ知る幻の作品と化していたが、ネタにされるや否や、あっという間に邦訳されてしまったのだから、ファン恐るべしではある。
- 孔明の艦隊
- 志茂田景樹が折りからの仮想戦記ブームに乗っかって書いた作品だが、孔明や関羽・張飛といった面々が山本五十六以下の日本海軍首脳に憑依し、同じく魏の面々が憑依したアメリカ軍に立ち向かっていく、というあたりがぶっとんでいる作品。同作者の「戦国の長嶋巨人軍」と並んで、火葬戦記の極北扱いされている。
- ポイントとなるのが、孔明が「日本は蜀であり、アメリカは魏のようなものなのでよって味方する」と宣言して、山本五十六に取り憑いた下り。この時の日本軍は中国に侵攻している真っ最中なので、中国人が日本人の味方をするのはおかしいだろとツッコミたくなるのだが、それは現代人から見た観点で、蜀=アジア、魏=白人中心の世界、といった具合に見れば見方も変わってくる。
戦時中は日本軍は五族共和といっており、現在では中国が一帯一路といって周辺各国を取り込みに余念はない。要は「日本人だろうが中国人だろうがこまけーことはどうでいいんだよ」ということである。
三国志を楽しむにあたっての諸注意
「三国志」だけで検索するとたいていの場合演義の方を指すことが多いことからわかるように、三国志の物語として知られる事柄は少なからず演義の影響を受けている。特にコーエー三國志などのサブカル方面で顕著であり、不当な扱いを受けた人物が多数存在している。
もっともこれは日本固有の現象ではなく本場中国においても同様であり、演義でどうしようもない無能扱いされている劉禅の幼名「阿斗」が愚か者の代名詞となっていたりする(正史の劉禅は「何もしていないがゆえに評価不能」)。
とはいえ最近では正史の再評価が進み、蒼天航路のような正史と演義を混ぜた漫画が登場したり、KOEI三國志などでも正史を一部取り入れて過去作よりも評価が上がったりもしている。
そういう事情があるので、三国志ファンを自称するなら、ぜひ一度は正史と演義を読み比べてみてほしい。また、正史にも演義にもそれぞれの良さ・悪さはあるので、動画視聴などの際にはお互い一方的に主張するのではなく仲良く議論しましょう。
ニコニコ動画では
「三国志」で検索した時にごっちゃになるのを防ぐため、複数のタグが使い分けられている。
なお、動画投稿数では三国志大戦関連が最も多い。
三国志の登場人物の記事
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