連山(れんざん)とは、大東亜戦争中に大日本帝國海軍が試作した陸上攻撃機である。
連合軍側のコードネームは「リタ」。
概要
全長22.94m、全幅32.54m、総重量2万6800kg、最高速度593キロ。武装として20mm機銃6基と13mm機銃4基を装備し、2000kg爆弾2発か60kg爆弾18発を搭載する。機体設計については鹵獲したB-17を参考にしており、機銃配置もB-17に則ったものとなっている。
開発計画の始動
大東亜戦争開戦劈頭、日本はフィリピンでB-17爆撃機を完全な状態で鹵獲した。このB-17を調査した結果、零戦を含む現行主力機では太刀打ちできない事が判明。当時、帝國海軍では双発の一式陸攻に代わる四発の陸上攻撃機として十三試陸上攻撃機深山を開発していたが、B-17に大きく劣る性能だったため急遽深山に代わる新型爆撃機の開発に迫られた。
1942年後半、既に開発が始まっている双発爆撃機「銀河」を凌駕する高性能機を求めて、新たな開発計画が始動した。仮称として十八試陸攻と命名された。1943年、深山の開発で4発機の製造経験がある中島飛行機と協同で技術会議を実施。設計やスペックの打ち合わせを行った。十八試陸攻は量産性を重視し、部品数や工程を出来る限り減少させた。特殊な部品や加工を必要とする部品を極力使用しない事で単純化に注力した。そして9月4日、正式に発注。中島飛行機が誇る最高の人材と技術の粋を結集し、大型機としては異例の速さで製造。
胴体は円形断面にし、下部に爆弾層を設置。B-17同様、エンジンはターボチャージャー付きのものを採用。燃料タンクやコクピットには防弾装備を設置、動力銃架も装備するなどB-17の設計思想を色濃く継承している。諸元は全長27.935m、全幅32.54m、全高7.2m、重量1万7400kg、巡航速度370キロ、最高速度592キロ、実用上昇限度1万200m、燃料搭載量1万4000リットル、航続距離3945km。
1944年10月には試作一号機が完成し、同月23日に初飛行を行った。当初は海軍のみで研究開発を進めていたが、途中から陸軍も関与し陸海軍協同となる。
暗雲垂れ込める計画
ところが戦況は悪化の一途を辿り、ついに本土空襲が始まる。迎撃のための局地戦闘機の開発・製造に人手を取られ、連山の製造は遅延した。連山1機に零戦10機分のアルミニウムを使用する点も遅延に拍車を掛けている。対策として鋼製機体の連山改が設計された。桜花の母機という名目で何とか開発は続行され、四苦八苦のすえ1945年1月に4号機が納品された。
1945年6月、4機製造したところで全ての開発計画が中止となった。既に完成していた1号機と2号機は海軍に引き渡され、空襲を避けるため青森県の三沢基地に移送。試験飛行を実施していたようだが、米軍の爆撃により破壊される。3号機は小泉飛行場で駐機していたところを爆撃に遭い、破壊。唯一4号機のみが被害を免れ、終戦まで残った。それでも空襲の影響で、連山の一部が破損させられた。
終戦後、4号機はアメリカ軍に接収される。大破した1号機と2号機の部品を集めて修理し、小泉飛行場から横須賀まで飛行。そこで空母に積載され、アメリカ本土に移送された。1946年6月にテスト飛行を行ったが、これが最後の飛行となった。朝鮮戦争中に廃棄処分となり、解体。全ての連山が消滅した。
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関連項目
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