皇紀とは、日本の初代天皇である神武天皇が即位したとされる年を元年(紀元)とする日本独自の紀年法。
概要
正式名称は「神武天皇即位紀元」であり、皇暦(すめらこよみ、こうれき)、神武暦(じんむれき)、神武紀元(じんむきげん)、日紀(にっき)とも言う。
皇紀元年は西暦で言うと紀元前660年である。よって西暦元年は皇紀661年である。よってこの記事の初版が作成された西暦2013年は皇紀2673年である。
日本では明治5年11月15日に公的な暦として制定された。戦前の日本では元号と共に用いられていたが、現在では目にする機会も少なくなってしまった。しかし使用が禁止されたわけではなかったので一部の愛好家や神道関係者、全日本居合道連盟などは現在も皇紀を使っている。
なぜ元年が紀元前660年なのか
神武天皇は干支でいう辛酉(しんゆう)の年に即位したと日本書紀に書かれている。しかし辛酉の年は六十年ごとに巡ってくるため、これだけでは具体的に西暦でいういつ頃に当たるのかは不明である。しかし日本書紀に記載された歴代天皇の在位年数記録から逆算していくと、この紀元前660年になる。
ただし、日本書紀に記載された初期の天皇の没年齢や在位年数はあまりにも長すぎ(100歳以上生存したことになる人もちらほらと)、また古事記の方に記された没年齢・在位年数とも食い違っている。このことから日本書紀における歴代天皇の在位年数記録は、神武天皇即位の年をこの紀元前660年に合わせるため、あえて長く記載されたのではないか?とも考えられている。
というのも、「1260年周期の辛酉の年に大きな革命が起きる」とされる「辛酉革命」という中国古来の考え方があるのだが、この紀元前660年は聖徳太子が斑鳩宮を建設したとされる西暦601年から数えて1260年前に当るのだ。つまり縁起担ぎとして理想的な年数に合わせようとしたのではないか、ということである。
興味深いことに、これらによく類似のことは他の神話・暦でも生じている。たとえばユダヤ教のタナハ(キリスト教の旧約聖書)でも初期の登場人物はかなり長命で没したことになっている(テラは205歳、アブラハムは175歳で没したと記載されている)。西暦もイエス・キリストの生誕年よりかなり後の時代に定められたので、現在ではキリストは西暦元年に生まれたわけではないということはほぼ確実視されている。
インドネシア独立宣言
この宣言文は日本が第二次世界大戦に敗北してポツダム宣言を受諾し降伏した1945年8月15日のわずか2日後、8月17日にインドネシアの民族主義者スカルノやモハメッド・ハッタによってなされた。日本軍政が退いた後、再度オランダに植民地支配を受けるのではないかとの懸念から、早急に宣言する必要を感じていたためと思われる。つまり、直前まで日本軍が行政を担い暦も皇紀が使用されていたため、宣言でもそのまま皇紀が使用されたわけである。
また、この宣言を行ったスカルノやハッタが日本軍政と協力関係にあったことも関係していると思われる。当時のインドネシアで独立を志す民族主義者の中にはスタン・シャフリルのように日本軍政への協力を拒否した人物らもいたが、仮にそういった人々がこの独立宣言文の中心人物となっていた場合、皇紀は使用すまいとしたかもしれない。
関連項目
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