三善康信(1140~1221)とは、平安時代末期から鎌倉時代にかけて活躍した官人である。
概要
三善家は京で太政官の史を継承する下級官人の家で、本人も1162年に右少史に任じられていた、次いで中宮属、さらに五位の官位につく。
母の姉が源頼朝の乳母をしていた関係から、伊豆配流後の頼朝に京の情報を伝えており、1180年には平家による源氏追討の危険を頼朝に知らせ、彼の挙兵のきっかけを作っている。1181年に出家するが、1184年に頼朝に招かれて鎌倉に下り、経験を生かして問注所執事となる。同じく京下りの大江広元とともに、頼朝の顧問役を務めた。
源頼朝の死後も幕府体制の安定化に努力し、源頼家の訴訟親裁を停止して十三人の合議制がとられた際その一人となっている。また承久の乱では病気を押して即時出撃を進言し、幕府側の体制を固めることに貢献した。
町野、矢野、太田といった彼の子孫は鎌倉時代のみならず、室町時代に至っても官僚として活躍していった。
関連項目
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