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「人は生まれてこないほうがいい?」反出生主義とはなにか〜哲学者・森岡正博さんに聞く

「子供を生まないことが申し訳ない」。ネット記事に、アラフィフの独身女性のこんな言葉が載っていました。命の連鎖を自分の代で終わらせることへの後ろめたさを感じている。彼女はそう語っていました。

子供がいない人のなかには、そのような引け目を感じている人もいるかもしれません。その背景には「人は子供を産むべきである」という価値観がいまだに根強く存在することがあるといえます。

しかし他方で、そうした考え方とは正反対の「人は子供を産まないほうがいい」という思想がここ数年、注目を集めています。そのような思想は「反生殖主義」あるいは「反出生主義」と呼ばれます。

厳密にいうと、「反出生主義」とは「人は生まれてこないほうがいい」という思想のことで、その中に「人は子供を産まないほうがいい」という「反生殖主義」も含まれていると考えられています。ただ、最近では後者の意味で「反出生主義」という言葉が使われることも増えているようです。

「人は生まれてこないほうがいい」あるいは「人は子供を産まないほうがいい」なんて、極端な思想に思え、反射的に否定したくなる人もいるでしょう。しかし、この「反出生主義」という思想を通じて、生命の意味について問い直すこともできるのではないでしょうか。

そのような発想のもと、早稲田大学教授で哲学者の森岡正博さんは2020年秋、反出生主義をテーマにした哲学書『生まれてこないほうが良かったのか? 』(筑摩選書)を著しました。「反出生主義」とどう向き合えばいいのか、森岡さんにお話を聞きました。

反出生主義の起源は2000年以上も前にある

ーーそもそも「反出生主義」とは何でしょうか。どのような歴史があるのでしょう。

森岡:「反出生主義」という思想は「人間は生まれないほうが良い」という考え方です。過去に向けて考えると「全ての人間は生まれないほうが良かった」となり、未来に向けて考えると「全ての人間は子供を産まないほうがいい」となります。

「全ての人間は生まれないほうが良かった」という思想自体は古くからあり、古代ギリシャや原始仏教の時代から現代まで2000年以上の歴史があります。ゲーテの戯曲や太宰治の文学などにもそうした思想の片鱗がみられます。

このような「全ての人間は生まれないほうが良かった」という思想に、20世紀に入ると「全ての人間は子供を産むべきではない」という思想が加わりました。その背景として、避妊技術が登場し、禁欲以外の方法で子供を生まないようにできるようになったことがあったのだと考えられます。

TwitterなどのSNSで「反出生主義」という言葉が使われる場合、2つの意味が混在していて、どちらの意味で反出生主義と呼んでいるのかは人によってさまざまです。 Twitterではどちらかというと、後者の反生殖主義の声が大きいといえますが、さまざまな意見や対立がありますので、 今後どうなっていくのか興味深いですね。

生まれてくる子供の10人に1人が不幸になるとしたら?

ーー私自身はもともとアトピー性皮膚炎だったこともあり、「子供を産んでこのような苦しみを受け継がせてはいけないのではないか」と、子供のころからぼんやりと考えていました。そうした発想と似た考え方が「反出生主義」という哲学として存在することを知って驚きました。私は「痛みを感じる存在が生まれることに対して我慢できない」というのは、反出生主義の持つ「優しさ」ではないかと思うのですが、いかがでしょうか。

森岡:人がこの世に生まれてきたら苦しい思いもすることは避けられません。そこで、「子供にとって一番良いのはそもそも生まれないことだ」と反出生主義の人が考えるのは、生まれる子供のことを考えているから優しいとも言えるでしょう。ただし、生まれてくる子供のことを考えたとき、必ず「産まないほうがいい」という結論になるのかといえば、それは分かりません。

たとえば、非常に良い環境に恵まれて幸せな人生を過ごしてきたと考えている人が、「子供にも良い人生を送ってほしい」と思って子供を産むのも、優しい思想だと思うんです。もちろんその場合は、実際には子供があまり良い人生を送れないかもしれないというリスクがあるわけですが。

「生まれてきた人間が苦しむかどうかは、ロシアンルーレットのように決まってしまう。だから、子供を産むべきではない」という考え方は「ロシアンルーレット型」といえます。このロシアンルーレット型は、人間の苦しみのことしか見ていないんです。その苦しみを上回る喜びが人間に訪れる可能性がある場合、それぞれの可能性をどう見積もるのかという評価が難しいんですね。

ーーロシアンルーレット型の考え方の一つとして、「10人の子供を産むと1人は苦しみしか味わわない。たとえば、1人は拷問されて殺されるだけの人生になる」という場合は、子供を産まないのが良いのではないか、というものがあります。このような主張について、どう考えればいいのでしょう?

森岡:10人のうち1人が不幸になるという場合は、そういう理屈が成立する可能性がありますね。難しいのは、それが1000人に1人、10000人に1人となった場合です。1人が苦しみにあわないようにするため、人生を謳歌できる9999人の出生を止めることになってしまいます。そういう場合でも本当に釣り合うのか、という問題が出てくると思います。

ーーそこで「1人の不幸」に肩入れして「9999人の幸福」を選ぶのではなく、「1人の不幸」を避けることを選ぶのが、反出生主義ですね。

森岡:それはありますね。ただ、その選択をすることで、「自分の人生は良かったから、子供を産んで子供にもそういう人生を味わわせてあげたい」という人の思いを蹂躙することにもなります。ロシアンルーレット型の反出生主義はそういう暴力性を含んでいます。

極端な話をすると、地球環境がすごく悪くなって、生まれてくる子供の100人中100人が、拷問を受けるのと同様の苦しみを感じる世界になったとします。そのときには「子供を産むべきだ」と考える人はすごく少なくなると思います。そのとき、理性的に考えると「反出生主義」が選ばれると思うんですよ。

しかし通常は、どこで線を引くかという問題で、簡単に一つの答えが出るわけではありません。そのとき何が問題になるかというと、「喜び」の評価だと思います。生まれてきたことの喜びをどのくらい高く見積もるのかというところで、判断が分かれるのではないでしょうか。

ーー「反出生主義は理性主義の哲学の終着点」とも呼ばれるようですが、理性的だと反出生主義に行き着くのでしょうか。

森岡:反出生主義はとても理性主義的だと思います。一般的に、「苦痛回避型」に基づいて反出生主義を語る人が多いのですが、「生まれてくると多かれ少なかれ苦痛を感じる。苦痛を避けるためには生まれないのが一番いい」というのは、非常に理性的な考え方だと思います。

ただし、理性に基づいて考えたら必ず反出生主義になるということではありません。出生肯定主義のハンス・ヨナスという哲学者は「進化の中で人間のような存在が生まれたのはすごく大事なことで、大事なものを失ってはならないから人間は存在を続けるべきである」と主張していますが、これも理性的な考え方の一つだと思います。

反出生主義とチャイルドフリーの関係は?

ーー結婚や出産について、昔よりも個人の多様性が認められるようになっています。一方、少子化にともなって、子供のいない人への風当たりがまた強くなっているようにも思います。「女性は産む機械」「子供を産まないとダメだぞ」といった政治家の発言が批判されることもありますが、反出生主義と関係がありますか?

森岡:女性に出産を奨励する社会の風潮に対して反対するというのは、20世紀からある思想で、「反・出生奨励主義」ですね。こちらは反出生主義の中に入れないほうがいいと思います。

「反・出生奨励主義」は「産む産まないは女性が決める」という立場です。これに対して、反出生主義は「全ての人は子供を産むべきではない」という立場ですから、思想の内容が異なります。

国家や親族による出産の強制に対しては、1960年代くらいからフェミニズムやウーマン・リブが強く反対してきました。日本の場合、1970年代から「産む産まないを国家が決めるな」という運動がありました。そのとき彼女たちが言っていたのが「反・出生奨励主義」です。その成果として、女性が社会進出して、自分の人生を自由に生きられる社会が少しずつ実現していますね。

ーー反出生主義と似た考え方として、チャイルドフリーがあると思います。これは、結婚しても意図的に「子供を作らない」という生き方で「選択子なし」とも呼ばれます。反出生主義とチャイルドフリーは共通する部分もあると思うのですが、いかがでしょうか?

森岡:難しいところですね。「全ての人は生まれてこないほうが良かったし、子供を産むべきではない」というのが反出生主義です。

「子供を産むな」と強制するところまではいきませんが、自分のライフスタイルだけの話ではなく、他人にも口を出す強い思想なんです。そこまで強くない場合は反出生主義と呼ばないほうがよいでしょう。強くない思想の一つとして「チャイルドフリー」があります。

チャイルドフリーはライフスタイルですね。「私は子供を作らない」「他にもそうしたい人がいたら仲間になりましょう」というスタンスです。

ーー「出生奨励主義」の風潮を息苦しく感じている人にとっては、「反出生主義」の思想に触れることで、風穴が空くように感じられるかもしれませんね。

森岡:反出生主義は、「全ての人は生まれないほうがよかった」とか「全ての人は子供を産むべきではない」とか、極端なことを言ってるように見えるんですけど、実はそこで問われている問題は、一人ひとりが心のどこかに抱えている問題ではないかと思います。

たとえば私の場合は、自分が生まれてきたことに対して「イエス」と言い切れない部分があることに気がついていきます。

いつか終わってしまう人生をなぜ生きてるのかというのと、人間関係の中で生きていく上で加害をしてしまうことの生きづらさを、私は強く感じています。私の哲学は、「気がついたらこうやって生まれてきて、生きていくしかない『私』というひとりの人間がどう考えていくのか」というところからスタートしています。

反出生主義という考え方に対して「極端だなあ」と思うだけではなく、そこで問われている根源的な命の問題を見つめるきっかけにしてみてはいかがでしょうか。

『生まれてこないほうが良かったのか? 』を著した森岡正博さん

以下は森岡さんの最新の論文です。反出生主義について、より詳しく知りたい方はぜひご覧ください。

森岡正博さんの論文反出生主義とは何か その定義とカテゴリー

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