今日は突然なんだという話だが、「自分をキャラクターとして見立てて、操作する感覚」が僕にとって最適な認識の仕方ではないか、という仮説について話してみる。 この内容はかなり主観的な要素が強いのだが、仏教哲学などのエッセンスも実は入っているため、我ながら非常に興味深いテーマだと思っている。 https://siratamablog.com/novel/sentence/1ninsyou-3ninsyou/ 例えば、最近僕は体調を崩して、病欠してしまった。仮に同じ状態の他者がいたら、僕は間違いなく「無理せず休んで」と伝え、そのために行動を起こす。 これは正直社会として、会社として、または同僚或いは上司…