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早くも花粉シーズン到来か

今週は東京に出張に出たのだが、かなり暖かいかった。最高気温も連日15℃弱。ダウンジャケットを持ってきたのはいいが、とくに昼前は邪魔になってしまうくらいだった。

そんな中での出張。うち社員の1人が、何だか調子が悪いと言い出す。そして、それは風邪ではなく、花粉のせいではないかと言っていた。

 

私は年齢=花粉症歴と言っていいほど、子どものころからアレルギー性鼻炎に悩まされ続けてきているのだが、まだ今シーズンは花粉の症状はない。

言われてみれば、1週間くらい前に、東京では花粉が飛び始めたというニュースは見ていたが、花粉飛散400℃の法則(1月1日からの最高気温の積算が400℃を超えると本格的にスギ花粉が飛散し出すと)が頭にあり、まだもう少し先だろうとたかを括っていた。

薬も先日Amazonで大量に購入していたが、まだ服用し始めておらず、1月末くらいからでいいだろうと思っていた。

 

ただ、いざ花粉が飛んでいるのではないか、と言われると急に気になり、鼻がムズムズする。花粉症は「病は気から」の代表例のような疾病で、さらには症状が出てから薬を飲み出したのでは手遅れなので、出張先ではあったが、どうしようか少々困惑した。

 

で、どうしたものかと思案した結果、出張が終わって家に帰ればAmazon仕入れた安い花粉症薬が大量にあるのだが、ここで発症させてはいけないと思い、薬局で薬を購入。ほんとは最小構成の1週間分でよかったのだが、その1週間分が売り切れということで、仕方なく2週間分を購入。余計な出費になってしまったが、ここで発症してしまう、今シーズンずっと苦しむことになるので、それを避けられるのであれば安いものだと言い聞かせることにした。

 

気になり出してからは、マスクもきちんと着用して、薬も飲み、カバンの中に入っていた昨シーズン買った点鼻薬も使用して、万全の体制を整えているが、若干鼻と目がかゆいような気もしている。

上述したとおり、発症させてしまうと抑え込むのが難しいので、これ以上症状がひどくならないのを祈るのみなのだが、さて間に合ったのかどうか、ここから気になる数日を過ごすことになりそうである。

 

ということで、今年も花粉シーズンが始まりそうだ、という話でした。

ブログ更新のルールを変更してみての心境の変化と微修正

1月も後半戦に突入。年始モードは終わり、完全に平常モードに。

今年も年初にいろいろな目標を立てたのだが、こちらもまあまあのすべり出しか。

 

その中で、このブログの更新。最重要目標というわけではないが、もう習慣化もできてきたので、今年は月20回、年に250回くらい更新できればいいなと思い、2025年をスタートした。

 

このブログ、2020年の年末から3年間毎日更新を続け、昨年2024年は平日更新に、そして今年はその平日というしばりもなくして、月に20回は更新に目標というか頻度を変えてきた。

 

当初、毎日更新していたときは、当然毎日書かないといけないので、大変だったが、毎日書くということでわかりやすった。

これを平日更新に変更しても、平日毎日書くだからこちらもわかりやすい。ただ、この場合、今日はどうしても書くことがないぞとか、書く時間がないぞというときも書かなければいけないわけで、それがちょっと負担だったので、今年からは月の更新回数というしばりを設けてみようと思ったわけである。

 

しかしながら、この月の回数しばり、やってみて思ったのは、今日書かなくてもいいのだけど、今月になって、今何回更新したのかすぐにわからないので、いつも頭の片隅に現在の更新回数が気になってしまうのである。せっかく習慣化できたので、更新が止まるということは避けたいのだが、今日書かなくてもいいとなると、どうしても甘えも出てしまう。

 

ということで、年が始まって間もないのだが、ブログ更新のマイルールをちょっと変えてみたいと思う。月20回更新というのは変えないが、基本は平日更新として、平日更新できなかった分はその週の土日でフォロー。週に5回更新とする。あわせて、2日連続更新しないのはダメとする。これで運用すれば、ズルズル更新しなくなったり、月末にあわてるということはなくなるのではないだろうか。

実は今週は、新年会や出張が続き、2日連続で更新していなかったのだが、今回限りにしたいと思う。

 

ということで、設定した目標を微修正してみた、という話でした。

決断してなくもいいように、準備ができる大人になりたい

先日このブログで、決断と判断の違いについて言及した。

そこでの私なりこの2つの定義は以下のとおり。

判断:情報収集や分析をすることで、自ずと選択肢が絞られて、それを選択すること

決断:いくら情報収集や分析をしても、選択肢が絞れず、最後はエイヤで選択すること

 

どちらが優れていて、どちらが劣っているというものではなく、意思決定のプロセスが違うものであると整理している。なので、重要な判断とどうでもいい判断があって、重要な決断とどうでもいい決断がある、という感じか。

 

で、私の性格もあるのだが、できるだけ判断ができるものはそうしたほうがいいと思っている。選択肢を並べて、Pros/Consを整理し、その上でどれを選ぶ。もちろんそこまでしても判断できない場合もあるが、だいたいの場合の自ずと1つの選択肢に絞られる。

 

ただ、これが時間がないときだと、そんな選択肢を並べたり、その選択肢を分析したりできない。ちょっと時間をかければきちんと整理できるのだが、その整理する時間がないわけである。

例えば、先日あったのが、ランニングした後に、サウナのある温浴施設に行くかどうかの意思決定をしなければならかったとことがあった。これ自体が冷静に考えれば(冷静に考えなくても)どうでもいい類の意思決定なのだが、悩むことになった。

その後、用事があって、その温浴施設に行くと、次の用事がギリギリになってしまう。それだったら、サウナに入る時間を短くするかとか、だったらサウナには行かずに自宅の風呂に入るとか、いくつか選択肢があったわけだが、悩めば悩むほど時間がなくなってしまう罠に陥ってしまう。

 

こういう場合の解決策は2つあって、1つはどれでもいいからエイヤで選んでしまうこと。ただ、無駄に悩んで、ベストな解を導き出したいと思う私の性格が災いして、なかなかこれができない。

ではもう1つの解決策になるのだが、それは事前に解像度高く計画を立てること。

 

このケースの場合、おしりの時間は決まっているわけだから、そこから逆算して行動すれば問題がない。次の予定に間に合うようにサウナに行くには、いつまでランニングを終えている必要があり、あとは走りたい距離から逆算して、いつ走り始めるかを決めればいい。それを何も考えずにふらっと走りに行って、好きなだけ走って、そこからどうしようと考えるからいけないわけである。

 

この、タスクを始める前にやるべきことを書き出して、きちんとスケジュールに入れ込むという作業、これができていないことが多い。50近くにもなって恥ずかしい話だが、今思いついたタスクを先にしてしまい、あとになって重要なタスクが済んでいないなんてこともよくある。

いや、弁解するなら、事前にきちんとタスクを並べて、優先順位をつけてから作業することもあるのだが、毎日できていないというのが正確なところか。朝余裕があるときはできるのだが、ちょっとバタバタするとできなくなる。

 

具体的な対策としては、1週間ごとにタスクを洗い出すという、「7つの習慣」や「GTD」などの古典でよく言われている方法がいいのだと思う。ここでのコツは、1週間の予定を解像度を上げて想像することだろうか。

例えば、今週の私の予定だと、取引先の会社との新年会があり、ほぼ間違いなくそこで挨拶をお願いされることになるので事前に準備しておく、とか。挨拶を依頼されてから考えるのでなく、先回りして準備をしておく。

 

年初というか昨年末に今年の目標をこのブログにも書いたが、それに加えて、今年は準備がしっかりできるそんな大人になりたいと思う。

 

ということで、いらぬ決断をしなくてもいいように、事前に判断できるよう準備をしていきたい、という話でした。

 

chikaran.hatenablog.com

センター試験の思い出

この土日、大学入学共通テストが実施されていたようである。

この大学入学共通テスト、大学共通第1次学力試験、大学入試センター試験の流れをくんだ試験で、2021年度から実施されているとのこと。もう少し前から大学入学共通テストに変更されたのかと思っていたが、意外と最近はじまったことに気づいた。

 

さて、私のころは「センター試験」。これも調べてみたところ、1990年度から2020年度まで実施されていたようで、私は一浪したので、このうち1995年度(1996年1月実施)と1996年度(1997年1月)の2回ほど受験している。

一浪後、結果的には私立大学に進学したので、このセンター試験自体は直接は大学入学に関係なかったことになるのだが、もともと現役時も浪人時も国立大学志望だったので、センター試験が重要な第一目標であった。

 

センター試験は、現役時も浪人時も自宅から1時間強かかる地元の国立大学で受験。現役時は、どうやっていったか記憶にないが、おそらく新幹線と電車で自宅から2日通ったと思う。

このとき、初日の前日の夜、風呂の準備をどちらがやるかというほんと些細なことで母親とけんかなり、ペースを狂わされたのを覚えている。こちらとしては大事なセンター試験前くらい、少しはちやほやしてくれてもいいのではないかという気持ちだったのだが、それに対して母親としてはそんなの知ったことないという感じで、ちょっとした言い争いになった。

これが原因がどうかはわからないが(いや原因ではないのはわかっているのだが)、結果は散々で、その後の二次試験では第1志望をあきらめ、第2志望に切り替え、さらにはそれにも関わらず不合格となり、浪人するハメとなった。

 

それから1年、春から1日も休まずに勉強し迎えた、浪人時のセンター試験

前年の反省から自宅から通わずに、受験会場近くのホテルに泊まることにした。そこまでは良かったのだが、緊張のせいか明け方まで寝れず。十分な睡眠が取れないまま、試験当日を迎えた。ただ、よく言われることだが、1日くらい寝れなくてもとくに問題はなく初日を終了。2日目前日から当日の朝は初日の疲れもあってかぐっすり寝ることができ、結果的には両日とも満足いく点数が取れた。現役時は8割も取れなかったのが、翌年はたしか9割を超える点数だったと思う。

 

その後、浪人時は私立大学の受験も、本命の国立大学の受験も2日間連続だったのだが、そのどちらも初日前は眠れずに本番を迎えた。ただ、しっかり準備してきたので、どちらも合格。少々眠れなくても問題ないのだということをこのとき学んだ。

もちろん、熱が出るような風邪をひいては力を発揮するのは難しいだろうが、一般的には当日のコンディションよりも、それまでの準備が大切というわけである。

 

ということで、もう30年近くも前になる受験のことを思い出した、という話でした。

決断と判断

音声配信サービスVoicyで、Voicy社長の緒方憲太郎氏が「決断と判断」の違いについて言及していた。

voicy.jp

この配信で、緒方氏は、判断は情報収集して分析したり選択肢を評価すること、決断は決めること、と定義づけている。

言わんとすることはわかるのだが、ちょっと定義が甘いのと、この配信の内容から決断のほうが判断よりも価値の高い行為であるというニュアンスがあるのを感じ、ちょっと違和感をもったので、ここで私なりの定義を整理しておきたいと思う。

 

まず、私なりの定義は以下のとおり。

判断:情報収集や分析をすることで、自ずと選択肢が絞られて、それを選択すること

決断:いくら情報収集や分析をしても、選択肢が絞れず、最後はエイヤで選択すること

 

緒方氏との相違点は、どちらも選択することであることと、そこに優劣はないということ。判断よりも決断のほうが優れているというものではなく、単に違う行為であると考えている。

字面から考えると、判断はどれを選べばいいか判った上で他の選択肢を断つ、決断は決めることで他の選択肢を断つ、という感じか。

 

この定義に従えば、普段のくだらない選択でも決断が必要なことはよくある。例えば、飲食店でメニューを選ぶとき、あれもいいな、これもいいなと迷うときに、最後にこれ!と選ぶのは決断になる。しかしながら、500円と1000円のメニューがあって、今700円しかもっていなかったら、500円しか選べないから、これは判断となる。

重要な局面では決断が必要で、そうでない場面は判断でよい、ということではなく、重要な決断もあれば、重要な判断もあり、割とどうでもいい決断もあれば、どうでもいい判断もある、というだけである。

 

で、この決断と判断の話のときに、情報収集や分析ばかりしていないで、ある程度のところで決断しないといけないことがある、と言われる。今回の緒方氏の言いたいことも概ねそんな感じで、このこと自体にとくに異論はない。

ただ、うちの会社での意思決定なんかを見ていると、本来であれば判断できる案件なのに、情報収集や仮説の立て方が甘く、エイヤで選択してしまっていることがある。また、情報収集や分析をしないまま、どの選択肢にしましょうか、と経営者である私に聞かれたりすることがよくある。

 

こう言うと、うちの会社のレベルが低いだけなのかもしれないが、中小企業であればよくある話なんかじゃないかなと思ったりする。

きちんと選択肢を並べて、それらのPros/Consを整理すれば、自ずと選択肢は絞られるなんてことはよくある。

また、設備投資する際など、その投資が回収できるかどうかは、ある程度試算をすれば判断できることがよくある。最初は皆目検討がつかないと言われたりするのだが、投資額や売上の増分なんかは桁さえ間違えなければ、判断するのに必要な精度くらいにはもっていくことができる。

 

こう考えると、ビジネスにおいては、まずは判断ができる段階にもっていくことが大事。もちろん、必要以上に時間を使って、情報収集や分析をするのは愚の骨頂だが、順番としては判断できたほうがベターと考えるべきである。

その上で、今やらなければいけない意思決定が、判断でできるものなのか、決断が必要なものかを区別する必要がある。どこまで考えても判らないものは、どこかで決めなければならない。

 

今うちの会社では、まさに最終的には決断しないといけない案件を抱えている。必要な情報収集や分析はしないといけないが、どこまでやっても自ずと結論が出るものではないので、然るべきタイミングで、経営者である私が決断をしたいと思う。

 

ということで、決断と判断は、意思決定のタイプの違いである、という話でした。

1月のごみ収集日もチェックしておかないといけない

1月も中旬になり、年末年始モードから完全に平常モードに戻ったのだが、まだ年末年始のタスクで終わっていないものがある。それは、大掃除のときに出たごみ出し。

今回の年末年始は9連休ということもあり、年末は大掃除でものの整理・処分がかなり進んだのだが、そこで出てきたのが大量のごみ。

 

年末は大掃除があるので、12月はごみ収集日にあわせてものの整理をしていく必要があると気づき、2023年の年末からGoogleカレンダーに各種類のごみの収集日の年内最終日を入力して、それにあわせて大掃除の予定を組むようにした。昨年末も同様に、年内最終収集日から逆算して、少しずつ大掃除を進めることにした。

この方法はけっこう良くて、いつも年末最後まで掃除を後回しにしていたが、計画的に進めることで少しずつ大掃除を進めることができた。

 

ただ、年末の休暇前に大掃除のすべてが終わるかというと、そんなはずもなく、やはり年末の数日が大掃除の本番となる。このタイミングでは年内のごみ収集はすべて終わっており、ここで出てくる多くのごみは年内には処分できないので、いっしょに年を越すことになる。

 

そこまでは仕方ないのだが、このごみたち、1月の収集日に忘れずに出さないと、1ヶ月以上、へたをすればずっと家の中に居座ってしまうことになりかねない。

どういうことかというと、普通の可燃ごみであれば週2回、容器プラスチックごみであれば週1回の収集日が設定されているので、忘れても次回に出せばいいのだが、びん・缶ごみやペットボトルごみは月2回、不燃ごみや容器以外のプラスチックごみ、衣類・紙類、(電池などの)処理困難ごみだと、月1回の収集日しか設定されていないので、忘れてしまうと翌月まで収集してもらえないことになってしまうわけである。

 

そこで考えたのが、12月だけでなく、1月もごみ収集日をGoogleカレンダーに入力しておくというもの。このおかげで、今のところ年末に出たごみをきちんと出すことができている。

可燃ごみと容器プラスチックごみ以外は曜日が決まっているわけでもないので、きちんと確認しておかないと、収集日の夜にきづいて「しまった」となる。下手すると、年末に処分しようと思ったごみが翌年末まで居座るなんてことにもなりかねないので、こまめにGoogleカレンダーを見て、まだ出せていない不燃ごみや処理困難ごみを出し忘れることがないよう気をつけたいと思う。

 

ということで、年末の大掃除は、そのとき出たごみを処分するまで終わらない、という話でした。

 

chikaran.hatenablog.com

大河ドラマが第1話がすべて

年が変わって、早半月が経ち、正月モードから平常モードに完全に戻ったような感じである。

日本では一般的に4月はじまりのことが多く、1月に何か大きく変わることは少ないが、1月はじまりの1つとして、今回のテーマである大河ドラマがある。言わずとしれた、NHKのドラマシリーズで今年の「べらぼう」で64作目になるようである。

 

で、その「べらぼう」。大河ドラマではめずらしく、戦国時代でもなければ、幕末でもない、江戸中期を舞台にした作品。昨年の「光る君へ」も平安時代と、2年連続で定番を外しためずらしい時代選定である。

 

話は少し本筋から離れるが、私がはじめて大河ドラマを見たのは、小学4年生のときの「独眼竜政宗」。今年のべらぼうにも出演している渡辺謙主演の、大河ドラマ史上でも最も人気のある作品。この独眼竜政宗から大河ドラマを見始め、翌年の「武田信玄」と続く「春日局」まではかかさずに見た。その次の「翔ぶが如く」は全部見たか記憶が薄く、「太平記」以降は大河ドラマから離れてしまった。

 

その後、学生時代はほとんど見ていないが、「篤姫」を再放送で見て、「龍馬伝」は久しぶりにオンタイムですべて見た。その後は、「江」は最初の数回で挫折、「平清盛」は視聴率は良くなかったが個人的にかなり面白く全話視聴、「八重の桜」も前半で挫折など、紆余曲折ありながら「軍師官兵衛」以降はほとんど見ている。

ただ、「麒麟がくる」と「青天を衝け」は、子どもがテレビを独占するようになり、HDDに録画するも、視聴がめんどうくさくなり挫折。「麒麟がくる」は途中まで見て面白かったので、どこかで最後まで見たいとは思っている。

その次の「鎌倉殿の13人」あたりからNHKプラスでの配信でフォローできるようになり、ここ数年はそちらで視聴している。

 

さて、前置きが長くなったが、今回言いたいのは、大河ドラマの世間一般の評価はだいたい1話目で決まってしまう、ということ。

 

昨年の「光る君へ」は、平安時代の物語ということで、前評判は良くなかったが、1年間の評価は総じて高かったかと思う。その要因は第1話が面白かったからで、ここで流れをつくって、最後まで評判を落とすことなく、最終回を迎えたように見えた。私も当初は見るつもりがなかったのだが、第1話を見て引き込まれ、そのまま1年間視聴することになった。

ただ、1年を通して面白かったかと言われると、悪くはなかったのだが、藤原道長が闇落ちすることもなくいい人物解釈のまま物語が推移していって、正直重厚さに欠けるなという感想を抱いた。

 

一方で、一昨年2023年の「どうする家康」。こちらは戦国物ということもあり、なじみの深い題材だったが、最初期の段階でBL的な要素が入っていたり、前半のクライマックスで「慈愛の国」というちょっとファンタジーがかった解釈があったりとで、評判がよろしくなく、そのまま回復することなく終わってしまった感がある。

とはいえ、終盤は家康の老練さも出てきており、大河ドラマらしい、その時代の空気を感じられる面白い内容だったと思ったのだが、評判が覆ることなく終わってしまった。

 

要するに、最初が肝心ということ。終わり良ければ全て良しの反対で、はじめ良ければすべてよし、とまでは言わないが、最初でこけると回復が難しい。

ドラマなんてだいたいそんなもの、と言われればそのとおりなのだが、大河ドラマの場合、1年という長丁場なので、途中からでも評判をひっくり返すことができるように錯覚している部分が多いが、そうなった作品は正直思い浮かばない。

 

その視点で、今回の「べらぼう」を見ると、正直ちょっと厳しいか。なじみの薄い時代で、登場人物もなじみがない。今のところ一番有名なのが田沼意次あたりで、登場人物とその関係性を理解するのに苦労しそう。第1話の演出が話題になっているが、それ以外の評判はイマイチのようで、私の感想も、これはいいぞ、とはなっていない。

ただ、まだここで脱落しようとも思っていないので、今後時代背景や登場人物の関係の理解などが追いついて、内容的にどう盛り上げていくのか、もう少し見てみたいと思う。

 

ということで、(大河)ドラマは最初にコケると挽回が難しい、という話でした。