酒井 確かに昭和50年代は「歌謡曲」の枠組がぐっと広がった時代だったと思います。青春時代の私が、「歌謡曲」として親しみを感じて歌っていたのは、松田聖子や中森明菜の歌でした。『ザ・ベストテン』に出て来る歌手は、歌謡曲や流行歌を歌っている人。出演拒否をする歌手は「アーティスト」というイメージでしたね。
松本隆さんやユーミンの曲は、除湿機能を備えていました。日本人の心にあるねっとりとした湿度を除去し、涙も嫉妬もからりとした質感で表現する都会的なセンスに、私のように湿度を息苦しく思っていた若者達は夢中になりました。
糸井重里さんのようなコピーライターが歌謡曲の世界にも参入して詞を書き、沢田研二の『TOKIO』(昭54)や矢野顕子の『春咲小紅』(昭56)などでヒットを飛ばしていたことも、この時代を象徴しています。「気分」や「場面」を切り取り、一瞬の快感をもたらす広告的手法が歌の世界でも影響力を持ちました。演歌も、恨みつらみがなくなって明るくなっていた。
片山 細川たかしさんをはじめ演歌歌手もみんなで明るくノリよく行こうと歌っていましたね。短調より長調の演歌が多くなった記憶があります。それまで演歌が歌ってきた暗い情念を表出させたのは、昭和の最後に出現した尾崎豊ではないでしょうか。
ジュディ 確かにそうですね。彼は若者が内面に溜め込んでいた気持ちを歌うよりも叫ぶように表現したことで若者の心を鷲掴みにした。
酒井 尾崎は、当時の若者にとっての演歌だったのかも。
昭和は日本の黄金時代
内館 昭和歌謡とともに昭和を思い出してみると、もう一回、昭和に生きろと言われたらとても生きられない。でも、昭和の人たちって、あの社会で揚々と生きていたなと思います。
ジュディ ラッキーでしたね。昭和25(1950)年生まれの私の青春は、ちょうど高度経済成長期にあたります。右肩上がりで、華やかで、すべてにお金が潤沢にかけられていた時代でした。そこからバブルが起きて、バブル崩壊から節約が始まる。だから、昭和54(1979)年あたりまでは、本当に超華やかな時代を面白おかしく生きられたなあと思います。
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本記事の全文は「文藝春秋」2024年12月号と「文藝春秋 電子版」に掲載されています(五木寛之、藤原正彦、内館牧子、片山杜秀、酒井順子、ジュディ・オング「選考座談会『昭和万謡集 ベスト100歌謡曲』」)。
【文藝春秋 目次】〈緊急特集〉石破首相の煉獄 自民党崩壊 久米晃×曽我豪×中北浩爾/ジャンル別ガイド あなたに見てほしい映画/5つの臓器のアンチエイジング
2024年12月号
2024年11月9日 発売
1100円(税込)