本堂、明顕山祐天寺(目黒区、東京) 今日の写真は、目黒区の「祐天寺」です。 祐天寺は、徳川家と因縁のある寺として栄え、お堂や像が祀られています。 江戸中期に祐天上人が開山し、高弟の祐海上人が創建したお寺で、その祐天上人は晩年になって頭角を現した僧
本堂、明顕山祐天寺(目黒区、東京) 今日の写真は、目黒区の「祐天寺」です。 祐天寺は、徳川家と因縁のある寺として栄え、お堂や像が祀られています。 江戸中期に祐天上人が開山し、高弟の祐海上人が創建したお寺で、その祐天上人は晩年になって頭角を現した僧
田無神社その2 五神龍以外 西東京市、東京 Feb'2022
一之鳥居、田無神社、西東京市、東京 今日は、西東京市の田無神社の御龍神以外のスポットの写真です。 参道から眺めた二の鳥居と拝殿。 二の鳥居。 道祖神様(良縁結びの赤いひも)。 白龍の手水舎。 龍神池。 本殿・拝殿。 本殿しめ縄
青龍神。 今日は、 今日は、全国屈指の龍神パワースポットである西東京市の田無神社の五神龍についてのご龍神の写真です。 田無神社の境内には、五行思想に基づいて「五龍神」がお祀りされています。本殿の中にいる「尉殿大権現」を「金龍」としてお祀りしている
八雲氷川神社、目黒区、東京 今日のっ写真は、目黒区八雲地区にある八雲氷川神社です。 昭和39年(1964)に神社のある目黒区衾町の大部分が「八雲」に名称変更されました。 衾(ふすま)の字が当用漢字ではなかったため変更となったとされます。「八雲」が採用さ
初冬の羽田沼の鴨たち 羽田沼、大田原市、栃木 Dec’2024
マガモ(オス)、羽田沼、大田原市 今日は、栃木県北で有数の白鳥飛来地として知られる羽田沼(はんだぬま)の鴨たちです。 この日訪れたのが10時過ぎでしたので、白鳥はすでに近くの川や田んぼに餌あさりに出かけた後で、白鳥には会えませんでした。 鴨は例年通り
湯島天満宮 文京区、東京 今日は、湯島三丁目にある湯島天満宮、通称湯島天神の写真です。 昨日の記事の麟祥院と同じ春日通り(都道本郷亀戸線)にあり、麟祥院の南東にあります。 当初の祭神であった天之手力雄命(あめのたぢからをのみこと)に加えて、菅原道
麟祥院、春日局終焉之地 文京区湯島四丁目 今日は、江戸幕府の将軍徳川家光の乳母であった、春日局の菩提寺麟祥院と「春日局之像」が建つ麟祥院前ポケットパークの写真です。 麟祥院 春日局之像。麟祥院前ポケットパークに建っています。 場所は、春日局が
成田山新勝寺、総門 成田市、千葉県 今日は、昨日の記事の新春の様子から23か月後の落ち着いた新勝寺です。 仁王門 仁王門 大本堂 三重塔
大本堂 成田山新勝寺、成田市、千葉県 今日から2ヶ月ほどはこの4,5年撮り溜めてあった関東の神社、仏閣の写真です。 今日はまず、4年前のお正月の成田山新勝寺の初詣風景です。 大本堂 光明堂 醫王殿 平和大塔 醫王殿と平和大塔 釈迦堂
清水池、那珂川河畔公園、那須塩原市、栃木県 今日は、よく散歩に行く那珂川河畔公園の初冬の様子の写真です。 紅葉は、まもなく終わりちうところでした。 留鳥、冬の渡りといろいろですが、公園内の清水池にはそこそこの数の鴨がいました。 多数いたのはカル
駒止の滝。那須、栃木県 今日は11月に撮影した那須の駒止の滝です。 一昨年より十日遅く撮影に行きましたが、暖冬の影響か昨日の記事ほど奇麗な紅葉になっていませんでした。
駒止の滝。那須、栃木県。 今日は、一昨年撮影して記事にしていなかった、那須の駒止の滝の紅葉です。 この年は比較的奇麗な紅葉でした。 一方、昨年、今年は今一でした。
白河小峰城、白河市、福島県 今日は7年ぶりに行った小峰城です。 前回は2017年で、2011年の東日本大震災の修復中で一部しか立入ができませんでした。 一昨日(24年12月7日)、那須塩原から会津若松の重要文化財円通三匝堂(えんつうさんそうどう)(会津さざえ堂
世界遺産:ジョグジャカルタの宇宙論的枢軸とその歴史的建造物群園その2「タマンサリ」Yogyakarta, Indonesia, Feb'2014
Taman Sari Water Castle, Yogyakarta, Indonesia 今日は、昨日のクラトン(スルタンの宮殿)近くにある離宮の「タマンサリ(水の宮殿)です。 タマンサリは、マタラム王国のハメンクブウォノ1世によって建てられた離宮で、王に仕える女性たちが、ここで水浴びをした
世界遺産:ジョグジャカルタの宇宙論的枢軸とその歴史的建造物群その1「クラトン」Yogyakarta, Indonesia, Feb'201、
The Kraton (Palace) , Yogyakarta, Indonesia 今日は、2023年に世界文化遺産に登録されたインドネシア、ジャワ島のジョクジャカルタの「ジョグジャカルタの宇宙論的枢軸とその歴史的建造物群」の構成要素の一つ ・クラトン(スルタンの宮殿)です。 以前も、世界
世界遺産:プー・プラ・バート、ドヴァーラヴァティー時代のセーマ石の伝統の証、Udon Thani, Thailand , 1992
World Heritage:Phu Phrabat, a testimony to the Sīma stone tradition of the Dvaravati period. Udon Thani, Thailand 今日の記事は、今年世界文化遺産に登録されたばかりの、タイ王国の東北地方ウドンタニ県のプー・プラ・バート歴史公園です。 写真は残念なが
世界遺産:古代都市シー・テープと関連のドヴァーラヴァティー王国の建造物群その3「カオ・クラン・ノック寺院、2008、Thailand
Khao Klang Nok、巨大仏教寺院、64m×64m、高さ20m 今日は、世界遺産「古代都市シーテープ・・・」の構成要素の一つ、シーテープ歴史公園から少し離れた北にある「カオクランノック」寺院です。は、ドヴァーラヴァティー都市国家時代に建てられた、“最大級かつ偉大な
世界遺産:古代都市シー・テープと関連のドヴァーラヴァティー王国の建造物群その2、2008、Thailand
Si Thep Historical Park (Thai: อุทยานประวัติศาสตร์ศรีเทพ) , Phetchabun , Thailand, 2008 今日は、昨年(2023年)に世界遺産に登録された古代都市Si Thepその2で、「カオ・クラン・ナイ遺跡」です。 昨日の記事の写真を撮影した16年後に
世界遺産:古代都市シー・テープと関連のドヴァーラヴァティー王国の建造物群その1、1992、Thailand
Si Thep Historical Park (Thai: อุทยานประวัติศาสตร์ศรีเทพ) , Phetchabun , Thailand, 1992 ここ最近、国内の世界遺産の撮影にしか行ってなかったのでチェックしていませんでしたが、東南アジアで行ったことがあったり、しょっちゅう行ってい
武蔵御岳神社拝殿。青梅市御岳山。 今日の写真は、青梅市御岳山の「武蔵御岳神社」です。 青梅市の御岳山山頂には山岳信仰のシンボルとして知られる武蔵御岳神社が鎮座し、天平8年(西暦736年)行基がこの地にお堂を建て、蔵王権現を祀ったことに由来します。隣接す
清明台。旧宇都宮城本丸の土塁北西部にあった櫓。宇都宮城址公園(宇都宮市本丸町) 清明台のあった部分の土塁は、ほかの部分より高く、天守閣の役割を果たしていたのではないかといわれています。 今日の写真は、宇都宮城址公園です。 清明台。 土塁上の清
大谷平和観音。高さ27m。 太平洋戦争の戦死戦没者供養と世界平和を祈って彫刻されました。 今日の写真は、大谷平和観音と周囲の大谷公園のモニュメントです。 大谷公園の入り口。 奥の広場の右面に平和観音が彫られていました。 親子がえる
大谷寺、弁天堂。 今日の写真は、昨日の続きで大谷寺(大谷観音)の庭園と弁財天です。
大谷観音、宇都宮市大谷町 今日の写真は、宇都宮市大谷町の大谷観音(大谷寺)です。 重文の大谷千手観音の写真。実物は本堂正面の岸壁に彫られていました。 大谷寺本尊千手観音は平安時代(810年)弘法大師の作と伝えられています。 残念ながら生の撮影はでき
松尾芭蕉所縁の地その30黒塚(観世寺、二本松市安達ケ原)Apr’2024
観世寺 黒塚、二本松市安達ケ原。 今日の写真は、昨日の真弓山観世寺領にある鬼婆の墓と伝わる塚です。 黒塚(くろづか)は、福島県二本松市(旧安達郡大平村)にある鬼婆の墓、及びその鬼婆にまつわる伝説。安達ヶ原(阿武隈川東岸の称。安達太良山東麓とも)に棲
松尾芭蕉所縁の地その29真弓山観世寺(二本松市安達ケ原)Apr’2024
真弓山観世寺(二本松市安達ケ原) 今日の写真は、芭蕉主従が元禄2年 5月1日に郡山から福島に向かう途中に立ち寄った、二本松の安達ケ原の昔鬼婆が棲んでいたという伝説の有った岩屋が境内にある真弓山観世寺です。 笠石。 鬼婆が棲んだと伝わる岩屋。 笠石
松尾芭蕉所縁の地その28亀谷観音堂(二本松市亀谷)Apr’2024
亀谷観音堂(二本松市亀谷) 今日の写真は、亀谷観音堂(二本松)です。元禄2年4月29日、須賀川を後にする。快晴。石河の滝を見物。途中、本実坊・善法寺などに立ち寄 って、夕方郡山に到着して一泊。 5月1日 浅香山(福島県郡山市)
可伸庵跡(軒の栗跡) 今日の写真は、松尾芭蕉と交友のあった俳人・相楽等躬(さがらとうきゅう)の屋敷の一隅に住んでいた僧・可伸(かしん)の庵跡です。 松尾芭蕉は「おくのほそ道」の旅路の際、等躬の屋敷に8日間滞在し、栗の木の下にある可伸の庵で等躬らと歌仙
松尾芭蕉所縁の地その26神炊館神社(須賀川)Apr’2024
神炊館神社(おたきやじんじゃ)、須賀川市諏訪町。 慶長3年(1598年)に現在の諏訪町に遷宮。 石鳥居は上杉景勝が寄進。 門柱は山岡鉄舟揮毫。 今日の写真は、奥州須賀川の総鎮守である神炊館神社(おたきやじんじゃ)です。 奥の細道の途次、元禄2年4月28日に
十念寺。須賀川市池上町。 今日の写真は、元禄2年4月28日に松尾芭蕉が訪れた「十念寺(須賀川市池上町)」です。 現在は、松尾芭蕉が須賀川を訪れた時によんだ「田植え歌」の碑があります。建立したのは、時代が下って江戸末期の女流俳人市原多代女です。 松尾芭
長松院。 須賀川で芭蕉主従が世話になった門弟の相良等躬の菩提寺で墓のある寺院。 今日から数日間は福島県須賀川での芭蕉主従が訪れた場所や、今も残る句碑などです。 芭蕉主従は、黒羽ほど(13泊14日)長くはありませんでしたが、須賀川でも門弟の相良等躬宅(現
松尾芭蕉所縁の地その23関山(白河市関辺関山)Mar’2024
関山登り口の石碑 「心もとなき日數かさなるまゝに 白川のせきにかゝりて旅心定りぬ 奥の細道 芭蕉」 「 卯の花を かざしに関の 晴着かな 曾良」 今日の写真は、曾良の日記に「元禄2年4月21日。霧雨。昼過ぎからは快晴。朝9時ごろ宿を出て、古関の明神で
松尾芭蕉所縁の地その22白河の関跡(白河市旗宿)Mar’2024
今日の写真は、白河の古関跡のうち松尾芭蕉に所縁の写真です。 「風流の 初やおくの 田植えうた 芭蕉」 「卯の花を かざしに関の 晴着かな 曾良」 白河の関は平安末に廃止されその機能を失ってからも、みちのくの玄関口都の文化人たちの北行きの憧れの
松尾芭蕉所縁の地その21白坂宿境の明神周辺、白河二所ノ関址碑(白河市白坂)Mar’2024
白河二所ノ関址碑 今日の写真は、白坂宿境の明神周辺、白河二所ノ関址碑の写真です。 白河二所ノ関址碑、白河市白坂。
松尾芭蕉所縁の地その20境の明神(陸奥側、白河市白坂)Mar’2024
境神社(陸奥側、白河市白坂) 今日の写真は、境の明神(陸奥側、白河市白坂)です。 芭蕉の句碑。実際には元禄2年4月22日に須賀川の相良等躬邸で詠んだ歌を曾良が記載。 「風流の 初やおくの 田植うた 芭蕉」
松尾芭蕉所縁の地その19境の明神(下野側、玉津島神社、那須町寄居)Mar’2024
境の明神(下野側、玉津島神社、那須町寄居) 写真真ん中左の「ようこそ福島県」の標識より向こうが福島県白河市です。 松尾芭蕉主従は、元禄2年4月20日に、那須湯本から芦野の遊行柳、境の明神、二所ノ関を過ぎ、白坂から白河の古関跡へ向かいました。 今日の写
松尾芭蕉所縁の地その18遊行柳と「上の宮」のオオイチョウ(那須町) Mar’2024
遊行柳(那須町芦野) 今日の写真は、那須町芦野にある「遊行柳」です。 芭蕉は那須野殺生石を訪れた後、いよいよ旅の目的の奥州へ行くため、まず奈良平安期の古道「東山道」の奥州へ関所であった「白河の関」跡へ向かいます。 その那須温泉から白河の関跡へ向か
松尾芭蕉所縁の地その17那須殺生石-「那須温泉神社その3」 Mar’2024
那須殺生石、那須町那須湯本温泉那須温泉神社 かつて九尾の狐が化身したといれる大きな岩の国指定名勝史跡「殺生石」の写真です。 2022年3月二つに割れたことが確認されました。 今日の写真は、那須湯本温泉の那須湯前神社付近に存在する溶岩で、付近一帯に
松尾芭蕉所縁の地その16「那須温泉神社」その2 Mar’2024
「湯をむすぶ誓ひも同じ石清水」、松尾芭蕉 『那須湯本の温泉大明神では、京都の石清水八幡宮が合祀されているので、ここに参詣し、その社殿の湯を手ですくう(むすぶ)と、両神社にお参りしたことになるという。これは湯が結ぶ縁である。』 この句は奥の細道にはあり
松尾芭蕉所縁の地その15 高久その2芭蕉翁塚など Apr’2024
芭蕉翁塚「杜鵑の墓」、那須町史跡 今日は、那須町高久本郷地区内の芭蕉所縁の地や句碑です。 芭蕉翁塚 芭蕉翁塚 芭蕉翁塚
高福寺楼門、那須町大字高久甲 黒羽を立った4月16日から4月20日に那須湯本から下山し、芦野の遊行柳、白河の古関跡近くの旗宿に投宿するまでの5日間の「奥の細道」はあっさりと、『是より殺生石に行。館代より馬にて送らる。此口付のおのこ、「短冊得させよ」と乞。や
「俳聖松尾芭蕉と黒羽」、浄法寺桃雪邸跡脇の芭蕉の句碑一覧、旧黒羽芭蕉公園(現大田原市前田) 今日は、「芭蕉の里くろば」というキャッチフレーズを掲げている現大田原市の旧黒羽地区の黒羽田町、黒羽向町、余瀬、雲巌寺などに点在する10か所の芭蕉、曾良の句碑の
松尾芭蕉所縁の地その12 鍋掛宿の八坂神社(那須塩原市鍋掛) Mar’2024
鍋掛八坂神社(那須塩原市鍋掛)から望む早春の那須連山。 旧鍋掛宿(現那須塩原市鍋掛)「野を横に馬牽きむけよほととぎす」 今日の写真は旧鍋掛宿の八坂神社と芭蕉の句碑です。 鍋掛八坂神社芭蕉句碑(那須塩原市鍋掛) 「黒羽町誌(黒羽町誌編さん委員会
那須連山、那須高原大橋から、那須塩原市西岩崎 那須野ヶ原は山ぎわの部分で標高500メートル、これが南東に緩やかに傾斜して標高100~150メートルまで下っていきます。ところが全体的には緩やかですが、ちょうど那須塩原市と南東の大田原市の境のあたりで5~10m急に下
松尾芭蕉所縁の地その10 那須野が原その1-芭蕉の歩いた那須野が原
源実朝の歌碑、玉藻稲荷神社、大田原市蜂須(旧黒羽町蜂巣字篠原) 「武士の矢並つくらふ小手の上に 霰たばしる那須の篠原」(柳営亜槐本金槐和歌集) 『那須の篠原』が那須野を表す歌語として使われるようになった有名な歌。 初めて文献上に「那須野」あるいは「
那須神社(金丸八幡宮)楼門、重文。 大田原市南金丸。 今日の写真は、「那須神社」その2です。 元禄2年4月13日余瀬に住む津久井翅輪は、芭蕉と曽良を鹿子畑家に見舞った。そして余瀬の西南、約一・五粁のところにある「金丸八幡宮」に参詣すべく誘いました。
松尾芭蕉所縁の地その8玉藻稲荷神社その2(元禄2年4月12日)Mar’2023
玉藻稲荷神社、大田原市蜂須(旧黒羽町蜂巣字篠原) 今日はの写真は、昨日境内にある源実朝の和歌碑と松尾芭蕉の俳句碑を紹介した玉藻稲荷神社です。 境内には句碑の他に、九尾の狐退治の伝承地としての「鏡が池」と「狐塚」の霊を移したという祠がありました。
松尾芭蕉所縁の地その7修験光明寺、犬追物跡、玉藻稲荷神社その1(元禄2年4月12日)Mar’2023
玉藻稲荷神社、大田原市蜂須篠原地区今日の写真は、大田原市の旧黒羽町エリアの余瀬の修験光明寺跡、蜂巣地区の犬追い物跡、篠原地区の玉藻稲荷神社と狐塚之址の碑です。 芭蕉は元禄2年(1689年)4月5日に雲巌寺まで往復約25Km を歩いた後は、雨降りだったり、休養
松尾芭蕉所縁の地その6雲巌寺(元禄2年4月5日) Apr’2018
雲巌寺。大田原市雲巌寺。 今日の写真は、松尾芭蕉が元禄2年4月5日に訪れた雲巌寺です。 雲巌寺は、江戸深川での芭蕉の禅の師であった仏頂禅師が当時住職をしていました。 雲巌寺は、高峰顕日(仏国国師)が弘安6年(1283年)に復興開山した臨済宗妙心寺派の名
黒羽芭蕉の館、黒羽藩の藩庁だった黒羽城の三の丸跡に建つ。 今日の写真は、「おくのほそ道」で最長の14日間逗留した松尾芭蕉に関する展示や黒羽藩主大関氏に関する展示を行っている黒羽城の三の丸跡の建てられた「芭蕉の館」、句碑などが野外展示してある芭蕉の広場な
本丸跡と本丸廓を囲む城塁とその上に建つ後に物見櫓を模して作られた展望台。大田原市前田黒羽城址。 今日の写真は、元禄2(1689)年4月3日(新暦5月21日)に芭蕉が訪れた門弟の浄法寺桃雪が城代家老をしていた黒羽藩の黒羽城と藩主大関家の菩提寺大雄(だいおう)寺で
松尾芭蕉所縁の地その3余瀬と浄法寺桃雪邸(元禄2年4月4日~)Mar’2024
旧浄法寺邸、大田原市前田芭蕉公園 黒羽藩城代家老で芭蕉の弟子だった浄法寺高勝(たかかつ/俳号・桃雪〈とうせつ〉)の屋敷跡に改修整備した建物。余瀬の鹿子畑翠桃は浄法寺桃雪の弟。 元禄2(1689)年4月3日(新暦5月21日)、余瀬(大田原市)に宿泊後、翌4日に黒
蛇尾川、遅沢橋(那須塩原市東遅沢)付近。東北新幹線「那須塩原」駅から西に3㎞ 今日の写真は、昨日の記事で松尾芭蕉が日光北街道から奥州街道に入り、大田原宿を過ぎて大田原城(龍城)を右に見ながら渡った蛇尾川です。 記事では、冒頭の水の無い蛇尾川が、どうし
松尾芭蕉所縁の地その1 旧日光北街道(元禄2年4月2、3日)Mar’2024
日光北街道標柱、大田原市末広1丁目 今日から1か月近くは、那須野が原(旧大田原、湯津上、黒羽、那須町)、白河、須賀川、二本松の松尾芭蕉の「奥の細道」所縁の地の写真です。 「奥の細道」の日程と道程に従って、芭蕉所縁の地の記事をアップしていきます。
源頼朝と白河の関、那須野が原 Mar'2023, Mar'2024
白河神社 文治5年(1189年)源頼朝の義経排除の陰謀に乗って源義経を討ってしまった藤原泰衡は、その直後に「源義経を長らく匿っていたこと」、そして「許可なく源義経を討伐したこと」を理由として逆に鎌倉幕府による征伐の対象とされてしまいます。 源頼朝自身が率
那須与一所縁の地オマケ 道の駅那須与一の里(大田原市南金丸) Apr’2024
道の駅那須与一の里、大田原市南金丸。 今日の写真は、オマケで道の駅那須与一の里です。場所は那須神社の西隣です。 敷地内には、道の駅の他、那須与一伝承館、昨日の記事にあるように千年前からの竹細工、竹の産地だけあって竹ギャラリーなどもあります。 また現
那須与一所縁の地その8 直箆温泉神社(大田原市余瀬) Apr’2024
直箆温泉神社、大田原市余瀬白旗山南端。 今日は、那須与一が源平合戦の後、矢竹を奉賽するために創建したと伝えられる直箆温泉神社です。 最初、鎮座の地は現大田原市北金丸地内の直箆でしたが、享保年間(江戸幕府8代将軍徳川吉宗の頃)に現在の余瀬白旗山南端に
駒込の池、黒羽(現大田原市大輪字長谷田) 今日の写真は、那須与一の愛馬「鵜黒の駒」の生まれ故郷の地、「駒込の池」です。 鵜黒の駒誕生の伝説は「歴史的風土のなかの黒羽の民話(黒羽町編1993/12)」の要約によると、『長谷田の溜池に、毛は鳥の羽根のようで
那須与一所縁の地その6「玄性寺」その2 稲積稲荷神社他 Mar’2024
稲積稲荷神社(福原)、玄性寺 今日の写真は、玄性寺境内の那須与一の墓の南隣に鎮座する那須一族の守護神稲積稲荷です。 お寺の中にある神社です。那須与一が屋島合戦で扇に向かって矢を放つ際に稲荷明神が白狐と化して守護したという霊験ある稲荷です。主催神は倉
那須与一所縁の地その5「玄性寺」その1那須家の墓碑他 Mar’2024
玄性寺、大田原市福原 今日の写真は、那須与一公の墓所がある福原玄性寺です。 那須氏の菩提寺で、伝承によれば、3代那須資之が、京都東山の即成院に埋葬された弟の那須与一(宗隆、のち資隆)の分骨を受けて福原(現大田原市福原)に建立した功照院が始まりといわれ
楼門(重文)、那須神社(大田原市南金丸)。 国指定名勝「おくのほそ道の風景地」 今日の写真は、金丸八幡宮として仁徳天皇の時代に建立されたと伝えられ、中世、近世を通じて那須氏、大関氏(江戸期黒羽城主)の氏神として信仰された「那須神社」です。 一
那須与一所縁の地その3「那須温泉神社」その2九尾稲荷神社と殺生石 Mar’2024
九尾稲荷神社、那須温泉神社内 今日の写真は、昨日少し説明した本殿の東側に鎮座する「九尾稲荷神社」とその北東奥にある「殺生石」です。 「九尾の狐」(玉藻前)の平安時代の退治については近いうちに、源頼朝の那須の篠原での巻狩り(1193年)か松尾芭蕉の所縁の
那須与一所縁の地その2「那須温泉神社」その1 Mar’2024
那須温泉神社(なすゆぜんじんじゃ)、本殿、(那須町湯本) 今日の記事は、「平家物語」の中で那須与一が源平合戦屋島の戦い(1185年)で扇を射る際に「南無八幡大菩薩、別してはわが国の神明、日光権現宇都宮、那須の温泉大明神、願わくはあの扇の真中射させてたばえ
那須与一所縁の地その1「その出生と高館城跡」 Apr’2024
高館城址、大田原市大輪、川田 今日の記事は、那須与一の生い立ちと高館城址の写真です。 那須余一の出生から成人するまでに関しては、今なお不明な点が多く、むしろ謎に包まれてます。 私が源義経、那須与一、松尾芭蕉の下野での足跡を調べるのに最も信頼して利
源義経の那須の足跡その8 粟野駅家と白旗山、那須与一との出会い(那須町余瀬)Apr’2024
大田原市余瀬の白旗山南東端にあたる、旧東山道沿いの「余瀬の道標」近くの「白旗城跡の説明看板」 今日の写真と記事は、東山道の関東最北の黒川駅家(うまや)の次の駅家である粟野駅家があった、現大田原市余瀬の白旗山です。 余瀬は元は旧東山道(関街道)粟野駅
源義経の足跡 in 那須その7 弁慶下駄掛石(那須町睦家)Oct’2022
弁慶下駄掛石、那須町睦家。 今日の写真は、那須町睦家にある「弁慶下駄掛石」です。 弁慶下駄掛石の伝説は、治承4年(1180年)、義経一行が旧東山道黒川駅家(現伊王野付近と推定される)から、かつて祖先源頼義が軍兵を募った粟野駅家(現大田原市余瀬)に向かう
源義経の足跡 in 那須その6 伊王野山城跡その2(那須町伊王野)Apr’2024
伊王野城山公園。伊王野山城(霞ヶ城、伊王野城)跡。 今日の写真は、伊王野山城跡を公園にした「伊王野城山公園」です。 伊王野城は室町時代の長享元年(1487)に当時の領主である伊王野資清によって築かれた城郭で、これまで居城として利用した伊王野氏居館
源義経の足跡 in 那須その5 伊王野氏の館、山城跡その1(那須町伊王野)Apr’2024
伊王野氏居館跡(手間広場)と伊王野氏山城跡、那須町伊王野 今日の写真は、昨日の馬頭観音堂があった、伊王野氏の山城跡その1とそれ以前に約300年間平城として使われた伊王野氏の居館跡です。 1180年に義経一行が鎌倉へ向かう途中で、弁慶が昨日の馬頭観音堂で
源義経の足跡 in 那須その4 馬頭観音堂(那須町伊王野)Apr’2024
馬頭観音堂、那須町伊王野伊王野氏山城址 今日の写真は、那須町伊王野の「馬頭観音堂」とその境内に湧き出る「判官清水」です。 馬頭観音堂は、那須町伊王野の伊王野山城跡に上る途中にありました。 那須町の義経伝説には、「東山道伊王野を義経一行が進んでいる
源義経の足跡 in 那須その3 沓石、大畑、御幣石(那須町大畑、伊王野)Apr’2024
沓石。那須町大畑沓石地区 今日の写真は、「那須町の源義経伝説地」の続きで、大畑地区の「沓石」と「大畑」、伊王野地区の「御幣石(おんべし)」です。 まずは、「沓石」(那須町大畑沓石地区)です。 旧東山道(義経街道)をさらに伊王野方面に向かうと、街道
源義経の足跡 in 那須その2 月夜見山、具足岩・五両沢、矢の根石(那須町簑沢)Oct’2022
「月夜見山」伝説地(那須町簑沢) 今日の写真は、「那須町の源義経伝説地」の続きで、簑沢地区の 「月夜見山」、「具足岩・五両沢」、「矢の根石」です。 まずは「月夜見山」。 「陸奥と下野の国境の追分明神に着いたころは、もう夕もやが境内の杉木立に深くたち
源義経の足跡 in 那須その1 追分明神(那須町簑沢)Oct’2022
追分の明神(住吉玉津島神社)、那須町簑沢追分地区。 今日の写真は、那須町の義経伝説No.1「追分明神」です。 治承4年(1180年)源頼朝が伊豆で平家追討の旗を挙げたことを源義経が奥州平泉で聞き、鎌倉へ駆けつける際に古代の街道である東山道を通ったといわれ、
白河神社その3、巨木と野草の花May May’2017,Mar’2024
キクザキイチゲ、白河神社(白河市旗宿)Apr’2017 今日の写真は、白河の関跡、白河神社の巨木と山草の花です。 今から50年以上前に初めて訪れた時、子供だったこともあり私の白河の関の思い出に残ったのは、大木に絡みついたり、絡みついた大木を枯らして地面から
白河神社拝殿、拝殿、白河市白河市旗宿関の森 今日の写真は、白河神社です。 昨日は、源義経に関わる事跡と白河の関跡の関の森砦跡などの写真を紹介しましたが、今日はそれらを除いた写真です。 白河神社は福島県白河市大字旗宿字関の森に鎮座している神社で、創
「白河関跡」の石柱と白河神社一の鳥居。白河市旗宿関ノ森 源義経が兄頼朝の平家討伐の挙兵を聞いて奥州平泉を出発。古代の旧街道東山道を急ぎ鎌倉を目指しました。この時通った道は「義経街道」とも呼ばれ、道沿いには義経にまつわる地名や史跡やエピソードが今に伝わ
佐良土(旧湯津上村)その3 法輪寺と西行桜 Mar'2023
西行桜、法輪寺(大田原市佐良土) 今日の写真は昨日の記事の続きで、光丸山法輪寺と西行桜です。 昨日の記事の通り、860年(貞観2年)、慈覚大師円仁によって開山され、本尊は釈迦三尊です。 法輪寺山門(勅額門)。 逆門建造の茅葺屋根で立額は後嵯峨天皇の
光丸山大日堂、大田原市佐良土(旧湯津上村)。 今日の写真は、「光丸山」です。 昨日の記事でも言及した光丸山法輪寺ですが、正式には「光丸山並びに正覚山実相院法輪寺」です。 大日如来を本尊とする光丸山と釈迦三尊を本尊とする正覚山実相院法輪寺からな
光丸山法輪寺の入り口(写真正面)と「佐良土」交差点。 旧湯津上村(大田原市)に佐良土(さらど)という地区があります。国内最大の複合扇状地「那須野ヶ原」を作った那珂川と箒川が合流する那須野が原の南東側の頂点に当たります。 今日の写真は、この佐良土地
日本考古学発祥の地その3「侍塚古墳群」、大田原市湯津上 Mar’2022
侍塚古墳群、大田原市湯津上地区 今日の写真は、昨日の古墳と同じ大田原市湯津上地区にある侍塚古墳群です。 侍塚古墳群は下侍塚古墳(国指定史跡)のすぐ北側の国道294号線と那珂川にはさまれた約200m四方のエリアに展開する8基で構成された古墳群です。かつては10
日本考古学発祥の地その2「上侍塚古墳」と「下侍塚古墳」、大田原市湯津上 Mar’2022、May’2024
上侍塚古墳、大田原市湯津上 今日の写真は、国の史跡に「侍塚古墳」として指定されている「上侍塚古墳」と「下侍塚古墳」の2つの古墳です。 ともに江戸時代に徳川光圀(水戸黄門)の命で日本で最初の学術的発掘調査が行われた古墳として知られます。徳川光圀は、昨日
日本考古学発祥の地その1「那須国造碑」、湯津上笠石神社 Mar’2022
那須野国造(なすのくにのみやつこ)笠石神社、大田原市湯津上。 今日の写真は、日本三古碑である国宝、那須国造碑を祀っている大田原市湯津上の笠岡神社です。 那須国造碑(なすのくにのみやつこのひ)は、飛鳥時代(西暦700年前後)当時の那須国(郡)を治めてい
日光東照宮その13武徳殿、御仮殿(日光東照宮)Mar’2022
御仮殿、日光東照宮 今日の写真は、日光東照宮の境内外にある武徳殿と御仮殿です。 いずれも、東照宮表参道の東側に位置しています。 今日の記事で3週間弱続いた世界遺産「日光の社寺」の最後になります。 御仮殿(重文)、日光東照宮 御仮殿(重文)
日光東照宮その12奥社唐門、宝塔、叶杉など(日光東照宮奥社)Mar’2022
唐門(射抜門)、日光東照宮奥社 今日の写真は、奥社の徳川家康公御墓所です。 唐門(鋳抜門、重文)徳川家康公御墓所、日光東照宮奥社 唐門から始まり墓所を囲う奥社石玉垣も重文。 唐門 唐門 奥社宝塔(家康公の御墓、重文)と叶杉(左、御神木)
日光東照宮その11奥社参道、銅鳥居、拝殿など(日光東照宮奥社)Mar’2022
奥社参道、右側に続く石柵は重文。日光東照宮奥社 今日の写真は、 日光東照宮の中でも最も高い位置する奥社への参道と鳥居、銅神庫、拝殿です。 東照宮本社境内から昨日の眠猫のある潜門から坂下門を通り、杉が茂る石畳の道と旧な石段を上ると、鳥居が見えます。その鳥
眠猫(東回廊・潜門西側)、日光東照宮 今日の写真は、東照宮本社から奥社参道の坂下門へ向かう陽明門東回廊の潜門にある左甚五郎作と云われる「眠猫」の彫刻などです。 眠猫(東回廊・潜門西側) 雀の戯れる様子の彫刻(東回廊・潜門東側)。 西側の眠る
日光東照宮その9唐門と本社拝殿、本殿(日光東照宮)Mar’2022
東照宮本社唐門と拝殿(日光東照宮) 今日の写真は、東照宮本社の唐門と唐門越しに見える拝殿、奥社参道からちらっと見える本殿です。 唐門、門の奥に見えるのは拝殿 唐門東翼と拝殿 拝殿、本殿(奥社参道から)、日光東照宮 拝殿、本殿(奥社参道か
日光東照宮その8神輿舎、神楽殿、祈祷殿(日光東照宮)Mar’2022
神輿舎。日光東照宮陽明門内西側 今日の写真は、陽明門内の 神輿舎、神楽殿、祈祷殿です。 神輿舎。 春秋渡御祭(5月、10月)に使われる、三基の神輿が納められています。 左から源頼朝、徳川家康、豊臣秀吉の神輿。 神輿舎、源頼朝と徳川家康(右)の
日光東照宮その7陽明門東西回廊(日光東照宮)Mar’2022
東西回廊、陽明門、日光東照宮。Mar’2022 陽明門は雨漏りなどが原因で再修理中。 今日の写真は、陽明門南面の東西回廊です。 一枚板の透かし彫りの我が国最大級の花鳥の極彩色彫刻が飾られています。
日光東照宮その6陽明門(日光東照宮)Mar’2022,Jan’2023
陽明門表(南)側、日光東照宮。 40年ぶりの大修理を2017年に終え、陽明門の全体を見れると思って2022年の3月に訪れたら、2021年12月から2022年4月まで今度は「手直し」のため、全体は見ることができませんでした。 そこで2023年初めに再度訪問。 今日の写真は、
日光東照宮その5鐘楼、鼓楼、本地堂(日光山内) Mar’2022
唐銅鳥居の中、奥の階段の上に見えるのが陽明門。鳥居のすぐ前の階段の上の段で、鳥居の右に配置されているのが鐘楼、鳥居の左が輪に配置されているのが鼓楼。今日の写真は、 鐘楼(東、右)と鼓楼(西、左)は陽明門の前に東西に対称的に配置されています。 神仏
日光東照宮その4廻転燈籠、蓮燈籠、釣燈籠、南蛮鉄燈籠、朝鮮鐘(日光山内) Mar’2022
廻転灯籠(逆紋の廻り灯籠)、日光東照宮 今日の写真は、唐銅鳥居を通ってまず最初の階段を上った壇にある燈籠類などです。 まずは、陽明門西側です。 廻転灯籠(逆紋の廻り灯籠)、日光東照宮 釣燈籠 鼓楼(左)と釣燈籠。 続いて、陽明門東側です
日光東照宮その3石畳、唐銅鳥居、御水屋、輪蔵(日光山内) Mar’2022
唐銅鳥居(二の鳥居)、石畳と御水屋(日光東照宮) 今日の写真は。昨日の三神庫、神厩舎と同じ段で、陽明門にあがるためやや西へ向かったところにある石畳、唐銅鳥居、御水屋、輪蔵です。 鳥居から見て陽明門がうまく収まる場所がありますが、このあたりが北辰の
日光東照宮その2三神庫、神厩舎(三猿)(日光山内) Mar’2022
三神庫(左から上中下神庫)、日光東照宮 今日の写真は、日光東照宮の三神庫(上神庫、中神庫、下神庫)、神厩舎(三猿)と高野槙です。 上神庫、日光東照宮 上神庫(北側矢切部分)、日光東照宮 上神庫南側矢切の彫刻(二頭の象)、日光東照宮 中
日光東照宮その1表参道から表門(日光山内)Mar’2022,Jan’2023
東照宮標石柱、渋沢栄一書。 今日から2週間ほど、日光東照宮の写真です。 江戸幕府初代将軍徳川家康を神格化した東照大権現を主祭神として祀る神社です。 誰もがご存じと思いますので説明は一切しません。 今日はまず、表参道の日光山輪王寺を過ぎた地点から石
日光二荒山神社本殿 今日は昨日の続き、日光二荒山神社の神苑です。 本殿。 神苑入り口を入ってすぐ左手にあるのが「日枝神社」。 日枝神社の左前には、弘法大師御手植えの「高野槙」。 日枝神社の前には「化け灯籠」
日光二荒山神社その1 参道から拝殿まで(日光山内) Jan’2023
日光二荒山神社拝殿(日光山内) 今日、明日は、一昨日の神橋も含む日光二荒山神社です。 日光連山の主峰・日光三山(男体山、女峰山、太郎山)を神体山として祀る神社で、境内は三山のほか日光連山を境内地とし、その神域には華厳滝やいろは坂も含まれ、3千ha以上
日光山輪王寺本坊入り口 今日は、日光山輪王寺の写真です。この時は手直し工事が終わった後の東照宮の陽明門が目的でしたので、参道から撮影した写真だけです。中途半端でごめんなさい。 世界遺産「日光の社寺」は、昨日の神橋をはじめ、国指定の史跡「日光山内」の
神橋(重文、日光二荒山神社神域) 今日から世界文化遺産「日光の社寺」です。 今日はまず日光の社寺の入り口にあり、日光の表玄関とも称される神橋(しんきょう)です。 神橋(しんきょう)は、大谷川(だいやがわ)に架かる朱塗りの橋で世界遺産「日光の社寺」
山本不動尊とその渓谷の紅葉(福島県棚倉町) Nov’2023
山本不動尊参道、Nov’2023 今日は、昨日の山本不動尊とその渓流の昨年秋の紅葉の写真です。
山本不動尊(福島県棚倉町)、Nov’2023 今日は、福島県棚倉町の紅葉の名所、新観光福島三十景「山本不動尊と八溝渓谷」です。 山本不動尊の正式名称は石堂山徳善院明王蜜寺山本不動尊です。 八溝山の麓、久慈川支流の宮川のほとりに有り、130段の石段を上りつめ
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本堂、明顕山祐天寺(目黒区、東京) 今日の写真は、目黒区の「祐天寺」です。 祐天寺は、徳川家と因縁のある寺として栄え、お堂や像が祀られています。 江戸中期に祐天上人が開山し、高弟の祐海上人が創建したお寺で、その祐天上人は晩年になって頭角を現した僧
一之鳥居、田無神社、西東京市、東京 今日は、西東京市の田無神社の御龍神以外のスポットの写真です。 参道から眺めた二の鳥居と拝殿。 二の鳥居。 道祖神様(良縁結びの赤いひも)。 白龍の手水舎。 龍神池。 本殿・拝殿。 本殿しめ縄
青龍神。 今日は、 今日は、全国屈指の龍神パワースポットである西東京市の田無神社の五神龍についてのご龍神の写真です。 田無神社の境内には、五行思想に基づいて「五龍神」がお祀りされています。本殿の中にいる「尉殿大権現」を「金龍」としてお祀りしている
八雲氷川神社、目黒区、東京 今日のっ写真は、目黒区八雲地区にある八雲氷川神社です。 昭和39年(1964)に神社のある目黒区衾町の大部分が「八雲」に名称変更されました。 衾(ふすま)の字が当用漢字ではなかったため変更となったとされます。「八雲」が採用さ
マガモ(オス)、羽田沼、大田原市 今日は、栃木県北で有数の白鳥飛来地として知られる羽田沼(はんだぬま)の鴨たちです。 この日訪れたのが10時過ぎでしたので、白鳥はすでに近くの川や田んぼに餌あさりに出かけた後で、白鳥には会えませんでした。 鴨は例年通り
湯島天満宮 文京区、東京 今日は、湯島三丁目にある湯島天満宮、通称湯島天神の写真です。 昨日の記事の麟祥院と同じ春日通り(都道本郷亀戸線)にあり、麟祥院の南東にあります。 当初の祭神であった天之手力雄命(あめのたぢからをのみこと)に加えて、菅原道
麟祥院、春日局終焉之地 文京区湯島四丁目 今日は、江戸幕府の将軍徳川家光の乳母であった、春日局の菩提寺麟祥院と「春日局之像」が建つ麟祥院前ポケットパークの写真です。 麟祥院 春日局之像。麟祥院前ポケットパークに建っています。 場所は、春日局が
成田山新勝寺、総門 成田市、千葉県 今日は、昨日の記事の新春の様子から23か月後の落ち着いた新勝寺です。 仁王門 仁王門 大本堂 三重塔
大本堂 成田山新勝寺、成田市、千葉県 今日から2ヶ月ほどはこの4,5年撮り溜めてあった関東の神社、仏閣の写真です。 今日はまず、4年前のお正月の成田山新勝寺の初詣風景です。 大本堂 光明堂 醫王殿 平和大塔 醫王殿と平和大塔 釈迦堂
清水池、那珂川河畔公園、那須塩原市、栃木県 今日は、よく散歩に行く那珂川河畔公園の初冬の様子の写真です。 紅葉は、まもなく終わりちうところでした。 留鳥、冬の渡りといろいろですが、公園内の清水池にはそこそこの数の鴨がいました。 多数いたのはカル
駒止の滝。那須、栃木県 今日は11月に撮影した那須の駒止の滝です。 一昨年より十日遅く撮影に行きましたが、暖冬の影響か昨日の記事ほど奇麗な紅葉になっていませんでした。
駒止の滝。那須、栃木県。 今日は、一昨年撮影して記事にしていなかった、那須の駒止の滝の紅葉です。 この年は比較的奇麗な紅葉でした。 一方、昨年、今年は今一でした。
白河小峰城、白河市、福島県 今日は7年ぶりに行った小峰城です。 前回は2017年で、2011年の東日本大震災の修復中で一部しか立入ができませんでした。 一昨日(24年12月7日)、那須塩原から会津若松の重要文化財円通三匝堂(えんつうさんそうどう)(会津さざえ堂
Taman Sari Water Castle, Yogyakarta, Indonesia 今日は、昨日のクラトン(スルタンの宮殿)近くにある離宮の「タマンサリ(水の宮殿)です。 タマンサリは、マタラム王国のハメンクブウォノ1世によって建てられた離宮で、王に仕える女性たちが、ここで水浴びをした
The Kraton (Palace) , Yogyakarta, Indonesia 今日は、2023年に世界文化遺産に登録されたインドネシア、ジャワ島のジョクジャカルタの「ジョグジャカルタの宇宙論的枢軸とその歴史的建造物群」の構成要素の一つ ・クラトン(スルタンの宮殿)です。 以前も、世界
World Heritage:Phu Phrabat, a testimony to the Sīma stone tradition of the Dvaravati period. Udon Thani, Thailand 今日の記事は、今年世界文化遺産に登録されたばかりの、タイ王国の東北地方ウドンタニ県のプー・プラ・バート歴史公園です。 写真は残念なが
Khao Klang Nok、巨大仏教寺院、64m×64m、高さ20m 今日は、世界遺産「古代都市シーテープ・・・」の構成要素の一つ、シーテープ歴史公園から少し離れた北にある「カオクランノック」寺院です。は、ドヴァーラヴァティー都市国家時代に建てられた、“最大級かつ偉大な
Si Thep Historical Park (Thai: อุทยานประวัติศาสตร์ศรีเทพ) , Phetchabun , Thailand, 2008 今日は、昨年(2023年)に世界遺産に登録された古代都市Si Thepその2で、「カオ・クラン・ナイ遺跡」です。 昨日の記事の写真を撮影した16年後に
Si Thep Historical Park (Thai: อุทยานประวัติศาสตร์ศรีเทพ) , Phetchabun , Thailand, 1992 ここ最近、国内の世界遺産の撮影にしか行ってなかったのでチェックしていませんでしたが、東南アジアで行ったことがあったり、しょっちゅう行ってい
武蔵御岳神社拝殿。青梅市御岳山。 今日の写真は、青梅市御岳山の「武蔵御岳神社」です。 青梅市の御岳山山頂には山岳信仰のシンボルとして知られる武蔵御岳神社が鎮座し、天平8年(西暦736年)行基がこの地にお堂を建て、蔵王権現を祀ったことに由来します。隣接す
大天守(右)と小天守(左) 今日は松山城その2、本丸広場の建築物です。 今年の4月、島根県の出雲大社をスタートし、鳥取、広島、愛媛と廻った時の撮影写真は、今日で終了です。 明日以降は、5月に回った熊本、宮崎の写真が始まります。 昨日の登り石垣と高
本丸広場から望む、右から大天守(重文)、小天守、南隅櫓。松山城(松山市)。写真中央の着ぐるみは初代城主でここを「松山」と名付けた豊臣秀吉子飼いの賤ケ岳七本槍の一人加藤嘉明公を表す「よしあきくん」です。 今日、明日は、日本国内に12か所しか残っていない、
道後温泉、松山市。 今日は、愛媛県一の観光地、道後温泉と松山城ロープウェイ通りにある夏目漱石の小説『坊つちやん』のモニュメントなどです。 道後温泉は、日本三古湯の一つといわれ、その存在は古代から知られ、万葉集巻一にも山部赤人などのよって短歌に詠まれ
今治城天守 今日は昨日の続きで、今治城で主に城内です。 二の丸跡の「蒼吹の井」。 海城にもかかわらず真水が出る井戸。 「野面積み」の石垣。 藤堂高虎公像
今治城天守と藤堂高虎公像、今治市 今日は、関ヶ原の戦いでの戦功により伊予半国20万石を領した藤堂高虎が、1602年から瀬戸内海に面した海岸に築城を始めた今治城です。 別称吹揚城(吹上城)。「吹揚城」の名は、建設が大変難しい「砂が吹き上げられる浜」に建てら
来島海峡大橋、亀老山展望台公園、大島(今治市) 今日は、尾道から今治に車で移動するのに通った「しまなみ」街道の途中の島の展望台などから撮影した写真です。 瀬戸内海の景色はとても美しかったのですが、車で移動ですと島で高速を降りて車を止めて撮影となるの
大山祇神社拝殿、重要文化財(今治市大三島)。 今日は、昨日言及したしまなみ海道で立ち寄った、愛媛県今治市の大三島の大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)です。 伊予の国一之宮。「日本総鎮守」と呼ばれ、全国1万社余りの山祇神社・三島神社の総本社としても知ら
五百羅漢(尾道市因島白滝山) 今日は、広島県の尾道から愛媛県の今治までのしまなみ海道を自動車で移動した時に寄った、因島のの白滝山の五百羅漢です。 白滝山は、もともと修験者の修行の場でしたが、永禄12年(1569年)因島村上水軍6代当主、村上新蔵人吉充が布刈瀬
福山城本丸南西角。 左から伏見櫓屋根と鯱鉾、筋金御門、鐘楼。 今日は福山城その2。 空襲による焼失を免れ現在国の重要文化財になっている伏見櫓、筋金御門と鐘楼です。 本丸西南角を本丸南下から見上げたところ。 左から、伏見櫓、鐘楼、筋金御門。
福山城(福山市)。 今日は、広島県福山市の福山城その1です。今日は、昭和20年の福山大空襲によって焼失し、その後再建された本丸の北側から西側にかけて建つ天守、鏡櫓、月見櫓、御湯殿などです。 鏡櫓(文書館)。 本丸東側に位置する2階建の櫓。
水木しげるロード(境港市) 昨日は、鬼太郎、目玉おやじ、ねずみ男などが中心でした今日はその他のキャラクター像です。
水木しげるロード(境港市) 今日、明日は鳥取県境港市の水木しげるロードです。 境港駅から本町アーケードまでの全長約800メートルの間に、水木の代表作『ゲゲゲの鬼太郎』のキャラクターを中心として日本各地の妖怪たちをモチーフとした銅像など180個近いのオブジ
塩見縄手(松江市) 今日は塩見縄手、松江城北側の堀沿い明々庵から小泉八雲旧居までの約500メートルの通りで、松江城築城の際に城下町が造成されたときに造られた道路の一つです。 塩見縄手の名称はこのほぼ中央に、松江藩中老の塩見小兵衛の屋敷があったことに由来
松江城、国宝天守。 今日は、国宝松江城です。 松江城は、現在の島根県松江市殿町に築かれた江戸時代の日本の城で別名、千鳥城です。 現存天守は国宝、城跡は国の史跡に指定されています。
大森町町屋ゾーン。瓦葺きの町並み、石州赤瓦 今日は石見銀山大森町の町並みその2,武家・町屋ゾーンです。 江戸時代、大森では地役人が住む武家屋敷と、商人や職人などが住む町家とが軒を接して暮らしていました。現在でも、その面影が色濃く残されています。
石見銀山大森町の町並み。 今日、明日は、世界遺産石見銀山の大切な構成要素、鉱山街として成立した大森町です。「大森の町並み」地区は、江戸時代の武家屋敷や代官所跡、石見銀山で栄えた豪商・熊谷家住宅など歴史的な建造物や文化財が当時の面影を今も残し、島根県
龍源寺間歩 今日は、世界遺産の石見銀山遺跡の遺跡の中で唯一、常時公開されている坑道、龍源寺間歩(りゅうげんじまぶ)です。 石見銀山は戦国時代から江戸時代前期にかけて最盛期を迎えた日本最大の銀山でした。 銀山開発においては銀の精錬のため大量の薪炭用
出雲そば「八雲」、五段の五色割子そば 今日は、出雲大社参拝後に頂いた出雲そばです。 出雲大社前の名店「蕎麦処 八雲」で頂きました。 出雲そばの食べ方は割子と釜揚げがあるそうですが、この日は私と妻とでそれぞれ五段割子と三段割子を頂きました。 五色
出雲大社、八足門(重文)。 今日は昨日の続き、出雲大社その2です。 勢溜の大鳥居から北にある拝殿まで行き、拝殿の裏側つまり北で玉垣、瑞垣(廻廊)、荒垣の三重の垣根に厳重に守護されているのが本殿です。 後でもまた述べますが、主神大国主大神の御神座は本殿
出雲大社拝殿(島根県出雲市) 今日から2週間ほどは、今年4月に島根、鳥取、広島、愛媛と回った時の写真です。 今日はまずこの旅行のスタート、出雲大社です。 あいにくの雨でした。勢溜の大鳥居祓社(はらえのやしろ)。心身の穢れを祓い清める四柱の祓戸神