少なくともかくじつに言えることとして、ここ何年かこうして本格的にミステリと銘打った本(密室殺人事件や推理合戦といった仕掛けが凝らされた本)とはほんとうにご無沙汰だったので、「そうなんだよこれなんだよ」と忘れていたなにかを思い出させられ、思えばヘタをすると「小説」「フィクション」とさえご無沙汰だったかもしれない(つまりノンフィクションというか、哲学書や理論書・指南書といったものばかり読む悪癖がついていたかもしれない)とも思った。とまあ、そんなくだらないぼくのゴタクはともかくとして、くどいがこの奥泉の作品は興味深くこれから先しばらくミステリをもっと掘り下げていくのもいいかなあとか思ってしまう。あるいはそれこそ(この本が終わってからということになるか)本家本元の漱石の世界(それこそ『吾輩は猫である』や『坊っちゃん』など)を探っていくのもいいかなとか思ったりもした。そして、調子に乗ってしまいまた今年の初めに予定されている木曜日のミーティングでプレゼンをする際に、奥泉光のこの作品や漱石について思い出話・よもやま話をするのもいいかなと思ったりもしたのだった。
大学生の頃だったか(あるいは、卒業して大学を出てしばらくしてからだったか)、作家になりたいとか小説で食っていきたいとかたわけたことを夢見ていた時期がある。そのころにこの奥泉の『「吾輩は猫である」殺人事件』なんかを読み込み、そこからミステリに手を伸ばしてあれこれ探検・冒険したりもしたことを思い出す。浅知恵というのは恐ろしいもので、ぼく自身オリジナルなミステリを書かんとあれこれ考えたりもしたことがある(殺人事件なんか起こらない、たんなる痴話喧嘩的なことが起こって終わる実にしょぼいものだった)。当時、そんな感じで奥泉や漱石を羨望の眼でにらみつつ、結局弱虫だったのでなにも書けなかったのだった。実際に書く勇気をもらい、そしてこんなふうに日記を書くようになったのは40の歳のこと。いまの友だちとの出会い、そして自助グループの結成あってのことだ。
ぼくの文学観はゆがんでいていびつなので恥ずかしいが、でも書くとするならぼくにとって奥泉のこの作品では上海という場所(作品の舞台。『吾輩は猫である』のあと、なぜか主人公は上海にいてそれもまた作品における魅力的な謎となっている)がインターナショナルな交通空間となっていてそこで一癖も二癖もある登場人物……もとい登場猫たちが見解を闘わせ、推理合戦にいそしみユニークさを見せつける。漱石の世界はどうだっただろう。いや、まだぼくは全作品を読み通したわけでもないのでエラそうなことは言うべきではないが、でも彼が一種当時にあって知識人であり英語も堪能で、コスモポリタン的な人でもあったかなとは思ってしまう。いや、これにかんしてはぼくはまったくもってド素人でしかない。だから読者諸賢のお叱り・ご教示を待つしかない。それにしても、実に我ながらヘンな年始である。もっと書きたいことはあれど、本の話だけで終わってしまった。