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【本稿の要旨】 2022年3月3日、東京高裁は、行政による映画「宮本から君へ」の助成金の不交付処分を「適法」とする判決を下した。第一審・東京地裁が「違法」と判断したのとは逆であり、原告の逆転敗訴となった。この判決は、文化芸術の公的助成について「芸術的・専門的観点」を軽視しても良いと裁判所が行政に事実上お墨付きを与えてしまった点で、また、市民に強い「萎縮効果」を生じさせる点で、大きな問題がある。そして、美術をはじめとするアート関連の助成金や、あいちトリエンナーレ2019など芸術祭の補助金の今後の審査にも悪影響が及ぶほか、科研費など学術関係の補助金にもその波及効果が及ぶ危険がある。さらには、日本学術会議のような専門家組織の人事問題についても、行政による専門的観点を軽視した恣意的決定を正当化しかねない。高裁判決を受け、原告弁護団は記者会見を行い、上告することを表明した。原告弁護団のメンバーであり
警察によるDNAデータの保管をめぐる訴訟 2021年9月13日に、警察が任意の取り調べの際に採取したDNAデータを保管し続けているのはプライバシー権を保障する憲法に違反することを理由に、埼玉県に住む男性が国と東京都にデータの削除などを求める訴えを提起したとの報道があった。それによれば、男性は、警備員として働いていた都内のショッピングセンターで、忘れ物のカバンから財布を抜き取った疑いで警察から任意の取り調べを受け、その際にDNAを採取された。しかし、その後、財布が見つかったため、男性はDNAのデータを削除するよう警察に求めたが、これまでに削除の連絡はないという。 警察によるDNAの採取およびDNAデータの保管が問題とされた事例はこれ以外にも数件が訴訟となっているが、いずれも前述の件と同様に些細な嫌疑(迷い犬のビラを電柱に貼った、立ち入り禁止区域で釣りをした、など)を理由としてDNA採取やデー
Constitutional Litigation 私は、9年間大学の憲法担当教員を務めた後、1997年から24年間に亘り弁護士として執務してきました。共通するのが、憲法訴訟です。 憲法訴訟という言葉は、ハーヴァード大学ロースクールでポール・フロインドが1960年頃に開催したセミナーの名前です。日本でこの言葉が普及するに至ったのは、このセミナーに、時国康夫裁判官と芦部信喜東大教授が参加していたからです。 時国が帰国した直後、1962年11月28日、最高裁判所は、日本国憲法下で最初の違憲判決を下すことになります。いわゆる第三者所有物没収規定違憲判決です。事案は、漁師親子が漁船で、大阪の荷主から預かった貨物(時価410万円)と下関で積み込んだベルベット織物18反を、博多沖で韓国漁船に積み込もうとした(時化で未遂となります)ことが、関税法違反に問われたというものです。 関税法118条1項但書は、
尊厳回復のたたかい 人が奴隷のようにこき使われるのは、過去の時代の話だと、みなさんはお思いでしょうか。しかし現実には、残念ながら、人を奴隷のように、人とも思わずに働かせるだけ働かせて使い捨てにすることは、広がりつつあるのです。 「おまえにヨドバシの便器をなめさせてやる。」 この事件は、こんな暴言を浴びせられ、殴る蹴るのすさまじい暴行をふるわれて、人以下の扱いを職場で受けてはずかしめられた青年A君の、尊厳回復のためのたたかいです。 事件の概要 A君は、携帯端末の営業販売の仕事に意欲を燃やし、この業界で働こうとしました。しかし、彼の勤め先は、人材派遣会社しかありませんでした。ここから彼は、まず携帯端末のメーカーであるDDIポケットに派遣され、さらに、携帯端末を販売しているヨドバシカメラに派遣されて、実際にはヨドバシの店舗でヨドバシの社員に指揮されて働きました。 意欲に燃えた彼を待ち受けていたの
○ニセ科学は“感動”と“善意”と“科学リテラシー”に弱い教員を主なターゲットに ぼくは長い間、中・高等学校教諭だった。理科教員として26年間の勤務だったから、大学教授としての18年間より長い。そこで思うのだが、学校だけは理想主義を追求するくらいがよいと思う。 学校(スクール)を英語でschoolというがもともとはどんな意味だったのだろうか。 実はスコレ(σχολη)という「余暇、余った時間」という意味のギリシア語が語源である。古代ギリシアは、ポリス社会の市民は奴隷に労働させていたから、彼らにはたっぷりと時間があった。生活の中で不思議な現象があると、誰かにそれを伝えようとした。そうすると、その話をもとに議論が始まった。市民にとって楽しい知的な時間が共有できた。この余裕の時間こそがスコレだったのだ。スコレはやがて、このような会話をする場所、つまり学校のことを表す意味にもなった。学校とは、知識を
民進党の新代表に前原誠司氏が決まったが、のっけからつまずいた格好になった。幹事長候補に名前が挙がっていた山尾志桜里議員の「不倫疑惑」が、時をはかったように『週刊文春』で報じられ、他のメディアも一斉に追随して「山尾たたき」に走ったからである。なにか、民進党前代表の蓮舫氏の「二重国籍」問題を、蓮舫氏が代表選に出るとなったときから『産経新聞』がしつこく騒ぎ始めたのと似た光景である。そしてまた、「加計学園問題」で前・文部科学事務次官の前川喜平氏が安倍首相にとって不都合な事実を語ったとき、前川氏の「出会い系バー通い」という、不正確で意図的に人格を貶めるような報道を『読売新聞』がしたこととも、重なってみえる。安倍政権を脅かす恐れのある人物を「アベ友メディア」がスキャンダラスな個人攻撃で潰しにかかる、という構図である。 蓮舫氏や山尾氏の場合は、事の真相がどうであれ、付け入る隙を与えたという意味では「脇が
そもそも近代の憲法は、国家権力に歯止めをかけて、国民の人権を守るために生まれました。ですから、憲法は「人権保障の体系」であるということができます。そしてここで人権を保障される国民は、あくまでも個人として尊重されなければなりません。「個人の尊重」こそが憲法の基本的な価値なのです。 そのことを憲法は「すべて国民は個人として尊重される」と規定しました(憲法13条)。人権の発想はこのように国民を一人ひとりの個人ととらえることから始まります。社会的な地位や身分関係で国民をとらえるのではなく、あくまでも一人ひとりの個人として、その生き方や存在を尊重し肯定するのです。 このように「個人の尊重」を根本価値とする人権ですが、実は絶対に制限されないわけではありません。このことを憲法は「公共の福祉」という言葉を使ってあらわしました。12条には「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、こ
絵画の技法のひとつに「コラージュ」と呼ばれる方法があります。これは、主には新聞の切り抜きや布などを組み合わせ貼り付けていくことによって、ひとつの画像なり画面を構成していく技法のことを指しますが、他方で、実在の人物の写真に別の絵や画像などを組み合わせた形で行われることもあります。そのため、憲法的な視点からみれば、作者側の「表現の自由」と素材となった被写体側の「肖像権」が抵触する契機が生じることにもなりうるのです。 この問題に関連する有名な事件が、富山県立近代美術館を舞台としたいわゆる「天皇コラージュ事件」と呼ばれるものです。そもそもこの事件は、富山県出身の有名なアーティストが、「遠近を抱えて」というタイトルで昭和天皇の写真と女性のヌード写真などを合成した作品を作成し、それを同美術館が1986年3月に購入して展示・図録掲載していたことに始まります。当初は何事もなく公開されていたのですが、展示会
「森友学園」への国有地売却問題で、財務省が決裁文書を改ざんし、同学園と関与のあった政治家(麻生財務相、安倍首相を含む)の名前や安倍首相夫人の名前が記載されていた部分とか、そういう「大物」が背後に控える「政治案件」として特例的な対応をしたことをうかがわせるような記述などをすべて削除していたことが明るみに出て、国会でも大問題となっている。安倍首相は、「私や妻が森友学園への土地売却に直接関わっていないことは、書き換え前の文書からも明らかだ」などと言って、自分は関係ないと強弁を続けているが、首相たる者が直接「安くしてやれ」などと担当役人に指示するなんてことは、そりゃあ確かにないだろう。役人の側は、そんな指示を直接受けなくても、背後に安倍氏や麻生氏などの有力政治家の影が見え、まして首相夫人が「名誉校長」として広告塔をつとめている事実があれば、学園側の要求をなんとしても受け入れようと知恵を絞るはずだ。
「働き方改革」をめぐる、とある対話 「働き方改革」の議論が盛んです。そもそも、長時間労働の蔓延やワーク・ライフ・バランスの乱れなど、「働き方」をめぐる日本社会に特有の問題は、すでに四半世紀、あるいはそれ以上にもわたって指摘され続け、日本の雇用社会における議論の焦点となってきました。にもかかわらず、長時間労働に従事する者の割合は今なお先進国中トップクラスで、若者や働き盛りの過労死や過労自殺という悲劇も後を絶たないなど、日本の「働き方」問題に顕著な改善の兆しはなかなかみられません。 そうしたなかで、安倍政権が社会・経済政策の目玉として「働き方改革」を掲げるようになり、マスコミ報道にも連日のように「働き方改革」という言葉が現れるなど、こうした問題に対する国を挙げての取り組みがようやく本格化してきたようにも見えます。が、それでもやはり、日本の労働社会における「働き方」には、まだまだ大きな変化はみら
来年の2018年は、「明治150周年」とのことで、山口県(長州)や鹿児島県(薩摩)では、イベントが企画されているようです。明治150年ならば、近代日本150年とも言えるわけですが、本書は改めて日本の近代とは何であったかを考える良い機会となる一冊です。 著者は、まず「近代」をマルクスと同時代人のイギリスのジャーナリストであるバジョットの定義から語り始めます。バジョットによれば、「近代」の中心となる概念は「議論による統治」です。「前近代」の「慣習の支配」から人類を解放したのが「近代」の「議論による統治」でした。この定義から本書は、第一章「なぜ日本に政党政治が成立したか」、第二章「なぜ日本に資本主義が形成されたのか」、第三章「日本はなぜ、いかにして植民地帝国となったのか」、第四章「日本の近代にとって天皇制とは何であったのか」と、近代日本の四つの成り立ちを考察しています。 第一章「なぜ日本に政党政
憲法12条は、憲法が保障する自由及び権利について、国民はこれを「公共の福祉」のために利用する責任を負う、というように規定している。この「公共の福祉」という言葉を、自民党の改憲草案(2012年4月27日付)は「公益および公の秩序」と言い換えようという。13条についても29条についても、やはり同様である。なぜか22条については現行の「公共の福祉に反しない限り」という言葉を削って無条件的保障の形にしているが、その代わり(?) 21条の表現の自由のところに「公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない」とする規定を付け加えている。 さて、現行憲法の「公共の福祉」という言葉は、憲法上の自由や権利を制限する根拠とされてきたが、これについて、国連の規約人権委員会はこれまで再三にわたり、日本政府に対して、そのようなあいまいで抽象的な規定による人権
憲法が改正されたころ、私はまだ高校生になったばかりだった。改正案の内容は、私が中学で習っていた憲法の原則からすると、ちょっとおかしいんじゃないかと思ったけど、選挙権のない自分には何もできなかった。 そして、18歳になったら選挙に行くものだと思っていたのに、今は選挙はほとんど実施されていない。憲法が改正されて、緊急事態条項というものが入ったからだ。 緊急事態条項が通って直ぐに某国がミサイルを発射しようとしているということで騒ぎになった。総理大臣が緊急事態だとテレビで宣言していたが、緊急事態にしては、記者会見の演出がやけに準備周到だったことが印象的だった。そのミサイルは、結局衛星軌道に乗ったそうで、人工衛星だったんじゃないかと言われていた。それで、緊急事態の宣言をした根拠を出せと野党が追及していたけれども、緊急事態宣言について国会の承認を得る期限が決まっていなくて、首相はなかなか国会承認の手続
1959年12月16日に出されたいわゆる「砂川事件」の最高裁判決が、いま、変な形で「脚光」を浴びている。自民党の高村副総裁が、集団的自衛権の行使容認の根拠として、この「砂川判決」を持ち出したからである。曰く、《最高裁は「主権国家として持つ固有の自衛権」は憲法上否定されていないと言っており、そこでは「個別的」とか「集団的」とかという区別はしていない。これが自衛権に関する最高裁の判断として「唯一無二」のものだ。だから、集団的自衛権は憲法上禁じられているという解釈は相当無理がある。》と。そして、この高村氏の言い分に、自民党議員の多くが「納得」したという。いったい、「砂川判決」のどこをどう読めば集団的自衛権を認める根拠になるというのか。高村氏を含め自民党の議員たちは、そもそも、判決文を全部きちんと読んだことはないのだろう。以下、少々長くなるが、そして関係箇所だけになるが、判決文をそのまま引用してお
1957年は、東条内閣の重要閣僚として日米開戦の詔勅に署名し、戦後A級戦犯として逮捕された岸信介が首相になり、戦争の指導層が戦後も引き続いて日本の指導層となった象徴的な年となりました。特殊日本的な「戦前との連続性」です。ナチズムを生んだドイツでは、戦後に旧ナチの幹部が政界の指導者として復活することは決してありえないことでした。戦争国家体制と民主主義・人権の抑圧は不可分の関係にあります(治安維持法体制)。この体制の責任者が日本の指導者となったことは、現在に至るまで日本のあり方に多大な影響を与えています。 岸は山口県の官吏の家に生まれ、大資産家である実家・岸家の養子となりました。島根県令などの要職を務めた政治家である曽祖父の残像が幼い頃から色濃く刻み込まれたと言われます。東大時代は、当時の右翼のトップリーダーだった北一輝や大川周明に面会を申し入れ、深い影響を受けました。天皇制絶対主義を唱える憲
鏡を見つめて「私は美しい」と語りかけます。 この言葉を心底信じられるようになるまで、7年以上かかりました。2002年4月にレイプされてから初めてのことでした。誰であろうと、私をレイプなどしてはいけないはずです。 レイプの後に警察でさらにセカンドレイプの被害にあい、私の人生はそれまでとすっかり変わってしまいました。警察も私をセカンドレイプする権限はなかったのです。 私は、1980年代から日本に住んでいるオーストラリア人です。横須賀に入港したアメリカ海軍の空母・キティーホークの乗組員であるDに基地近くの私の車の中でレイプされました。 私は、すぐに神奈川県警に事件を届け出ました。しかし、県警では6人の警官に何時間もからかわれたり笑われたりしながら尋問され、露骨に性的な言葉も口にされました。最初は治療も水も食べ物も拒絶され、犯罪の法的証拠のカギとなる尿検査用の容器も拒否されました。12時間くらい取
1 京都地裁判決の概要 ~当然の帰結~ 京都地裁は10月7日、在特会らに対し、朝鮮学校周辺でヘイトスピーチ街宣を繰り返したことにつき、1200万円余りの賠償と街宣の禁止を命じました。 この判決については、在特会に高額の賠償を命じたことや人種差別撤廃条約を適用したことなどで注目を集め、大きく報道されましたが、学校が受けた深刻な被害実態(脚注)を知っている我々弁護団の認識からすれば、至極当然、当たり前の帰結と受け止めています。 弁護団でなくとも、少しでも法律の知識がある人が今回の街宣動画を見れば、即座に、表現の自由による無罪などがありえない「威力業務妨害」「名誉毀損」事案であることがわかったはずです。そして、これによって子どもたちが受ける心の傷や、教員や保護者のみなさんの不安がずっと続くことについても容易に想像できることです。事件直後の呼びかけには、すぐさま97名もの弁護士が弁護団参加を表明し
安倍首相は、9月25日、アメリカの保守系シンクタンク「ハドソン研究所」の「2013年ハーマン・カーン賞」受賞に際しての演説(ニュー・ヨーク)で、「私を右翼の軍国主義者と呼びたければ、どうぞそう呼んでいただきたい」と言った。まさに胸を張って・・・。過去に、レーガン、チェイニー、キッシンジャーといった人たちが受賞しており、外国人としては初受賞ということで、よほど嬉しかったのであろうが、はしゃぎすぎもほどほどにしてもらいたいものである。「ハーマン・カーン賞」は「保守的な立場から国家安全保障に貢献した」指導者に贈られる賞だとされているが、もちろんそこでいう「国家安全保障」とはアメリカという国の「国家安全保障」のことであって、アメリカ以外の国の「国家安全保障」に貢献したからといって授賞対象になるものではない。だから、これまで外国人の受賞者がなかったのであり、今回、安倍首相が受賞したということは、日本
去る8月1日、日本軍「慰安婦」問題サイト"Fight for Justice日本軍「慰安婦」ー忘却への抵抗・未来の責任"を開設しました。これは多くの女性を「性奴隷」として強制労働させた日本軍「慰安婦」制度に関する事実関係や責任の所在等を、資料や公文書、証言など明確な出典・根拠をもって提供するためのサイトです。 1990年代以来、積みあげられてきた調査・研究により、その実態と日本軍・政府の関わりが詳細に論証され、日本軍「慰安婦」制度は「性奴隷制度sexual slavery」であったこと、戦争犯罪であると同時に多くの国際法や国内刑法にも違反する犯罪であることが明らかにされてきました。国連の人権委員会などの国際人権機関からも、日本政府が事実を認め、公式の謝罪と賠償をおこなうようにくりかえし勧告を受けてきました。しかし日本政府が一貫してそれらを拒否してきただけでなく、この間、被害者を攻撃するヘイ
日本が引き起こした戦争が終わって2年後に私は生まれました。戦争を知らない世代として平和憲法を享受し、60代半ばまで年を重ねることができました。ですが、この頃の極端なナショナリズムの高揚には、憂いを禁じ得ません。もちろん、相手あってのことですが、それ以前に何よりも大半の人は、自国の起こした戦争の加害面には触れようとしないし、さらに言えばあまり知らないということです。これでは被害を受けた相手国の人々との対話の基盤が、そもそもなりたちません。 かくいう私自身も、以前はそうでした。日本が侵略戦争をやってアジア諸国に大きな被害をもたらしたことは、頭の上ではわかっていても、自国の被害の方に目が向きがちでした。そんな私が変わらざるを得なかったできごとがあります。 ★ 父の遺言から 今から27年前、私は病床の父から次のような文言の紙切れを渡され、墓に刻むよう頼まれました。 「旧軍隊勤務十二年八ヶ月、其の間
自民党は、今度の参議院選挙で、昨年発表した「改憲案」を公約の中に掲げるという。その自民党「改憲案」を眺めていて、きわめて特徴的だと思った点がある。それは、「国」とか「国家」という言葉が、現憲法に比べてやたら多く出てくることである。ためしに、その数を数えてみた(「わが国」とか「日本国」という言い方も含む)。その結果(もしかしたら漏れがあるかもしれないが)、現憲法では「国」とか「国家」という言葉が使われているのは全部で15箇所であるが、自民党「改憲案」では35箇所にのぼる。まず、「前文」からして、自民党「改憲案」は「国」や「国家」のオン・パレードである。現憲法の「前文」には「国」や「国家」という言葉は3回しか出てこないが、自民党「改憲案」の「前文」は現憲法の「前文」の半分足らずの文章なのに、そこに7回も「国」や「国家」という言葉が出てくるのである。 日本国憲法「前文」では、第1項で「わが国全土
憲法96条「改正」論が煽り立てられているが、そのなかで「国民の判断に委ねるのが筋だ」とか「96条改正に反対する人たちは国民を信用していない」などという言説が、96条「改正」を主張する人々、とくに権力担当者たちから発せられている(安倍首相や「日本維新の会」共同代表の橋下徹氏など)。「3分の2」を「過半数」に緩めることで国会が改憲発議しやすいようにする。そうして国民に問題を投げて国民の判断に委ねる。憲法改正権は国民にあるとする以上、これが本来の筋ではないのか。その何が悪いのか。これに反対するのは、結局国民を信用していないからではないのか。という論理である。いかにももっともそうな理屈である。 だが、まず第1に、いまそういうことを言っている人たちは、これまで「国民の判断に委ねる」ことを忌み嫌ってきたのではなかったのか。重要な問題について住民投票や国民投票にかけるべきだという国民の要求を拒否し続けて
憲法96条の「改正」に向けて、安倍政権はどうやら本腰を入れてきたようである。「日本維新の会」などの右翼勢力がこれに同調する構えをみせていることが、安倍首相をいっそう前のめりにさせている。96条「改正」の問題点については、私はこの欄で、つい先月にも書いたし3年前にも書いている。また、このサイトの「改憲を問う!」ページに掲載した当研究所の見解でも、96条「改正」問題に触れている。だから、もう言い尽くしたことで、またまたこの問題を取りあげても、これまでに言ってきたことの繰り返しになるだけである。しかし、あえて繰り返そうと思う。いや、この重大な問題が広く人々に認識されるまで、何度でも繰り返さなければならないと思う。安倍首相は、「憲法を国民の手に取り戻す」ために96条を「改正」すべきだ、と主張する。しかし、この手の耳あたりの良い言葉にだまされてはいけない。国会による憲法改正案の発議の要件を、衆参両院
今月15日に行われた中国の習近平・国家副主席と天皇との会見が、「天皇の政治利用」として問題とされている。天皇と外国要人との会見は最低でも1か月前に申し入れるという「1か月ルール」が政府からの強い要請で破られたことについて、宮内庁長官が、大事な国だからといって特別扱いすることは天皇の政治利用につながりかねない、との懸念を表明したことで、問題が明るみに出た。習近平氏が次期国家主席とも目されている大物であり、中国側が民主党の小沢幹事長に天皇との会見を要請していた、などの事情も「政治の圧力」を窺わせる。 宮内庁長官の言い分は、天皇の行う国際親善は国の大小や政治的重要性で取り扱いに差をつけずにやってきたのであり、それを政治的な判断で破ることは「政治利用」につながりかねない、というものである。これに対し、小沢幹事長は、天皇の行為は「内閣の助言と承認」にもとづいて行うと憲法に書いてあるのだから、内閣が決
安倍さん、あなたは首相在任中の「憲法改正」に強い意欲を持っているそうですね。まずは国会による憲法改正案の発議を容易にする96条の「改正」から手がけるということは、あなた自身の口からも度々語られています。そして、同じように「改憲」を唱える「日本維新の会」に、参議院選挙後の連携を見据えて接近を図っているとも伝えられています。しかし、ちょっと待ってください。あなたがこのように「改憲」に前のめりになるのは筋が違いませんか?それは、次のような問題があるからです。 第一に、いまの国会の構成が、衆議院も参議院も「違憲」状態にある、ということです。昨年末の衆議院選挙については、全国で16件の「一票の格差」訴訟が起こされましたが、その16件の訴訟すべてにおいて各高等裁判所は「違憲」(14件)または「違憲状態」(2件)の判決を言い渡し、うち2件では選挙無効の宣告さえなされています。これだけ見事に「違憲」判断が
「日本維新の会」が3月30日の党大会で決定した綱領は、支離滅裂でお粗末きわまりないものである。だから、まともに相手にする価値もないのだが、国会にそれなりの議席をもつ政党だから、まったく無視するわけにもいかないだろうということで、あえてとりあげることにする。なによりも、その憲法に関する記述である。曰わく、「日本を孤立と軽蔑の対象に貶め、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶である占領憲法を大幅に改正し、国家、民族を真の自立に導き、国家を蘇生させる」。こんなハチャメチャな文章が「基本的考え方」の第1に掲げられているのである。一体全体、日本はいま「孤立と軽蔑の対象」になっているのだろうか。あるいは、日本国憲法下の日本はずっと「孤立と軽蔑の対象」になってきたとでもいうのだろうか。そんなふうに「卑下」して自分の国をみるべきだといいたいのだろうか。それこそ「自虐」もいいところではないのか。
逮捕された人が取調べを受けても黙っていることがあります。真相究明しようとしているときに黙っているなんて、とんでもないヤツだと思いませんか。今回は刑事手続きについて考えてみましょう。 まず、犯人なら反省してきちんと話すべきだ、黙っているのはおかしいという声があります。ですが、「犯人として知っていることをきちんと話せ」というのは、その前提に間違いがあります。被疑者・被告人は、罪を犯したかどうかわからないから裁判を受けています(起訴される前を被疑者、起訴された後は被告人と呼ばれます)。判決がでるまでは真犯人かどうかわからないのです。もし、逮捕された時点で真犯人だとわかっているなら、そもそも裁判はいりません。ですから、「知っているはずだから、拷問してでも自白させろ」というのはまちがっています。 テレビドラマの世界でははじめから犯人が決まっていますから、テロリストを拷問してもいいように思うかもしれま
憲法第10章は「最高法規」という標題になっており、そこには、基本的人権の永久不可侵性(97条)、憲法に反する法律等は無効であること(98条)、そして公務員の憲法尊重擁護義務(99条)を定める3箇条の条文が置かれている。憲法は国の最高法規だということは、おそらく誰もが知っていることだろうが、多くの場合、それは、違憲の法律等は無効だという意味合いでのみ(つまり憲法98条の規定だけ)理解されているのではないかと思う。しかし、97条は、永久不可侵の人権を保障することがこの憲法の中心的な目的であるとして、憲法が最高法規であることの実質的根拠を示すものであり、また、99条は、憲法が権力担当者に向けられた規範であることを明記することによって、憲法の最も重要な基本的性格を明らかにしたものである。そういう意味で、最高法規ということの法的な意味を明らかにした98条以外に97条と99条という条文が「最高法規」の
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