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ch.nicovideo.jp/nekon
本日のトレンドワードに前々職のドワンゴが上がっていて、 何かと思ってみれば退職エントリに現職エントリまで異様に buzz ってて、 ちょうど自分も退職したばかりだったので、もう書かなくてもいいかなと思ってたんだけども、退職エントリに手を動かしてみることにした。 2019年10月20日を以って、ドワンゴを離れてから5年間在籍したアークライトを退職しました。 アークライトというのはアナログゲームの会社で、 ボードゲーム・TRPG・TCGなどの電源を使わない遊びを専門として 製造・流通・販売までを行い、それらのゲームイベントも主催する会社。 5年前この会社に転職したきっかけは ドワンゴ時代にボードゲーム部だったことと、 海外のボードゲームイベント Essen Spiel に感銘を受けて、 ボードゲーム業界に転職し、それからこの業界の拡大に尽力してきた。 自分が携わってきたイベントとして『ゲームマ
最終回、「何故、大企業へと成長したドワンゴを辞めたのか」 2014/9/1 から "株式会社アークライト" で働き始めました。 入社初日の仕事はまたしても "秋葉原で自分の PC を買ってくること" 15年前と変わったのは、今回は自作 PC ではなく SurfacePro3 を購入した点。 自作 PC のメリットは以前ほどは無くなってしまった。 さて、アークライトはどんな会社か簡単に説明すると。 主にアナログゲーム(非電源系と呼ばれたりする)のカードゲームやボードゲームを取り扱い 雑誌の出版、ショップ経営、ゲーム販売、企画、イベント運営をしている会社だ。 ここが自分の新しい職場となる。 --------------------------------------------------- 【自己アピール】 入社初日に職場で一風変わったことをやったところ、 予想以上に面白い結果が得られ、他の
第六回 ドワンゴ社員はとにかくゲームが大好き 自分がドワンゴに入るよりも前、 社内で "Die By The Sword" というゲームが大流行し、 3日3晩、みんなが会社でやり続けたらしい。 流石に森さんも「このまま続けたら会社が滅ぶ」と危機感を覚え、 会社でそのタイトルのプレイを禁止するに至った ※ noguso「なんか他にも3日3晩遊ぶぐらいのゲームはあった気がする」KAF「EverquestとかAoEあたりじゃね」noguso「たぶんAoEだよな 川上さんがやりすぎって話」 ※shi3z 三日三晩狂ったように遊んだのはCommandos、KAFがとにかく意味なくトリガーハッピーで毎回ナチスに見つかって全員死亡してた そんな森さんは、 ファイナルファンタジーXI のとき、 ラテーヌ平原で敵の登ってこれない丘を発見し、 その安全地帯から魔法で敵を狩りまくっていたら GM に見つかり牢屋
■偉大なる先輩 shi3z さんと tarbo さんの存在 ドワンゴには突き抜けた人間が多かった。 その中でもズバ抜けて印象深い2人について書く。 ● shi3z さん ドワンゴには "清水亮 shi3z" さんというスーパーレア(SR)キャラが居た。 今ではクラスチェンジしてウルトラレア(UR)にグレードアップしているかもしれない。 当時の名刺の肩書は "アーキテクト 清水亮" だった。僕には今でも意味が分からない。 僕から見た清水さんは、行動力の塊のような存在で 火が点いたらまっすぐ目標に向かって飛んで行き、周囲の注目を集める派手な音を出す。 とにかくロケット花火のような人だった。 ・釣りゲームを作るとなったら、まず釣具セットを用意して弟子のひるけんと一緒に隅田川に釣りにいく ・囲碁のゲームを作ろうと思ったら近所の碁会所へ出かけて行き体験して常連客に話を聞く ・男女のコミュニケーション
■バーチャロンのデバッグ ドワンゴは SEGA のドリームキャストソフト、バーチャロンオラトリオタングラムの通信部分を担っていた。 ドリームキャストの通信機能を使って全国のプレーヤーが自宅に居ながらバーチャロンの対戦ができる画期的システムだった。 対戦相手を見つけるゲームロビーがあり、部屋を作って対戦相手を待つ。対戦相手が見つかったらゲームが起動され KDDI の専用回線を通して通信対戦が行われた。 当時のインターネット回戦では通信ラグが大きかったため、電話回線を使って専用回線にダイヤルアップしていたのである。 自分は当時、入ったばっかりだったので主にデバッグ作業の手伝いをしていた。 学生時代にゲームデバッグのアルバイトをしていた経験が活き、際どいタイミングでしか発生しないバグの再現や、普通こんな行動しないだろってパターンをしらみつぶしに調べあげた。 バグを見つけたらバグ報告シート(紙)に
■ドワンゴ社内の様子 1Fに米屋のあるビルの4Fと6Fにドワンゴはオフィスを構え、 社員数は約30人だった。自分の社員番号は34番 (社員番号制度が出来るより以前に居た社員も存在するため正確な入社順ではないらしい) 4Fオフィスの奥のスペースには二段ベッドがあり、しょっちゅう社員が仮眠を取っていたが、 とある早朝、誰もいないオフィスに自分が1番乗りで出社した!と思ったら、 突如、デスクの下から人が這い出してきて驚愕させられた!? どうやら机と机が背向かいになった隙間の床スペースで寝ていたそうで、確かネットワークRPGツクールを作っていたはむぞーさんだ。 自分も試しにそのスペースに入ってみると、外の騒音から隔絶され、かつ周囲の目線が一切気にならない実に快適なスペースだった。 会議室には何故か楽器がたくさん転がっていて、謎の動画が撮影されたりしていた UPDATE 高画質版を頂きました! ※1
■初出社と PC ドワンゴに初出社した日の事は今でもハッキリ覚えている。 自分のデスクに案内されると当時社長だった"川上量生"さんに初対面し、 川上「君さぁ、パソコン組めるよね?これで秋葉原いってパソコン買ってきて」 と封筒に入った"現金16万円"を手渡された。 15年前のドワンゴでは新入社員のPCが用意されておらず自分で使うPCは自分で準備するように言われた 入社1日目の仕事は会社用のパソコンを買ってくるところからだった。 当時まだメーカー製PCは約30万円と高価な物だったが、 PC をパーツ単位で買い、組み上げを自分で行い OS を入れることで費用を約半分に抑える事ができたのだ。 ドワンゴの人達は PC を自作することが出来て当たり前だったし 自分も機械いじりの精神から当時の自作 PC ブームに乗って PC 自作派だった。 その後、自分は会社の PC をトータル100台近く自作組み上げ
1999年9月1日にドワンゴに入社し、 2014年8月31日を以って退職する運びとなりました。 ピッタリ在籍15年と実にキリがいい。 8月は有給消化で長い夏休みになる。 さて、いざ退職エントリを書いみたらなんだかとても長くなってしまい、 まとめあげるのが不可能とも思える量になってしまったので、 知り合いから「連載してみては?」というジョークを本当にやってしまおうと思う。 この際、文章がまとまってないとか結論と関係ないとかは置いといて、とにかく公開していくスタイルでいきたい。 どうせこの文章に価値などない、自分語りの自己満足だ。 ------------------------------------------------------------------------------------- つれづれなるままにひぐらし ドワンゴ卒業生もすなる退職エントリといふものを、自分もしてみむとて
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