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今年の「#文学」
note.com/shota_hatakeyama
女の子たちは受験戦争を勝ち抜くことができるのか? 男子がいると女子の競争力が低下する問題(Wezzy2017.07.12掲載) 近年、アメリカやイギリスでは「男子の落ちこぼれ問題」が議論の的となりつつあります。「男子の落ちこぼれ問題」とは、主要産業が第二次産業から第三次産業にシフトし、大卒の人材が必要とされるになったにもかかわらず、女性に比べて男性の高等教育就学率が向上しなかったために「男子の落ちこぼれ」が生まれてしまった、という問題です。一方、理数系を中心に女子の成績が男子ほどではない点も問題視されており、どうすれば女子の学力が向上するのか、男子と女子の学習行動の違いから女子教育の拡充に取り組むような分析が行われています。 今回は数ある学習行動の中から「競争」に関するものをご紹介しようと思います。教育段階が上昇するほど教育の中に「競争」の要素が出てきます。競争の要素が出てくるということは
そういえば2023年もそろそろ終わるな―という感じですが、日本に丸一年いたのは2007年以来になるので、感慨深いものは特に何もないですが、一年を〆とくかということで、12月頭に秋田の国際教養大学で行ってきた教育とジェンダーの授業記録を残して、2023年を〆たいと思います。下記の授業は全部英語でしたが、多分英語で書くと誰も読んでくれないので日本語にしておきます。 1. 世界に認識され始めた落ちこぼれ男子問題授業の内容に入る前に、以前記事を書いたこともあるので、少し寄り道をします。Of Boys and Menという米国の弱者男性を扱った本がヒットし、この本の紹介記事も書きましたし(弱者男性が救われる日は…多分来ない)、2017年9月にはWezzyで「女子の大学進学率が男子より高い状況も問題。アメリカの「落ちこぼれ男子問題」は日本でも火を噴くか?」という記事を執筆しましたが、この落ちこぼれ男子
なんかここ数か月毎週出張に行って講義をしていて、一昨日も秋田の国際教養大学に行ってGender and Educationの授業をしてきたところですが、忙しすぎて話題に乗り遅れましたがPISA2022の結果が出ましたね。もう既に色んな人がやいのやいの言っているので、普通のことを言っても何も面白くなさそうです。というわけで、今回は報告書の中にある沢山の図表の中からたった一つの図だけ使うという縛りをかけてどこまで言えるかやってみたら楽しそうなので、そんな感じで私もやいのやいの言ってみたいと思います。 1. 独仏米よ、お前らは黙っとけ、二度と喋るな今回使用する図は、PISA報告書の1巻の136ページにある、国民一人当たり所得と数学の成績の相関図です。基本的に国が豊かになればなるほど子供達の成績も上がっていきます。そうすると、中には豊かではないのに成績が良い凄い国、豊かなのに成績が悪いどうしようも
はじめに2017年にアメリカのいわゆる落ちこぼれ男子問題に焦点を当てた記事を書きましたが(アメリカの「落ちこぼれ男子問題」は日本でも火を噴くか?)、この落ちこぼれ男子問題を放置した結果、米国でいわゆる弱者男性が生み出され続けています。 そして、この弱者男性問題を取り扱った、Of Boys and Men: Why the Modern Male Is Struggling, Why It Matters, and What to Do about Itという本が昨年出版されました。Brookings研究所という、国際教育協力でも影響力が大きい、世界最大手のシンクタンクに所属する研究者が執筆しただけあり、学術的なエビデンスやデータに基づいて、なぜアメリカで弱者男性が苦境に立たされ、このイシューを解決するためにどのような対策を講じられるのかを議論していて、非常に面白いものでした。切り口は弱者男
アフガニスタンで女の子達が学校へ行けなくなったのは遠い国の話ではなく、この記事を読んでいるあなたにも責任があるんだぞ、という話 タリバンがダメダメな理由アフガニスタンでは既に、女子の中等教育へのアクセスが停止されてしまっていましたが、ついに高等教育へのアクセスまで停止されてしまいました(ニュース)。まだ中等教育の停止は許容範囲内でしたが、高等教育の方は超えてはいけない一線を越えた感じがあります。 一つ目の理由ですが、国際教育協力では中等教育の空洞化などと言われたりしますが、ドナーの支援も初等教育か高等教育へ行きがちで、その中間である中等教育はおざなりにされたりします。ただこれは、経済成長や貧困削減の観点からみると実は大きく間違っているわけでもなくて、世銀が出したペーパーを読むと、中等教育への教育投資収益率は、初等教育や高等教育のそれの半分以下だったりします。つまり、 ・初等教育は比較的誰で
ミシガン州立大学に博士論文を無事提出して15年ぶりに帰国しました、畠山です。Ph.D. in Education Policyって、日本語だと学術博士(教育政策)でいいんですか? そんな質問の前に、お前何で帰ってきたんだ?というツッコミもあるかと思いますが、まあ端的に言えば仕事が見つからなかった&土壇場でビザの関係で内定が消えたという事で、どうもニートです。就活もろくすっぽせず毎日隣町のBMDジムに行ってパワーリフティングの練習をしている元気なニートです。 そんなニートが偉そうに言うのも何ですが、最近気になったニュースといえば、なかやまきんに君の日本マスターズの6位入賞です。種目こそ違えど、筋肉という大きな括りではパワーリフティングと遠くないですし、私もマスターズで全日本の表彰台に登りたいと思っているので、気になったニュースはやはりバイデン政権の教育ローン一部返還免除です。 このニュースが
今回の日記は、ミシガン州議事堂の前で行われていた共和党支持者たちの集会を社会見学していて、米国の白人女性達の間にある大学に由来する深い深い分断を象徴するOur Boys Matterという印象的な言葉を聞いたので、それに関する日記です。まず私の社会見学の文脈を理解してもらうために、余談から始めようと思います。 0. はじめにー州都にある名門州立大学アメリカへの大学院留学というと、カリフォルニアのどこかか、東海岸IVYリーグを思い浮かべがちですが、ちょっとそれらとは異なる視点から私がおススメできる大学があります。それは、ミシガン州立大学、ウィスコンシン大学マディソン校、テキサス大学オースティン校、オハイオ州立大学といった大学です。 アメリカの大学に詳しい人なら州立大の名門校だ、というのは気が付くかもしれませんが、それだけだと全ての州立大学の中のトップに君臨するミシガン大の名前が入ってこないの
米国の大統領選挙も終わり、留学生・国際協力の立場からすると、バイデン次期大統領が誕生したのは大変喜ばしい事です。しかし、獲得代議員数だけを見るとバイデン次期大統領が圧勝したかのように映りますが、単純な票数だけ見れば、なかなかの接戦でした。 トランプ政権誕生の背景にはリベラルと反リベラルの分断があり、トランプ政権下でこの分断は一層深刻化したと言われています。では、バイデン次期大統領はこの分断を癒すことができるのでしょうか? 私は、分断が一層深刻化することはあっても、これが癒えることはまず無いと思っています。それは、リベラルと反リベラルの分断はもっと根が深い所にあり、1980年代以降の教育政策がその悪化を加速させ、これが改善に向かう見込みがないからです。どういう事でしょうか? まず、リベラルとは主に誰で、反リベラルとは主に誰なのかを確認しましょう。バイデン次期大統領の支持は、①都市部、②若者、
米国は、新型コロナ・それにまつわる大量失業・暴動、と驚異的な事態となっています。新型コロナだけを見ても、依然として毎日2万5千人の新規感染者を出しつつ、あれだけ人々が密になる暴動が全米各地で起こっているという状況です。ちなみにですが、米国はオリンピックで最大の代表団なのですが、これを来年東京で受け入れるんですかね? 私の事をご存じない方のために、この記事に関連するバックグラウンドを説明すると、2008-2012年までワシントンDCにある世界銀行で働き、今はミシガン州立大学という、網走刑務所のような極寒の地で教育政策の博士課程をしながら、ネパールの貧しい子供達の教育支援をしているサルタックというNGOの運営をしています。 早速になりますが、この記事の内容を説明すると、少なくとも今後数十年経っても米国から暴動は消えないと私は考えています。それは、ワシントンDCという土地と、米国の教育政策を理解
良い記事を読みました。 「「いい加減な方法」の候補者選び 米大統領選、なぜ複雑」 私の書いた記事を読まれたことがある方なら、米国の教育システムは、基本的にその地域の固定資産税を財源とし、州政府や連邦政府からの支援を受けないもので、裕福な地域は固定資産税が沢山集まるので良い教育が、貧しい地域では固定資産税が集まらないので教育の質が低い、という大変不平等なシステムであることを理解していると思います(例えば、日本人が大好きな「ハーバード式・シリコンバレー式教育」の歪みと闇)。 米国の教育システムのもう一つの特徴は、教育委員会を選挙で選ぶものの、政党の影響が出ないようにその選挙は奇数年の春に行われるのが通例となっている点です(補足:大統領選挙が今年2020年の秋に行われるように、米国での大きな選挙は基本的に偶数年の秋に行われることになっています)。 この教育委員会公選制と固定資産税に基づく教育予算
博論の資格審査が控えているので手短に。これはあれですね、期末試験直前になると部屋の掃除をしたくなる感覚と同じですね。 今年は米国の大統領選挙の年で、誰が大統領になるかで私の進路も大きく左右されるので固唾を飲んで見守っています。現在は民主党候補者選びのスーパーチューズデーの直前ですが、誰がトランプ大統領のクビを取ってくれるのか私も注目しています。 有力候補の一人が日本でも知名度の高い、バーニー・サンダース氏ですが、もちろん私は政治学の専攻ではないので彼の全体像は分かりませんが、彼の掲げる教育政策を見ると、ムチャクチャ酷い、というか完全に詐欺師です。日本にも彼に似た詐欺師的な政治家がいるので、なぜバーニーサンダースは天才詐欺師なのか、ほんの少しだけ解説してみようと思います。 まず、サンダース氏が掲げる教育政策を確認してみましょう→リンク。一応日本語で要約すると次の通りになります。 ①高等教育機
今年もノーベル賞の季節が来ましたね。今年はMITのバナジー教授・デュフロ教授とハーバードのクレマー教授がノーベル経済学賞を受賞しました、おめでとうございます。授賞理由は、開発経済学におけるフィールド実験によって、貧困と戦うための知を切り開いたという点にあります(より詳しい授賞理由はこちら)。このお三方の功績は国際教育協力をやっていれば本当に日々実感する所であり、それはこのお三方がこの賞をいつか受賞しなければおかしいレベルだったので、選考委員会は良い仕事をしたなと思います(余談ですが、デュフロ教授のTEDトークは素晴らしいので、ぜひ見てみて下さい)。 高くて儲かるRCTが氾濫を起こすですが、タイミングとしては割と最悪だったように思います。それはなぜかと言うと、今現在この実験アプローチ(主流はRCTなので、以下RCT)が国際協力(日本を除く、重要なので二度言いますが、日本を除く)で氾濫していて
先日、現代ビジネスの方に「アメリカの大学生はよく勉強する」は本当か? 、という記事を寄稿しました。大学生の平均的な勉強時間を日米で比較すると大差がないというデータに、自分が学んできた・教えてきた一流ではない米国の大学では学生は熱心に勉強していたから、このデータはおかしいというコメントが散見されました。なぜ「一流」ではない大学での体験談と、平均を表すデータにずれが生じるのか、少し解説してみようと思います。このズレを理解するカギは、米国の大学を下から見ているか、上から見ているか、にあります。 1. 米国の大学ピラミッド 「米国の大学は分野によって強い大学が違うので、日本のように全ての大学を一律にランキングすることは難しい」という話を耳にしますが、これは正しくもあり、間違ってもいます。 お隣のミシガン大学ならまだしも、私のいるミシガン州立大学は日本では超マイナーな大学だと思いますが、ここの教員養
今学期は必修の教育政策特論を取ることになりました。毎年トピックが変わるこの授業、最悪なことに今年はミシガン州の副教育長によるミシガン州の教育政策という全く興味の無いトピックになりました。 授業の内容は全く興味が湧かないのですが、実務家がどういう授業をするのかは、私も10年間国際機関で働いてきた実務家なので、とても興味が湧きました。 初回の内容は、過去20年間の大きな教育政策の流れと、それのエビデンスとなった論文の読解でした。対象となった論文は末尾に置いときますが、重要所はカバーされているし、最近の論文も入っていて、実務家でもこんなに因果推論に注意を払って、エビデンスを吟味して、がっつり論文を読ませる授業をするんだなと驚きました。まあ、ここミシガン州立大学で博士号を取得している人なので、さもありなんという感じかもしれませんが。 授業の帰り道に、同じ授業を取らされているインド人の友人に「授業の
この記事は以下の構成になっています。 1. はじめに 2. ジェンダーギャップ指数で教育項目はどのように評価されているか? 3. ジェンダーギャップ指数の教育項目の問題点 4. 日本の教育にジェンダー問題は存在しないのか? 5. 女子教育問題の見落としが致命傷になる理由 1. はじめに 世界経済フォーラムからジェンダーギャップ指数とかいう使えない指標が発表されて、日本の順位は酷い、こういう対策が必要だ、という記事がバズってみんなが憤慨し、年明けにはみな忘れている、という恒例行事が始まりましたね。今年もそんな提言でバズってはダメだろうという記事がバズっていたので、ちょっとこの使えない指標についてくさしておこうと思います。 この手の世界ランキングがどうしようもないものになってしまうのは、世界大学ランキングを事例に現代ビジネスで解説したことがあるのでそちらも是非どうぞ→日本人がほとんど知らない「
みなさん、こんにちは。うちの大学院はPhD Candidateになるために、二度コンプという年度末試験を乗り越えなければなりません。明後日、1年目のコンプが控えているのですが、その科目の中に教育の政治学が含まれています。この科目の中には、Research Useというトピックがあるので、試験勉強がてら、教育政策形成においてエビデンスはいつ誰によってどのように活用されるのかまとめてみようと思います。 一つ目のテキストは、Using Evidence: How Research Can Inform Public Servicesです。詳しい話はテキストの方を読んでもらうとして、一文で内容を要約すると、政策形成におけるリサーチの活用は、重複もあるし、流動的であるし、真っすぐ進むものでもなく、かつその活用方法も多岐に渡り、それを予測することも難しい、という感じです。これだと、リサーチの活用につい
現代ビジネスさんで「高学力だけでは不十分な時代に求められる「教育とスキル」は何か」という記事を執筆しました。記事の内容が盛沢山過ぎたのでいくつか削ったネタがあるのですが、今日はそのうちの一つである「教育学部の人事の在り方が教育をダメにした話」をここに書いておこうと思います。 記事の内容の詳細は上のリンク先を読んで頂くとして、最後にポイントとなったのが、現代の教育政策を考える上で、学力や非認知スキルへのインパクトだけを持って「エビデンス」と称するのは危険で、ソーシャルスキルをはじめとする、見えていない指標への影響を顧みないことには「エビデンス」と称するのは危険である、という点です。 ここで言及したかったのが、そもそもなぜ教育政策や教育経済学の分野で、学力や非認知スキルにだけ着目して「エビデンス」と叫ぶことが横行してしまったのかという点です。教育には、社会統合や、今回の記事で取り上げたソーシャ
SREEという学会でDCに来ています。大学の先生に加えて、様々なシンクタンクの人が来ているので、それなりに面白い議論を見かけます。これまでで一番面白かったのは、研究者と現場の教員の「因果推論」を巡る議論です。 教育政策の研究をしていると、未だに「プレ・ポスト」(いわゆる、使用前・使用後)で介入効果を論じようとする人達を見かけます。このプレ・ポストは典型的な因果関係とは言えない政策介入の効果を測る方法です。なぜなら、交絡因子をコントロールできていないので、使用前・使用後の違いがその政策によるものなのか、はたまた別の要因(例えば、介入期間に景気が良くなって親の教育支出が増えたとか、国際教育協力であれば、その介入を実施しているユニセフ・オフィスに私が赴任してきてプロジェクトの質が全体的に下がった汗、とかです)なのかが、判別できないからです。 これをクリアするために、この分野の研究者はRCTを駆使
東京FMのタイムラインで、日本のSTEM教育についてお話したときのメモ書きです。チキンなので生放送で話すときは、いつもこんな感じのメモ書きを手元に置いとくのですが、折角なので公開します。放送は1月10日までラジコで聞けるそうです→リンク STEM教育に関する記事 ・世界のエリートが重視する「STEM教育」日本が抱える2つの難題―10のデータで徹底検証する ・女子の理系離れが起きる6つの理由 男女の賃金格差解消の肝となるSTEM教育を促進するには STEM教育と賃金の話 • 米国の労働市場の傾向が日本にも当てはまってくるようであれば… • 高卒大卒の賃金格差以上に、人文系とSTEM系の賃金格差は大きい • とは言え、Social skillsのrate of returnは数学並みにデカくなりつつあるので、STEM+Social skillsが望ましいのかもしれない→関連論文 • STEM内
海の向こうの日本では高等教育無償化のために憲法を改正するか否かで議論が盛り上がっていますが、議論が稚拙すぎる感じがします。ここアフリカでは1990年代以降教育の無償化が進み様々な知見が得られているので、教育経済学の議論と共にそれを紹介してみようと思います。 高等教育無償化・賛成派の議論の問題点 ① 無償化後のビジョンが欠如している アフリカで90年代以降教育の無償化が進み何が起こったかというと、就学率の急上昇です。例えば、ここマラウイは最貧国で国民一人当たりの平均所得は1日100円にも満たない状況ですが、初等教育の純就学率は95%程度あり、不就学児童の大半は障害を抱える児童か孤児かという状況で、貧しいから学校に行けないという状況はほぼほぼ解消されたと言えるでしょう。 しかし、教育の無償化による教育へのアクセスの爆発は、教育の質の低下を招きました。就学率が上昇するということは、ただ単に授業料
ユネスコが実施している「記憶遺産」に南京大虐殺文章が登録され、その審査過程が不透明であるとして、昨年日本政府はユネスコ分担金の支払いを保留するそぶりを見せましたが、今年も記憶遺産で慰安婦問題を巡って再び保留のそぶりを見せています→産経新聞の記事 ところで、私がユニセフ本部を離れてモントリオールにいる彼女(現妻)の所で仏語を勉強することにした時、既に現職のユニセフ・マラウイとモントリオールにあるユネスコ統計研究所(UIS)から採用する意思があることを知らされていて、ユニセフのオファーレターが先に届いたのでこちらを選びましたが、業界外の友人たちにユネスコに行く可能性をほのめかしたら、少なくない人に「え、世界遺産?」と言われて当惑した経験があるので、他の国際機関から見た教育セクターにおけるユネスコの働きについてまとめてみようと思います。 ユネスコ(UNESCO)のEはEducation、SはSc
中国が主導するアジアインフラ開発銀行に、日本とアメリカは参加していませんが、そんな中アジア開発銀行の年次総会の席で日銀総裁が「アジア開発銀行はAIIBと競合するものではない」、と発言されました。 ADBとAIIBが競合すると言われると、アフリカ大陸において日の丸の数が(JICA)、中国国旗の数(CHINA AID)に圧倒される近年の状況をイメージする人が多いかもしれませんが、実はこれは援助機関が競合しているという状態とは異なります。では、援助機関が競合するというのはどういう状況を指すのでしょうか?ちょっとマラウイの教育セクターを例に話をしてみようと思います。 マラウイの教育セクターがどんな状況かというと、毎年5%程度小学生の数が増えているぐらいの人口爆発に直面しているので、子供たちの1/3は青空教室で勉強しているぐらい学校が足りていなくて、教員一人当たり生徒数も76人と教師の数も全然足りて
今年もオフィスの同僚たちが休暇に入り、省庁やNGOも閉まって、一年の振り返りや溜まったオンライン研修を行う時期に入りました。今年の自分の仕事を振り返ると、今年も現地視察には出なかったのはユニセフのプログラムの職員としては極めて珍しいと思います。大半のユニセフ職員、特にインターナショナルスタッフは現地視察の重要性を説きますが、私はこれに結構懐疑的なんですよね(&私を採用するような上司も結構懐疑的)。 確かに現地視察のコストに見合うだけの、政策や支援に活かせるだけの知識や経験が得られれば有意義な視察だと言えますが、これって結構難しいんですよね。まず現地視察を有意義なものにするためには、データが完全に頭に入っている必要があります。そんなの当たり前やないか、というツッコミが飛んできそうですが、途上国にインターンやスタディツアーに来る学生さんや青年海外協力隊に限らず、国際協力の専門家でも結構主要なデ
ユニセフで働いているとユニセフ募金ってちゃんと使われているの?、とかユニセフ募金ってどういう仕組みなの?、と帰国するとちょいちょい聞かれます。確かにユニセフ募金の仕組みってだいぶ分かりづらいので、仕組みを友人に説明するたびに「そういう仕組みだったのか。ユニセフ募金を攻撃する人はこの仕組みを知らず、誤解に基づいて攻撃しているんだから、もっとちゃんと説明がされる必要があるよ!」、というリアクションをされます。少し時間が出来たのでどのようなシステムになっているのか、ちょっと書いてみようと思います。 そもそも、ユニセフのカントリーオフィス(途上国にあるユニセフの事務所)の資金ってどうなっているの?、という点から始めたいと思います。もちろん国によって異なるのですが、大体3つのソースからほぼ同じぐらいの額がやってきます。まずは本部からやってくるお金で、これは各国政府の拠出金から来るものです。細かい点は
最近日本で話題の#保育園落ちたの私だ、について思うことを書いてみようと思います。基本的な考え方は以前シノドスさんに寄稿した「幼児教育無償化で十分か?―就学前教育の重要性と日本の課題」と殆ど変わりがないのですが。 思うこと①保育園の拡充と女性の労働参加 「Crowding-Out Effect of Publicly Provided Childcare: Why Maternal Employment Did Not Increase」というペーパーが日本の保育所の利用可能性と女性の労働参加について分析をしていて、結果をかいつまんで書くと保育所が拡大しても女性の労働参加はあまり進まない、なぜなら祖父母によるインフォーマルなケアが、フォーマルな保育園に置き換わるだけだからだ、という物です。 この保育所の利用可能性が増しても女性の労働参加は促進されないというのは、私がシノドスの記事で紹介した他
SYNODOSさんに掲載された「日本の女子教育の課題ははっきりしている」の追記Part2です。もう一度日本の女子教育の課題を要約すると、中等教育では質・量ともに優れているが、①教育段階が上がるほど女性が少なくなる、②女子大生がSTEM系の専攻を避けてしまっている、③そしてトップスクールの女子学生比率が低い、という3点になります。ところで、教育段階が上がるほど女性が少なくなるというのは一体いつ頃からの現象なのでしょうか?ユネスコ統計研究所の高等教育でのGPI(女子の就学率/男子の就学率。1だと男女均衡、1を超えると女子の方が・1を下回ると男子の方が就学している)を使って、他のOECD諸国と共に45年前から振り返ろうと思います。 まずは1970年ごろのデータです。日本は男子大学生が10人いたら女子大生はわずか4人と酷い状況ですが、まだこの時点ではどの国も男女均衡は達成していません。さらに0.4
SYNODOSさんに掲載された「日本の女子教育の課題ははっきりしている」の追記Part1です。記事のキーポイントは、①日本の女性の大学・院進学率は低い、②日本の女性のSTEM系進学率は低い、③日本の女性の基礎的な人的資本は優れている→④それが労働参加に結びついていない→⑤高度な人的資本を備えた日本人女性は不足している、という辺りになります。記事では①日本の女性の学部・院進学率が低い、②STEM系への進学率が低い、という2点にフォーカスしましたが実は日本の女子教育の課題はもう一つあります。それは…、 トップスクールに女子学生がいないということです。どれだけ日本のトップスクールに女性がいないか以下で検証していきます。日本のデータについては東京工業大学以外は各大学のHPから、IVYリーグのデータはUS Newsの大学情報から、その他のデータ(比較性を持たせるために東工大のデータはここからです)は
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