――アメリカでのゲーム制作はどのくらいの期間されていたのでしょうか? 吉田氏:2000年にアメリカへ行って、2008年にグローバルでゲーム制作の責任者になったので、アメリカのスタジオの責任者としては8年間ですね。その後、SCEAヴァイスプレジデントの時にSCEの社長をされていた平井さんから、私をグローバルのゲーム責任者にすると同時に「日本に戻ってきてくれ」とまた声がかかりました。 日本のハードのチームとゲーム制作チームと一緒になって、PS4とPS Vitaのプロジェクトに取り組んでほしいと言われました。そして、2008年に日本に戻りました。 PS3からの学びを活かし、PS4ではゲームを作りやすいハードにすることを目指してハード設計の人たちと仕事を始めるわけですけど、彼らはゲーム制作者の声を聞きたがっているということがわかりました。でもやっぱり新しいハードというのは守秘義務の塊みたいなものな