三島由紀夫の没後50年ということで、いろいろな企画がなされている。これは三島由紀夫のドキュメンタリー映画のパンフレットに書いた文章。 昨日の寺子屋ゼミで「政治的とはどういうことか」について話したのだけれど、その話をしている。 ある時代が政治的であるということは、人々がかまびすしくおのれの政治的意見を語り、政治的組織に属し、運動をするという外形的な兆候を指すのではない。例えば、今の日本でもメディアには政治を語る言説があふれているし、党派的にふるまう人はそこらに数えきれないほど存在するけれども、私は現代日本人を政治的とは見なさない。現代日本は「非政治的な季節」のうちにあると思っている。 それは「政治的」であるというのは、自分個人の生き方が国の運命とリンクしているような「気がする」ということだからである。 個人的な定義なので、別に一般性を要求しているわけではないけれども、私はそう思っている。 現