二人の母に育てられて 家をとび出して父と同棲した母 生まれた時(一九二四年)、私には二人の母親がいた。一夫多妻が認められていた台湾で妻妾が同じ屋根の下で暮らし、それぞれの子供たちが同じ円卓を囲んでいる光景は必ずしも珍しくなかったが、私の場合はいささか事情が異なっていた。というのは、私の生母は久留米市生まれの内地人(当時、日本人はそう呼ばれていた)であり、しかも台湾人である私の父は当時、すでに妻がいたからである。 父・邱清海(クーチェンハイ)と母・堤八重がどこでどうやって知り合いになり、どういう具合に結ばれたかは、私がまだ生まれる前の出来事だから私にはよくわからない。本人たちの口からきいたこともない。 しかし、おおよその見当はつく。若い頃の私の父はなかなかのハンサムでおしゃれだった。おしゃれといっても、今日の私たちが想像するいでたちとはほど遠いものである。私自身は父が四十歳になってからの子供