ポツダム宣言の受諾可否をめぐる御前会議は、8月9日午後2時に始まり、12時間経っても結論が出なかったと言います。 通常の御前会議は「事前に発言者も発言内容も結論も決まった上」開かれた形式的なもので、この日はまったく異例な事です。 鈴木貫太郎総理を除く6人の構成員は3対3で対立したままとなり、鈴木総理が天皇のご聖慮を仰いでやっと受諾が決定した。 これがなんと次の日の8月10日午前2時20分であったというから、天皇を徹夜仕事に巻き込んだ非常事態である。 最後の御前会議は8月12~14日に数十時間開かれ、14日午前10時過ぎに、やっと終戦宣言のご詔勅内容が決まったと言う。 ・・・曰く、「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び、以て万世の為に太平を開かんと欲す。…」 このような経過ですから恐らく「月遅れのお盆」に合わせると言うことより、連合国側に返答を迫られて15日になったと思います。 『お盆までには・・