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批評に関するkuroiseisyunのブックマーク (54)

  • 好きな書評家、読ませる書評。ALL REVIEWS

    【現地参加・オンライン視聴】2024/11/30(土)19:00-20:30 金原…【現地参加・オンライン視聴】2024/11/30(土)19:00-20:30 金原 瑞人・中西 史子 × 鹿島 茂 『サド侯爵の呪い 伝説の手稿『ソドムの百二十日』がたどった数奇な運命』を読む書評アーカイブサイト・ALL REVIEWSのフ… 【現地参加・オンライン視聴】2024/10/30 (水) 19:00 -20:30 …2024/10/30 (水) 19:00 -20:30  華雪×豊崎 由美 、ジュンパ・ラヒリ『わたしのいるところ』(新潮社)を読む書評アーカイブサイト・ALL REVIEWSのファンクラブ「ALL REVIEWS 友の会」の特典対談番組「月刊ALL REV… 【アーカイブ視聴可能】2024/09/26 (木) 19:00 -20:30 古川 日…2024/09/26 (木) 19:

    好きな書評家、読ませる書評。ALL REVIEWS
  • 「パルコ文化」、「セゾン文化」とはなんだったんだろう、 - 葉っぱのBlog「終わりある日常」

    武田徹オンライン日記で、増田通二氏の逝去を知る。ここに武田さんの書いている視点は興味深い。 たとえばパルコ文化とセゾン文化は重なりつつずれている。時期的には前者が後者を用意したが、前者のアイロニーは後者を嘲笑するポテンシャルをあらかじめもっていたようにも思え、位置づけは微妙だ。そうした機微を当事者として語る人がまず減ってゆき、文化の受け手として自ら経験をふまえて聞ける人もいつかやがて退場してしまえば実体感をもって戦後の一時代を画した文化を記録することはもはや不可能になる。そうして失われて行く歴史の一幕は実に多いのだろう。80年代前夜のパルコ文化もそうなってしまうのだろうか。 「パルコ文化」と「セゾン文化」を分けて考える視点は気がつかなかった。実際、現場で働いていた当事者の人々は、どのような感慨を持っているのだろうか?屋という通路から、リブロ池袋店を舞台にした田口久美子氏の『書店風雲録』が

    「パルコ文化」、「セゾン文化」とはなんだったんだろう、 - 葉っぱのBlog「終わりある日常」
  • アジアの現代文芸の翻訳出版|翻訳出版|事業紹介 | 公益財団法人大同生命国際文化基金

    「アジアの現代文芸」(電子書籍)を掲載しています。 「アジアの現代文芸」シリーズは図書館への寄贈に限られていましたが、より多くの読者の眼に触れるよう、既刊・新刊の電子化を進めています。 このページから閲覧ソフト(無料)と書籍データをダウンロードして、お読みいただくことができます。 2014年10月20日に、電子書籍のデータ形式をXMDFからEPUBに切り替えました。「ブンコビューアー」でお読みになっていた方は、「Kinoppy」でお読みください。 ジャンル 小説 ノンフィクション 詩 評論 民話・昔話 国 イランインドインドネシアカンボジアスリランカタイトルコバングラデシュパキスタンフィリピンベトナムマレーシアミャンマーラオス 原作出版年代 19世紀以前 20世紀前半 20世紀後半 21世紀

  • 岡和田晃氏への応答――SFセミナー2014を経て - 事実だけとは限りません

    まず、経緯を述べる。評論家の岡和田晃氏は、これまで私の作品を幾度か批評の対象として取り上げてくださている。それらは彼の近著『「世界内戦」とわずかな希望――伊藤計劃・SF・現代文学』に収録されており、また私の新刊『ミーチャ・ベリャーエフの子狐たち』巻末解説も担当してださっている。 まともな読みの対象とされることの少ない私の作品に正面から向き合ってくれるこれらの批評は、非常に得難く貴重なものである。にもかかわらず、いつからか言葉にし難い微妙な違和感を感じることがあった。 無論、作品をどのように読むかは読者の自由である。ひどい誤読であっても、それは人の読解力(の欠如)の問題であって、私の問題ではない。あまりにもひどい誤読を広く公表されるようなことがあれば、私もこのブログで一言物申すくらいのことはするかもしれないが、言うまでもなく岡和田氏の批評に対する違和感はそのような類のものではなく、かつ極め

    岡和田晃氏への応答――SFセミナー2014を経て - 事実だけとは限りません
  • 『満願』収録全六篇の初出との比較で見えるもの。 - 蝸牛の翅(つばさ)

    満願 作者: 米澤穂信出版社/メーカー: 新潮社発売日: 2014/03/20メディア: 単行この商品を含むブログ (93件) を見る米澤穂信の短編集『満願』収録六篇につきまして、各収録作の初出の形と比較し、その意味を考えることを中心にレビューしていきます。 過去の米澤作品ではたとえば『リカーシブル』が雑誌掲載とのちに単行に載った作品がまるで別物だというのが有名かと思います。 リカーシブル 作者: 米澤穂信出版社/メーカー: 新潮社発売日: 2013/01メディア: 単行購入: 1人 クリック: 13回この商品を含むブログ (36件) を見る『満願』収録作品にそこまでのものはありませんが、程度の差こそあれ全ての短篇に改変が行われ、ミステリとして&小説として完成度を高めたり、いわゆる読後感や作品のテーマ、広がりが大きく変化しているケースも見られます。 特に収録作随一の傑作「柘榴」の変容

    『満願』収録全六篇の初出との比較で見えるもの。 - 蝸牛の翅(つばさ)
  • 魁! P・K・ディック塾

    2009年〜2011年「SF-Japan」(徳間書店)誌上にPKディックだけをパラノイアックに読み解こうとする特異なコラムが連載されていた。筆者は「幾何級数的太郎冠者」と「算術級数的次郎冠者」。時にボルヘスを引き合いに出し、時に「高い城の男」をドイツ軍事マニア的視点で読み込んでいくという、異様な熱量と飛躍した論考で畳み掛けるディック論。一部マニアの間であの二人組は何者か? と話題になった。しかし時代はSF市場がシュリンクして最低辺にあった頃でもあり、母艦であるSFJの休刊とともに、二人のスクランブルスーツを着た曲者は舞を止め静かに姿を消した。ここに復刻するのは、太郎次郎のうち、消息をようやく突き止めることに成功した算術級数的次郎冠者氏から提供いただいた、当時の原稿(一部修正・補足済)である。今回Live Wireで「PKD総選挙、あとの祭り」を開催するにあたって、極々通常のフォーマットであ

    魁! P・K・ディック塾
  • 日本児童文学8月号特集 ライトノベルとはなんだろう を読んで | 初心者noせかい.

    ブログ パスワード認証 閲覧するには管理人が設定した パスワードの入力が必要です。 管理人からのメッセージ 閲覧パスワード Copyright © since 1999 FC2 inc. All Rights Reserved.

  • 秋山瑞人文体模倣:序論1 - 秋山瑞人文体模倣に向けた一考察

    序論1 秋山瑞人とは 秋山瑞人を知らずにこのブログを読む人がいるのかわからないが、おそらく秋山瑞人の文章を知らずにこれを読んでもなにも面白くないと思うので、なにか一冊買って読んでみることをお勧めする。 端的に言えば、ここ10年で新作を 3つも 発表した人気ラノベ作家である。 これを書いている最中で一番新しいのは「SFマガジン700【国内篇】」に入っている「海原の用心棒」(書かれたのは10年前だけど)。もしなければ、「イリヤの空、UFOの夏」なら大きめの屋にならあるはずなので、その1巻の冒頭10ページでいいから読んでみてほしい。E.G.コンバットの方が私は好きだけど。 話の筋自体は大したものではない。SFの名作としての地球儀を挙げる人がいるが、センスオブワンダーはゼロである。繰り返す。そんなものはない。それを期待して読んだであろう人の「SF名作と聞いたから表紙絵に我慢して読んだけどなんだ

    秋山瑞人文体模倣:序論1 - 秋山瑞人文体模倣に向けた一考察
  • カゲプロをほとんど知らないひと(へ)の『カゲロウプロジェクト』批評 - 転々し、酩酊

    2014-06-05 カゲプロをほとんど知らないひと(へ)の『カゲロウプロジェクト』批評 考察 おすすめ 目次 前書き 『カゲロウプロジェクト』は一次商品なのか なぜ『カゲロウプロジェクト』がヒットしたのか 「解釈」とは物語を作っていくこと 「解釈」とは労力のいること カゲプロ信者/カゲプロ厨 ニコニコ動画は一次商品を生みだせるか 終わり 前書き まずは大塚英志の「企業に管理される快適なポストモダンのエッセイ」(以下ポストモダンエッセイと表記)をお読みいただきたいです。この文章は、ポストモダンエッセイを読んだという前提で書かれております。 タイトルの括弧は、 カゲプロをほとんど知らないひとの『カゲロウプロジェクト』批評 カゲプロをほとんど知らないひとへの『カゲロウプロジェクト』批評 という二重の意味です(カゲプロをほとんど知らないひとというのは私のこと)。 私のカゲプロ批評で大事に

  • 批評モドキの見分け方 - xenothのブログ

    要約 ・作品を見て、わかりやすい特徴をピックアップする ・適度に一般的なテーマに、こじつけて時代性と言い張る ・批評に見える文章(批評モドキ)が完成する 分析と検証 批評というのは、作品の分析です。 まず、その作品が、どんな部品で出来ているのかを解析し、そして、それぞれの部品は、どう組み合って全体としてどう機能しているのかを調べます。 最後に、それが当に正しいかどうか、他の作品と比べて検証するわけです。 しかし、そうした分析は、実は結構難しいものです。自分なりに作品を組み立てたことがない場合、なおさらです。 批評モドキ さて、批評をしようと思い立ったとします。 作品を見て、多くの人が言うのは「ここが新しい」「作品Aは、これまでの作品Bなどと比べてここが優れている」というものです。 人間、そういった「わかりやすい違い」があると、そこに目がいくわけですね。 例:「新世紀エヴァンゲリオン」にお

    批評モドキの見分け方 - xenothのブログ
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    わたし的棚ぼた一万円選書 急に千葉さんに手渡された封筒、開けてみたら1万円札が1枚。何ごとかと思えば、同期の出張を代わったお礼をもらったらしい。 「葵はワンオペで育児してくれたから」と半分わけてくれました。 泡銭の1万円 これはもう、わたし的1万円選書をしろという思し召しなのでは……

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  • より正しい物語を得た音楽はより幸せである ~佐村河内守(新垣隆)騒動について~

    被爆二世、独学で音楽を学んだ全聾の天才作曲家と謳われた佐村河内守氏のほぼ全作品が、実際には桐朋学園大学の講師を勤める現代音楽作曲家・新垣隆氏の手になるものだった、という衝撃的な事件が世間を賑わせている。これに関連して、少し自分の思うところを書いておきたい。 メディアや音楽出版社のあり方、またはポリティカル・コレクトネスについての議論はほかに譲るとして、音楽そのものについての話になる。今回の事件はかなり根源的な問題まで浮き彫りにした、というのがもっぱらの認識のようだ。人は音楽にいったい何を聴き、何を根拠に評価しているのかということ。また純粋に音楽を聴くのはいかに難しいかということ。そんな問題についてだ。ここで私は、純粋に音楽を聴くことなど不可能であるのは当然として、そんなことを目指す必要さえない、という主張を述べたいと思う。 私が初めて佐村河内氏の名前を知ったのは昨年、おそらく例のNHKスペ

    より正しい物語を得た音楽はより幸せである ~佐村河内守(新垣隆)騒動について~
  • 「認知論的映画論批判」 石田美紀

    書評 リチャード・アレン著「映画を見ること」"Looking at Motion Pictures" (リチャード・アレン、マレイ・スミス共編『映画理論と哲学』R. Allen, M.Smith, Film Theory and Philosophy (Oxford: Oxford U.P.,1997=1999)に収録)―分析哲学が映画学にできること、または分析哲学の挑戦ー 石田美紀 はじめに 「アメリカのアカデミズムが誇る人文系の学問領域を挙げてくれ」。こんな質問に出くわすなら、その答えに次の学問領域があがったとしても、多くの人は困難をそう覚えず、納得してくれるのではないだろうか。映画学と分析哲学である。前者の理由はいわずもがなであるが、あえて述べるとすれば、映画アメリカ文化が真っ先に世界に誇るものであり、アメリカの多くのの大学は映画製作だけでなく、映画歴史的・理論的に研究する映画

  • 山川賢一の『動ポモのどこがクソなのか大会』

    ロードランナー様 @shinkai35 藤田さんはおれとちがって紳士だからな 若き日の筒井康隆が他人を嫉むようなことはいうまいと誓った(?)とか、たしかそういう故事に倣って人の悪口はいわないのだ! 2013-07-10 07:03:27

    山川賢一の『動ポモのどこがクソなのか大会』
  • ゼロ年代批評の政治旋回――東浩紀論 - 名無し委員会

    稿は、『別冊情況 思想理論篇』第二号に掲載されたものである) ゼロ年代批評の政治旋回――東浩紀論 藤田直哉 ゼロ年代批評の政治旋回!? 『思想地図β』vol.3(二〇一二)、特集「日2.0」の巻頭言で、東浩紀は政治旋回宣言を行った。 日はどうあるべきか。考えてみれば、ぼくたちは長いあいだ、その素朴な問いをこそ忘れてきた。停滞する政治を尻目に、消費社会のまどろみのなか、それがまどろみにすぎないことを知りながら、現実との直面を先送りにしてきた。(p44)。 ぼくたちは長いあいだ、自分たちがなにものか、その問いへの直面を(原発の問題への直面を、沖縄の問題への直面を、世代間格差の問題への直面を)避けることこそが幸せの条件であり、成熟の条件であり、ひいては「正義」の条件ですらあると教えられてきた。(同) ゼロ年代を代表し、オタク・カルチャーを牽引し、ポストモダンを肯定していた東浩紀という人物

    ゼロ年代批評の政治旋回――東浩紀論 - 名無し委員会
  • 「ビデオ・ザ・ワールド」休刊に寄せて - ダリブロ 安田理央Blog

    「ビデオ・ザ・ワールド」(コアマガジン)が休刊しました。その話は昨年末から聞いてはいたのですが、来なら8月号まで発売される予定だったといいます(その後、誌名だけ残して外部編集に引き継ぐ予定もあったらしい)。しかし、急遽この6月号で休刊となってしまいました。そのため、この号では休刊号にも関わらず、歴史を振り返るような企画もなく、連載の中には「あと二回」といった表記もあったりして、突然の休刊だったことがわかります。どうやら4月19日に発行元のコアマガジンの「ニャン2倶楽部」編集部、「コミックメガストア」編集部の家宅捜索の影響のようですが、30年の歴史を持つ雑誌の終幕としては、あまりにもあっけないものでした。 カンパニー松尾監督はTwitterで「時代の流れとはいえ、唯一批評性があっただけに残念です。悔しいです。ワールドが一つの指針であり、ワールドに評価されたくて撮ってた時期もありました。無念

    「ビデオ・ザ・ワールド」休刊に寄せて - ダリブロ 安田理央Blog
  • 31:絵描きと「贋金つくり」——会田誠「天才でごめんなさい」展をめぐって(1) - ART iT(アートイット)

    連載での進行中シリーズ〈再説・「爆心地」の芸術〉は今回お休みとなります。 『会田誠展:天才でごめんなさい』展示風景、森美術館 2012/11/17-2013/3/31 Courtesy Mizuma Art Gallery 撮影:渡邉 修 写真提供:森美術館 森美術館(東京、六木)での『会田誠展:天才でごめんなさい』がいろいろと喧しい。私は昨年、すでに展覧会の実見を済ませ、その充実した回顧や新作の展開に大きな関心をそそられた。が、他方で、作家への賞讃ばかりが聞こえてくる当初の反応に、少なからぬ疑問も持った。 会田誠は、その作風から「毒のある作家」とも呼ばれ、今回の展覧会を実現するにあたっても、他館への巡回は予定されておらず、企業による協賛も期待通りには得られなかったと聞いている。そんな「逆風」のなか、美術館をあげての会田誠展を敢行した森美術館の取り組みは刮目に値する。にもかかわらず、

  • 推理小説の流れと「操り」

    巽昌章 @kumonoaruji 見立てと操りは、新格以降の推理小説にとって特権的な意匠だった。しかし、むろんそれより前から見立てや操りを扱った推理小説はいくらもあった。また、操りに関していえば、日の推理小説史上、いくつかのピークがあるようにも思われる。 2013-01-10 11:43:16 巽昌章 @kumonoaruji 操りの第一のピークは昭和のはじめであり、『黒死館殺人事件』『ドグラ・マグラ』によって代表される。小酒井不木『闘争』(昭和4)、乱歩『陰獣』なども含めてよいだろう。木々高太郎も、精神医学者として、操り的発想の投影された作品を残している。 2013-01-10 11:47:23 巽昌章 @kumonoaruji この第一期の特徴は、心理学的、あるいは生理学的な決定論の色彩が濃いという点である。「犯人は××という心理学の法則によって犠牲者を操ったのだよ」という形の説明

    推理小説の流れと「操り」
  • なぜ文学に縁がなくてもナボコフの文学講義を読むべきか?大事なことだから3回言う

    忙しい読者のために今日の記事を要約すれば 「ナボコフの文学講義が文庫になった。すばらしいだから、とにかく読め」 である。 しかしこれだけでは何も伝わらない自信がある。 これだけでうなずいてくれる人はそもそも、ナボコフの文学講義が文庫になったことなど、読書猿に言われるまでもなくご存知だろう。 というか、ナボコフの『ヨーロッパ文学講義 』も『ロシア文学講義』も『ナボコフのドン・キホーテ講義』も、とっくの昔に読んでいるだろう。 だからオススメする相手は、別の人たちである。 そんな訳で、いくつかのバージョンを書いてみた。それぞれは独立して読めるはずである。 成功している気がしないのは仕方がないが、それでも「こんながあるなんて、どうしてもっと早く教えてくれないんだ」という批判は回避できると思う。 ちゃんと言ったからな。 ※『ナボコフの文学講義 上/下』(河出文庫)は、『ヨーロッパ文学講義』(ティ

    なぜ文学に縁がなくてもナボコフの文学講義を読むべきか?大事なことだから3回言う
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