もちろん高校んときを思い出して赤面しましたが何か? ゼータ関数、コンボリューション、テイラー展開――うむむ、さっぱり分からない。ここでいう「分かる」とは、同じ問題を自力で解けるかという意味で、だ。最初は「分かる」のだが、ひとつひとつ、イコールをたどるうち、数式の森にさまよいんでいく。 それでも数学ガール(ズ)に手を引かれ、数式を追いかける喜びは感じたぞ。「分かる・分からない」というよりも、うつくしさを「感じる・感じない」というのに近い。のびた数式が「たたまれていく」快感や、「閉じた式」を探索するドキドキは、分かるより感じとった。 分からないなりにも感じとれたのは、著者の力量だろう。手をとって、つれていってもらえる感覚や、知らない先から戻ってくる感覚が、たった数行の式を追うだけで味わえる。こんなの、小説や評論ではありえない。 この感覚は、料理や音楽に近いかも。自分には出せないけれど、よさは分