「乞活」とは、素直に解釈すると「活きるを乞う」、つまりは「生存を願いもとめる」ということになる。しかし罪人が命乞いをするというようなニュアンスではほとんど使われず、飢饉などで食い詰めた人々が食糧のある土地に移動する行為を指すことが多い。あるいは食を求める流民集団そのものを指す。今回はこの「乞活」の語が『晋書』にやたらと出てくるというお話。中国史上でも混乱した時代には流民集団が登場することは珍しくなく、とくに晋代に流民が多かったというわけでもないだろう。「乞活」という言葉が、「流民」に代わる晋代の流行語だったものと思われる。漢籍電子文献の二十四史で「流民」の語を検索すると、『晋書』だけ綺麗に抜けているのが面白い。 以下の引用はすべて『晋書』からである。 巻5帝紀第5 「(永嘉3年冬11月)乞活の帥の李惲・薄盛らが衆を率いて京師を救援すると、劉聡は敗走した。李惲らはまた王弥を新汲で破った。」
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